3月12日、豊中で話をしてきた。その時に配布したのは
http://www.arsvi.com/ts/20170312.htm
だが、これをみても何を話したかはわからない。『相模原障害者殺傷事件』
http://www.arsvi.com/ts/2017b1.htm
第1部の章立てに沿っていくつか話をしたが、一つは、国立療養所にずっと長くいる人たちがたくさんいて、ずっとそこにいたいわけでない人たちがたくさんいること。差別解消とか言って差別事例とかを探しにいくというその手前で、こういう現実がずっと続いていること。しかしどうにもならないわけではないこと。
昨年だったか知り合った人に古込さん
http://www.arsvi.com/w/fk03.htm
という人がいて、いま長年暮らした病院を出る算段をしている。その人のことも少し話した。
今度金沢で、金沢大学地域創造学類主催の講演会で、話をすることになった。
http://www.arsvi.com/ts/20170324.htm
その時にも――本人および関係者は同日、同時間帯、退院のための会議をやっているのだが――その話をすこししようと思く。[続く]
※このところずっと『現代思想』連載の分載を続けているが、その間にいろいろとあったり話したりあるいは書いたり。それで、そんなことも書いていく。ただ、上(近況報告?)・下(『現代思想』)、関係はなくはない。かなりある。
◇ ◇
『現代思想』3月号の特集は「社会学の未来」
http://www.arsvi.com/m/gs2017.htm#03
私の連載は第131回。「施設/脱施設/病院/脱病院――生の現代のために・19」。これを分載していく。これがその第6回。この第131回の目次・リンク付の文献表は
http://www.arsvi.com/ts/20170131.htm
フェイスブックに載せているこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20172327.htm
にもある。
「■かつて書いたこと残されたこと
[…]
私はそれは違うと考える。七〇年頃、この国では初めてに近く、強い言葉で施設が批判されたことは事実だ。ただ、その中にいた一人である横塚晃一は「我々の手で小さな施設を」という文章を書いているのでもある(横塚[1971])。また映画『さようならCP』の上映会レポート(横塚の本に収録されている)を書いている――「須佐での体験がもたらしたものは一体何であったのか? それは未だ言葉となり得ず、ただ渾沌と私の中に存在している。ただただあれがどうしようもない現実の健全者の姿なんだな、という思いである」(横塚[1975→2007:157])――青い芝の会神奈川県連合会の支援者であった室津滋樹は、やがて神奈川県でグループホームを始め――私たちは一九八〇年代後半にそこに聞き取りに行ったことがある――後にグループホーム学会の代表も務める。例えばそんなことをどう受け取るか、このようなことからどのように言っていくかだ。実際に批判した側もわりあい穏健なことを言っているではないかという話になるだろうか。また、批判した(する)側は施設を「全否定」したがそれは愚かであったといった落ちになるだろうか。そんなことではないと私は考える。言論と活動とを辿っていって、施策とその変遷を見ていくことで、そのことを示せると考えている。
■なかでも病院的なもの
[…]」