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アーサー・フランク研究会第2回報告資料



2008/04/19 第2回アーサー・フランク研究会

Frank, Arthur W., 1995, The Wounded Storyteller: Body, Illness, and Ethics, University of Chicago Press.(=2002,鈴木 智之訳『傷ついた物語の語り手』,ゆみる出版.)

■目次(丸括弧は報告者)
第1章 身体が声を求める時(大谷通高)
第2章 病んでいる身体の諸問題(同)
第3章 物語への呼びかけとしての病い(植村要)
第4章 回復の語り―想像界の中の病い(同)
第5章 混沌の語り―沈黙する病い(阿部あかね)
第6章 探究の語り―病いと伝達する身体(同)
第7章 証言(中田喜一)
第8章 半ば開かれたものとしての傷(同)

第1章 身体が声を求める時
1章では、病いの物語を近代医療を記述媒体とせず、個々の身体を媒体として語るために、その基本的視座を確立させることが目的となっている。

病いにかかるということは、病いにかかる以前の生の「目的地や海図」を喪失すること。
⇒ 病む人が新たな生を生きるためには、新しい「目的地や海図」を必要とする。新たな目的地と海図を獲得するために、病む人は病いを物語る。
◆ 身体化された物語
病いは物語の主題としてだけでなく、物語の条件としてあり、それは傷ついた身体を通して語られる物語である。病む人が語る物語は、その人々の身体から現れ出るもの。
● 物語の個人的な側面――いかにして、病いの物語を、病める身体を通して語られたものとして意味づけることができるのか。
⇒ 物語の中に病む身体を表すことは、個々人に課せられた仕事であるが、物語は社会的なものでもある。
● 物語の社会的な側面――物語は他の誰かに対して語られるということ。
人々が自分ひとりの力だけではその物語を作り上げることができないということ。
本書の主題
主題1 病者は新たな海図、自分と世界との関係に新しい見方を打ち立てるために、自らの物語を必要とするということ。
主題2 身体を通して病の語りが形を表すということ、いかにして身体についての物語にとどまらず、身体を通して物語として語られるのか。
主題3 社会的文脈はどのような物語がどのようにして語られるのかに関して、いかなる影響を与えるのか。文脈に関する中心的な論題は、近代と脱近代の間で、病の経験のされ方がいかに異なるのかに関わる。

脱近代の病い
近代と脱近代の分水嶺を越える旅として病いがある。
◆ 病いについての近代的経験
病についての近代的経験は、治療のための複合的な組織を含めた専門技術体系によって打ち負かされてしまうところに始まる。
● パーソンズの「病人役割」
病人に対して社会が向ける中心的な期待 ⇒ 医師のケアに身をゆだねること。
医学的ケアを受ける義務 = 語りの譲り渡し。
病む人間は、単に支持された医学的治療法に従うことに同意するだけでなく、同時に自らの物語を医学用語で語ることにも暗黙のうちに同意することになる。医学的問いかけは個々人の経験や感覚を医学的報告の中に位置づけられることを要求する。病む人の物語は医者が発した言葉の繰り返しに大きく依存。
医療従事者が、患者の病いの経験に医療の専門用語を押し付けることで、その経験を植民地化する。
◆ 病いについての脱近代的経験
病む人が医学的物語によって語りうる以上のものが、自らの経験に含まれているということを認識するところから始まる。病いの経験は、医学領域がおよぶ範囲に限定されて存在するわけではない。脱近代社会において、人々が自分自身のものとして認知することのできるような声を必要としている。
脱近代とは、自分自身の物語を語る能力が要求される時代。
近代では医学の物語が優越的な地位を占め、その他の物語は二次的なものとなる。脱近代の分水嶺は、人々の自分自身の物語が二次的なものではなく、自らにとって一義的な重要性を持つものとして語られるときに踏み越えられる。
⇒ 脱近代の病いは、一つの経験であり、身体と自己、さらには人生の海図が導いていく目的地について思いをめぐらせること。

寛解者の社会
● 寛解者:実質的には良くなっているが、完治したとはみなされない人々の総称。
何らかの癌を患った人、心臓リハビリテーションのプログラムで生きている人、糖尿病患者、アレルギーや環境への過敏反応があり自己規制が必要な人、舗装具や身体制御を身につけている人、慢性疾患患者、障害者、依存や嗜癖からの回復過程にある人、良い状態を保つことの喜びを共有する人たち、その家族。
近代医療の技術的達成が寛解状態を生きることを可能にしているが、病後を生きる意味にかんする人々の自意識は脱近代的なものである。
近代の社会では病気と健康の二項対立で捉えられるが、寛解者の社会では、健康と病気は相互浸透しながら移行する変化のプロセス。

医療による「病いの経験」の植民地化
● 近代医療は患者の身体を治療の続く間は自らの領土であることを患者に要求する。寛解者の場合、定期的に医療による植民地化が行われる。
⇒ 寛解者として生きることを請求することが、脱近代的=脱植民地化。
● 近代医療の達成のために、病む人の個別的経験が一般化されていく。「病人役割」を演じている病む人間は、自らの個人的な苦しみの個別性を、医学の一般的視点に還元することを受け入れる。近代ではこの還元が問題とされることはなかった。
⇒ 還元の代償は何か?
治療とその試みの代価として、病いの経験の植民地化がなされることとなった。しかし、病いが急性から慢性へと移行するとともに自己認識も推移する。長い時間、病人である者は、自分自身の苦しみがその個人的な個別性の中に認識されることを望む。
⇒ 脱近代において、病む人たちは医療による病いの経験の一般化に対して不信を表明するようになる。寛解者の社会のメンバーは、医学の世界を表から裏まで知り尽くし、医学的な語りの中での自己の位置を問い直す。
医学雑誌の支配的テクストは、苦しんでいる人を必要とするが、病む人の苦しみを認知することはない。病いは医療に従属することで、私秘化されてしまうために集合的な力を確立することができない。寛解者の社会のメンバーは、医学的テクストの構成のなかで「臨床的素材=物」に還元されることを拒み、彼らは自らの声を要求する。教材として関与するのではなく、教育的役割として関与しようとする。
⇒ 病いの一般的な脱植民地主義の形態として、語られるのではなく語ること。表象され、完全に消去されるかわりに、自らを表象することの要求がある。
しかし、病む人は医療の現場で語ることができない。寛解者の社会で、互いに病いについて語るようになり、病いの物語が具体化されていく。
脱近代の病いの物語は、人々が自分を「統一的で一般的な視点」の外部に位置づけうるように語られる。人々にとって、自らの物語を専門家の権限が届かないところに移行させるということは、自らの個人的な責任をより深いところで引き受けるということを意味している。寛解者の社会では、脱植民地的な存在としての病む人々は、病いが自己の人生の中で持つ意味に対して責任を負わなければならない。

脱近代的責任
● ギデンスの「再帰的企図」
現代における自己を「個人がその責任を担う再帰的な企図」として規定。
近代性は、人々が自分の人生を変えていく力をもっていることを前提としており、そこでは哲学的な自己審査が日々の実践における課題となる。ギデンスのいう「再帰的企図」とは、自己を審査する課題を担おうとする人々を描き出す試み。
⇒「再帰的企図」は二つの異なる種類のアイデンティティを生み出しうる。
● バウマンの「つかのまのアイデンティティ」、「その日限りのアイデンティティ」
この自己は、何よりも自分自身に対して責任を負うもの。その責任は自らが認知した自己の利害関心の領域に限定される。しかも他者への責任は自己の利害と関与する期間に限定される。
● レヴィナス
他者のために生きるということは、模範的な善の行為ではなく、自らの生が人間としてそのような生き方を求めてしまうがゆえに他者のために生きるのである。自己は他者に対する関係のなかで人間的なものになる。
⇒ 他者のために自らを犠牲にせんとする自己ほど、責任を「追って通知があるまで」のものとする感覚から遠くはなれたものである。
世俗的な近代の文化の中では他者のために生きるという理想が見失われており、それを再定義することが新たな出来事になっている。

病いの責任
近代において、病いに対する責任は、患者として従順であることに還元。
⇒ 他方で医者は個々の患者よりもむしろ専門職規範に対して責任を負うことになる。
⇒ 医者が職業的規範に忠実であることで、患者に対する最大限の責任が達成されることになる。
職業的規範とは、真理に対して責任を負うもの。
病いにおいて近代が受け入れてきた真理とは、
○ 医科学の視座から見た事実に関する真理
○ 病院での制度的運営に関する慈善性を基準とした真理
○ 生政治と呼ぶ人々の福祉管理に関わる政治的真理
⇒ これらの真理を受け入れることは、患者が医療に物語を譲り渡すことにつながるもので、専門職実践の土台。
そして、実践に対する要求・期待の高まりが生じる。しかし、要求が高まる一方で、真理がその約束どおりの成果をもたらす可能性に対して、次第に信頼が薄れていき、専門職に懐疑の眼差しが向けられるようになる。また、専門職と一般人との間の緊張は、期待をめぐる葛藤への反映だけでなく、各グループの期待の内部での葛藤からも影響をうける。
⇒ こうして、近代医療への語りの譲り渡しを拒絶することが、反省的な自己点検という明確な行動へと転じ、責任の遂行へと繋がっていく。

病いの個人的責任の遂行
病いの責任の遂行は、普遍的真理ではなく、「本当の現実」である「常識的世界とそこに生じる義務」を肯定することから始まる。
⇒ 常識的世界への責任の感覚によって促され、他者のために生きる一つの生き方を表すこと。自己のためだけでなく、自らの後にしたがう他者を導くために物語を語ること。
海図を再構成するという経験の証人となること。
証人となることは、共に生きられた世界と他者に対するひとつの義務。

物語ることの相互性
物語は、自分自身に対して語られるものであると同時に他者のために語られるもの。
語り手は自らを他者の自己形成の導きとして差し出す。
⇒ その他者がその導きを受けることは、語り手を承認するにとどまらず、価値づけることにもなる。
⇒ 語り手と聞き手のそれぞれが他者のための物語空間に入っていくことになる。
物語とは、他者の生に働きかけることで、自らの生を変えていこうとする試み。
かくして、物語は証言の要素をそなえている。

病いの物語
病いの物語の語りは、医学が描き出すことのできない経験に声を与えようとする試み。
病いの物語は、個々人のなかで実現されるが、同時に社会的なもの。
近代医療が病む人に声を与えたが、声を出すことは医療専門職の支配とそれへの語りの譲り渡しにかかわる諸前提のうちには含まれ得ない。声が聞こえてくるということから、その越境の事実を知る。
⇒ 自らの苦しみの経験を取り戻すことは、自身の病いの経験を自らの責任から引き受けることを意味する。
⇒ 苦しみを証言へと転じようとすることで、語り手は道徳的行為へと参与する。身体と声と病は、脱近代社会において倫理の領域へ高められる。

脱近代の固有の倫理
偶発性と傷つきやすさのなかに身を置くこと。
そうしないことは、自らを他の人々のために存在する人間として捉えるための土台となる結びつきを切断することになる。
社会科学は、その見守るという振る舞いへの責任を証人行為として引き受けなければならない。それが人間として縛ること。
責任は身体とともに始まり、その身体とともに終わるというのが本書の前提。
見守ることも証人となることも身体と始まり、その身体を縛る。

本書について
偶発性
自らの行為が他者の行為に依存し、にもかかわらずその他者の行為を統制しえない時に、なお行為の経過はいかにして安定的なものとなりうるのか、という問題。
身体を他者として考えたときに、どれほど私たちが自己の身体に依存しているか。

物語
物語は、生の移ろいに合わせて変化し、経験も変化するもの。
物語について考えるのではなく、物語とともに考えること。
物語について考えることは、物語を内容へと還元し、その内容を分析することであるが、物語とともに考えるとは、物語をそれだけですでに完全なものとして受け取ること。
物語が自分自身に影響を及ぼすことを経験し、その影響の中に自らの生に関する何らかの真実を発見すること、物語は私が物語とともに理論化するための素材。

証人の社会学
認識を導くための枠組み作りが、物語を聞くことの助けになる。
枠組みは、さまざまな語りの類型をより分けることを可能にする。
基本的な生の配慮が差し向けられているのか、物語はいかに身体との特定の関係を要求しているのかを認識するための手助けとなりうる。このような枠組みは、それ自体において真実である物語への注意を高めるためだけのもの。

本書の目的
物語とともに生きる最終的な要求は個人の中に経験を沈殿させること。
常識世界とそこでの義務を確認する。


第2章 病んでいる身体の諸問題
本著では病む身体にいかなる言語を押し付けようとしているのか。
この章では、その問いにこたえるために、まず、一般的な身体の問題を規定し、それらの問題に応答する仕方を明らかにした後、そこから四つの身体の理念型を打ち立て、そのなかの一つである〈伝達する身体〉を身体の理想型として提示している。

一般的な身体問題
身体の問題は行為の問題とリンクする。
4つの一般的な身体の問題として、「統制」、「自己とのかかわり」、「他者とのかかわり」、「欲望」がある。身体―自己が、この4つの問題に対応して応答するその仕方は、一続きの、またはある幅のなかで可能な応答として提示される。そして、それは四つの連続的な座標軸を生み出す。それは〈規律化された身体〉、〈支配する身体〉、〈鏡像的身体〉、〈伝達する身体〉。
四つの問題とそれに対する四つの反応軸、そして四つの理念的な身体像から構成。

身体の諸問題
統制
統制の可能性によって自己を規定。
病いとは統制の喪失、そしてそれを生きていくという事。
統制の問題は、「予測可能性」から「偶発性」までの連続的な広がりに沿って身体が生きているということ。統制を喪失したら、それを回復するように努めることが期待され、そうでない場合は喪失を隠すように求められる。
⇒ 統制の喪失はスティグマを生み、統制の欠落を管理するための特別なワークが要求される。
統制の欠落の管理
統制を喪失した当人とその当人の周りにいる人の当惑を防ぐために、統制の欠落を管理する必要がある。病いのしるしを明らかにするのかについて責任を負っている、という事実。   
脱近代的振る舞いとしての「カミングアウト」
スティグマを押し付けられた身体―自己であることを肯定することが「カミングアウト」。偶発性への対処=統制についての統制を行っていることを人に宣言すること。

人は生理的水準でどこまでが予測可能であり、どこからが偶発的なのかに依存するだけでない。生理的機能を、人がいかに選択し解釈するのかにかかっている。統制の喪失への反応は、身体に関するその他の行為の問題がどのように管理されるのかという問題と繋がっている。

身体とのかかわり
身体と自己の関係の問題。
自己と身体は、結合的であったり分離的だったりする。
● 結合的:身体としての自己の宿命を、受け入れること。道徳的身体観
● 分離的:快楽を生み出すものとして身体を捉えること。道具的身体観
近代医療はその結び付きを後退させるもの。
近代医療の外部に位置する治療者は、患者に対して自分が感じていることへの感受性を磨き上げ、その感覚を信頼することをする。
それは脱近代の分水嶺を越えたことを示す一つの指標。

他者とのかかわり
自己―身体と他者とのかかわりの問題。
自己の行為のために他者とのかかわりを規定する必要があるという問題は、身体として存在するという共有された条件が、いかに生きている者たちの間での共感的関係の基礎となるのかという点に関わっている。
● 「互いに開かれた身体」
互いに開かれた関係とは、他者がわたしの外部にある身体として「私に対峙する」ものだとしても、他者は私にかかわらなくてはならず、私もまた他者にかかわらなくてはならないと認識する関係。
病む人は、自らの周囲、自らの前後に、同じ病を経験し、その人自身の完全に個人的な苦しみに苦しんできた他者を見いだす。物語を語るということは、互いに開かれた身体が、自らの痛みを差し出すと同時に、何がその身体を悩ませているのかを他者が理解してくれるという保証を受け取るためのひとつの媒体である。ゆえに物語の語りは互いに開かれた身体の特権的な媒体となる。
● 「閉ざされた身体」
開かれた身体の対極にあるものとして個々に閉ざされた身体。本質的に他者から隔てられ、孤立したものとして理解する身体。
近代医療の管理システムは他者との接触を排除してしまうだけの距離を生み出している。患者は医療スタッフに対して、患者同士の集団としてではなく、個々ばらばらに関係を持つ。個々人の業績を求める市場や教育において閉ざされた身体はうまく接合する。
「互いに開かれた身体」は、他者に対するこれとは異なった関係のうちに自らを位置づけるという倫理的な選択を示している。それは、他者の諸身体のための身体となる、という選択。痛みの共同体の中に自己と身体を位置づけるということ。
「開かれた身体」は、互いのために存在する。互いのために生きることの意味を発見するために存在するもの。
他者のために生きることは、その行為について反省してみることから離れてはなされえない。

欲望
欲求(desire)を、欲望(need)と要求(demand)の三者関係のうちに位置づける。
欲求:肉体的な現実。
要求:欲求以上のものを請い求める。
欲望:常により以上のものをもとめ、充足することができないもの。欲望は、何らかの対象に対する要求として自らを表現せざるをえない。
欲望に関する身体の問題は、「欲望を欠落させるに至った身体」と、「欲望を産み出し続ける[=産出的な]身体」の間に連続的な座標軸を構成する。病む人の語る脱近代的な物語の筋立ては、欲望を中心に構成される。
● 「欲望の欠落」
    病める身体は欲望することをやめてしまう。諦観するようになる。
欲望の喪失は自己と他者への無関心と接合する。
● 「産出的な欲望」
痛みの共同体は、他者の身体のための身体となる倫理的選択に基礎付けられて、産出的な欲望を表現する。
欲望の探求により自己愛を深めることができる。欲望が反省の対象となることによってはじめて、欲望の対象に対する高次の責任を引き受けるための通路が開かれる。人は病になっても自己愛を失わないばかりか、病気であることを所与として共有する。そして人間性への愛を持ち続けることが可能になる。

身体の四つの理念型
〈規律化された身体〉
規律化された身体―自己は、まず何よりも自己管理(self-regimentation)の行為のなかで自らを規定する。
行為に関する重要な問題として、統制。規律化された身体は、統制能力の喪失によって深刻な危機を経験。
その反応として、
⇒ 治療のための生活管理(regimens)を通じて予測可能性を確保しようとするもの。
     その生活管理のなかで、身体は受け入れがたい偶発性を埋め合わせようとする。生活管理を追及することは、身体を治療されるべき「それ」へと変形させ、自己はこの「それ」から切り離されたものとなる。
規律化された身体の理念的形態においては欲望を欠落させている。また、規律化された身体は自己の物語を語りたがらない。その物語は生活管理の実践を通じて語られる。〈規律化された身体〉は生活管理を正しく行うことにあり、生活の遂行それ自体が高い重要性をもっている。
⇒ しかし生活管理が喜びをもたらすようになると、欲望が産出的になり、規律化された儀礼的行為の実践以上のものが生まれる。しかし、それは自虐的な欲望。
規律化された身体から脱却するには、その身体と和解し身体との新しい関係を築くこと。

〈規律化された身体〉とは、個々に閉ざされた状態へと自らを囲い込むこと、「それ」と化した身体から[自己]を切り離すこと、何らかの統制の手段の回復を必要とすること、あるいは欲望を喪失すること。

〈鏡像的身体〉
鏡像的身体は消費行為のなかで自らを規定する。
身体を消費の道具として、その対象にもする。
健康な身体のイメージのなかで、自らの身体を消費行為により作り直そうとする。「規律化された身体」が、内なる指揮官の命令に従って行動するのに対して、「鏡像的身体」は内面化された一組の理想的イメージにあわせて身体の手入れをする。治療がうまくいくかどうかよりも、目に見える副作用に対する不安のほうに関心。
鏡像的身体も、偶発的な出来事を恐れ、予測可能性を求める。
鏡像的身体は、他者からの行動期待のうちに、自己の追求すべき道筋を見いだす。
鏡像的身体は欲望を産出するが、その欲望は個々に閉ざされたもの。

鏡像的身体において、健康と病との対象において身体を理想化し、理想化された健康との対比において病を憐れなものとしてえがく。鏡像的身体は、自己を愛してはいるが、醜さを含まない自己愛。

〈支配する身体〉
支配する身体は力によって自らを規定する。
支配する身体は偶発性を前提としながら、それを受け入れようとしない。規律化された身体が、その偶発性に対する恐れを、生活管理によって予測可能性に転じようとするのに対して、支配する身体は偶発性への怒りを他者に向けようとする。病を統制できない代わりに他者を統制しようとする。
支配する身体は、身体と意識との分離と欲望の欠落という性格を規律化された身体と共有している。しかし、決定的な違いとして、支配する身体は、他者に開かれている。
⇒ その開かれた関係の倫理的姿勢は、他者のためではなく、他者に敵対してある。

〈伝達する身体〉
伝達する身体は承認によって自らを規定する。
規律化、鏡像、支配の身体は、いずれも理念型。しかし、伝達する身体―自己は、単なる理念型にはとどまらず、同時に理想型でもある。伝達する身体は、身体にとって倫理的理想を提示する。
「伝達する身体」
⇒ 伝達する身体は、その偶発性を生命の基本的な偶発性の一部として受け入れる。
⇒ 伝達する身体は、身体―自己を統一体として存在するものとして理解する。それは相互依存的で深く絡み合い、切り離すことのできないものとしてある。
⇒ 身体組織内の問題が生の全体のうちに浸透してくる。
「身体と自己との」結び付き、及び偶発性は、互いに開かれているという性格と、欲望を生み出し続けるという性格を伴う。
⇒ 身体の偶発性と結びついている身体が、外に向かって開かれた関係へと転じるときに、自らの苦しみが他者の身体のうちに反映する。
そして、身体が欲望を持ち続けるときには、人は他者の苦しみを和らげることを欲し、それを必要とする。伝達する身体の互いに開かれた欲望は、身体が決して自分ひとりのものではなく、他の身体との関係の中で人間性を培っていくものを示す。
⇒ 伝達する身体は、他者のためという倫理的理想を具現。
他者のために存在する身体とは、分かち合う身体(communing body)のこと。
分かち合うことは、伝達(communicative)であり、それは伝えられる内容の問題よりも、協調(alignment)にかかわるもの。協調が欠けていれば、メッセージは適切に伝達されない。

理想型としての〈伝達する身体〉
病いにおける倫理的人間としての責任の中には、自己と他者が病いのなかに自らの姿を見いだし、それを自分自身のものとしなければならない状況を良い物語にするということが含意されている。
伝達する身体は他の身体とは異なり、物語を他者と分かち合う。物語は他者を、その中に自分自身の姿を見いだすように招き入れる。それにより、分かち合いが身体の中に生まれる。互いに結びついた身体―自己のかかわりと、互いに開かれた他者とのかかわりが合流することによって生まれる、伝達する身体―自己の核心を表す。
生命にとって逃れることのできない偶発性としての苦しみと、他者の身体にかかわりたいという産出的欲望がもたらす奉仕とを結びつけること、身体の倫理的理想の表現。
伝達する身体を倫理的課題を担うものとして提示することで、身体の倫理学を導き出すこと。反省的な自己点検のためには、それを基準として身体―自己の発展が測定される理想像が必要。

章の概説
3章:様々な物語に目をむけ、病いの中で物語の役割と脱近代の時代におけるその文脈について検討。
4章から6章:3つの基礎的な病の語りを提示。ここでは、語りが、身体―自己が自らを表現し、反省的な自己点検を行うための媒体として示される。
さまざまに異なる身体は、さまざまに異なる病の語りと「選択的親和性」を有している。選択的親和性は決定論的なものではなく、身体は、身体の語る物語のなかで――単に再現=表象されるばかりでなく、また創造されながら――具現化されていく。具現化は再帰的であらざるをえない。ある種の物語を語ることで倫理的な選択がなされ、その選択が翻って物語を生成させる。伝達する身体へと至る道は、物語を語ること。
終章:証言と倫理について論じ伝達する身体を、病とともに生きるための倫理的理想として提示する。

第3章 物語への呼びかけとしての病い
 物語は、自己を描きだしていくだけではなく、自己が存在するための媒体である。前章では、身体―自己の身体の部分を強調してきたが、本章では自己の方に力点を置く。特にここでは、自己と物語を病いという観点から考察する。そして、本章の結びでは、病いの物語と脱近代との親和性を探求する。

 語りの難破
 重い病いを患うということは、二つの意味において物語へと呼びかけることである。ひとつは、病いによって、自分は人生のどの地点にありどこへ向かおうとしているのかという感覚を損なわれてしまった時には、物語によってその損傷を修復しなければならない。物語とは、海図を描き直し、新しい目的地を見いだすための方法である。もうひとつは、病いの物語は、医療者や保健所の職員、雇用主や職場の同僚、家族や友人たちに語られねばならないという直接的なものである。病む人々が物語を語りたいと思うか否かに関わらず、病いは物語を要求してしまう。
 物語は、疲労・不安・痛み・恐れを伴いながら語られ、それらの条件は、病む人を「難破」のメタファーへと導く。このメタファーの延長線上では、物語を語ることが難破船の修復作業として描きだされる。修復は、嵐の後で何が生き残っているのかを調べ上げるところから始まる。
 化学療法を受け始める前夜の若者から聞いた物語では、その海図の上には、ありうべき目的地のひとつとして癌が描かれていた。しかしそれでもなお、彼は少なくとも二つの理由から、語りの難破を経験していた。ひとつは、癌が空想の中で予期されていたとしても、現実はまた別のものであり、時には、まったく物語を持ちえないということよりも、この現実との接続の悪さの方が厄介なことになる。もうひとつは、時間の感覚を失ってしまったことである。聴き手も語り手も、語りに対して、過去が現在へと導かれ、その現在が予見可能な未来を準備することを慣習的に期待しているが、現在が過去から導きだされると思われていたものとはくい違ってしまったことで、未来を考えることが不可能になってしまうのである。
 物語を語ることは他者に対して物語ると同時に自分に対しても物語っているのであり、語りの難破を抜けだす道は、シェイファーが「自己物語」と呼ぶ物語を語ることにある。重い病いは、自己物語を通して、他者との関係性の確認、自己の確認を要求する。シェイファーの考察は、その二つがいかに相互的に進行していくのかを描いている。
 「自己とは語りである」というシェイファーのテーゼにかかわる文献から、病いの物語を聴くということにかかわるいくつかの主題を引きだすことができる。

 中断と目的
 病いとは永続的な中断とともに生きることである。中断された物語であるナンシー・メアズの自己物語における「コーラ」をこぼしたというメタファーは、メタファーが病いの物語の中でいかに働くのかを例示している。医師・患者間の対話においては、「病歴の聴取」として臨床上の課題として再定義されることで、日常的な礼儀に関する慣習が棚上げされて、中断が正当化される。
 中断された人生の語りは、新しい種類の語り方(ナラティヴ)を必要とする。メアズは、語りは、すっきりした結末に向けて突き進んでいくという欠点を抱えている、と述べる。「病いによる中断」は、語りをその結末から逸脱させ、医者も患者も居心地の悪さを覚える。
 病いの物語は二重の課題に直面する。語りは、病いによる中断によってばらばらになった秩序を回復しようとすると同時に、その後もこの中断が継続するという事実をも語らねばならない。このことは、その物語には、すっきりとした結末がふさわしくないことを示している。
 中断された語りは、多くの新たな目的を見いだす。これについては、また後の各章で考察するが、最も一般的な言葉は、ジュヌヴィエーヴ・ロイドによって示されている。ロイドは、それが再び繰り返されるとすれば、そのすべてを伴う形でしか生起しえないものとして、起こっていることのすべてを自己の存在に不可欠のものと見なすことである、という。

 記憶と責任
 病いという中断、あるいはそれがさらにもたらすであろう中断とは、記憶の解体である。それは、人生のつながりに関する一貫性の感覚であり、デヴィッド・カーが「未来・現在・過去を包摂する全体」と呼ぶところのものである。
 記憶の解体は、道徳的問題である。病いを患う現在は、過去に思い描いていたものとは別のものになっており、記憶は語りの中で一貫性を備えたものに再構成される。記憶は、ただ再構成されるだけのものにはとどまらず、語りを選択して作りだされるのである。そこでは未来もまた作りだされていくのであり、その未来には明確な責任が伴うことになる。
 語りのはじめの時点で、あらかじめ主体あるいは自己が与えられているのではないということが、物語の道徳性にとって不可欠の条件となる。もしも、主体がはじめに与えられているのだとすれば、何ひとつ学ばれることはなくなってしまう。
 人がその状況を受けとめて応えるためには、何でもいいから物語を語るということではなく、よい物語を語らねばならず、それが病む人が上手に病むための手段である。よい物語が物語的真実を保つためには、それが実際に生きられていく中で、その生活に対して真実のものであり続けなければならない。問題はいかなる出来事にいかなる真実が見いだされるのかにあり、病いの物語において、真実は選択的なものであるが、そのことについての自覚は保たれていく。真実が語りつくされているように見えるとしても、それは病いの物語の表層に限られたものである。
北米人の間では嘆くことをためらう否認と紙一重の文化が共有されており、また、医師は居心地が悪いと感じた患者の物語を中断させる。しかし、よい物語は否認を拒絶し、それによって社会的圧力に抵抗する。
 病いの物語をよい物語とするのは、証人の行為である。証人は、暗黙のうちにであれ明示的にであれ、次のように語る。「私は、あなたがそれを聴きたいとは願わないとしても、私がそれを生きてしまったがゆえにそれが真実であると知っていることをあなたに告げる。その真実は、あなたを混乱させるかもしれない。しかし、結局のところあなたは、真実を聴かずに放免されることはない。なぜなら、あなたはそれをすでに知っているからだ。あなたの身体がそれをすでに知っているのだ」。こうした物語を真実のものとして語ることによって、病む人は、その状況を受けとめ応えるのである。
 記憶とは責任である。なぜなら、それは語られることによって証言となり、個人の意識を超えて共同体の意識へと到達するからである。

 自己を再請求する
 再請求(リクレイミング)という言葉は、病いの物語が、度重なる中断の中にあって、ただ何事かを発話するということにとどまるものではないことを示している。そこに示唆されるのは、病む者の声が奪われてきたという事実である。
 再請求行為については、オードリー・ロードの記述がある。彼女の再請求は身体とともに始まり、身体―自己を超え出、彼女が動こうとするとそのたびに「障害となって現われてくる世界」へと継ぎ目なく移行していく。病いはその障害を乗り越えるためにより多くのエネルギーの集中を要求する。そこでの集中は、自分が使いものになっているという感覚を必要とし、また別の意味ではその感覚そのものなのである。ロードによる語りの実践は、シェイファーやカーやスペンスやシャンクが求めたものとなっているが、これらの理論家たちが考えおよばなかった政治的次元を強調している。
 ロードが自らの生きていく世界の多元性を明らかにしているのに加えて、再請求される自己の多元性にも注意を向ける必要がある。多くの病む人々にとって課題となるのは、複数の自己を自分自身が使い分けられる状態にしておくことであると思われる。しかし、たったひとつの身体は、どれだけの数の自己を支えうるものなのだろうか。
 これには物語が二種類の答えを示している。シュー・ナタンソンは、自分を単一の人格ではなく、複数の人格としてとらえ、自分の中のある部分は別の部分の価値基準と矛盾する行動を取るものなのだと認識した。レイノルズ・プライスは、自分自身を新しい自己と考えることによって、古い自己のままでは恐ろしいものであっただろう身体的条件を生き続けるための言葉を見いだした。
 ロードとナタンソンとプライスによる語りの再請求を結びつけているものについて、ロイドは簡潔なまとめを示している。「記憶をめぐる考察は、自己を驚きの対象へと変える。自らの存在が、それまでは世界を見据えることの中でしか感じ取ることのなかった驚異の的となるのである」。よい物語は驚きに至る。

 語りの難破と脱近代の時代
 自己物語の一形式としての病いの語りは、少なくとも他の三つの形式と重複し、境を接している。その三つとは、精神史的自伝、ジェンダーにかかわるアイデンティティを獲得していく物語、トラウマを生き延びた者たちの物語である。
 脱近代の時代にある今、その不確実性に対するひとつの応答として自己物語が増殖するのは、なぜか?
 自己物語は、語りの難破に基礎を置き、再請求の行為を伴っており、脱近代がそれらの資源をもたらす。線形的発展の欠如と複数の声の競合という脱近代の記憶の形は、中断された経験に適合する。共同体的信念が共有されない脱近代においては、外部から書き込まれる複数の物語から自分自身のものと認められる声を求めて闘わねばならなくなり、自己物語が増殖するのである。自分自身の声を語る者としては、自己が多様なものとなろうとも、その中には本当の現実の基底が残されており、その名はしばしば痛みと呼ばれる。
 自己物語が増殖するまたひとつの答えは、近代社会が累積してきた暴力がもはや見過ごすことのできない域にまで達してしまったという点に求められる。

第4章 回復の語り―想像界の中の病い
 語りの類型とは、個々の物語のプロットやテンションの基礎と見なされうるような、きわめて概略的な物語の筋書きをいう。病いの語りの「諸類型」を提示することは、個々人の経験の個別性を包摂する「一般的で統一的な視点」を作り上げてしまう危険があるが、病者の言葉への関心を促して、聴くことを助けるという利点がある。実際の語りは、以下に提起する語りの3類型のすべてを組み合わせたものであり、それぞれの経験の段階ごとの特異性は、その時点において支配的な語りの類型によって記述することができる。
 語りの類型のそれぞれについて、四つの節をもうけて考察する。まず第一に、そのプロットについて見る。第二に、その語りと身体化に関する行為の諸問題(統制、身体とのかかわり、他者とのかかわり、欲望)との間にある選択的親和性を記述する。第三に、語りがいかにして自己物語として機能するのかを論じる。そして最後に、それぞれの語りの類型が持つ力と限界を検討する。

 回復のプロット
 回復の語り(restitution narrative)の頻度は、病気になって間もない人々に顕著で、慢性疾患の場合に低くなる。今日の文化の中では、健康は取り戻さなければならない正常な状態と見なされており、病者自身の回復への欲望の中には、その回復の物語を聴きたいと願う他の人々の期待が混入している。
 回復の物語は、将来に向けての予測としても、過去を振り返る形でも、また制度的な形式でも語られる。私は以前、一人の男性から、将来の予測である回復の物語を聞いたことがある。癌患者のセルフヘルプグループでは、過去を振り返る形での回復の物語を聞いたが、そこでは、回復の物語以外の形式において病いの物語を聞くことに不快感が示されていた。ある癌センターについての冊子や市販薬のコマーシャルは、病気がたどる経路に関する期待を条件づけるだけでなく、患者が語るべき物語のモデルを提供しており、制度的医療の好む語り口を主張している。
 ウィリアム・メイは、回復という結末がヨブの物語に書き加えられた時、苦しみの本質は、ただ直面することしかできない謎から、解決することのできるパズルへと転じてしまったという。答えの不在が、謎を近代社会にとっての不名誉としているのである。
 タルコット・パーソンズの「病人役割」理論は、病いを回復の物語の中に書き込むことで、近代主義的想像力の一翼を担った。この理論は、回復の物語に対する支配的語り(マスターナラティヴ)としての力を持ち、近代主義的な社会統制の語りになっていることが問われなければならない。病人役割概念の潜在的仮定となっているのは、人々は必ずよくなるという信念である。この概念は、医療が病む人間に何を期待し、他の社会的諸制度が医療に何を期待しているのかを示す強力な語りであり続けている。
 医療が個々の専門領域に分化することで、「致死という現実」は解体される。小さく解体された課題をひとつひとつ済ませていくことは、小さな勝利であり、セラピーとしての効果を持つ。しかし最終的には、致死の現実と責任、そしてその謎に直面しなければならない。そのためには、回復の語りとは別の物語が必要となるのである。

 修復可能な身体
 病いの苦しみはいつか軽減されるという信念は、どのような身体からも好まれる語りの形式だが、ある種の身体は、その他の身体に比して、回復の語りとの間により大きな親和性を示す。そうした身体のあり方は、統制、身体とのかかわり、他者とのかかわり、および欲望という四つの次元を用いて記述することができる。ただし、身体はこれらの四次元の上で固定されるものではないのであるから、回復の語りとの親和性とは、すべての身体がこれを通過していく、病いの身体化のプロセスの一段階なのである。
 統制の次元は、身体が以前に備えていた予測可能性を取り戻すことを望むものである。しかし、医療への依存は新たにそれ自体の偶発性=条件依存性を生みだしてしまい、この逆説を考えることは、回復の物語の語りにとって、せっかくの回復を台無しにしてしまうことになるだろう。
 医療の疾患モデルは、疾患を個々の人間の所有物と見なす考え方を強化する。病気を「持つ」ことについての語りは、個々に閉ざされた身体をさらにそれ自体のうちに振り向けることになる。身体は回復を期待する自己から切り離され、治療されるべき「それ(it)」となる。この種の物語は、近代主義的な致死の現実の解体を支持し、また支持され、私という存在全体が死すべきものであることを暗示する病気は、思慮の対象外へと放逐される。
 最後に、回復の物語における身体は「それ」であるとしても、治療されることを欲している。身体を治療するものは、薬品やサーヴィスという形で商品化されている。商品化は、致死の現実の解体の一側面をなしており、買うべきものがある間は修復されていくはずであって、私は存在し続けるはずなのだ。治療技術が死を回避可能な偶発事と思わせることで、回復の物語は、それ以外の物語を閉めだしてしまうという語りのバランスの欠落を露呈する。したがって、回復の語りを選び取る身体、そして、この語りによって選び取られる身体は、医療に従順であるために必要とされる規律化された身体と、消費の強調という点における鏡像的身体の間に位置することになる。

 自己物語としての回復
 回復の物語において、病いは起源を明示されないまま、身体の機械的な故障と見なされる。近代主義的思考は、修復され続ける無限の未来に関心を向け、起源については関知しない。回復可能な場合には「さらに到達されるべき未来」が選ばれ、この病いの語りは、中断を一時的なものとして中断の期間を超えて存続するものである。これに対して、回復不可能と判断される場合には、創設行為が重要になり、この物語は永遠に中断され続ける語りである。
 回復の語りは、故障を修復されうるものと確認する作業と、病いを通常の時間経過からの一時的な脱線とすることで記憶を混乱から守る、という二重の目標を目指している。
 病についての責任の問題は、語りが病む人に対してもたらす主体性の差異として、語りの類型間の差異のひとつを示す。責任は、回復の語りにおいては、病いからよくなるということに限定され、その他の語りにおいては、病気の前と同じ生活に戻ることは道徳的な選択として不可能であると見なすところから、病いの経験を理解する。責任は、自分自身の身体が健康であるか病んでいるかを超え出たところの、病者との持続的な連帯の感覚に基礎づけられる。
 回復の語りは、治療を可能にする他者の専門的技術について証言するものであって、自己の闘いについて証言を生みだすものではないという意味において、自己物語を生成する力を持たない。しかし、重い病いを患う人の中にも、自己の一貫性が乱されているという感覚を持たない人が存在するのであり、すべての病いの物語が自己物語として語られねばならないわけではないという認識を持っていなければならない。問題は、病む人が回復の過程を見いだしえない時、あるいは回復の物語しか語れない者が、もはや健康を取り戻しえない誰かに出会う時に発生するのである。

 回復の語りの力とその限界
 ロバート・ザスマンは、病院の専属スタッフが英雄的であるのは、未来に向けて準備し、日々自分の仕事を果たしていくことを繰り返していくという点においてだという。回復の物語を語る病む人々も、病気後の未来に向けて準備し、日々患者としての自分の仕事を果たすことで、病いを生き抜く英雄性を実践している。医師と患者のそれぞれの英雄性は補完的だが、医師は能動的な英雄性を、患者は受動的な英雄性を担う。この非対称性が問題なのではなく、こうした語りを自己物語として採り入れる病者は、それによって、一個人としての自己を従属させるひとつの道徳的秩序のうちに位置を占めることになる。
 医療の英雄性は、近代主義的な「英雄」と脱近代的な「道徳的人間」にかかわるバウマンの区分によって、より広い視野の中に位置づけることができる。近代の「英雄」とは、「自己保存よりも高貴で、高尚で、価値のある」大義を信じる者である。脱近代の「道徳的人間」は、「他の人間存在の生命や幸福や尊厳」を自らの大義として引き受け、自分や自分がかかわっている他の誰かを、「医療専門職」の理念のために危険にさらすことはしない。
 回復の物語は、病いの経験と医療処置の双方に、近代主義的な語りを刻み込む。回復の物語の第一の限界は、致死の現実の近代的解体という限界である。回復の物語が機能しえない時には、他の物語が準備されなければ、語りの難破が現実のものとなってしまう。もうひとつの限界は、回復の物語が病いの語りとして広められていながらも、回復の手段がその人に購入可能であるか不可能であるかによって、実質的な適用範囲が限定されたものとなっていくことにある。回復の物語の究極の限界は、死の不可避性である。
 医療専門職は、生存のための言語を用いることのない人間には、何も言うことがない、という事態を制度化しているのであり、これが英雄性の核をなすものである。脱近代の時代において、その核にはますます大きな亀裂が広がり始めている。
 ひとたび回復の語りの生命力が失われてしまったあとで、それまで自分の経験を生存のための言語で語ってきた人々が、もはや自分自身については何も言うことがないということを発見するとしたら、そこには何が生じるのであろうか。

第5章 混沌の語り―沈黙する病い
1)プロットの欠落

混沌の語りは、決して快癒することのない生命の像を描き出す。物語は秩序が不在の中で混沌としたものになる。

【ナンシーの例】
 それで、私が夕食の支度をするとするでしょう。私はその時点ですでに気分がよくないのね。母が冷蔵庫の前にいるの。それから母はオーブンの中に手を突っ込もうとするの。私が火を入れたやつにね。それから母は電子レンジの前に行き、それからシルヴァーウェアの引き出しのところに行き、それで…。それでもし私が母を追い出したりしようものなら、もう狂ったように私にあたるの。そうなるともうひどいわ。それが本当に、本当に悪いときかしらね。

<混沌の物語の聞き取りがたさ>…混沌の物語の語り手は「確かな」生を生きているものとして、その言葉を聴いてもらうことができない。
@継続性、因果関係の無さゆえに「適切な」物語を語っていると理解されない。
A“ひとつの出来事が次の出来事を導く”という、聴く側の期待を裏切る。
B混沌の物語は不安をかきたてる。
 治療、進歩、専門職制度など(近代の防波堤)を脅かす。
C脅威的
 →現に生きられている混沌においては、媒介(mediation)は存在せず、ただ直接性(immediacy)だけがある。身体は、その瞬間ごとに満たされない欲求にとらわれている。混沌の語りを生きている人は、自らの生に対して距離をとることも、それを反省的に把握することもできない。(p140)
D個人的・文化的嫌悪感
「それから、それから」という統辞的構造。語りがたい沈黙が、執拗な「それから(and then)」の反復と交互におとずれる。

<統制>
・卵巣癌の治療に関する、ラドナーの例
統制能力の喪失。「私が頑張って闘って、耐えてみても、私はその結果を統制できなかった。」(p143)書くという行為(記憶を失う治療の際にビデオテープに記録する)によって、反省の場所を手にしている。混沌を見通すことを可能にする。
・回復の語り・・・統制はその前提にある。
・混沌の語り・・・統制の欠落がその前提にある。

p145
聴くことが困難なのは、聞き手が語られている事柄を、容易には自分自身の生の可能性または現実として受け止め得ないということだけによるものではない。同時に、混沌の語りが多くの場合に深く身体化された物語の形式を取るがゆえに、聴くことが困難になるのである。混沌の語りが、傷口の縁の上で語られているのだとすれば、それらはまた発せられた言葉の縁の上で語られているものである。つまり、混沌とは、言葉が見通すことも照らし出すこともできない沈黙の中で語られるのである。
 混沌の語りは常に語られた言葉を超えて存在する。したがってそれは、語られた言葉の中には常に欠落している。混沌は、決して語ることのできないものであり、語りの中に穿たれた穴である。

2)身体化された混沌

3)混沌の自己物語
(ランガーのホロコーストの証人のインタビュー、サックスの足の怪我と治療、アーサー・フランクのがん治療)
アウシュビッツからの解放、病院からの退院、治療の終了が「解決」ではなかった。
→解決は「混沌の経験」を理解し得なかった、理解しようともしなかった世界から隔てられているという点にあった。病院から開放される時というのは、一方でそれを歓迎しながらも、その人にとって本当の困難が始まるというときでもある。その困難とは、世界が要求する目的の感覚を作り直すことの困難である。(p152)

4)混沌の物語に敬意を払うこと

 <混沌の身体とケア>
…その現実を否認された人間はただ治療とサービスの受取人にとどまり、ケアにもとづく共感的な関係に加わることはできない。…この身体は何を必要としているのかを言い表して援助を求めることができるほど、自分自身の物語をうまく語ることができない。
  →ケアをする人間はまず何よりもその混沌の物語の証人であろうとする時、初めて人を支援することができる。
   混沌は決して克服されるものではないが、新しい生活が立てられ、新しい物語が語られる以前に、混沌が受け入れられねばならない。

<混沌と社会的論点>
・現代の人間は、医療者であれその他の人々であれ、彼女(ナンシー)の混沌を想像すること―混沌を自分たちの正常な生活と隣り合わせにあるものとして迎え入れること―を許容できない。
・臨床家たちが混沌を迎え入れることができないのは、混沌が臨床の仕事の近代的前提に対する潜在的な批判であるから。…個人史であれ社会史であれ歴史というものを進歩と見なそうとする近代主義的な理解である。


第6章 探究の語り―病いと伝達する身体
探求の物語
病を受け入れ、病を利用しようとする、病は探求へとつながる旅の機会。何が探求されているのかがすべて明確になることはないが、経験を通じて何かが獲得されるのだという病む人の信念が、探求を成立させる。

1)旅としての病
 探求の語りは、病者であることの新たなあり方の追及について語る。病む人が、少しづつ目的の感覚を形作っていくことによって、病は旅であったのだという捉え方が浮上してくる。

・キャンベルの「英雄」の旅の3段階
※英雄…「私は・・・を克服した」。この克服のヒロイズムは、脱近代の分水嶺の近代の側に位置する。
@出立(departure)。症状の出現を自覚する。
Aイニシエーション(initiation)。すでに導きいれられていた経験の中に、正式に加入させられていく。(スー・ナタンソンの例)
「試練の道」(キャンベル)。病に付随して生じる身体的、感情的、社会的でもあるさまざまな苦しみという形をとる。誘惑や贖罪、神格化へと導かれる。探求の語りはこれら変容の過程を自覚的に語る。語り手の経験によって何かを与えられたということを前提としており、他者に伝えるべき洞察となっている。
B帰還(return)
「痛みの同胞としてのしるしを負っている」「二つの世界に精通した者」

帰還は病む人に証人としての責任と課題を課すことになる。

2)探求の三つの顔

@回想録(memoir)…その人の人生におけるその他の出来事への語りと結びつける。中断された自伝。
A宣言(manifesto)…病が単なる個人的な苦痛ではなく、社会的な問題であることを主張する。宣言は、疾患に伴う身体的問題に社会がどれほど荷担してきたのかを証言し、苦しむものたちの連帯の上に、変化を呼びかける。
B自己神話(automythology)…個人的変貌が強調され、その書き手がその変貌の模範と見なされる。(足の怪我のサックス、リューマチ様関節炎のカズンズ)

3)自己物語としての探求
・病による中断と人格の変化→その人格の変化をどれだけ説得的に提示できるか。物語の成功を握る鍵。読者(第三者)はその変化の過程を確認する証人である。
・まったく別の人間へと生まれ変わることを求めるような、自己神話的な請求。(サックスの「魂の神経学」)
・全く新しい誰かではなく、むしろ「それまでもずっとそうであった私」。この自己は、新に発見されるというよりも、自らの記憶にあらたに接続される。

 それまでもずっとそうであった自分、本当の姿としてあった自分を実現することによって、彼らはそれぞれにその自己の、再創造された道徳的な姿となる。…こうして人格を提示する中で、記憶は改訂され、中断は消化され、目的が把握される。物語の語り手は英雄として主張する。「私に何が起こったとしても、あるいは何が起ころうとも、目的は私自身の定めるべきものとしてある。」

4)自己物語の三つの倫理
1回想の倫理(ethic of recollection)。回想する者が過去の行為の記憶を他者と共有することによって実現する。過去になされたことに責任を負う〔=応答する〕ことが必要。
2連帯と関与の倫理(ethic of solidarity and commitmennt)苦しみと共にする者としての他者に対し語るときに表現される。
3励ましの倫理(ethic of inspiration)。励ましとなる模範。

探求の自己物語は、それを発見する声についての物語であり、沈黙は潜在的な恐ろしさを持つ。(看護師の言葉に一瞬声を失ったロードの例)

5)探求から証言へ
・探求の語りは、病む人々を責任ある道徳的行為主体と見なす。その主要な行為は証人となることである。探求の物語にとっては、ほかの物語が放棄してしまう道徳的主体性を再構築することが必要になる。
・病の物語の傷ついた英雄(病を征服した人)は、ただ自らの体験したことを語るだけである。個人的な経験をほかの個人に提示することによって、病を探求する英雄は、バウマンの言う脱近代的な道徳的人間、すなわち「ほかの人々の生活や福祉や尊厳」を求める人間へと近づいていく。
・探求の物語に伴う危険性は、不死鳥のメタファーに伴う危険性に通じるところがある。それらはいずれも、燃焼のプロセスがあまりにもきれいにすべてを焼き尽くし、そこから完全な変貌が可能となるかのごとくに語ってしまうし、自らの灰の中から立ち上がることのできなかったものを暗黙のうちに蔑視してしまう。
・しかし人間の病は、それが探求の物語として生きられたとしても、常に悲嘆へと回帰する。恩恵は自分ひとりのためではなく、他者のために悲嘆する力を獲得することにある。


第7章 証言
生存という概念には、生き延びるということ以外になんら特別な責任が付随しない。しかし私なら、その呼び名としてまず第一に選択するのは「証人」である。(p.191)

証人は、一般には認知されていないかあるいは抑圧されている真理に証言を与える。病いの物語を語る人々は証人となり、病いを道徳的責任へと転換させる。(p.191)

脱近代社会と証言は、親和性を示す→近代社会の中で混沌の物語が堆積してしまったことへのひとつの応答であり、証言はそうした混沌の物語を語ろうとする。

脱近代の証言
脱近代の証言は、リオタールが語るわけではなく、フェルマンがいう破片と断片の中で語られる。

脱近代社会の性質
多くの出来事が、速いテンポで生じる
ある種の出来事が、ある特定の枠組みに合わなくなっていく
というような、性質によって、古い枠組みは新しい経験の速度と広がりを捉えることができなくなる。
フェルマンのが証言の中で見出す前提にあるものは圧倒された身体である。
身体は常にそれ以上の何かであり、身体は証言が語りうるいかなる言語をも超え出てしまうのである。(p.194)

身体の証言
ガブリエル・マルセルは、生きている証言として存在するという見方を提示した。それは病いの物語によって提示される証人の本質を捉え、さらには病いの物語が身体についての物語にとどまらず、いかにして身体の物語、身体を通しての物語となるかを説明する。(p.195)

・病いの物語は身体によって語られる。その身体が、それ自体において生きている証言である。
→ゲイルの言葉は最良の証言であるが、ゲイルは痛みを知らない人々を健常者たち(nomals)と呼び、医療関係者を白衣の人たち(whitecoats)として指し示す。
ゲイルのもっている証言は、彼女の語りうることのうちにあるのではなく、そこに存在する彼女そのもののうちにある☆

このような、証言行為の相互性は、単独の伝達する身体だけでなく、複数の伝達する身体間の関係を必要とする→証言という行為の形が伝達する身体を定義づけるのである。

苦しみの教え
苦しむことは教えることであると見なすことによって、病む人々は行為主体としての力を取り戻す。(p.202)
→社会は苦しみの教えを必要としており、それは行政的システムに対して私なりに処方した解毒剤である。

医療スタッフは宇宙船の論理によって生きている…限定的責任
・メアズやヒルファイカーにとって、真のサーヴィスとは思いやり深くあることではなく、自分自身の欠如を満たしうるものは他者の抱えているありあまるほどの必要以外にないと認識するところにある。Ex,自分自身を奉仕されている者として理解する奉仕者としての医師のイメージ
↓これを意識しないとどうなるか
自分が窮乏者を必要としていることに気づかないということは、慈善は支配へと転じる。

苦しみの教えから生まれる倫理学上の論点
ルカーチによると、倫理の推進力となるものは孤独であるという。
おそらく倫理が生活において有する最も大きな価値は、それが一種の分かち合いの生まれる領域、永遠の孤独が停止する領域であるという点にある。倫理的人間とはもはやすべてのものごとの起点でもなく終点でもなく、世界の中に生じるありとあらゆる出来事の意味はその人間の気分によって削られるものでもない。倫理はすべての人の上に共同体の感覚を課す。(ルカーチ 1911 『魂と形式』)

自分自身をすべてのものごとの起源や終点と見なす幻想はもはや維持されず、したがって分かち合いへと開かれた関係だけが残される。多くの宗教的共同体は、誰であれこの分ち合いに参与する者は、そのことによってすべての物事の起点となり終点となるという不思議な錬金術に対する信仰を伝えている。

語りの倫理
語りの研究の貢献
1、それがどれほどとらえがたいものであったとしても、患者の生の、語りとしての一貫性を認知することを助ける。
2、患者の物語の多様な語り手や、その物語が向けられる複数の聴き手や、それを理解することに責任を負う解釈共同体を特定することを助ける。
3、物語の多様な表象の中にある矛盾、語り手と聴き手の間の葛藤、出来事それ自体の曖昧さを検証することを助ける。
4、倫理的議論に参加するすべての人々が、「ひとつひとつの人間的な出来事の一貫性と共鳴関係と個別の意味」を評価することを助ける。
しかし…
語りの倫理が際立った動きを見せるのは、臨床の医療的関係を超えた世界においてである。(pp.214-215)

つまり、専門職者と患者とが二人の人間同士の関係となったときに


循環とリスク
伝達する身体は、ひとつの理念型にとどまるものではなく同時に理想型である。

伝達する身体は循環的なプロセスであり、不完全なプロジェクトである。

近代主義は、できるだけ早くひとつのプロジェクトを終わらせ、次のプロジェクトへと進もうとするが、脱近代社会においては、それを遂行しようとする活動の中でプロジェクトの本質を発見していくことがもとめられる。→伝達する身体がなそうと試みているのは、伝達する身体であろうとすること

人間になるプロジェクト=伝達する身体
病の語りは、難破によってその海図と目的地を失うところから始まる。病による中断は、また別の種類の語りに姿を変えていく。

伝達する身体だけが、中断を再請求することができ、ただそれだけが、自らの偶発的な傷つきやすさと結びつくことができる。
↓身体化され証言された語り
探求の語りは、病いを天命として、使命として受け入れる。この使命は証言に対する責任をうちに含んでいる。


第8章半ば開かれたものとしての傷
苦しみと抵抗
語りの倫理の中心には、傷ついた物語の語り手が位置している。倫理的なるものは物語の中に見出される。そして、物語は傷に依存している。かくして、私のメタ物語は、傷それ自体へと、苦しみへと立ち返ることになる。

苦しみの定義
1、苦しみは、全人格に関るものであり、心と体に関する歴史的な二元論の破棄を要求する。(身体―自己)
2、苦しみは、ひどい苦痛の状態が人間として無傷であることを脅かす時に生じる。
3、苦しみは、その人間のいずれかの側面とのかかわりにおいて生じる。
4、苦しみは、人々を脅威と認知するだけでなく、その脅威に抵抗しなければならない。
5、苦しみは、人間の条件の実存的不変であると同時に生活の中での実践の一形態であり、したがってそれぞれに個別的な世界の中でたぶんに文化的に作りこまれていく新たな体験でもある。
1〜3までがエリック・キャッセルの定義で4〜5がアーサー・クラインマンの定義。
苦しみの物語は二つの側面をもつ、その一つの面は、1〜3のようにキャッセルがいう、崩壊の脅威を表現するもの。もうひとつは、4〜5のクラインマンが指摘するように苦しみの中からやがて現れてくるであろうものへの信頼を映し出している。

脱近代社会において病む人々は、崩壊の脅威と再統合の約束とを同時に生きている。

解体した自己
脱近代化社会において、病の脅威は身体化されたパラノイアと呼ぶ特異な形態をとる。

身体化されたパラノイア=医療の犠牲になるということが、病の物語の中で繰り返されるテーマとなっており、医療制度の植民地化によってもたらされる内的な葛藤状態

身体化されたパラノイアとは、何を第一に恐れるべきであるのかわからないということであり、まさにその確信欠如の罪の意識を感じるということでもある。

脱植民地的な自己がこれ以上外部からもたらされた語りによって自分自身が語られることを望まないのだとしても、その自己が、即座に使用することのできる自らの病についての代替的な語りを手にしているわけではない。

・脱近代社会においては、自分自身の人生の語り手となるということは、その人生における諸々の出来事以上のものに対する責任を引き受けるということを意味する。出来事はまさに偶発的である。しかし、物語はその偶発的な諸々の出来事をひとつにして、道徳的必然性をもった人生へと束ねていくものとして語られうるのである。

身体―自己を再生する
苦しみが他者に対して開かれたものとなる時[身体−自己の]再生が始まるbyレヴィナス

レヴィナスのいう「担いきれぬものとしての苦しみ」=個人が自分自身のものとして引き受けることのできない苦しみ(至高の倫理的原理にまで高められた人間的主観の紐帯そのものである)

レヴィナスの議論は、混沌の語りと探求の語りの間の強い結びつきを示唆する。混沌の語りは、担い切れぬもの、名前のない苦しみであり、探求の語りは、正当な苦しみである。
☆「人と人との間」は、苦しみが自己と他者とにかかわる呼びかけと応答になる時、開かれたものとなる(p.243)☆

ホロコーストと病の苦しみの違い…比較を行うのは無理
しかし、すべての苦しみにおいて、身体―自己は解体させられる。苦しみが、それ自らの意識のうちに孤立させ、意識のほかの部分を吸い取ってしまう痛みであるとすれば、病院の中で生じる苦しみと収容所の中で生じる苦しみとの間に本質的な違いがあるわけではない。
違い:叫びに耳を傾ける者がある苦しみとそれ自体の無用の状態に放置される苦しみ

苦しみにおけるエッセイにおいてレヴィナスは護神論の問題を取り上げている。
「正当にして万能なる神がいかにしてこのような苦しみを許しうるのか」という問題

アウシュヴィッツには不在であった神をアウシュヴィッツ以降拒絶してしまうとすれば、それは結局のところ国家社会主義の犯罪的な企てを完成させてしまうことになる。(pp.247)

神に対して開かれた身体―自己は継続的な責任を担うものである。(病いの物語は、生じてしまったものごとを、継続的な責任として受容する。)

自己は、自らの立つ土地を聖なるものとして再発見するために、戦い続け、傷を負い続けなければならない。生きることは神と戦うことなのである。



Frank, Arthur W., 1991 At the Will of the Body: Reflections on Illness, Houghton Mifflin Company. (=1996 井上 哲彰訳 『からだの知恵に聴く――人間尊重の医療を求めて』日本教文社.)

■報告担当
 矢野亮 pp.1-70
 福田茉莉 pp.70-140
 山口真紀 pp.141-Last


苦しみの極致にいる患者とさえ、病いという現実についての生々しい体験について話すことはできる。・・・・・・その体験を見守り、みずからを秩序立てることを助けることは、治療するのと同等の価値があるのである。
                    ――アーサー・クラインマン『病いの物語』

だれかが私に手紙を書いてきた。「あなた自身の病いの体験を、ぜひとも知りたいのです」
 はたしてこの興味はどこからくるのだろうか?
 病気の人がつねに興味深いとはかぎらない。むしろそうでない場合のほうが多い。しかし我々はすべて、あえて言えば、処方箋を求めているのである。我々は、みなそうすべきではないと思ってはいても、病気にならずに、苦しまずに、あるいは死なずにすむ方法をだれかが知っていて、我々に教えてくれるのではないかと期待しているのだ。
            ――ナン・シン『ある禅尼の日記―― 一日一日を生きること』

正当なものであれ、道理に合わないものであれ、ほんとうの怒りを体験しないかぎり、愛という感情はほんものにはならない。少なくとも部分的にまがい物が含まれてしまう。ついには、それはひどくゆがんだものになるだろう。
            ――クリストファー・デュラン『ベットとブーの結婚』より


病い――危険に満ちた好機
私は命にかかわる病いを二回にわたって体験した。三九歳のとき、心臓発作に襲われ、四○歳でがんになった。このふたつの病いが治りつつあるいま、なぜ私は当時を振り返り、病いについて書こうとするのだろう。それは病いがある種の機会だと思ったからである。もっともそれは危険に満ちた機会ではあるが――。この機会をとらえるため、私はもう少しく病いとつきあい、病いを通して学んだことを人と分かち合いたいと思ったのである。〔p2:ll.1‐6〕

筆者の地点:「病いがある種の機会だと思った」
動機―それ自体への問い:「この機会をとらえるため、私はもう少しく病いとつきあい、病いを通して学んだことを人と分かち合いたいと思った」

★「機会」の意味をめぐる地点・・・
重篤な病いは、人を生命の限界にまで連れていく。人はその限界点から、自分の生命がだいたいどの辺りで終わるのかを見定めることができる。そういうある意味では有利な地点から、人は人生の価値について新たに見直すことを余儀なくされるのである。生きながら日常生活から切り離され、いままでどう生きてきたか、まだ将来があるのならこれからどういう人生を送りたいかを、はじめて立ち止まって考えることができる。病いは生活の一部を奪い去るが、それと同時に、いままで何気なくすごしてきた人生とは対極にある、自分が主体となるような人生を選ぶ機会を与えてくれるのである。〔p2:?7‐13〕

★以上の現地点から眺めると・・・
新しい人生を発見してはじめて、回復は価値あるものになるともいえるのである。

★「回復」の意味
 回復はさまざまな意味をもつ。
心臓発作後の「回復」・・・その体験をすべて忘れ去ることを意味した。私はまるでなにも起こらなかったかのように、以前の健康状態にもどろうとした。
がんになった後の「回復」・・・がんには「治癒」が存在しないことを私は思い起こさずにはいられなかった。がんには「退縮」しかないのだ。

さらに大きいのは体験がもたらすインパクトの違い
がんになった後は、以前の状態にもどりたいという欲求そのものが消え失せていた。
若い人たちや健康な人たちにはわからない、多くの苦しみを私は味わった。病後、私は同じ人生をくり返そうとは思わなかった。
私は過去の自分を取りもどすことよりも、自分を変えることを望んだのだった。本書を書いたのもその一環である。
回復を病いの理想的な終結とみる考え方には大きな問題がある。
そのまま回復しない人もいるということ・・・もし回復を理想と考えれば、慢性病や死に至る病いには価値を見いだすことができなくなる。我々は回復よりもむしろ新生ともいうべきものに目を向けるべきなのだ。治らぬ病いにも、死にも、新生のチャンスはありうるからである。
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病いが提供してくれるチャンスをとらえるには、病いを積極的に生きなければならない。病いについて考え、話す必要があるし、私のように病いについて書くことも必要になってくる。考えたり、話したり、書いたりすることによってはじめて、我々は個人として、社会として、病いを十分に受け入れることができる。そうしてはじめて、病いが特別なものではないことがわかるのだ。
私は病いを自分のものとして受け入れる条件のようなものを見いだすために、本書を書こうと思っている。病いの体験に入り込み、その可能性を見極めたいと思っている。とはいえ、病気になることに愛着をもとうとまでは思わない。チャンスをとらえるということは、病いをフルに体験し、自分を解放することを意味するのである。
本書のなりたちは、私が病気のあいだに交わした会話や手紙に多くを負っている。
また友人や親戚と交わした手紙によって、自分が「より大きな自分」の一部であるという感覚も生まれていった。
私は人の体験も自分のものとして生きることができた。自分の体験と人の体験の区別がなくなっていったのである。

前提としての実情の認識
実際、病気の人のほとんどは会話を奪われている。多くの人がみずからの病いについて話すのをためらっている。病いの話といっても、もちろん診断や治療のことではない。ほとんどの病人が話題にするのは医師や医療関係者のことであって、自分たちのことではないのである。病人は患者として、すでに何人もの患者がしゃべっていたことをくり返しているにすぎない。病人は彼ら個人のドラマをけっして話そうとしないのだ。
病人には、みずからについて話すことがたくさんあるはずである。しかし病人は、希望や恐怖、痛みを生きるとはどういうことか、あるいは苦しみや死の意味などについてめったに語ったりはしない。そういう話は健康な人を当惑させるからであり、そういう話をする習慣がないからである。だからむずかしい。それに、病いは語るべきことではないと思っている人が多い。そのため、病いをまわりの人とともに体験するというチャンスを病人は逃している。他人とともに体験することで、新しい生はもっと容易になるというのに。

本書の目的と限定性
対処についてのなんらかの証言にはなると思う。私はそれで十分だと考えている。
私はいわゆる専門家の立場で本書を書こうとは思わない。
私は病いのいくつかの側面を観察しただけのことである。
本書が病いについて話したり、考えたりする出発点を提供できたらと思っている。私の体験は、いかなる意味でも人が体験すべきものではない。病気に模範などないのだ。我々はみな自分で自分の対処方法を見つけなければならない。しかし、必ずしも孤独になる必要はない。
話すことそれ自体は痛みや喪失感を乗り越える唯一の手段ではないと思うが、もっとも信頼できる手段であることはたしかだ。本書が病める人にとってのよきパートナーとなり、人との会話のきっかけとなれば幸いだと思っている。

「読者」へ
 私は現在病気にかかっている人をまず念頭において、本書を書いていこうと思う。しかし、だれもが病気になるのだろうから、それ以外の読者にも病いの意味を考えるうえで役に立つものと思う。また病人のケアをする人たちにも読んでもらいたい。ケアをする人と十分に話をすることを、私は病人にすすめたい。ケアする人とは、病いの体験を自分と共有してくれる、病いの体験のもう一方の側でもあるのだ。ケアは病人のめんどうをみることに始まり、病人の生を共有することで終わる。では病人と、いったいなにを共有していくのか。それについて本書がなんらかの提示をできればと思う。

諸々の断絶
※危機的な病いは、生のいかなる側面をも揺さぶらずにはおかない。危機的な病いにかかった人のためにつくられた病院や特別な施設は、病人を健康な人から切り離すことによって、病人の生における病いをも封印できるという幻想を産みだした。この幻想は危険である。危機的な病いによって、人間関係、仕事や自分に対する意識、将来の自分、人生の意味、これらすべてが変わるのであり、その変化はすさまじいものである。私は二度にわたって、自分のからだがどのような変容をとげるのかを身をもって知ったわけだが、こうした変化に私はまさに圧倒されたのである。
※私は病気に襲われる前の、若かりし自分に向かって手紙を書くように、本書を書きすすめてみようと思う。


これから私は、病気になる前の自分に、恐れる気持ちはわかるが、だからといって生涯を恐怖のうちにすごすことは愚かだと言ってやりたい。若かりし自分はその後苦しみ、喪失をこうむることになるが、苦しみと喪失は人生と矛盾するものではないのである。
 失うものもあるが、得るものもある。たとえば、より親密な人間関係、より大きな感謝、より透徹した価値観などである。自分がもはやもとの自分にもどれないことを嘆く権利はあるが、こうした嘆きによって、自分がどう変化していくかという認識を曖昧なものにしてはならない。危険に満ちたチャンスを生かそうとする自分の運命を呪ってはならない。自分の可能性を信じるのだ。


病気になる
ある日、私のからだは車が故障するようにダウンした。恐怖といらだたしさのなかで、私はなにが起こったのだろうかと自問せざるをえなくなった。病気になるということは、この問いを発することだ。問題は、からだが心にこの答えを求めているのに、医師が病気の名前を告げることによってその質問を封じこめてしまうことである。この答えは治療をおこなうには便利このうえないかもしれないが、医学もまた限界をもっているのである。

私のからだがダウンしたときに起きたことは、からだだけでなく、私の生にも起きていたのだ。つまりからだがダウンしたとき、生もまたダウンしているのである。医学は、からだの治療はできても、必ずしも生をもとどおりにできるとはかぎらない。医学は故障箇所を診断し、治療することができる。しかし、処理しきれないほどの不安や挫折感が病人のなかに生まれることがある。からだの故障が治ったとしてもそれはいっこうに鎮まらない。そのとき、病いという体験は医学の限界を越えるのである。

心臓発作の体験とその事態をめぐる「知」
【専門的知識】
その週ずっと、なにが起きたのだろうと自問しつづけた。かかりつけの医師は医学的な回答をしてくれた。しかしそれは私の求めていた答えではなかったのだ。
彼は私をドクター・フランクと呼び、私も彼をドクター○○と呼んだ。我々はまるでエラーを出したコンピュータについて相談でもしているかのように、私の心臓について話した。それが問題だった。我々の話は、私か車の修理工と交わした会話よりは高級に聞こえたかもしれない。だが、それは医師も私も曖昧な態度をとっていたからにすぎない。医師は修理工のように細部を語ることはしなかった。私は車にくらべたら少しは心臓のことを知っている。しかも故障したエンジンは私のからだのなかにあるのだ。だが、私は損傷の範囲を聞くことに抵抗があった。
あの会話の問題点は、医師があくまで専門家としての態度をとったことだった。専門に徹するということは、クールに処理するということである。まるで駆け引きでもしているような気分になってしまう。私も同様にクールで専門家的な態度をもって応えれば、チームのなかでパートナーとしての役割を与えられることになる。患者の立場からすれば、それは悪い「取引」ではないことを私は知っていた。だからそれを受け入れたのである。彼はそれを喜んで受け入れた。そのときは「取引」を受け入れることの代償にまだ気づいていなかった。

【支配(隷属化)への気づき】
体験とはそれを生きるべきものであって、支配すべきものではない。からだは自分自身によっても支配されるべきではない。からだは人生の手段であり、媒体である。私はからだの中で、からだを通して生きるのだ。心とからだを切り離すべきではないし、からだを物ととらえるべきでもない。からだがおかしくなっているのにクールでいるべきではないのだ。けれども、患者はつねにそれを強要されている。恐怖心やいらだたしさは病いとは別のものであり、生はそのままで変わっていないという態度をとることを、私は強制されているような気がした。

【非対称的関係】
心臓発作という診断を告げられたとき、私はなにを言っていいのか、医師からなにが聞きたいのかもわからなかった。・・・・・・言いたかったことが言葉にできるものかどうか、今もわからない。けれども、私のからだに何か起きているのかを確認する必要があった。心臓発作に襲われたあの目、私はかぎりなく死に近づいた。それはいつふたたび起きるともしれなかった。そういうからだになれば、人は変わっていかざるをえない。心臓発作だったことを知って、私とからだとの関係が変わったのである。医師にもそれが認識できていたことを、私はなんらかの方法で伝えてほしかった。

【自己のテクノロジーの帰結としての放擲と孤立化】
心臓発作を告げられた私は「祝祭」を必要とした。「祝祭」というのは、必ずしもめでたいことを喜ぶということではなく、その重要性を記憶するということだ。葬式は生を祝う。涙と沈黙はキスや握手のように葬式を祝っている。しかし、医師と私は起きたことを祝ったりはしなかった。ふたりともこの体験を認識することを避けたのである。ふたりは病気のメカニズムについてのみ話すことを許し合った。その結果、私は自分ひとりで病いを祝わねばならなかった。
問題は、私のかかりつけの医師が無能だったということではない。彼は医師として求められていることをきちんとおこなった。そして私は、患者として期待される振る舞いをした。病人として大切なことは、医師の職業的な能力にはかぎりがあるといりことを理解することである。・・・・・・そのことを医師は患者にめったに話さない。医師が話すのは、患者の病気や傷ついたからだの一部のことであり、病いに直面している存在全体についてではないのである。医師がみずからに課したそのような制限は、患者が医師の役割に対応して、みずからに期待されている役割を演じることを強いることになる。私は医師にも病気にも不慣れだったため、このような制限をみずから受け入れていった。そのため、私の生を変え、自分についての考え方を変える病いの大きな力を認識するのに、長い時間がかかることになった。

★「病気」と「病い」の違いの認識⇒主体化(隷属化)への気づきの契機
 ※病気と病いの違いを認識することが、私にとってのとっかかりになった。医学は、医学用語を使うことで、からだを生理に、つまり測定可能なものに還元する。
※患者もすぐに「病気」の用語を使うことに慣れていく。しかしこうした表現を使うことで、自分を失っていくのである。私は自分が体験しようとしている「からだ」が、だれかが測定できる「からだ」になるのはいやだった。

【役割の内面化そして忘却】
人が患者になり、「病気」の言葉を話しはじめると、からだは病気が存在する「場所」のように扱われる。そして患者のからだを「場所」と考える医師に、患者も同化していく。医師と同化することで、病人はより安全で快適でいられる。だからこのような同化現象は理解できるものであるが、すべきことではない。こうした混同の代償として、病人は病気が自分の一部であることを忘れることになる。

【「病い」と「病気」】
病いとは、病気を生き抜く体験のことである。・・・「病い」の言葉は故障したからだを生きる恐怖やいらだたしさを語るものである。病いは、医学が立ち去る場所から始まる。・・・・・からだに起きていることは私の生にも起きる。体温や血液循環も私の生の一部かもしれないが、私の生は測定することができない、希望、失望、喜び、悲しみからも成り立っている。・・・・・・ただのからだではなく、私が体験していく私のからだについて話すのが病いの言葉である。・・・・・・問いつづけざるを得ないからだに変わっていくストーリーを語るのが、病いの言葉なのである。
「病気」の用語がからだの測定に関わるもの・・・・・・からだの測定値を図表化するのは「病気」の用語だ。健康で快適なからだから、自分になにが起きているのかと、問いつづけざるを得ないからだ。


【関係性の制度化(固定化)の体験】
医院であれ、病院であれ、電話であれ、治療の現場においては、測定が可能な「病気」のことしか話してはいけないことになっている。医師と話をしていると私は、自分は話すべきでないということをつねに意識させられる。悪い知らせを告げられたときは、とくに沈黙することになる。病気のことしか質問できないことはわかっている。しかし私か全身で感じているのは、病いなのだ。自分がしたい質問をすることは許されない。話してもいけないし、考えるべきでもないのだ。感じることと、言ってもいいこととのあいだのギャップは広がり、深まっていく。私の声はのみこまれてしまう。

【ほんとうに知りたいこと〜制度化の背景に向けた問いへ】
※ほんとうに知りたいのは病いをいかに生きるべきかということだった。私か必要としたのは質問に答えてもらうことではなく、私の新たな生の局面をともに体験してもらうことである。私の体験をいっしょに共有してもらいたいのだ。しかし、医師や看護婦にはしなければならないことがあまりに多く、ストレスも大きい。したがって患者と体験を分かち合うような時間はめったにもてない。
 ※心臓発作に襲われたのだと告げられれば、話したいことは山ほどでてくる。それを表現する必要がある。問題は、その表現を受けとめてくれる人が見つけられるかどうかである。
 ※危機的な病気にかかることで五年にわたって医師たちと関わってきて、私は彼らの限界を受け入れるようになった。だが、けっして彼らと打ちとけることはなかった。医学はみずからを改めて、患者に病気の言葉を押しつけずに、病いの言葉を共有するべきだろう。
 ※医師や看護婦はいままでどおりのことを懸命につづけていくべきだろうか。つまり、医学はからだの故障を治すことに専念し、あえてそれ以外のことはしないようにしたほうがいいのか。本書はこうした疑問に答えを与えられないかもしれない。私が病いを抱える人たちに提供できるのは、もっと直接的なものだ。医療の現場で、医師が考えている以上のことが病人のからだに起きていることを、私は知ってほしい。病いについて話し合うには、人は病院以外の、どこか別のところへ行く必要がある。
 ※病いが私の人生にもたらした変化を表現するために、私は人と話す必要を感じてきた。話し合うことを通して私は、自分に起こった変化とともに生きる道を考えつづけた。重篤な病人は話をすることで、自分が体験していることを認識することができる。彼らは自分自身のためだけではなく、まだ病気になっていない人々のためにも話さなければならない。病いは我々すべてにどのように健康的な生活を送るべきかを教えてくれるが、生きるに値するものとは何なのかを目撃させてもくれる。どんなに苦しくても、またどんなに病気がいやでも、我々には病いが必要なのである。病いの必要性を表現し、病いを祝う言葉を探すことが本書の目的である。


事故としての病
心臓の病気は、生命がいかに素早くからだから出ていくものかを教えてくれる。・・・・・・人は必ず死ぬのだという感覚を、私は一生失うことはないだろう。心臓発作は死の瞬間だった。一度死を体験したら、以前のように生きていくことはできない。

健康と考えている人たちも実は危うい縁を歩いているのだが、深淵は見ずにその手前の堅い地面しか見ていない。縁を歩いていると知ることは恐怖の体験ではあるが、状況を明確にする体験でもある。

【以後の体験の具体的記述へ】
 
 【事故としての病体験から得た自由の幻想】
心臓発作から学んだことはなかったといったら言い過ぎになるだろう。検査の翌朝、モニターで自分の鼓動する心臓を見たときの興奮を思い返した。抽象的な心臓造影図を見てから数力月後に、心臓が実際に鼓動するところを見たわけである。からだの内側の器官が動いている様子を映像で見られるのは、我々の世代が最初だろう。モニターが必要とはいえ、からだの内側という宇宙をのぞき見た私は驚きを禁じえなかった。私はすなおに科学技術に感謝した。とはいえ、当時の私は病いから逃げることばかりを考え、からだに「問題」があることを忘れてしまいたかった。数力月後、最終検査を受けにいった。「ほんとに幸運でした。へたをすればもっと違う結果になっていたかもしれません」と医師は言った。ウイルスに対しても免疫能がいくぶん強まっているという。動脈もとくに問題なく、年齢的にいってもこのままもつだろうということだった。私はその言葉を聞いて、自分に起きたことはたんなる「事故」にすぎないものだと解釈しようとした。・・・・・・それはなんら重天な結果をもたらすことのない、小さな事故にすぎないと思われた。
 
※しかし治癒を告げられても、体力は以前の状態にはもどらなかった。一〇〇メートルも走らないうちに息切れがしてしまうのだった。それでも、私はなんてもしたいことにチャレンジすることができた。心臓発作のことを忘れるのも自由だった。 病いは拘束を強いる。少なくとも治療には時間がかかるし、生活も制約を受けるだろう。最悪の場合、からだはダメージを受け、心は閉じこめられる。病院や医院から出るときには、いつも私はスティーヴソソソの言葉を口寸さんだものである。私もまた、自分の自由を神に感謝した。しかし、もし自由を得るのに健康が必要だとしたら、私の自由はあまりあてにならない自由だったろう。心臓発作の一件は、いかに自分がからだの状態を把握できていないかを教えてくれた。私の「事件」はたんなる幸運だったのだし、回復も偶然の出来事にすぎなかったのである。
  心臓発作を事故と考えることによって、私はまた自由に行動できるようになった。しかしその自由は、私の健康はもう損なわれないという幻想にもとづいている。故障は起こしたが、残りの旅程は故障なしにスムーズに進むというわけである。

【自己差別化という危うさ:アイデンティティ管理の要請】
私は病いから解放されることのない人を、たんに「不運な人」としか考えなかった。私は自分の存在のはかなさを学ばなかったために、いっそう危なげな状態におちいっていったのである。
※人間のはかなさを知ってはじめて、人は分別ある行動ができるのだ。だからといってむやみに旅をし、希望を抱き、愛すればいいというものではない。それはあらゆる行動のうちに、生きていることの実感を確認するということなのだ。 
生の確認として旅をし、希望を抱き、愛するとき、健康に依存しなくてもすむことがわかる。治癒を告げられ、診察室を出たとき、それには気づかなかった。
一年もしないうちに、生をまっとうすることにおいては、病人のほうが健康な人よりもむしろ自由であることを私は知った。健康な人は自分の意志を行使することが可能かどうかを確認するために健康を必要とし、それをたえず確認しつづけなければならない。病人はそのようなことをしないでも、人間のはかなさを積極的に受け入れ、平然としていられる。この点で、病人は自由なのである。しかしこれを理解するには、私はまた別の病いとその回復とを体験しなければならなかった。今度は事故ではなく、病いからの回復だった。
※心臓発作を事故と決めつけたことで、私はまたしても健康に依存するようになった。それを当然の権利だと思った。自分が健康を人生の条件とせずにすむことに、当時の私は気づいていなかった。我々は健康を欲するものだが、健康を必要としなくなってはじめて自由を得るのである。


ふたたび病気に
※心臓発作から一五ヵ月がすぎると、ふたたび自分は健康だと感じるようになった。・・・・・・もとの状態にもどること、それこそが私か待ち望んでいた回復だった。とはいえ、その頃でも、完全にもとの体調にもどったというわけではなかった。
※シャワーの後からだを拭くときに、睾丸に継続的な痛みを感じるようにたった。

【睾丸がんの知識】
※私はこれはがんではないかと疑った。大学院生のときにそれについて知る機会があったからだ。七〇年代のはじめだったと思う。医生態学、つまり地理的社会的な病気の分布を研究している客員教授のセミナーに参加した。医生態学の研究者は年齢、性別、人種、所得、教育、職業など、「社会階層」の要因によって気の種類が異なるかを研究する。
皐丸がんはかかった人が当惑する病気のひとつだが、教授がセミナーで取りあげたのがその皐丸がんだった。
※早丸のしこりが大きくなっていることに気づいたとき、がんではないかと思ったが、私
はそのとき、早丸がんが治療可能な病気であることは知らなかった。あのセミナーで覚えているのは、それが不名誉な病気で、きわめて気の滅入る死の宣告であるということだった。

【医師との関係性の変化】
※九月初旬になると、からだの具合いはさらに悪化していた。腰の痛みがひどく、夜中に
姿勢を何度も変えなくてはならないほどになり、睡眠をとることももはや不可能に思わ
れた。ある日曜の朝、眠れない夜をすごした私は立つこともままならなかった。
※私が「がんでしょう」と尋ねると、がんかもしれないと医師は言った。そのときは、がんという言葉よりも自分が重病なんだという認識のほうが怖かった。
 すでに長いおいた痛みに苦しんでいたから、ほんの一瞬ではあったが、医師がどこかが悪いことを信じてくれたことにほっとした。がんかもしれないと言われても、パニックになる必要はない。もっとも恐れていたことが現実になったとはいえ、医師が事態の深刻さを自分と分かち合ってくれていることが彼の言動からわかった。専門家としても個人としても、彼は私の支えになってくれると感じた。のちに出会った医師たちは私の診断や予後についてきわめて楽観的だった。その医師も楽観的だったが、「症例」というより「人間」として扱ってくれた気がしたのである。

【秘匿の効果】
※とにかく、この第三の意見によってやっと検査が始まり、数日後、超音波検査を受け
た。胎児のモニターなどに使われる非侵襲性の〔切開などでからだを傷つけない〕検査である。・・・・・・しかし当時あの地下の検査室で私か考えることができたのは、自分には大きな腫瘍があるということだけだった。医師はそれ以外になにもつけ加えなかった。彼は私のかかりつけの医師に報告すると言っただけで、検査室を出ていった。科学が勝利して、人間はどこかへ行ってしまったようだった。・・・・・・私は深い孤独を感じた。
数週間前までは、歩くのもままならないほどの苦痛にあえいでいたが、その痛みにすら気づかなくなっていた。
※がんだと告げられたとき、私はなにを思っただろう? まず未来が消え去った。愛する
者の顔も二度と見ることができなくなる。私は圧倒的にリアルな悪夢のなかを歩いているような気がした。こんなことが起きるはずがない。しかしそれが起きているのだ。そしてさらに悪化しようとしている。肉体が砂のように崩れ、病気のなかに吸い込まれていくようだった。
※キャシーと私か心臓発作後の生活を建て直していたころ、がんは私を蝕みはじめていた。・・・・・・心臓発作のような事故なら、私はすぐに立ち直ることができた。「すっかり立ち直ったね」とみんな、が言ったものだ。そうなのだ。たいていの場合、我々は体験の表面をなでまわすだけで、深く考えたりしない。私は心臓発作からは立ち直れたかもしれない。しかし、これが、がんとなれば、考え込みもするし、別の人生を発見したりもするのだ。がんは事故ではない。私はそれを体験しなければならなかった。


病を通して考える
※医師がどのように私のがんを発見したのかは、がん体験のなかでは二義的なものである。そういったことよりも私のからだで体験したことのほうがはるかに重要だ。この話は、痛みから始まる。医学は多くの重篤な病いの痛みを軽減することはできる。だが、いまだに痛みを征服することには成功していない。がんの痛みは病いの初期、医師が病いに気づく前と予測のたたない最終段階に、もっとも痛切に体験される。幸いにも私は最終段階にはいたらなかったが、初期の痛みは体験した。

【痛みと孤立】
※痛みは病いに対するからだの反応である。多くの人が病いという言葉から連想するのは痛みであり、もっとも恐れるのも痛みである。がんを生き抜くうえで痛みがもっともつらい部分であるかどうかはともかくとして、筆舌に尽くしがたいものであるのはたしかだ。痛みを表現する言葉はたくさんある。鋭い痛み、ずきずきする痛み、刺すような痛み、焼けるような痛み、鈍い痛みというのもある。しかし、こうした言葉では痛みの体験を表現することはできない。我々は「痛みを生きる」ということがどういうことかを表現する言葉をもっていない。痛みを表現できないため、言えることはなにもないと我々は思い込んでしまうのである。しかし沈黙すれば、痛みのなかで孤立するしかない。その孤立が痛みをますます増大させる。

【痛みと秩序の喪失】
※私の痛みは夜と切り離すことのできない関係をもつことになった。腫瘍は私のからだを占領すると、心も支配するようになった。闇は痛みの孤独をいっそうきわだたせる。苦しむ者はやすらかに寝入っている人だちから切り離されているからである。暗闇のなかで、痛みに苦しむ者の世界はばらばらになり、秩序を失う。
 痛みの無秩序さについて書こうとすると、またしてもあの無秩序に襲われる気がしてくる。夜の痛みのなかで、私は病いに面と向かうことにたった。しかし、こんな言い方は体験をゆがめてしまうかもしれない。病いに顔を与えよう、なんらかの秩序を与えようとどんなに努力しても、そんなものは存在しないのだった。闇のなかで病いの顔を見ようという誘惑に駆られても、どうしようもなかった。私は自分を見つめることしかできなかった。 理解できないものに支配されると感じたとき、人は我々を脅かすものについて神話をつくる。痛みを神にまつりあげたり、闘うべき敵にしてしまう。そして痛みが我々に罰を加えていると考える。だれでもなにかしら悪いことをした覚えかおるからである。我々は自分を呪い、慈悲を乞う。しかし、痛みは自分のからだの一部であり、その事実以上の顔をもたない。痛みは自分自身なのである。私のからだが何かがおかしいと信号を発しているのだ。外部のなにかではなく、からだ自身が語りかけようとしている。痛みとはからだの外にあるものとの闘いではなく、からだが元にもどろうとするときの反応なのである。
 しかし、痛みをからだの一部と考え、自分で引き受けてしまいすぎるのも、孤独におちいる危険がある。孤独は無秩序の始まりである。・・・・・・からだのリズムが失われれば、計画も夢もなくなる。そして秩序が失われ、無秩序が支配するようになる。
 
【痛みと生のサイクルの喪失⇒社会的孤立】
※人が寝ている夜には眠るのが自然である。休息すべき時間に眠らないことは、健全な生のサイクルが失われることを意味する。それまで眠りを妨げられたことのなかった私はからだの痛みに起こされ、目覚めていなければならないことの理不尽さを意識するようになった。私は眠っている人々から切り離されたのである。
 このように、病気になった人は痛みによって自分が置き去りにされたように感じる。秩序を回復するには、病人は置き去りにされる以前にもどる方法を発見しなければならない。
 夜、痛みに苦しむとき、私はキャシーを起こすこともできた。彼女にそばに来てもらい、孤独を癒すこともできた。しかし、彼女を起こせば、彼女の自然のサイクルを壊すことになる。彼女は日中、働いているのだ。彼女の生活には私が失った秩序があった。私は自然のサイクルの外にいた。日中は疲れて働くこともできず、夜は腰を釘で打たれるような痛みで眠ることなどできなかった。私は昼も夜も中途半端な存在になった。自分は存在しているともいえず、かといって不在ともいえなかった。私には居場所がないのだった。

【人間の条件としての秩序】
※私を起こした悪夢のなかの無秩序の世界には、人間のような顔と姿があった。その日以降、私は医師と共通の幻想をもちつづけることができなくなった。
 しかし、それではまだなぜ妻を起こさなかったかの理由について、半分も答えたことにはならないだろう。もうひとつの理由は、彼女の睡眠が自分にとって唯一秩序のあるもののように思えたからだ。私がもうふつうの人のように健全に眠ることができないだけに、いっそう人の睡眠を大事にしたいという気持ちにたった。自分は眠れたいとしても、妻の睡眠を大切にしたかった。妻の睡眠を邪魔することは、自分のいまの痛み以上に耐え難かった。…・・・大切なのは、痛みが本来の役割を果たすことである。あの痛みのおかけで、私は別の医師の意見を求めざるをえなくなったのだ。

【痛みの本来的役割としての人間性の回復】
※痛みは私の味方だった。痛みによって、からだは何かが変わらなげればならないと主張していたのである。
※痛みの対処法は発見できなかったが、痛みがおさまる一日前になって私は大きな発見をすることになった。二階にあがろうとして、踊り場で目に入った窓の光に心を奪われ私は立ち止まった。窓の外に樹が一本見える。その向こうにある街灯が、霜の下りた窓に樹の影を映しだしていた。痛みに苦しむ真夜中、私はとつぜん美しいものを見出したのだ。美を発見する余裕があれば、人は正しい位置にいるといっていい。あらゆることが秩序だってくるように感じられた。じっと窓を眺めているうちに、一種の俳句のようなものが心に浮かんできた。

枝の後ろの街灯が
くもった窓に模様を浮かべている
ガラスは拭かないでおこう
きみを起こすといけないから

※病いに顔があるとしたら、あの窓の光の美しさのようなものだろうと思った。鎮痛剤の切れ目に現れる痛みが引き起こす悪夢には、病いの顔を見ることができなかったように、その窓にも病いの顔を見ることはできなかった。窓は神話でもないし、比喩でもない。窓は窓である。しかし、私はその窓にわれを忘れた。痛みはそのときもつづいていた。その痛みのおかげで、私はあの窓の美しさを見ることができたのである。秩序は回復された。そして、秩序は表現を要求した。私かそのときつくった詩がいかにつたないものであろうと、私は自分を表現しはじめていた。表現できない痛みは我々を孤立させる。黙ることは孤立を意味する。表現がどんな形をとろうと、我々はそばに人がいるいないにかかわらず、それを人に伝えようとする。表現は、他者の存在を前提にしているのである。表現によって人への仲間入りが果たせるのだ。私以外の者はみな秩序ある眠りについている。美を発見した私は依然としてひとりだったが、言葉が他者を存在させてくれたのだった。
 私か感じた秩序について書くことは、無秩序について書くのと同じようにむずかしい。
私の筆力では無理かもしれないが、とにかく言葉にしてみる。


【人間の条件としての他者の発見】
※病人にとって、コミュニケーションの試みは秩序を呼びもどしてくれる。私の詩のそれぞれの言葉に、たいした意味はない。それは秩序を生みだす表現の試みなのである。私はこの詩を「見る」ために窓を必要とした。そして他者を発見するために、その世界に私の位置を確保するために、詩を必要としたのである。
 私にとっては、思いやりについて書くほうがたやすい。私は人が寝ていれば起こさないように気を使った。夜間はいろんなことに気を使う。その気持ちは美しいものだと思った。そしてこうした感情は痛みを耐えられるものにしてくれた。腹立たしい病気と痛みによって自分か生きてきた生か奪われ、失われるような気がするとき、人はまた別の「秩序」を発見できるのだ。あの夜の痛みはそれほどでもなかった。それは私か自分のからだを無視しようとしたからではなく、自分のからだを超えたところにある自分を想像できたからだった。キャシーの眠りに気を使い、窓に心を向けることで、自分を思いやるのに必要な秩序を取りもどしたのである。しかし、あの窓に見たことを理解できるほど、私の病いはまだ進んでいなかった。あとになってはじめてそれを言葉でとらえることができたのである。けれども、少なくともあの夜、私は自分が人を思いやれる場所にいることを知ったのだった。


失ったものを嘆き悲しむ
【痛みと社会関係の断絶】
※病いにともない喪失感が生まれると、それはやがて人間関係にも影響を及ぼすようになる。・・・・・・まず人間関係が極度に緊張した。そして私のからだは、眠ったり、歩いたり、計画を立てたり、責任を負ったりすることができなくなった。もっとも、まだ自分ががんになっていると信じる気持ちにはなれなかった。まわりもそうだった。それが可能かどうかはわからなかったが、私は人との関わりを避けようと努めた。周囲の人も私か距離をおいていると感じたようだ。私はなにも、自分が情に欠ける人間だからそうしたのではなかった。私のからだが、通常の自然の流れから私を遠ざけていったのである。私はスケジュールや計画が立てられない人間になっていった。私の未来がまるで不確かなものになった以上、私が無計画になったのは当然だとまわりの人たちは思ったらしい。私は自分がどこかに属しているという感覚さえ失いはじめた。
 計画を立てられないということは、属すべき場所を失ったという感覚のごく最初の出来事にすぎなかった。・・・・・・遅かれ早かれ自分は死ぬんだと私は思った。死が苦痛なのは、宗族とともに未来を歩けないという一事につきる。私か生きている理由がこれほどはっきりしたことはなかった。

【喪失と孤立感】
※未来の喪失は、過去の喪失によって完全なものとなる。腫瘍のできた皐丸を切除する手術の何日か前の夜ほど、この喪失感を感じたことはない。・・・・・・中年の私にとっては、痛みを恐れずに下着をはけることのほうが大事だったのだ。
 とにかく私は、自分のからだが青年期とはっきり断ち切られたことを強く感じた。たしかに私のからだも生活も中年のものになっていた。
※・・・・・・たとえそうでも、私は同じ人間ではありえない。手術と化学療法は、からだとその過去とのつながりを断ち切るだろう。自分がどんな人間に変貌するのか、それをこわいとは思わなかった。だが、喪失する自分の一部を悼む気持ちがつのった。それは自分が住みなれた場所に別れを告げるのに似ていた。
自分のからだがいとおしくなり、大切にする気持ちが強まった。それはあとでよい結果を生んだように思う。だが、治療によってからだは変わろうとしていた。
 あの夜私がそうしたように、からだに別れを告げるとき、人は自分の生き方にも別れを告げることになる。
※……ところが最悪の事態が起きたとき、他人はまったくあてにできなかった。助けてくれた人もいれば、姿を見せなくなった人もいた。我々は自分ら夫婦が直面した病いを直視できなかった人たちと、ふたたびつきあいを始めることを困難に感じた。そうした人間関係の喪失もあったのだ。
※キャシーも私も、いわゆる期待というものを失っていった。かつては、何事かを成し遂げ、子どもを産んで、成長を見守り、人と経験を分かち合い、ともに成長することを当たり前のように望んでいた。いまやそんな望みはきわめて不確かなものだと気がついた。人生は不確かなものだ。なにを期待するのが正常なのかがわからなくなってしまった。無邪気な期待というものができなくなったことも、病気がもたらしたもののひとつだと後になって思うようになったが、当時はなにかを喪失したように感じたのだ。
 未来、過去、空間、そして無垢であることの喪失は悲しむべきことである。
※……喪失を人と共有すること、これこそが病いとともに生きるもっとも賢い方法である。 

【ケアを与える人の喪失を阻むもの】
※私は自分が喪失したものと、我々夫婦が喪失したものについて書いてきた。しかし、キャシーが喪失したものについては書いていない。いまでも、彼女が喪失したもの全部をわかっているとはいえない。ケアを与える人のほうが、喪失したものに別れを告げるための時間か少ないのだ。ケアをする人としての妻も、病人と同じぐらい喪失したものを認識する必要があるのだと、私は病いに伏しているとき思った。病人もケアする人も悲しみがあればそれを表わすべきだ。
※悲しむことがむずかしいのは、喪失するものがありすぎるからではない。まわりの人が、悲しむことを阻むのである。医療関係者、家族、友人は、病人やケアする人をできるだけ早く喪失に順応させようとする。喪失を悲しむことは病いの治療を遅らせるし、死が避けられないことをまありか思い知らされることにもなるからである。社会は喪失を忘れさせ、健康にもどるよう圧力をかけるのである。
 専門家は適応という言葉をふりかざして、悲しみを忘れさせようとする。しかし私は、悲しみは肯定的なものだとあえて言いたい。病いや死によって失ったものを悲しむことは、これまで生きてきた生を肯定することである。悲しみを忘れ、あまりに早く適応することは、喪失をすぐに立ち直れるようなたんなる事故として扱うことになる。病Aがもとのからだを喪失したとき、あるいはケアする人がその相手を失ったとき、その喪失は十分に悲しまなくてはならない。悲しみを通してのみ、喪失の向こう側に生を見いだすことができるのである。
 本書はある意味では、病気になる前の若かりし自分にあてた手紙であるとまえに書いた。私は若かりし自分に、喪失したものを悼みなさい、そしてその悲しみを理解してくれる人を探しなさいと言ってやりたい。病人が失ったものを過小評価したり、自分が喪失したものと較べたり、喪失にはすぐに慣れるさと言ったりする人には近づかないほうがいい。
病人が体験する喪失は現実なのであり、だれにもそれを病人から取りあげる権利はない。それらは人の体験の一部であり、人にはその権利がある。病いは、たとえ喪失であっても、それが体験に値するものであることを教えてくれる。嘆き悲しむこととは、失ったものの価値を知ることである。喪失したものを大切にすれば、人生そのものを大切にすることになる。そして人はふたたび生きはじめることができるのだ。


ケアに秘訣はない
【体験の異なり】
※人生ではいろいろな体験が重なってくるから、それを文章にすると、順序の錯覚が起きることがある。さらに重要なことは、私に起きたことは私だけのものだということである。私の話を詳細に語ったのは、人間がそれぞれいかに固有の存在であるかをそれが示しているからである。私は自分の病いの体験をさまざまな段階で一般化しようとは思わない。体験の違いを認めてはじめて、我々はお互いを思いやることができるのである。
 心臓発作とがんの体験は、個々の病いがいかに異なるものかということを教えてくれ
た。
※まず異なるのは、我々が抱く恐怖である。心臓病のときは、恐怖はすぐに消えた。
※がんの場合はたいてい、とつぜん死を迎えるという恐れはない。眠るとき、翌朝目を覚ますことができるという自信が私にはあった。がんの場合の問題は、がんによって覚醒した人が、なにをつかむことができるかということにっきる。私が恐れたのは、死ぬことそのものよりも、ゆっくりと死ぬこと、果てしなく苦しいこと、からだが汚れた体液を吐きだしつづけるというイメージだった。がんで死んだ人も少なからず知っているが、その死それ自体は自分で恐れていたほどのものではなかった。一般に、がんで死ぬことの恐怖ばかりが伝えられ、病いの不快感じたいは過小評価されている。心臓発作が一気に人の命を吹き飛ばすものだとしたら、がんは少しずつ人のからだを蝕んでいくものに例えられるだろう。
※不安は人によって異なる。不安がそれぞれの人で異なるということも、病いの体験の特質なのである。ケアはその違いを知ることから始まる。たとえ同じ病気でも、人によって体験することが異なることを知る必要がある。がんであることをどのようにして知ったかということも、あとあとまで大きな影響を及ぼす。私は痛みによってがんを知った。
※ああいう体験ができたことに感謝している。痛みはからだに起こりつつあることをリアルなものにしてくれた。痛みを感じる前にがんを宣告される人もいるのだ。その場合、がんを具体的なものとしてとらえるのはむずかしいのではないだろうか。
※人の体験を他人がとやかく言えるものではない。それぞれがそれぞれの方法で病いを認識していくのだから。
 
【社会的サポートの差】
※容体がひどく悪化していると告げられたとき、スポーツ医学の専門家と超音波検査をし
た医師の診断にはずいぶん差があるように感じた。その差はなにかというと、彼らが私に与えてくれたサポートの差だった。診断自体はそれほど変わらなかった。が、スポーツ医学の専門家のほうは彼自身が診断に深く関わっているという感じがした。もう一方の医師はまるで判決のように診断をくだした。そうした差が大きくものをいう。同じメッセージも病人がふたりいれば違う意味になりうる。言い方によっても同じ内容がまるで違うメッセージになってしまう。

【ケアの前提としての差異の認識の意味】
※人それぞれの違いを認識することからケア始まる。「がん患者に言うべきこと」などという決まり文句はありえない。「がん患者」という総称的なものは存在しないからだ。発病に応じてさまざまな体験をしていく人間がいるだけである。しかし医学は病いによてではなく「病気」によって患者を分類していく。そういう分類は治療には便利だが、ケアにとっては邪魔になるだけなのである。
※治療とケアとはまったくの別物である。治療とは病いに関わるふりを装った、能率とケアのあいだの妥協の産物にすぎない。医師は病人を、心の状態を表すキーワードにあてはめては治療していく。
※こうした分類化は、病いの個々の体験の細部に我々を導かず、距離を生みだすのである。「予想どおり、患者はいま怒りの段階にいる」こんな言葉が交わされるだろう。病人がなぜ怒っているのかを知らないうちから、怒りは「段階」のひとつになる。それはこの理論によって予想できることだから、「だれも、が体験すること」として無視されるのである。
※体験をリアルなものにするのは、その細部である。怒りや悲しみの内実は人によってまったく異なる。だからそれを同じ言葉で呼ぶことは個々の体験をあいまいなものにする。 「怒り」とか「悲しみ」といった言葉は、実際の感情を隠蔽してしまうのである。だから、こうした理論に人気があるのもわかるような気がする。そうした理論で用いられる言葉を使う人たちは、さまざまに変化する生きた体験に関わることなしに、理解ができたような気持ちになってしまう。そして他人にもそのような幻想を与えてしまうのだ
※段階の理論はケアを与える人にとっては百害あって一利なしであることはたしかだが、病人自身にとっては役に立つ。病人にとって、他人も同じ体験を径ていると知ることは切なことだから。
※しかしケアをする人は、そんなパニックも患者固有のものであり、「段階」のひとつではないことを認識しなければならないのだ。病人は、「パニック段階を通過している」ものとして扱われるべきではない。
※パニックで引き起こされるもろもろの感情は解決できないのだから。

【ニーズを表現するための時間と空間の提供を】
※ケアを与える人に大切なのは、なにが必要なのかを病人が表現できるようにすることだ。最終的に病人がなにを必要とし、ケアを与える人がなにを提供できるかを考えなくてはならない。そのためには専門家、宗族、友人にかかわらず、ケアを与える人は、病人がなにを必要としているかを考えるのを手助けしなくてはならない。そうしてはじめて、なにを与えられるかを話し合えるのだ。……病人は自分のニーズを把握するのに時間がかかる。
※その夜は、彼がいたおかげでむしろ助かった。彼といることで、がんのことをしばらく
のあいだでも考えなくてすんだからである。そして、まだまだ楽しい晩をすごすことができることもわかったのだ。がんを抱えても楽しい人生は可能かもしれない、と思った。自分ががんになるとは思ってもいなかったが、たとえがんであっても自分の好きなように生きることはできるのだ。おそらく、自分が望むものは言葉になどしなくてもいいのかもしれない。みずからが望むものを発見することができるだけだのかもしれない。そして周囲の人にできることは、それを発見するための時間と空間を病人に与えることである。
 病人の言うことをすすんで聞き、個々の体験に対応できる人が「ケア与える人」であ
ると私は言いたい。ケアは病気の分類とは関係ない。ケアとは、人の体験を特別なものと考え、それを重んじることである。だれにも人を分類する権利はない。しかし、各人がいかにユニークなものかを理解する権利はある。

【ケアとは相互的なもの】
ケアを与える人が病人ひとりひとりの個性を尊重しながらケアすることができれば、病人の生を意義あるものにできる。病人の生が豊かになることによって、ケアを与える人の生もまた豊かになるのである。ケアと理解とは不可欠であり、理解と同様ケアとは相互的なものでなくてはならない。人の言葉を聞くことで、我々はみずからの声を聞く。人をケアすることで、我々は自分をケアする。そうでなければ、疲労と欲求不満のままに終わってしまうだろう。
 ほとんどの医療関係者にはケアをする時間はないし、そういう気持ちもないようだ。彼
らはケアに劣らず重要な治療をしてくれる。しかし、治療とケアはまったく別のものであ
る。家族でさえしばしば、ケアをするよりもたんにサービスを与えるだけにとどまっている。
 ケアを施す人は病いの体験につぎつぎに直面するのみならず、パニック、不安、恐怖、
拒絶、狂乱といったもろもろの感情に直面する。キャシーは、診断や治療について私があ
れこれ話すことを何日間も辛抱強く聞かなければならなかった。「そうしなければならな
いんだったら、そうするわ。」病人が、自分には交渉する手段もなく、交渉すべき人もいな
いことに気づくのには時間がかかる。そして気がついたとき、孤独に襲われる。そして自
分や人生についての疑問、落ち込みと希望、人と接したいという欲求と混然一体となった
怒り、自分のことを自分で処理できない依存的状態への不満といったものがつぎつぎと生
まれてくるのである。

【体験の特殊性とその差異の認識=ケア】
私かここで書いたことは、病人の感情を大まかに述べたものにすぎない。結局、私が言
いたいのは、こうした言葉にはなんの意味もないということである。痛みとか喪失といっ
た言葉には、病人自身が実際にそれを体験するまではなんのリアリティももたないから
だ。その体験の特殊性を見きわめ、その違いを認識することがケアの仕事なのである。


pp70-140
「領土」としてのからだ、驚異を秘めたからだ
体裁をつくろうことの代価
化学療法という冒険
「苦闘」は「闘い」ではない
烙印
「領土」としてのからだ、驚異を秘めたからだ
・医学がからだをその「領土」として扱う話
・からだ自身の驚異を学ぶ話
この2つの話は切り離して考えることはできない。病いはそのどちらでもある。

【医学がからだをその「領土」として扱う話】
からだの植民地化
医学の助けを得るために自分のからだを医学の検査対象にさせられる感覚
→看護師が自分のことを名前ではなく、「53号室の精上皮種(セミノーマ)」と呼んだ行為
  *病人が患者になると、医師が患者のからだを引き継いで占拠する。そして医学は、からだとこれからの人生を切り離す
 *医学は痛みが人の生にとってどういう意味をもつかに興味を示さず、人の体験に入り込むことはせず、治療と管理に専念する
 →医師を避けることは危険であるが、病いというドラマの舞台の中央に医師据えることで、病いではなく病気だけの脚本が作られてしまう

患者は自分のドラマの観客となることにより、自分を見失う。自分の体の反応よりも検査結果の方が自分の気分を決定する。いずれは医療環境下での日常と規律の中で自分の意志や信念を忘れていく

医師をドラマの中心に据えることの問題点
医師は病気が治るか、あるいはすべてやりつくしたときに彼らが舞台から去ってしまう
*病いは治療が終わった時に終わりを告げるわけではない
→病気から回復した者は患者でいることからも回復しなければならない

身体は管理可能か?
人のからだを医学の領土とする権限を与えているのは、「身体は管理可能であり、管理すべきである」という社会からのメッセージである。
→からだの管理に失敗した者は社会的・道徳的落伍者とみなされる
*からだを「管理」するという考え方そのものが間違いであると指摘
しかし、医師はからだの管理が可能であると証明するとでもいうように登場する

【からだ自身の驚異を学ぶ話】
*からだの驚異を認識する=からだを信頼し、コントロールをまかせること
→病人がからだのコントロールではなく、驚異に心を向けることができれば、病気のからだを生きることの喜びを見いだすことができる
例)運動することにより自分のからだの力を引き出すことに成功し、運動ができなくなれば音楽を楽しんだ

体裁をつくろうことの代価
感情面での2重の対処
 @病人がケアする人と共に恐怖や挫折や喪失と対面し病気であることの意味を見出そうとする際の対処(上述のとおり)
 A患者が周囲に対して体裁をつくろおうとするときの対処

【A患者が周囲に対して体裁をつくろおうとするときの対処】
*健康な友人、同僚、医療関係者は病人に体裁をつくろうことを期待する
→病人は自分を努めて元気に見せなくてはならず、病いの影響を隠しきれなくなると、病気はそれほど悪くないふりをすることが期待される
みずから恐怖や悲しみを表現した病人がよく言われることはない。否定的な感情を表した病人は、短期間であれば一時的な感情の噴出と理解される。悲しみにくれる病人は「抑鬱病」と診断され、治療可能な病気であると分類される
?
*状況によっては強い抑鬱というものが病いの体験の一部であることを認識する必要がある

体裁をつくろうことの問題点
患者が陽気で健康的なイメージを保とうと努めれば、残り少ないエネルギーを消費してしまうことになる。また自分の人生になにが起きているのかを表現し、考える機会を失ってしまう。ポジティブなイメージを作ろうとすることで、病いの体験を分かち合うことができず、他人との関係も構築できなくなる。

「取引」場面における体裁
例)看護師とのアセスメント
  病人はカーテンで仕切っただけのプライベート空間において真実を話すことで冒すリスクと同等のサポートが得られるかどうか?を値踏みする
*嘘をつくことで自分が不利になるとしても、それがサポートを得る唯一の方法である
→問題点や心のわだかまりを他人の前で述べたら、ひどく微妙な立場に置かれる。そのリスクに見合わないサポートしか得られないなら、きわめて不利な立場に追いやられることになる

*真のケアをしたい人は真のサポートを与えるだけでなく、安心してサポートが受けられると病人が確信できるような方法を学ばなければならない
*不安と抑鬱は人生の一部である。病いには、「否定的な感情」など存在しない。生き抜かなければならない体験があるだけだ。必要なのは、「否定」ではなく認識である。病人の苦痛は、治療できる、できないにかかわらず肯定されなければならない。

化学療法という冒険
*医療関係者がする化学療法の説明は、常に苦しみが過小評価されている

この態度は病人が体験したことの価値とその意味の否定につながる

身体的な治療と精神的なケア
病院は身体的な治療と精神的なケアとを区別する。ケアする人は患者にとって不可欠だが、まるで治療には不要な余計なものとして扱われる。
 例)私=「患者」,キャシー=「見舞客」として扱われる
*身体的なケアと精神的なサポートは相互に必要である

化学療法がもたらす問題
*病いがもたらす根本的な問題:生が根本から変化したとき、どう生きていくか?
 →病いは生を破壊と回復を繰り返す奇妙なジェットコースタに変えた
 化学療法のこわい点:日常的な価値の間隔を失うこと
  治療に対して受け身になり、身体ケアのこまごまとしたことに執着するようになる。心もまた身体と同様に無感覚になる

化学療法により気づく新しい価値:退院がもたらす再生の感覚
→妻や友人の存在、家で生活すること

病いと向き合う
*病人は病いとひとりで向き合わなければならない
例)アーサーの場合
聖書(ヤコブの話)の引用、ポール・サイモン「ボーイ・イン・ザ・バブル」の歌詞
→病いという神話の一部をヤコブに準え、冒険と意味づけることに至る

「苦闘」は「闘い」ではない
*病人はがんと「闘わなくてはならない」と表現されるが、実際に闘えるものではない
社会的に用いられる「闘う」という比喩は、病気を生きることの意味をとらえきってはいない

身体プロセスと意識のつながり
自分の中の異物としてがんの存在を認識するのではなく、「身体プロセス」としてがんを捉える。さらに私は「身体プロセス」であると同時に、意志、歴史、自分の考えやエネルギーを集中する能力を持った「意識」でもある
*病いは「身体プロセス」と「意識」の密接なつながりを教示する
→痛みによって思考が生みだされたと同時に、思考がまた苦痛を生み出す。この環は途切れることはない
*病いは身体的なプロセスであり、ひとつの体験である。この2要素が互いを形作る
→病いは偶然に起こったものだが、それを体験するのは自分の責任である。からだの意志の中に自分の意志を認める。


信と意志のバランスの重要性
*病いを抱えることは、信と意志のバランスを常にとっていくことである
病いになってもその体験は生を豊かにするための認識の機会をして生かすことができる。起きたことを受け入れる信と、望む変化をもたらす意志を同時にもつことができる。病気をからだの意志に任せることと医学的治療を求めることには矛盾もない。

烙印
烙印:危険人物、犯罪者、汚れた人間であることを示すためにからだに付けられる印
 烙印を押された者は社会の片隅で印のついた体を隠さなければならない

がんによる烙印
 ・「C・A」や「ビッグC」という通称
 ・禿げてしまうこと=がんである烙印

【禿げてしまうこと=がんであるという烙印】
 化学療法により禿げてしまう
→髪の喪失だけでなく、がんは禿げることを烙印に変えた
  禿げたことで身体的に不快感を伴った。禿げたことで「あいつはがんだ」と叫ばれる夢をみた(むしろ自分が心の中で叫んでいた)

病気の視覚イメージへの還元
社会はがんなるのは病人のアイデンティティに欠陥があるからだという考え方を微妙なやり方で押し付けてくる
社会が烙印を定義づける例)兄ががんになったことで禁煙したモデルの話
自発的な行為である喫煙とがんを結びつける。そしてがん患者の最大のサインは髪の抜け落ちた頭である。

烙印の感覚に対処する方法
化学療法が終わるまで烙印の感覚は消えることがなかったが、がんの退縮により、自意識も消えた(対処法を発見できなかった)
*重要なのは自分がどう呼ぼうと、どう呼ばれようとも、人は自分の生を積極的に生きている「人間」であるということ
 →がんを持つ者は恐ろしい存在ということになり、病人は烙印を隠そうとする方向に力が働くが、烙印の感覚を消すためには、社会の周辺から人に見られるところへ出てくる必要がある

*烙印に抵抗するには個人の意志以上のものが必要となる。烙印を払拭できない病人は、自分たちを組織化する必要がある。

問題:病人の組織化はたいていの場合、医療機関から支持されない


■否定と肯定(pp.141-154)
*病気という出来事の周囲では、微妙な「否定」と張りつめた「肯定」が病人をとりまくことになる。
病気の否定…看護婦が「がん」という名を口にしなかったこと。「看護婦は私が病気以上の存在であることを否定した。そしてこんどは病気の名さえ消されたのだった。看護婦の「C・A」という言葉で、私は消去されたのである」p.144
苦しみの否定…「看護婦と医師は、ある患者ともっと悪い患者の苦しみとを比較するとき、患者固有の体験を否定する。「最悪の症例」の苦しみと比較して、私の価値は減ぜられる」p.144
社会的価値の否定…現代社会は「生産性」に価値を置き、人々が故障しがちな生身のからだを持っていることを「否定」する。
→このような悲しい否定の結果、病人は罪の意識を持たざるを得なくなる。
病人の前から友達や愛する者が消え去ること…「病人とケアをする人からみると、「遠くからそっと気遣う」ことは、なにもしていないのと同じである。彼らが私とのあいだに置いた距離は、もうひとつの、病いの「否定」のかたちのように思える」p.148
「人間の苦しみは分かち合うことで耐えられるものになる。だれかが自分の苦痛を理解してくれると 知ったとき、その痛みを投げ出すことができる」p.149
→ケアする人の存在が病人にとって不可欠でありながら、ケアする人への「否定」もまたなされている。ケアする人自身の危険や喪失(「自分を、力を、食欲を、将来を失う危険」、仕事や時間の喪失)は、軽く扱われていないだろうか、それは病人の病気の回復というカタルシスによって取り戻されるだろうか。また、ケアする人は、自身の体験を表現する言葉や機会がほとんどない。
「我々はまだ病いについて多くを知らないが、ケアについてはさらにわかっていないのである。病人の体験が「否定」されるのと同じように、ケアする人の体験は完全に「否定」されているのが現実なのだ。」pp.152-153

■慰める者と非難する者(pp.155-164)
*がんの要因がその人自身のパーソナリティの内にあるというがん性格説が語られるのは、社会が「不安」を隠蔽しようとするためである。またがん性格理論を説く人とは、病人に対して慰めようとする者であると同時に非難する者である。

・「社会が恐れ、理解できない病気は、いつも社会によって性格理論の形で説明される」p.158
健康な人たちは、「がんになった人は何か悪いことをした。要因を内に持っていたために病気になった」と説明づけることで、生がいかに危険に満ちたものかについては考えなくて済む。
…「病気を病人のせいにするのである。そしてその病いを非難することで安心を見いだす。こうしてがんの性格理論は「セルフ・ヘルプ(自助)的なもの」となる」p.158

・「がん性格理論の本質とは、世の中はなにも変わらなくていいということ」p.162
がんを性格のせいにすれば、がんのリスクを高めるような状況や行為を永続化できる。
過ちと不安を病人の中に閉じ込めておくことで、個人も企業も「安心」に暮らしていくことができる。

また、往々にしてがん患者は、「うまくやっていくため」に怒りを表明することも封じられてしまう。
「[怒りを表明する必要がある時には:引用者]社会や組織の中に、病人が自分を表現するのを妨げるメカニズムが存在することをしっかり認識する必要があるということでもある。がん性格理論はそんな障害のひとつである。それは個人を自分の内部に、自分の罪に向けさせ、ほんとうの原因を作り出している社会を変えることを妨げる。がん性格理論は、実際は非難しながら慰めるふりをする者たちの、病人に対する最大の侮辱なのである。」p.164

■病いの価値(pp.165-174)
*病いを不可避なもの、誰にでも起こりうるものとして考えたとき、病人の権利という問題(支払い、テクノロジー、治療など)に対して答えは得られる。またそれは、病いに価値を見出すことである。

→病人の治療を受ける権利とは、あらゆる人間の基本的権利である。
「がんが差別なしに起こるのだとしたら、治療も差別なしに得られるべきである」p.169
「我々は健康な者と病んだ者とを分けずに、同じ生きる者としてその権利を考えていくべきであろう。あらゆる人間のもっとも基本的な権利は、自分に起こりつつあることを体験するという権利である。」p.171

→また、病人の権利を認識することは、病いを認識する手始めになる。
「病人の権利のなんたるかを理解するためには、人間として自己を再構築するためになにが必要なのかを自問しなくてはならない。この意味での「生産」には、第一に人のケア、それから時間、空間、基本的欲求の充足、ある程度の選択ができることが必要だ。最後に、自分の受け取ったケアを他の人に返すことが可能な状況が整わなくてはならない。たんに生存していくだけでなく生を体験するには、こうしたものすべてが必要である。これらの権利はどれも特別視されるものであってはならない」p.172

→病いの価値とは、今健康な人々へ「生の価値を教えてくれる」ということ。
「病いの究極の価値は、それが生きることの価値を教えてくれるということである。これこそが病人がたんなる症例ではなく、評価すべき存在である理由である。」p.172
「死は生の価値を回復してくれる。病いは、生をあたりまえのものと思っているときに失われる平衡感覚を回復してくれる。価値と平衡感覚を学ぶには、我々は病いに、そして死に名誉を与える必要がある」p.172

■病いに耳を傾ける(pp.175-184)
*病人にとっての責任とは、回復する責任ではなく、「自分の苦しみを直視し、その体験を表現し、他の人たちがそこから学べるようにすること」であり、社会の責任とは、「病人が表現することを理解すること」。

…二人の白血病の子供の新聞記事の分析。一人は解放的に自分の病いを表現し、一人は「閉鎖的」に人と関わろうとしない。記事は、前者の子供は「あるべき」勇気によって回復し、後者は転落し続けると暗に仄めかす。それは彼らに及んだ社会的・医療的影響を配慮することなく、病いを彼ら自身の生理から生まれるものであると理解を促すもの。しかしフランクは両者とも病人の責任を果たしていると述べる。

「病人は病気になることですでに責任を果たしている。問題は、健康な人が責任をもって病いの正体を見たり聞いたりできるかどうかである。つまり、生とはなにかをつかむことである。生きることは二重の責任がある。我々が共有する、生のはかなさに対する責任と、我々がつくりだしたものに対する責任である。病人が表現し、健康な人がそれを聞くという相互の責任は、人間の想像力が限りある命に立脚しているという認識から生まれる。病いのない生は不完全であり不可能なのである。しかし逆説的なのは、病いはその必要を十分に認識している人にとっても苦痛だということである」p.182

■回復の儀式(pp.175-184)
*「病いからの回復は儀式と呼ぶに値する」p.186
医師は単に医学的成功を回復として見なすが、回復とは、患者自身の自己覚醒を含んで、再生の意味づけの儀式として感受されるものとしてもある。
…フランクにおいては血管造影の結果、からだの管を抜く作業、そしてそれを妻と分かち合うこと
「管が抜かれ、切り口が縫われた。医学は私のからだに別の印をつけ、それによってからだに別の価値を与えた。この印はたんなる烙印ではなく、一定の体験を経てきたことを示し、私に高いステイタスを与えることになる。こうして再生した私のからだは再び私のものになった。新たに生を授けられたという感じだった」pp.188-189

再発の可能性を秘めたがんの身体を生きていくことは、「体験のレベルの問題であって医学の問題ではない」p.190。「人は健康か病気かで分かれるのではなく、生命の価値をどれだけ深く把握しているかで分かれる。」p.192
→病いを生きるということは、「今日はどうすごしたか」という問いを発しつづけることであり、それを忘れないということ。フランクは、病いをはらんだ回復の意味を「儲けもの」という言葉に見出す。
**レイモンド・カーヴァーの詩に出てくる男の言葉
「10年も生きることができた。それだけでも儲けものだよ。それを忘れないでくれ」

■儲けもの(pp.195-206)
*「我々の生は、生きる目的を考えるためにある。内省は我々の呪いであると同時に可能性でもある。」p.196

*生と死について。病気になり、しかし生きている者と死んでしまった者がいるということについてどう考えるか?病気がたまたま起こるとしたら、選択の問題はどうなるのか?
→病気から病いへと視点を移すこと
「病気から病いへと視点を移せば、選択は可能になる。病いはどのように体験するかを選択できるからだ。それによって我々は、犠牲者以上のものになる。選択は最悪の境遇を、価値ある体験に変えることができる」p.198
→しかし境遇は選択を制限するから、それは半分の真実である。半分の選択しかできない中途半端な犠牲者たち…「退縮共同体」。
フランクは、いのちを、からだを退縮していくものと捉える。そのような生は、「日常」の些細なことが生をかたちづくっていることの価値に気づくことができる。
「しかし、日常を生きることもまた、病いの危機をはらんでいる。その事実が私を「儲けもの」という言葉に導いた。この考え方は「健康」や「病い」を超えている。そして病いへの不安を必然的にもたらす、健康への希求すらも超えている。「儲けもの」という考えは、病いをロマンチックに描くことからは得られない。それは病いがもたらすものをすすんで受け入れようとする態度なのである。」p.201

*「人生のもう半分の喜びは、喜びも苦労もともにする他人とともにいることにある。」p.202


UP:20080425 REV:
アーサー・フランク研究会
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