もう「榊原賢二郎『社会的包摂と身体』――連載・144」が掲載されている『現代思想』4月号
http://www.arsvi.com/m/gs2018.htm#04
が発売になっているのだが、2月号掲載の
◆2018/02/01「社会科学する(←星加良司『障害とは何か』の3)――連載・142」,『現代思想』46-(2018-02):-
http://www.arsvi.com/ts/20180142.htm
から分載を続けている。この回の目次は
□大きな話は終わっていない
□社会(科)学は
□ただ一つひとつ応ずればよいではないか
□嘘を言うから「障害」が要ると言われる
稲場・立岩[2008]は『流儀』
http://www.arsvi.com/b2000/0811im.htm
Pogge[2008=2010]は『なぜ遠くの貧しい人への義務があるのか――世界的貧困と人権』
http://www.arsvi.com/b2000/0800pt.htm
[201804]は『人間の条件 第2版』
http://www.arsvi.com/ts/2018b1.htm
「□ただ一つひとつ応ずればよいではないか
[…]
次に、一つひとつにいちいち対応していった場合に――その対応が実際に実現した場合にだが――問題が生ずるかである。全体が大切であることを認めたうえでのことだが、個別の環境の整備や個別の社会サービスは、基本的に個別の、その場で必要とされているものにしか対応しない。ある日時の介助はその日時の必要のためになされる。ある駅舎の改善はその駅を利用するにあたっての環境整備として整備される。ただそれでよい、それらがつなぎめなく配置されればそれでよいのではないか。個々に生ずる問題を個々につぶしていけば、問題は大きく堆積して重なっていくことはないだろう。一つひとつに対応していければそれですむように思われる。
たしかに不利益が溜まり固まっている人もいる。そうでない人もいる。そのことを星加は問題にしている。まず問題になってすべきことは生活のための環境その他である。膨れ上がっているという状態が大切でないと言うのではない。それはきっと大切である。ただ、一つの不利益があるというだけで、既に不当であり、対応すればよい。それが実現すればそれで問題は生じない。それが履行されず、不利益が重なりあい膨れ上がるのであれば、なおさら不当であるとした方がよいではないか★06。優先順位を仕方なくつけねばならない場合、深刻度は指標にはなるだろう。しかし、些細な不便であってもまずはそれを無視しないことにする。(障害者である)老人もさきは短いかもしれないが、まずは介助を得られてよいとする★07。」
「★06 Pogge[2008=2010]に付した[201003]、インタビュー集『生存権』(立岩・岡本・尾藤[2009])中の「「目指すは最低限度」じゃないでしょう?」([200903]、[201804]に収録予定)。
「高く言う人」も必要であり、悲しい歌を歌う人も必要だということである。「大きく出る人」が一方にいて初めて、現実的なところで手を打ってよいと交渉する人・組織が機能する、両方が必要なのだと稲場(アフリカ日本協議会)は言う(稲場・立岩[2008])。二枚舌であると言われるかもしれないが、その二枚や三枚がどのような関係になっているのか、こちら側で整理できていれば問題ない。
★07 [200810]の1「何が起こってきたのか?」に「高齢者の制度vs.障害者の制度」。「基本的な方向ははっきりしている。高齢者用に今ある制度によってすべてをくるんでしまうのではなく、もっとまともな制度を実現させることであり、その実現の道筋を構想することである。しかしそれが困難に思える。高齢者も対象者に含めたいまの制度よりもまともな制度となると、利用者の数が少ない間はよかったとして、もっとたいへんなことになるのではないか。そんな重さがあたりを覆っている。たいそうなことのように思える。しかしそうでもないというのが本章で言いたいことだ」。」
生存学研究センターのフェイスブックにあるこの文章と同じものは
http://www.arsvi.com/ts/20182491.htm
にもある。