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ぬるい八〇年代と線を画する

「身体の現代」計画補足・643

立岩 真也 2019
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/2461964277403878

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青木千帆子・瀬山紀子・立岩真也・田中恵美子・土屋葉『往き還り繋ぐ――障害者運動於&発福島の50年』表紙   『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 第3版』表紙

[表紙写真クリックで紹介頁へ]

 現在発売中の『現代思想』10月号に
◆2019/10/01 「高橋修・下――『弱くある自由へ』第二版に・3」
 『現代思想』47-13(2019-10):215-231
http://www.arsvi.com/ts/20190156.htm
を載せてもらっている。そこで 青木千帆子・瀬山紀子・立岩真也・田中恵美子・土屋葉『往き還り繋ぐ――障害者運動於&発福島の50年』(生活書院)
http://www.arsvi.com/b2010/1909ac.htm
第6章「分かれた道を引き返し進む」の紹介もしている。

◇「分かれた道を引き返し進む・1――「身体の現代」計画補足・638」
 http://www.arsvi.com/ts/20192638.htm
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/2416701668596806
◇「分かれた道を引き返し進む・2――「身体の現代」計画補足・640」
 http://www.arsvi.com/ts/20192640.htm
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/2428309544102685
「分かれた道を引き返し進む・3――「身体の現代」計画補足・642」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/2461918707408435


 「■ぬるい八〇年代と線を画する
 『弱くある自由へ』の第二版に加える部分をここに書いている。その本は二〇〇〇年に出された。運動の歴史・展開、そこに作られた仕組みについては現在第三版になっている『生の技法』に書いたが、とくに介助・介護を巡る理論的な主題については『弱く』全体の五分の二ほどの分量を占める「遠離・遭遇――介助について」に記した。それは「ケア」を語りたい人たちにも、他方で今ある仕組みをはなから所与にして制度を言う人たちにも、よくわからないものであったのだろうが、他の「自己決定」がどうだとか「先端技術」がどうだといったことを書いたその本の他の章に比しても意義のあるものだったと筆者は思っている。そしてそれは、七〇年代を継いで、八〇年代以降の運動・政策そして社会をどう見るかに関わっている。その章のもとは本誌二〇〇〇年の三月号から六月号に書いた四回分だった。そしてその前年亡くなった人に高橋修(一九四八〜一九九九)がいて、あとがきには「捧げるならその人に」と記されている。以前から高橋について書こうと思っていて、それを加えて第2版にすることにしたという次第だ。
 そして、ある人の思考・行動から社会と運動が辿った道を確認するという文章をもう一つ九月に出た本に収録した。白石清春(一九五〇〜)の一九八〇年代について書いた「分かれた道を引き返し進む」(立岩[201909b])だ。各所で「福島本」と称してきた(今でもそう呼んでいる)その本の題は、ずいぶん難儀した末、『往き還り繋ぐ』(青木他[2019])というよくわからないものになった。評判が悪いのだが、それでも無理やりそれにしてもらった。難儀したのは、「母よ!殺すな」といった類いの直截なメッセージで括れないところがあったからだ。
 告発は暗く重いが、しかし、言い放つことによって、じつはすこし明るく軽くもなれる。多くの人たちが、そして白石も橋本広芳も(土屋[2019a:29-30]、田中[2019:93-94])『さようならCP』(一九七二)にびっくりしたという――私が観たのは、ずっと後、原一男監督を呼んで話してもらった二〇一六年のことで、周囲に呆れられた。比べて、その後の時期の運動には華々しい荒々しいところがなくてつまらないという受け止め方は、わからないではないが、やはりだめだと、むしろそれこそがつまらないと私は思う。むしろ私たちがどのように捉えて言えるかだ。いろいろと多様になりました、地域での地道な運動になっていきました、センター・事業・プログラム…が普及していきました、といったこと以上・以外のことを言えると思うが、それを言おうとすれば、よく考える必要もあるし、また調べる必要もある。それを私は捉え書きたいと思ってきた。二〇〇〇年の文章もそういうものだ。しかしあまり伝わっていない。だから新たにまた再び、加えようということでもある。
 白石についての章他でも繰り返したが、とくにこの社会は能力によって編成されているから、非・能力者〜障害者はこの体制ではいいめに会わない。腹が立つから、その社会を否定し、逃げ出したいところだ。だが、食べていかねぱならないし、介助がいる人は介助を得ねばならない。(やせ)がまんするという手をとれる人はまだよいが、できない人もいる。嫌いな人たちと別れて暮らすという合理主義――孤立主義は、可能であれば、合理的である――を貫くことができない。付き合わざるを得ないし、取ってこざるをえないそれは、主張するだけ主張して、それが実現しなくてもじつはさして困らない運動と違う。そのような気楽な運動の方が楽しいかもしれないが、仕方がない。どのようにするか、どのように考えるか。それをこの社会をどのように捉え、どのように介入していくかということだから、本人たちは辛くとも社会(科)学的にはおもしろい。
 そして、批判・否定と交渉・妥協・獲得の間をどのように振れるかは種々の事情により変わる。七〇年代のしばらくは、否定し批判することがよいことだとされた。それがその後しかじか、という推移もあった。そして八〇年代から九〇年代は、いくらかは「福祉」が拡張していった時期だ。年金改革の流れに乗って障害基礎年金が実現する(八五年)。介護保険が構想され実現する(二〇〇〇年)。そしてそれに乗った人たちもいた。やがては私も高齢者になるのだから互いに助け合ってという、またかつての「左」の性癖が国家に依存しないという方角に行って、「共助」が言われる。どこまでが仕方なくでどこからが本気だったか、それは様々だが、それに乗った人たちがいた。さらに、自分で稼いで払うというのとは異なる屈折した「自助」〜「責任」を言う人たちもいた。それでよいか。
 福島本で私が書いたのは、白石たちがいったんそれに乗ったが、まずいと思って引き返したこと、そしてそれは正しかったということだ。そしてこの時期、正面からまっとうなことを言って――具体的には年金による所得保障という主張を――批判しているのは新田勲だ。前回私は、根性のないただの障害者に制度利用を拡張していくことに積極的でなかった新田と別の立場をとると述べ、別の立場をとった側を支持してきたことを述べたが、ここでは新田は正しい――そのぐらいにはことはややこしいのだ。」


 生存学研究センターのフェイスブックにあるこの文章と同じものは
http://www.arsvi.com/ts/20192643.htm
にもある。


UP:2019 REV:
生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築  ◇『往き還り繋ぐ――障害者運動於&発福島の50年』  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇病者障害者運動史研究 
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