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私(たち)が1980年代後半から一番多く話を聞いた人、高橋修さん
http://www.arsvi.com/w/to01.htm
についての第6回。
◆2001/05/01 「高橋修――引けないな。引いたら、自分は何のために、一九八一年から」,全国自立生活センター協議会編『自立生活運動と障害文化』,現代書館,pp.249-262
◆2015/03/29 「『愛知の障害者運動』出版によせて」
愛知大学文学会 障害学研究会ワークショップ『愛知の障害者運動・小史――実践者たちの声』出版によせて,於:愛知大学車道キャンパス13F(名古屋市東区)、のために作ったメモ
http://www.arsvi.com/ts/20150329.htm
より。メモの本文読んでください。
「★01 私が今まででいちばん熱心に書いたのは(「共同連」大会の開催にも関わったことのある)高橋修[…]についての文章「高橋修――引けないな。引いたら、自分は何のために、一九八一年から」(立岩[2001/05/01])であったかもしれない。私は高橋を尊敬してきたし、今もしている。だからこそそこから何を言えるかと思って書いた。横塚晃一の本の「解説」(立岩[2007/09/10])もそうだった――ただそれは、かなり難しく、苦労した。そして、この二人(に吉田おさみを加えて、前世紀の三人、にしてしまうこともある。尊敬するから自分で書くということがある。いやそんな(=自分で考えるなんて)ことは後の後にして、まだ話が聞けるなら、聞くこと、聞くときに言葉を挟むことはできる。たしかに「考察する」のは本書の目的ではないのだろう。ならば、相手は生きているのだから、聞くことはできる。私が横塚や吉田を知るようになった時、その人たちはもう生きていなかった。(高橋には三度のインタビューの記録があった。)
※本書から得た新規の知識はまず山田さんの「受傷」のことだった。昨年宮崎でやはり、海で…という人に会ったりもしたもので…。」
なお、生存学研究センターのフェイスブックに(も)載っているこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20172386.htm
に(も)あって、リンクはその方が多いです。