◆2018/02/01「社会科学する(←星加良司『障害とは何か』の3)――連載・142」,『現代思想』46-(2018-02):-
http://www.arsvi.com/ts/20180142.htm
より。目次は
□大きな話は終わっていない
□社会(科)学は
□ただ一つひとつ応ずればよいではないか
□嘘を言うから「障害」が要ると言われる
「□ただ一つひとつ応ずればよいではないか
[…]
だが、普通に考えると次のようになるはずだ。一つ、この社会において大きな位置を占めるのは――「(狭義の)障害」であるというよりはまず――「できないこと」「非能力」であり、そのことに関わる不利益はたしかに大きい。そして大変であること(不利益が大きいこと)にはもちろん理由がある。この社会において能力が大きな位置を占め、価値づけられ、実生活に影響するからである。
次にもちろん、できなさに関わる不利にも大きい場合とそうでない場合とがある。いくらかの非能力は大きく作用する。だがそれほどではない場合もたくさんある。そしてその大変である/さほどでない、と、「狭義の障害」がある/ないはきちんとは対応していない。「狭義の障害」があっても、その障害〜できなさが、この社会であまり重視されていないものであるために、さほどの不利益のない場合もある。また、たいへんであるものの中にはすくなくとも現在「障害」とされていないものがある。身体に「徴」がある人――「狭義の障害者」――だけが不利なわけではない。不利益が「堆積」(複層化)していく人たちも「狭義の障害者」に限られるわけではない。よって、星加の論に沿ったときも、特別な対処を求められるのも「狭義の障害者」だけではないということになるはずである。
以上を確認して次に集中・蓄積について。前回、集中(とくに不利益の複層化)が考慮されるべきだとされたものが二つあることを見た。一つは就労。「障害者」には(職を得られないことで)不利益が集中する(堆積していく)のだから、当該の職務について同じ能力(できる度合い)がある場合には、「障害者」を優先して雇用してよいと主張される――それを受けて今回の原稿の冒頭部分があり、さらに次回検討する。もう一つが介助(介護)。(高齢でない)障害者は(障害を有する)老人よりも不利益が堆積していくので、より十分な介助を得られてよいという主張だった。前回検討を始めた。気持ちはわかるがそういうことでよいのかと問うた。こうして論は所得保障・社会サービスの提供に関わる部分と、労働、雇用に関わる部分に分かれる。つまり以下考えることは、今回冒頭に述べた社会編成の基本的な主題に関わっている。また「障害」を取り出すあるいは前提するという所作について考えることにもなる。
より大きな困難を抱えている人を優先的せよというのは、多くの社会において正しいとされる倫理だろう。平等の主張にしてもそんなところがある。よりたくさん貧しい人に対してはより多くが与えられ補われてよいというのである。また、人は幸せな方がよいとして、なにか一つについてというより全体として幸福であることがよいこともまた認められるだろう。
だがまず一つ、[続く]」
生存学研究センターのフェイスブックにあるこの文章と同じものは
http://www.arsvi.com/ts/20182488.htm
にもある。