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『再生産――教育・社会・文化』

Bourdieu, Pierre; Passeron, Jean-Claude 1970 La Reproduction : Éléments pour une théorie du systéme d'enseignement, Minuit.
=199104 宮島 喬 訳,藤原書店,300p.

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last update: 20180225

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■Bourdieu, Pierre; Passeron, Jean-Claude 1970 La Reproduction : Éléments pour une théorie du systéme d'enseignement, Minuit. =199104 宮島喬 訳,『再生産――教育・社会・文化』,藤原書店,300p. ISBN-10: 4938661241 ISBN-13 978-4938661243 \3885 [amazon][kinokuniya]

■内容


■目次

■引用

「文化資本と教育的コミュニケーション」(第2部 1章)(pp. 101-133)

・以下の探求は、教育的関係を単なるコミュニケーション関係としてあつかい、その生産性を測ろうという意図からうまれた。

コミュニケーションの生産性の大小を、受信者の社会的・学歴的要因を決定しようということである。(p.103)

選別に先立つ不平等と選別の不平等

方法…経歴というかていのなかに置きもどして、関係を調べる

→理由

言語資本と選別の度合という二つの概念に包摂されるもろもろの関係システムを関連づけることのできる理論モデルだけが、諸事実のシステムを明らかにできるからであり、そうしたモデルが、事実間の体系的な関係をうちたて、そのシステムを構成する(pp. 104-105)

言語資本の影響力について

高等教育に進む民衆階級の学生たちは、言語にかんする学校的要求を必要最小限に満たすため、異文化適応の企てを成功させなければならなかったので、過去にいやおうなしに〔上層階層の学生〕より大きな度合の選別をこうむってきたのであり、それはまさに言語能力という基準によってであった(p. 105)

→具体的には

論理的であれ審美的であれ、複雑な構造を解読し操る能力は、ある程度まで、家族から伝達される言語の複雑性のいかんにかかっている。(p. 105)

p. 107の図1.2の分析から…

大学に進学する民衆階層出身の学生の役割はめざましく上層したとしても、これらの学生の相対的な選別の度合は小さくなる(p. 108)

→同じように、ひじょうに多様な形式の言語の操作想定しようとするテストではきまって男子の女子にたいする優位が示される。

大学全体で、文学部で、あるいは特定のタイプの専攻と就学経歴において違いが見られるのである。文学部専攻をよぎなくされる女子学生は、しばしば男子学生の二倍におよんでいること(一九六二年にそれぞれ100人おあたり52、8人と23人)、また男子には他のいろいろな学部がより大きく開かれているのに反し、文学部の女子学生は、この〔文学部への〕追放という事実からして、同じ学部の男子ほど選別されていないことが分かるなら、女子学生の成績がより低いのも理解されるというものである。(pp. 108-109)
では、自然の不平等といったものを引き合いに出さず、いかにして男子の優位を説明するのか。というのも、男女の成績のひらきは、古典語の知識とか中等教育に通った学校とか、専攻タイプとか、あるいは社会的出自とかにおける男女の相違に帰するわけにはいかないからである。(p. 109)

高等教育レベルで、ある学生集団について言語能力を測定してみる

→そうすると、

社会的出自と学業の好成功の関係は、もっぱら成績と学校諸特性の間の関係といった類いの諸関係の下に把握されるが、この学校特性とは、実は、ある特定の社会的地位に当初からあたえられていたチャンスを、固有に学校的な論理で再翻訳したものにすぎないことがわかる。じっさい、言語テストで社会的出自または性別と成績のような変数間の優位的関係をつかむには、学校的考査の伝統的手法にきわめて近いテストを通じて行うしかない。それに対し、就学経歴の特性(中等教育でのコースのような)とかそれ以前の成績の指標(過去の試験で得た評点のような)は、その他いっさいの成績の度合の基準にもまして、言語テストとより強く結びついている。テストのタイプのいかんにかかわらず、である(pp. 113-114)

→同じく

専攻学科によって言語能力の程度に大きな相違があるからといって、それを、かくかくしかじかの知的訓練や、その恩恵を受けた者の本来的でもともと特有の効力のせいにするのは、一専攻学科の学生とは一連の選別の所産にほかならないことを無視し去るものである。(p. 116)

諸要因のある特殊な布置連関の体系的な作用について、一時点で確認され、測定された効果を体系的に問題とするには、異なったさまざまな層の子弟を異なった就学経歴の時点において、その欠如によってさえ影響力をもつことのできるすべての要因の、考えられるさまざまな構成に関する理論モデルを構築しなければならない。

→一般的にいうと、就学過程のある所与のレベルでの言語資本やエートスの特有の形態と効力をつかむにはどうするか?

その場合は…要素の各々がその一部分をなしていて、かつ該当の時点で、社会的出自にもとづく第一次的な決定作用の再反映と継続をあらわしているところの体系へと、これら各要素を関連づけなければならない。(p. 118)

システムの論理からシステム変容の論理へ

経歴と生活史の通時モデルを作るには…

  1. 関係を、共時的につかむというやり方を乗り越えなければならない。
  2. 調査によって把握されたシステムの状態を、それの変容の歴史のなかに置きもどすことが必要である。

ある所与の層について、言語・文化資本を、所与の課程のレベルと学科のタイプにおいて、所与の割合で代表されているという事実によるその層の相対的な選別度に関係づけてみる

→すると

そのシステムの時間的経過の一つの時点であらわれるもろもろの相違、たとえば学部間、同一学部内では学科間の、言語的ないし文化的誤認の程度とタイプ間の相違に説明を与えることが可能となろう。(p. 127)

(専攻科科目間のヒエラルヒーに関する支配と就学上の特性の間の関係をてがかりにして)

伝統的タイプの教育に拠る教育システム

教授たちは、高遠な言説をふるい、対象者の最大多数は発信者の最大限の要求に答えることができるというJ字型曲線の分布を示す受信能力をそなえた学生集団を暗に想定する。(pp.130-131)

教育的メッセージの受信者である学生の社会的および就学上の特性の分析は次の場合にしか意味をもたない

学校文化の押し付けと教え込みの正当の様式を規定する、正統的文化の再生産の制度と考えられる学校と、他方にもまして学校文化の押し付けと教え込みの正統の様式を規定する、正統的文化の再生産の制度と考えられる学校と、他方の、教育的コミュニケーションの効率という点からする学校文化への距離の不平等、および学校文化への承認と習得への態度性向の違いとによって特徴づけられる社会諸階級、の双方の間の諸関係システムを構築するのにつながる場合である。

3章2節 試験と試験なき排除(p. 176-192)

教育システム
経済システムからのきわめて明白な要求にもまして、それ自体の固有の要求と固有のヒエラルヒーを優先される自由の余地が与えられている。

→この自由は、そのシステムがある階級にたいして行うひそかな貢献への見返りではないだろうか

→この貢献

この貢献は、技術的選別という見かけの下に社会的選別を覆い隠し、社会的ヒエラルヒーを学校的な秩序に変形することで社会的諸ヒエラルヒーの再生産を正当化するかたちで行われるのではないか(p. 177)

試験というもの(民衆階級に対して)の機能

このため、試験がかれらを排除するようにみえるときでも、それはたいていの場合もっぱら、延期された選別としての二流コースへの放逐である、将来に予想されるこの別種の自己排除を是認しているにすぎない。(p. 178)
主観的期待という概念について
自ら排除することにつながる主観的期待は、当人の属する層の固有の客観的成功チャンスを左右する諸条件に直接に規定されていること、したがって客観的確率の実現をうながす数々のメカニズムのひとつをなしていること
主観的期待という概念は、客観的諸条件の内面化の所産と考えられるものであるが、それ客観的諸条件とは、そのなかでその期待もはたらく客観的諸関係のシステム全体によって支配される一つの過程に従い、作用するものである。(p. 180)

教育システムの保守的な機能

教育システムは、初等教育の修了のさいの自己排除割合を減らし、延期された排除または試験のみによる排除を強めることで、もっぱらその保守的な機能を果たしている

学校システムが社会の保守のこの機能を完全に果たすためには、試験が「正念場」であることを真実として示さなければならないことがわかる。(p. 183)
学校的公正の規範にしたがう排除→合格者と不合格者を対照づけることで、受験者と受験者の数からすでに事実として排除されてしまっている者すべてとの関係をぼやかし、学校システムと階級関係構造のつながりを隠蔽してしまい、そうすることで、学校システムの機能が成就されていることを覆い隠す(p. 183)
共時性のなかに閉じこもるなら、当初の確率が漸次的に特殊化され、限定されていく一連の遷移的な条件的確率-その最良の指標は、中等教育の特殊部門への出身社会階級ごとの進学の確率であろう-を就学過程の各時点ごとにゼロから再定義されるような、もろもろの絶対的かくりつとして扱わざるをえなくなる。(p. 185)

→共時的なアプローチを批判して…

ブルジョア出身の学生たちのディレッタンティズム、自信、聖性剥奪的な自然さ、あるいは民衆階級出の学生の執拗なほどの熱意と学校に関する現実主義のような「態度」は「奇跡の人」または「遺産相続者」としての主観的経験の客観的構造を規定する位置をしめることの確率、または確率の低さとの関連でしか理解されえない。要するに、把握しなければならないのは、曲線の各点における曲線勾配、すなわち曲線の全体なのだ。(p. 193)

☆教育システムと「社会」 は、その評決のなかで、文化と同じく、文化への関係をも考慮に入れることもわかっている。とすれば、ハビトゥスに依拠しないかぎり理解が阻まれているものが何かということもはっきりする。

ハビトゥス
行為や意見をうみだし、統一する原理であるが、またそれらの説明原理でもある。なぜならこの原理は、就学上の、また知的な生活史の各時点で、それをうみだす客観的な諸条件のシステムを再生産する傾向を示すからである。(p.186)
試験が文化的遺産の正統化の機能を、またその正当化によって既成秩序の正統化の機能を完璧に果たすには、かくも多くの大学人が全国的・匿名的競争試験についていだいているジャコバン的な信頼が、試験にいっさいの科学性と中立性の概観をもたらすもろもろの測定テクニックまでおよぼされればよいということになる(p. 188)

→形式的には文句のつけようのない、職業ポストに就く者の能力を所与の時点で測定するのだとするテストほど、この社会的正当論の機能をたくみに果たしてくれるものもない

→そのさいの能力とは

いかに早期に把握されたものであれ、社会的に性格づけられた学習の所産であること、もっとも予測的な測定は社会的にはまさにもっとも中立的を欠いていることが忘れられている。(p.188)

4章2節 選別的選別と社会的選別

教育システムは、労働市場の切りつめ不可能な需要を無視できなければ、それだけ、もろもろの階級差の正統化の社会的機能を、熟練をうみだすというその技術的機能の背後におおい隠すことになろう。(p. 189)
テクノクラート的イデオロギーの諸規範にかなう教育システムは、少なくとも伝統的システムと同じく、そのシステムが免状を通じてうみだし、または宣言する学校的希少性に、さらに社会的希少性を付与することができる。(p. 189)

近代官僚制…もっとも明白な利益に逆らうようにみえるときでも、官吏たちの学校的資格の技術的内容を試験しないことによって、この組織性と階位制を防衛している。

→なぜなら

免状によって保証されている個人を危機にさらすこともありうるような試験を課すことは、免状の正当性およびそれが正統化しているいっさいをも危機にさらさずにはいないだろうからである。(p.190)

近代社会が、社会的有利さを、それ自体社会的有利さに逆変換しうる学校的有利さへと変換する力を行使するさまざまな機会を教育システムに提供することも理解できる。

→なぜなら

近代社会では教育システムは、一つの職業を遂行するさいの技術的要件である学校的な、それゆえ暗に社会的な前提用件を提示することがゆるされるからである。(p. 191)

特権階級は、選別権力をつねにより全面的に学校制度に委任することで、完全に中立の機関のために、世代間の権力伝達の権力を廃し、それによって特権の世襲的伝達という恣意的な特権を放棄しているようにみえることがある。

しかし!

それはもっぱらかれらの社会的利益のためであるから、客観的にはつねに支配階級に奉仕している。(p. 192)

■書評・紹介


■言及


*作成:中田 喜一
UP: 20091105 REV: 20180225
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