『現代思想』(青土社)2016年1月号、特集「ポスト現代思想」は今売っている。
http://www.arsvi.com/m/gs2016.htm#01
そこに掲載された第119回「加害について少し」
http://www.arsvi.com/ts/20160119.htm
から少し、の3回め。
国立療養所の使い回しに関わること(具体的にはまず筋ジストロフィーの人たちのこと)は次回(2月号)に書く。筋ジストロフィー関連文献表作成中。ご教示・寄贈歓迎です
http://www.arsvi.com/d/md-b.htm
そして以下に出てくる「重心」とは「重症身心障害児施設」
http://www.arsvi.com/d/j01.htm
のこと。今回のHP版は
http://www.arsvi.com/ts/20162104.htm
でそこからは、この施設を要望した親の会のことについて書いた堀智久の『障害学のアイデンティティ――日本における障害者運動の歴史から』の紹介頁にもリンクされている。
「■社会防衛が護るもの
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国立療養所(国療)における結核から「重心」、筋ジストロフィーへという移り変わりは、その現場にいて知っている人は知っているが、普通には思いつかない。しかし連続もしているのだ。つまり、親たちは当時最も大きな困難に直面しそれをいくらかでも軽減しようとした。それもまた「防衛」の行ないであった――困難・負担を最初からたまたま回避できている多数の人がいったい何をその親たちに言えようかということではあるが。それは強制ではなく、とくに初期には、切実な希望によって、希望者の中の幸運な人がようやく入れるというものではあった。けれども、その子自身が希望したのではない。その子たちは入れられた人たちだった。
次回以降、これらについての経緯を簡略に記していくことにする。ただ、ここまでで一つ言えるかもしれないことは、病院という施設とくに入院・入所という形態が、急性疾患の時代にそれに対応するものとしてあったという把握は基本的に当たっているとして、すくなくともそれだけのことではなかったようだということだ。そこには(広義の)「防衛」が作用している★01。そして医療は「自傷他害」や感染(の恐れ)によって強制を正当化される。子どもであることによって措置されることもある。認知症等における「決定能力」の喪失も理由にはなる。そしてさらに、自身がこれではやっていけないと思ってのこともある。そしていったん入所すればもといた場所に戻ることはさらに困難になる。」
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