経済学で言うところのいわゆる「情報の非対称性」が提供者と消費者の間になければ市場に任せてよいことがあります。しかし、薬などはそのように放置してよいものではない。そのため、ある程度、薬自体の効果も含めて消費者ではない第三者が評価することの必要性自体はあると思います。ただ評価するといってどんな基準で評価するかです。
イギリスのNICE(National Institute for Health and Care Excellence)の取り組みなどはここ10年で顕著になったものです。しかし、イギリスの医療を見てきた人は口をそろえて「とんでもなかった」って言いますよね。虫歯にも風邪を治すにも、金と時間がかかり、医療施設はボロボロだったと。イギリスでは、ニボルマブなどの先進的な高額薬を使うか使わないか、という問題よりはるか手前の段階でできないことばかりになっている。人工透析も年齢制限を設けています。それが患者に対してどれほどのことをもたらしているのか。悲惨なことが起きています。
費用対効果などの評価を導入することで、患者の将来に続く道をカットしてしまい、次に進めなくする仕組みというのは多くの人を暗くさせますし、将来を閉ざすことになります。ならば、高くても使えるという仕掛けを、どう工夫して実現していくかを考えたほうがいい。
国が薬価を定められる場合には、ある意味暴力的に価格を下げることができる。公定価格で統制していくか、特許権などの規制を緩和して二次的な自由競争を促すか。後者、最初に開発した会社が企業として維持できるような水準を維持しつつ、価格誘導していくこともできるはずです。前者でも、単年などの短い期間で価格を見直していくことはやっかいなことかもしれませんが、対応はできると思います。組み合わせてもよいし、他のやり方もあるでしょう。
その薬のコストによって、介護や他の医療サービスが阻害され、死亡者が出るということになれば非常事態です。しかし、高額な薬が登場しても、現在のところ医療サービスだけでなく食糧や他の生産業への影響はない。短期的に医療費が膨れ上がり、GDPの何十パーセントを占めてしまうという事態が起こり得るとしても、それは致命的な困難にはならないはずです。