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小宅理沙については(データが古いが)
http://www.arsvi.com/w/kr04.htm
藤原信行については(やはりデータが古いが)
http://www.arsvi.com/w/fn01.htm
『生存学の企て』(生活書院、2016)
http://www.arsvi.com/b2010/1603rcav.htm
「補章」の再掲再開第5回(通算第32回)。
フェイスブックに載せているこの文章は
http://www.arsvi.com/ts/20172294.htm
にもある。
「■4 言葉にしていくこと
■日常を言葉にする&言葉でない世界を言葉にするのは難しい、が
[…]
■一つ見つけてくること
[…]
尖っている部分、波風の立っている部分を調べる方が、実際には楽だし、楽におもしろい結果を出せるとさきに述べた(p.19)。大きい争いや小さいいざこざがどこでも起こっている。それを無理に丸く収める方が難しいと思うのだが、そんな癖をどこかで身につけてしまっている人がいる。というより、それは人の性質の問題というより、むしろある種の業界・学界の問題だ。何十年もあるいはもっと長くどうにもなっていないことについて、16000字や20000字でなにか「展望」を示せると思うことの方が倒錯しているし、実際にそんなふうに書いてあるものの多くは、空疎である。まずは「ことに即する」ことだ。それでも、一つや二つ、なにかまとめ風に言えることはあるはずだ。そうやって雑誌論文の数を増やしながら――ここに出てくる研究科では査読に通った論文が3本以上あることが博士論文提出の条件になっている――一つについての全体を書いてみようということだ。
さきに藤原信行の調査がいかにもたいへんそうだと記したが、小宅理沙の博士論文「レイプで妊娠した被害者女性の産む・産まない――インタビュー調査から」(小宅[2010])は、何年間かに渡るインタビューに基づく。こうして、主題・相手が重いので、丸く収めるといったことがそもそも無理で、きれいにまとめるなといったことをわざわざ言う必要のないこともある。ただ、とくに「臨床系」は前向きであることが求められる。そのこと自体は当然のことであり、そのようなことを言いたいと思うのも当然のことである。言いたいことがあれば言えばよい。だがそのためにも、まずはその世界がどうなっているのかを書き出してみることだと思う。
谷口俊恵は、あとで(p.224)最後にまとめて紹介する「精神」の関係の研究者の一人で、大学に務め、ダルクの活動にもかかわりながら薬物依存症者の人たちのことを調べている(谷口[2016])。それを読むと、薬物の世界に馴染みのない人間には謎なことがたくさん出てくる。薬を「やめられない感じ」は結局は書きようがないものなのかもしれない。しかしそのことの周辺に起こっている様々について、その人はよく知っているのだから、もっともっとその世界を書くことができるはずだ。そうしてたくさん、さんざん書いていって、その果てに、明るいことを言いたいのであれば、言えると思うのであれば、書けばよい。」