繰り返し以下のようなお願いをフェイスブックやツィッターでしていたら、御教示いただいたことがある。このことについては別にお知らせします。
高野岳志(1957〜1984)の他、山田富也(1952〜2010)、渡辺正直(1954〜2012)、石川正一(1955〜1978)、福嶋あき江(1958〜1989)といった人たちについて書こうとしている。ただ手許にある情報はわずかだ。なにかお持ちの方、ください。知っている方、知らせてください。
『現代思想』2017年5月号の特集は「障害者――思想と実践」。目次、そして一部の執筆者についての頁へのリンクは
http://www.arsvi.com/m/gs2017.htm#05
にあり。そこからすぐに注文もできる。
私が書いているのは特集とは別の連載第133回「高野岳志/以前――生の現代のために・21」。
http://www.arsvi.com/ts/20170133.htm
には文献表があり、そこから文献の全体などへのリンクがある。
フェイスブックに載せているこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20172362.htm
にもある。
「■映画『車椅子の眼』(一九七一)
[…]
そしてこの映画で山田富也はカメラに唾を吐きかける青年として現れる。それは鈴木一誌が柳沢の映画について語る講演では次のように語られる。
「『僕のなかの夜と朝』に、病とともにある青年が嫌悪感をあらわにキャメラに唾を吐きかけるシーンがあります。衝撃的なシーンですが、ふつうはNGにするのではないでしょうか。映像は決して客観的でも中立的でもない。柳沢監督は、観察者としての限界を露呈させるためにこのシーンを残したのではないか。」(鈴木[2012])
映画を評論する人はきっとこのように言うだろうと私たちは思う。そして、後の山田自身の怒りを聞いたうえでも、このような態度は映画や写真を撮る者の姿勢としてあるだろうと思う。山田自身は、映画の作品名を示さず、しかしこの映画について、次のように記す。
「私が入院生活をしていた頃、筋ジス患者のドキュメント映画を作りたいという映画制作者が現れた。私たちは当然被写体として写される側にあったが、その映画を制作する監督は、患者の皆さんと共に作る映画にしていこうと約束をし、編集する前のラッシュも時々観せてくれた。/しかし、撮影が進むにつれて患者の意見は全く反映されず一人歩きをするようになっていった。私たちは映画制作に対して異議を唱えた。それでもずかずかと私たちの生活に踏み込んでフイルムはまわされていった。
ある時撮影を拒否している私にカメラが向けられ、おかまいなしにフイルムがまわされた。手も足も出せない私たち筋ジス患者にとって撮影を止めさせる手段はない。どうしようもない感情のたかまりから私はカメラに向かってツバを吐いて抵抗した。完成した映画にはそのシーンが残っていた。/何が原因だったかは忘れたが、幼い頃ツバを吐きかけて、母に強く注意されたことがある。/その様子が永遠にフイルムに残るなんて、私にとっては屈辱的なものでしかなかった。」(山田[1990:77-78])★05
そんなことがあって山田は別の映画を自分で制作しようと思う。その映画『車椅子の青春』は七七年にできあがる。その年その上映会を高野は千葉で企画し行なった。その時の実行委員会が、高野の「自立」を支援する組織になっていくことについても後述する。
★05 別の本では寛仁親王の質問に答えて次のように話している。
「一番最初に僕が手がけたのは、全国の患者から集めた遺稿集とか、詩集の『車椅子の青春』なんだけれども、それは単純明快、僕の仲間の声を詩集にしようということです。次が映画の『車椅子の青春』で、映画をつくって筋ジスを理解してもらいたいということが第一で、それと患者自身で映画をつくりたいという思いがあった。
なぜかというと、僕らはいつも撮られる側で、自分たちで映画を作る何年か前に西多賀病院にいた時に『ほくの中の夜と朝』という、僕らを撮りにきた映画があった。被写体になる患者も一緒になってつくろうという映画だったんだけれども、結局は監督やらカメラマンが自分たちの思いだけで動かすわけです。それで僕が怒って喧嘩になったことがある。そんなこともあって、映画というのは自分でつくらなければいけないなという思いと、実はそのとき僕が大好きでたまらなかった保母さんがカメラマンと結婚していなくなってしまったことがあるんです。「いつかは見返してやるぞ。こついよりいいカメラマンを使って、いい映画を絶対つくるぞ」という思いも半分あった(笑)。現に『車椅子の青春』は『キネマ旬報』に載ったり、一九七八年の赤十字映画祭で長編部門最優秀賞をもらったりしたから、ほら見たことかという気持ちも内心ありました。とはいうものの、根底はあくまで筋ジスの実態を知らしめていくんだということです。それが映画です。」(山田他[1995:67-68] )」