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「自動的な給付、自己申告に基づいた給付が妥当でありまた可能であることを述べてきた(立岩・堀田[201206]他)」と記しているその本は、『差異と平等』(立岩真也・堀田義太郎)
http://www.arsvi.com/ts/2012b1.htm
「不如意なのに/だから語ること」分載の5回め。
「エスノグラフィ――質的調査の現在」が『現代思想』11月号の特集。
http://www.arsvi.com/m/gs2017.htm#11
https:/twitter.com/ShinyaTateiwa
などでも紹介している。
拙稿はそれとは別の連載(第139回)。
http://www.arsvi.com/ts/20170139.htm
以前書いた部分に加え、9月号からの部分をつなげて来年まとめて本にしようというものだが、特集にもいくらか関係はある、と思っている。それを分載していくが、一部しか載せられない。『現代思想』買ってください。
「■表わすこと
[…]
それでも、語り示すことによって得られるものの方が大きいのなら、苦痛を言うことを巡る苦痛を減らす工夫をしながら、言うことができるようにすること、それを妨げないことが求められる。
ただ、そうして示すことが本来不要である場合、不要であると考えることができる場合がある。痛いので働けない時、そのことを認められるために、また休む間の給付を受けとるために、痛いことを証明せねばならないとされる。しかし、その証明をすることなく、休んだり給付を受けたりすることは不可能なことではない。
するとそれでは虚偽の申請・受給を妨げることができないと言われる。それにはもっともな部分があり完全には否定できない。「ミーンズテスト」全般を否定する立場に私は立たず、そのテストが「屈辱的」であるからそれを行なわず一律給付の「ベーシックインカム」がよいという主張に与しない。世間に広く知られるのでないかたちでの申告は可能であり、さらに社会において収入が少ないことが屈辱的であるとしてしまうことの方が間違っている(cf.立岩・齊藤[201004]等)。ただこれらをわかった上でなお、不要なものは不要である。自動的な給付、自己申告に基づいた給付が妥当でありまた可能であることを述べてきた(立岩・堀田[201206]他)。」
生存学研究センターのフェイスブックにあるこの文章と同じものは
http://www.arsvi.com/ts/20172435.htm
にもある。