「不妊治療と先天異常」
佐藤 孝道
last update: 20151221
不妊治療と先天異常
虎の門病院産婦人科 佐藤孝道
Infertility treatment and congenital abnormalities
Key words:ART、ICSI、体外受精、染色体異常、遺伝子異常
はじめに
生殖補助医療技術(Assisted Reproductive Technology:以下、ART)の進歩には目
覚ましいものがあるが、この技術による先天異常増加の危惧は、開発当初から問題に
なってきた。胚の人工的操作という技術そのものが、その危惧を空論と片づけるには
ほど遠かったからである。しかし、実際にARTによる出産児が増加しても、その危惧
が現実のものであることを裏付けるデータは得られていない。
これはある意味で当然のことである。自然流産率を15%とすると、流産胎児(絨毛)
の染色体分析では70%に染色体異常が認められるから、妊娠初期のおよそ
10%(=15%X70%)の胎児には染色体異常があることになる。このうち生まれてくるのは
0.2%程度であるから、淘汰率は98%である。もしこの10%の異常率が20%になったと仮
定しても出生児の染色体異常率は0.4%になるに過ぎない。2/1000と4/1000では有意の
差が出ることはない。有意差が出るためには、統計的に10,0000のオーダーが必要で
ある。しかもここに示した数値は、着床後のものである。着床前の淘汰を含めれば、
ARTによる胚への侵襲があったとしても、出生児の臨床データで差が出ないのも当然
のことと言える。
しかし、最近になってICSI(intracytoplasmic sperm injection:卵細胞質内精子注
入法)後の妊娠が増加するに従い、染色体異常のうち淘汰率が極めて低いもの(性染色
体異常)や遺伝子異常の増加が指摘されるようになった1)。性染色体異常は新生児中
では0.5%に認められるが、流産胎児では45,Xを除いて認められない。つまり、着床後
45,X以外はほとんど淘汰されない。
不妊治療を受けるカップルには、少なくとも普通の妊娠と同様に、先天異常が起こ
りうることを認識させておく必要がある。同時にICSIにおいては性染色体異常や遺伝
子異常の頻度が増加する可能性について実施前に説明をしておく必要がある。これら
は、ICSI実施患者に関して、実施前のカップルの染色体分析と妊娠後の羊水細胞染色
体分析の妥当性に関して複雑な問題を提起する。説明の上患者が希望すれば実施する
ことになるのは当然であるが、人工的に命を作りだし、選別して廃棄することに対し
て倫理的違和感を感じるのは著者だけではないと考える。
不妊治療は複雑である。従来からのクロミッド療法やHMG療法、あるいは通常の体
外受精でも、先天異常との関係が指摘されたことがないわけではない2)。しかし、誌
面の関係から本論文ではARTと先天異常の関係に限って触れた。
出生児に関するどんなデータがあるか
ART後の出生児に関するデータは多数ある。しかし、そのほとんどは、(1)適切な対
照群(遺伝的な背景の差、年齢の差、生活環境の差などを考慮した対照群)がない、(2)
治療に複雑な要因(例えば治療法が一定しない、治療法を選択する基準が複雑、不統
一など)が関与する、(3)先天異常に関わる診断基準(例えば、誰がどの時点で診断する
かによって異常の頻度は大きく異なる)が不統一、などの理由で、ARTが先天異常の増
加につながらないと結論できるものにはなっていない。一方、増加させるという確た
る証拠もない。たぶん増加させないのではないか3)、というのが一般的な考えであ
る。
表1に当科の266例のART後、妊娠の奇形の頻度を示した。鎖肛は一般新生児中の頻
度は0.05%とされるから高いようにも思うが、当科の体外受精患者には高齢者が多
く、また前述のような理由もあって結論が出せないでいる。ARTに関しては、もちろ
ん多施設、国際的な追跡調査も多数あるが、参加施設が増えるだけ実際的には診断基
準が不明確になり、信頼性が低下するという側面がある。
日母が行っている外表奇形のデータと比較するのも一法ではあるが、多施設が参加
する分だけ診断基準は不明確になり、年度別の変動を見るのには適しているが、先天
異常の頻度の絶対値を見て、ARTのデータと比較するのには適していない。
表2にBonduelle Mら4)がまとめたICSI後の妊娠での絨毛検査(CVS)もしくは羊水
検査(この二つを併せて以下、出生前診断)で見られた染色体異常の種類を示した。
486例の出生前診断で6例の異常(1.2%)が見つかり、うち5例は性染色体トリソミー、
残りの1例は21トリソミーであった。母集団の年齢分布が明らかではないので、結論
は出せないが、ICSI後の妊娠では性染色体トリソミーの頻度がおよそ1/100で一般の
新生児と比較して、あるいは21トリソミーの頻度と比較して高いことが示唆されてい
る5,6)。
しかし、ICSIに関しても一般的な追跡調査では、先天異常の増加は報告されていな
い7,8)。
ARTと先天異常発生のメカニズム
ARTによって先天異常が増えるメカニズムとしては、表3のようなものが考えられ
る。先天異常の発生は一般的には、異常の発生が増加するか、淘汰が障害されるため
に起こる。ARTでは異常の発生そのものは十分に考えられるが、淘汰が働くために新
生児の異常の増加となっては現れない可能性があることは既に述べた。つまり、異常
の発生があり、それが淘汰を受けることなく出産に至った場合に初めて新生児の異常
の増加として現れるのである。
ARTを受けるカップルの遺伝的負荷に起因する先天異常も、広い意味では淘汰の障
害に含まれるが、淘汰に限らない問題も含むために、別の項目に分類した。
ARTを受けるカップルの遺伝的負荷に起因する先天異常
不妊症の背景には、様々な遺伝的問題が関与しうることが知られている9、10)。
女性側に原因がある場合は、卵管因子や排卵障害、着床障害など様々な要因の
一つとして、遺伝的負荷があると言える。それでも、性染色体異常(例えば、45,Xや
47,XXX)や遺伝子異常が関与する症候群の一症状としての不妊(例えば睾丸性女性化症
候群やKartagener症候群)が知られている。男性不妊の場合は、後述する性染色体異
常や遺伝子異常の他に遺伝子異常が関係する症候群の一症状としての不妊(例えば、
遺伝形式が不明のKallmann症候群)もあり遺伝的問題のウェイトは女性と比較して大
きいように見える。
顕微受精の第一の適応は、男性不妊である。表4に乏精子症患者に見られる染色体
異常の頻度を示した。精子数が20X106/ml未満では2.2%に、10X106/ml未満では6.6%の染色体異常の頻度が報告11)されている。また、表5には無精子症患者の染色体異常
の頻度を示したが、その13.7%に染色体異常が認められている11)。今日、無精子症患
者であっても、その一部では精巣上体(Micro-epididymal sperm aspiration:MESAと
呼ばれる技術を用いる)や精巣(Testicular sperm aspiration:TESAと呼ばれる技術を
用いる)から採取した精子によるICSIも可能になっているから、この数値もICSIと無
関係とは言い切れないのである。また、乏精子症で増加する染色体異常は、性染色体
異常とは限らず常染色体異常も増加する12-14)。
さらに高度の乏精子症患者や無精子症患者のY染色体長腕上(Yq11)には
AZF(AZoospermia Factor)と呼ばれる遺伝子の異常があることが知られている。
AZFa、AZFb(YRRM:Y-chromosome RNA recognition motif)、 AZFc(DAZ:Deleted in
AZoospermia)などが報告されているが、これらは精子の成熟に必要な遺伝子の異常と
され、高度の乏精子症(<5X106/ml)、非閉塞性の無精子症の3-30%に認められると言う
15-18)。これらの異常な遺伝子は父親から男児へと引き継がれていくことになる。
胚の人工的操作そのものに起因する先天異常
ICSIを中心に触れる。精子を卵細胞質内に注入するこの方法(一般的な体外受精と
比較してinvasive IVFとも呼ばれる)では、一般的な体外受精(conventional IVF)に
加えて、以下のような問題点が指摘されている。
第一は、透明帯に対する機械的損傷による問題である。卵細胞質は周囲を透明帯
zona pellucidaで取り囲まれているが、この透明帯には、(1)精子のacrosome
reactionの誘発、(2)多精子受精防御、(3)blastomereの拡散防止、(4)embryoの保護、(5)
卵管内の通過に必要などの役割があるとされる。ICSIでは、この透明帯をガラス管で
穿刺し機械的な損傷を加えることになるが、実験動物ではICSIによってmonoamniotic
twinが増加することが報告されている19)。 また、ヒトでも143のZonaを操作した妊
娠のうち23例(16.1%)が多胎で、このうち4例がmonoamniotic twinであったとする報
告がある20)。透明帯によって守られた内細胞塊innner cell massの緻密さが破壊さ
れるために、monozygotic twinが増加するとする説明が成り立つ。また、
monoamniotic twinは、先天異常との関係が知られているのである。
第二は、減数分裂紡錘糸(meiotic spindle、つまりcytoskeletal structure)への
影響である21)。これを回避するために、ICSIでは、極体(polar body、紡錘糸は
極体のすぐ近くの卵細胞質内にあるはずである。極体は通常の光学顕微鏡で観察でき
るが、紡錘糸は偏光顕微鏡を使わなければ観察できないので、極体を目印にする)を
穿刺部位から90度直角の方向におくが、それでも紡錘糸が、pipettingによって極体
の位置から離れてしまう可能性が指摘されている22)。
第三は、微量とはいえ培養液が精子とともに卵細胞質内に注入される。培養液のカ
ルシウム濃度は高くこれがどんな作用をするかは判っていない。
淘汰の障害に起因する先天異常
顕微受精では、1個の精子を選択して卵細胞質内に注入する。形態的に明らかに異
常な精子が注入されることはないが、形態的に異常な精子であっても、ICSIによって
受精する能力はあることが知られている23)。
ICSIの最大の問題は、この淘汰の障害に起因する先天異常が生じるか否かである。
つまり、自然妊娠では数億個の精子の中から1個が選ばれるという厳しい淘汰の垣根
が存在するが、ICSIでは人為的に精子を選択することによってその垣根が取り払われ
ることになる。妊孕性のある健康な男児の精子には10%前後の染色体異常があるとさ
れるが、これを位相差顕微鏡下に形態的に判別することは不可能である。
また、夫に性染色体異常がある場合に、異常な精子が含まれる可能性が高くなるこ
とが考えられるが、染色体異常がなくてもICSI後の妊娠では性染色体異常の頻度が増
加することが知られている1)。夫の染色体検査は末梢血で行われるが、生殖細胞を
含む細胞にモザイクがあり、それが乏精子症の原因になっている可能性も考えられ
る。
いずれにしても、乏精子症で末梢血の染色体分析を行い正常であったからといっ
て、胎児に異常が起こることが少ないとは言えないことを理解しておく必要がある。
必要なインフォームド・コンセント
体外受精やICSIはまさに先端医療である。すべての医療には、その恩恵を受けるも
のと受けることによって副作用の方が大きく出るものがいる。確立された医療とは、
このバランスがある程度解明されているものと言えるだろう。しかし、先端医療では
そのバランス自体が未解明である。これが、一般の医療にもまして十分なインフォー
ムド・コンセントを必要とする理由である。
また、ICSIで問題になっている性染色体異常に関しては最新の情報を提供する必要
がある。染色体異常が即、精神発達遅滞や社会的適応の障害(社会が適応を阻害して
いる側面を含んでいる)にはつながらないことを医療従事者としても理解しておく必
要がある。特に47,XXYや47,XYYについては染色体異常という言葉だけで、精神発達遅
滞がある、犯罪に関係しやすい、奇形を生じやすいといった誤った知識を教えてはな
らない。この中には全く根拠のないものもあるし、化石のように古くなってしまった
知識もある24,25)。不妊治療後の妊娠で高齢のために行うかも知れない羊水検
査でのダウン症に関する説明でも同じことが言える。常に最新の知識を入手する努力
をすべきで、必要があれば速やかに専門医に紹介をした方がよい場合も多い。
残された問題-生命選択への疑問
本論文で主として触れたのは、ICSIをやってみたらどうも染色体異常が増えるらし
い、あるいは遺伝子異常が増えるらしいというある意味でICSIの結果としての問題で
あるが、それ以外に、染色体異常や遺伝子異常が原因で不妊の症例に対し積極的に
ICSIを実施して挙児の機会を作ろうとする試みがある26-30)。
このほか、親がもつ遺伝的な負荷が子宮内の胎児に引き継がれる可能性はないが、
ターナー症候群の婦人が卵子の提供を受けて挙児を試みる報告31,32)もなされている。
代理母では卵の提供者の遺伝的負荷は胎児へと引き継がれることになるが、先天的に
子宮と腟が欠損した婦人から卵を採取し、代理母から児の出産が報告されている。34
名の出産が報告されており、うち半数が女児であったが性器の奇形はなかったと言う
33)。
一方、ICSIで得られた受精卵から、着床前診断によって異数体卵を除外して胚移植
を行う試みがある34,35)。
こうした試みは、先天異常があって、かつそれが原因の不妊に悩むカップルにとっ
て福音であることは間違いがない。しかし一方、体外受精やICSIでいわば"人為的に"
作りだした生命を絨毛検査や羊水検査、あるいは着床前診断で選別することが、本当
に許されることなのか、自分自身では結論が出せないでいる。
こうした方法を選択する患者に、罪悪感を抱かせたり追いつめることは間違いであ
る。しかし、少なくともARTを始める前に、そうした問題が生じるかも知れないこと
は、カップルとよく話し合っておかなければならない。
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