後藤 雅博
ごとう まさひろ
last update:20210204
■著書
■論文
◆後藤雅博,2010,「〈リカバリー〉と〈リカバリー概念〉」『精神科臨床サービス』10(4):440-445.
pp. 440-441
【抄録】安易に専門家がリカバリーを要求する危険性について言及した(p.440)。筆者は「リカバリー」は当事者が行うことであり、「リカバリー概念」は専門家、援助者も共有できる抽象化されたものと考えている。だから、「混乱」は、<リカバリー>にあるのではなく、<リカバリー概念>にある。いわば、専門家がリカバリーをどう考えるかという時に混乱があるにすぎない。「生きられる経験」としてのリカバリーについては、たとえば、ある当事者の生き方がリカバリーで歩かないか、などということを専門家が論議するのは僭越であろう(p.441)。
p. 443
現在べてるの家の実践が日本的な<リカバリー>の表現であろうということを精神科リハビリテーションに関わる人の多くが語っている。けれども、べてるの人々は声高にリカバリーを提唱しているわけではない。彼らは積極的に「リカバリー論」をいわない。それは当然のことと思える。「リカバリー」は彼らの言葉ではないからである。べてるでは、「人生の回復」「失われた夢の回復」いわゆる<リカバリー概念>のspiritual、実存的な部分が、「苦労を取り戻す」「治さないでください」「病気になってよかった」あるいは「幻覚妄想大賞」など、個人的でオリジナルな言葉により表現され、それがさらに共同体の中で公共化されるというプロセスがある。
p. 444
日本の精神科リハビリテーションの大勢はまだ段階的なモデルに準拠している。また、リハビリテーションや治療の目標を「個人の希望に沿って」とはいうものの,その目標はいまだに専門家の文脈、治療という文脈で決めることが多いという状況がある。
◆後藤雅博,2003,「リカバリー、ノーマライゼーション、エンパワメント――心理社会的介入の鍵概念」『精神科臨床サービス』3(1):18−22.
p.
リカバリーは「当事者が行う、障害を受け止め克服する、生きた人生経験であり、不断に行われ体験される環境との相互作用の主観的経験の中にある」ので、専門家がリハビリテーションの目標としてリカバリーを掲げることはできないだろうし、 ※。後藤は「リカバリー概念」を「1990年代のアメリカにおける精神科リハビリテーションの鍵概念」(後藤2003:18)だと述べている。
*作成:伊東香純