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「天畠大輔の本に「誰の?は…」」・08

「身体の現代」計画補足・808

立岩 真也 2022
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/3163559510577681

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天畠大輔『しゃべれない生き方とは何か』表紙

 私の勤め先の大学院で博士号をとったりした人たちが出した本におまけのようなものを幾つか書いてきた。
立岩が関係した博士論文:http://www.arsvi.com/ts/dt.htm(現在整理中)
 それを紹介していきます。これまで5冊を途中まで。6冊めがつい最近出版された
天畠大輔『しゃべれない生き方とは何か』,生活書院
 天畠:http://www.arsvi.com/w/td01.htm
 そこに書かせてもらったのが
◆「誰の?はどんな時に要り用なのか(不要なのか)」
 それを分載していく。その第8回。

 言いたいことはまず以上だ。協働と呼ばれるような営みがある。自分の仕事を介助してもらうことがある。両者は地続きに連続している。そうしたなかで「誰が?」が、なぜ、どのように問われるかは、その行ないが行われている場による。どうでもよい場合もある。なされさえすればよく、誰が、はどうでもよいという場合だ。しかし、そうもいかない場合がある。それにも幾つかある。自分が生活するに際して介助を得るといった場面、なんらかの主張をもって社会に訴えるという社会運動の場面、いずれも、「誰が?」がどうでもよいということにはならないが、同時に、委ねてしまってもよいところがある。いま引用した文章の「★15」とあるのは註で、「介助者手足論」にふれている。その「論」にも少なくともこの二つの契機があるのにそこがこんがらがっているから、分けて考えようと思ってきて、そのこと等を言っている。そして私の考えは、介助に関わっては、『介助の仕事』(2021、筑摩書房)の第8章「へんな穴に落ちない」、そして介助に加えて運動については、青木千帆子・瀬山紀子・立岩真也・田中恵美子・土屋葉『往き還り繋ぐ――障害者運動於&発福島の50年』(2019、生活書院)で私が担当した第6章「分かれた道を引き返し進む」の第2節「つきあい方について」に記した。だいたいそれに尽きると思う。


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◆立岩 真也 2022/**/** 『人命の特別を言わず*言う』,筑摩書房
◆立岩 真也 2021/03/10 『介助の仕事――街で暮らす/を支える』,ちくま新書,筑摩書房,238p.
◆立岩 真也 2020/11/11 「私たちはそういうことにあまり慣れてないのだが」DPI日本会議,ご寄付、ご支援について


 生存学研究センターのフェイスブックにあるこの文章と同じものは
http://www.arsvi.com/ts/20222808.htm
にもある。


UP:2022 REV:
博士号取得者  ◇立命館大学大学院先端総合学術研究科  ◇生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築  ◇『介助の仕事――街で暮らす/を支える』  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
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