『現代思想』(青土社)2016年1月号、特集「ポスト現代思想」は今売っている。
http://www.arsvi.com/m/gs2016.htm#01
そこに掲載された第119回「加害について少し」
http://www.arsvi.com/ts/20160119.htm
から7回め。
前回も前々回も「反保安処分闘争」
http://www.arsvi.com/d/h07.htm
「強制医療/保安処分/心神喪失者医療観察法/…」
http://www.arsvi.com/d/f01.htm
桐原尚之他作。(他に比べて)ずいぶん分量多い頁も紹介した。
今回のHP版は
http://www.arsvi.com/ts/20162107.htm
次の段落は前回にも引用した部分とまったく同じ。
「■やがて社会防衛が一部で否定される
[…]
ただ以上略述した事情によって、保安処分関係については、例外的にたくさんのことが書かれ、本も出ている。私が二冊の本に書いてきたようなことに比べると、多くのことはもう言われていて、私自身が加えるべきことを思いつかないということもあった★02。それでこれまで書かなかった/書けなかったということもある★03。
この社会に作られ維持されているとされる大枠からそれほど外に出ることはできないという感覚がある。それが書くことがないと思えてしまう第二の理由である。さらに第三に、その大枠は動かせないままで、具体的なところとなるとそうはっきりとしたことを言えないとも思える。そして詳しくもない。こんな時にはごく基本的なことを確認しておく他私がすることはないから、それを少し行なう。」
前回はその★02を引用した。今回は★03。以下
「★03 書いたのは、それが今回書くことの大筋でもあるのだが、次のようなことぐらいだ。
「わるいことをしたら罰せられるのはよい。しかしその人がわざとやったことでなければ、自らの意志で止めることができなかったことなら、やはりその人の責任は問えないだろう。そしてどんな手を打ったたとしても、悲しいことではあるが、加害行為がまったくなくなることはない。ずっと言われ続けてきたことではあるが、加害を減らす手段は本人を罰したり介入したりする以外に、様々にある。貧乏を減らすのが本来は一番てっとり早い。そして、それをなくすため、減らすためといって、犯罪を行なう確率が高いとされる集団に属しているからといってその人(たち)を特別に扱うといったことは極力しない方がよい。そんなことぐらいしか思いつかない。
ただ、実際には、ずっとこのこと、とくに最後の障害と犯罪(の抑止)との関係が問われてきたことは知っておいてもらいたいと思う。日本ではとくに一九七〇年代以降、精神障害者たちについて「保安処分」の是非が争点になってきた。それを作ろうという動きに反対する運動があって、私自身も、実際に何かしたということはないが、反対の方に賛成してきた。[…]
ただ、その前に、せめてそれと同時に、実際のところはどんなことが起こっているのかを知った方がよい。ここ数年、知的障害とか発達障害の中に括られる自閉症といった人の犯罪と裁判について詳細に追った書物も出ている(佐藤[2005][2007]等)。まずそれらを読んでみるのがよいと述べておく。」(立岩[2011])
佐藤幹夫 2005 『自閉症裁判――レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』、洋泉社
―――― 2007 『裁かれた罪裁けなかった「こころ」――17歳の自閉症裁判』、岩波書店
立岩真也 2011 「障害論」、戸田山・出口編[2011:220-231]
戸田山和久・出口康夫編 2011 『応用哲学を学ぶ人のために』、世界思想社
これら文献については『現代思想』連載第119回頁からどうぞ。
http://www.arsvi.com/ts/20160119.htm
とりわけ『生存学』第3号は特集「精神」ということで、読んでほしい原稿がいろいろとあります。片山知哉「ネオ・リベラリズムの時代の自閉文化論」等。それから特集と別に天田城介さんとのちょう長い対談が載っています(続きは第4号に載っています)。