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◆立岩 真也 2022/12/05- 「寄付お願い・提案」
http://www.arsvi.com/ts/20220023.htm
◆立岩 真也 2020/11/11 「私たちはそういうことにあまり慣れてないのだが」,DPI日本会議,ご寄付、ご支援について
★06 もっと進めれば(動物的な)生全般に否定的になることがあるだろう。
「じっさい徹底したべジタリアンが動物的な生に向ける敵意はじつに深い。彼らが心底満足する唯一の方法は、地上のあらゆる動物的な生を消滅させることだろう――それはすべての苦痛とすべての捕食を根絶する唯一の解決策である。大半のべジタリアンは悪びれもせず、そんな企みなどないと抗弁するは△129 ずだ。だがある意味、こうした態度が状況をいっそう悪化させるように思える。彼らは潜在的には自らのやり方が無益で根拠を欠くことに気づいているからだ。だとすれば、途半端にしか達成されない倫理的な計画に意味などあるのだろうか?」(Lestel[2011=2020:75])
★07 註06に引用した部分の次の節は「進化について」で、その冒頭は以下。「苦しみも残酷さも利害間の絶えざる対立も存在しないウォルト・ディズニーの魅惑の世界に生きたいと願うことは、少し大人になれば諦めるはずの子どもの夢である。ラドヤード・キプリング式のジャングルの掟という古の世界観をきっぱり捨て去ったからといって、進化の理論とミッキーの世界が両立するわけでは決してない。」(Lestel[2011=2020:75])
この後いささかまわりくどい記述によって、しかし基本的に進化論が肯定される。なお私たちは、事実の記述としての進化を否定しているわけではない。進化がよいので、進化のために動物が殺して食べたりすることがよい、という論を支持しないということだ。私たちは、人種差別主義者的に言うと、このフランスの人と同じ考えではない。
★08 「より普遍的に言えば、ベジタリアンが拒んでいるのは、現実世界が本質的に闘いの世界であり、たがいの基本的利害は一致するどころかむしろ衝突するとの認識である。だがある生物にとっての食われないという利益が、その捕食者の食うという利益につねに勝っていると言えるだろうか。」(Lestel[2011=2020:61])
「動物が個々のレベルで自分の苦痛を最小限にしたがるとしても、普遍的に見ればその動物にとって苦痛は何らかの意味を持つかもしれない。じっさい、あらゆる苦痛を排除した世界の本当の意味について考えてみなければならないだろう。そんな世界は端的に言って耐えがたく、さらに痛ましく不毛であるはずだ。われわれの理性はふだんこうした問いには閉じられている。なぜならわれわれは願望を現実と取り違え、善意は完全に無償だと言わんばかりに、有益だと信じ込む行為の代償のことは考えない傾向△130 があるからだ。」(Lestel[2011=2020:70-71])
私はこのようには言わない。それは註07に述べたことにも関わる。
○Lestel, Dominique 2011 Apologie du carnivore, Fayard=2020 大辻都訳『肉食の哲学』,左右社
生存学研究センターのフェイスブックにあるこの文章と同じものは
http://www.arsvi.com/ts/20222848.htm
にもある。