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(「自己責任」について・メモ 2)
立岩 真也
Ver.1(2004/05/13 09:00)Ver.2(13:00)
共同通信の取材に
■1
今回の事態について 多くの人が直感する きもちわるさ(の一つ)は、
・「力の大きな方」の言う正義の揚げ足をとり、冷却しながら、
・別の正しさ(の内容はともかく、そちらにに向かう「個人」の意志)をそれなりに買う
という かたち(まあこれも安易なかたちではあるが)がこわれている、こと。
つまり、いわゆる「弱い者いじめ」になっている。
A「国益」とか言いたい人 「政治」を語りたい(語ってしまう)人 ……ある種の「正義」の言論 から非難する
B個人の行いの背景?動機?を 暴露 あら探し 揚げ足取り 冷却 脱神話化
1)イイコトしてるつもりでメイワクかけてる
と言ってばかにしたい。
(メイワクかけたら、ワルイコトしたら、自分であとしまつ、自己責任…)
2)クニのやってることに反対しているつもりでクニの世話になっている
と言ってばかにしたい。
さてそれに対してどう言うか?
■2
□A:国・政府の(あるべき)対応について。
◇正面から反論という方向
あなたの正義は正義でない といった反論。
イラク戦争/派兵は不正である という立場をとる(*↓文末)
あの人(たち)はするべきところでしたいこと(ですべきこと)をしていただけなのに
軍隊が派遣されたものだから、すべきことをするのが困難になり、人質にまで
とられてしまった、メイワクかけているのは軍隊を派遣した方だ。
&(仮に派兵の全面的に否定しないとしても)民間の援助は必要で、報道は必要だ。
あの人たちがイラクにいた(いる)意義はある。
NGO等からこういう民間の活動を否定することになることを懸念したアピールが出された。
この反論はもっともだと思う。
◇国家の義務/寛容/自由の尊重…
立場の違いはあるだろうが、立場が違うからといって、国家が人質になった人を放置してはならないという立場。(人質になったというだけで、どうのこうの言わず、税金で、救出すべきであるという立場。)
国家を批判する人が国家に依存している といった言い方は成立するか。
・アナーキストであれば…
・ただ、リベラルであれば、批判することで国家から保護を受けられなくなるといったことはまったくあってはならないことである。〜 国民であるから国家による保護を求めることができる という論 〜 意見あるいは方法論の違う者は見捨ててよいということになる。
・だから、アナーキストを標榜しているのに、結局、国家に頼った、という話ができればそれなりに筋は通るとしても、これは今回のことにはあてはまらないだろう。
いずれも、それで正解。
□B:その人たちに対して、について。
◇彼らはいいことしてるんだという反論
・これはまずAについて、でも述べたこと。自衛隊がやっていることなんかより
意味があるんだという反論である。
・さらに、その効果はともかくとしても、まじめなんだ、純粋なんだという反論
かりにイイコトするつもりでメイワクかけた という筋に乗るとしたも
一つは、イイコトするつもりはあったんだから、結果はどうあれいいじゃないか
というもの。人を助けようとした、が、そのやり方が無謀であったために、その
人自身が助けられるはめになった、それでも(かっこはわるいかもしれないが)
やはり助けてそれでよいではないかというもの。
これは「心情論」とか言われるかもしれないが、では無意味かといえば
そんなことはない。
◇彼らの行動を(詮索すればいろいろ解釈できるかもしれないがを詮索すべきでないという反論
これは結果・効果はともかく、というのとはすこし違う。
これもいずれも、正解。
だから、基本的には、反論に理があると私は考えるのだが
■
一つは、そういうことを国の為政者、政治家たちも言ってしまうということ
→かれらは「近代政治」「近代国家」の基本的なところがわかっていない
のかもしれない。そういう気はする。
とんでもない政治家、と思えるよう人もいるように思う。
(ぼんやりとまた聞きするぐらいでじゅうぶん頭がくらくらするので、
知ろうと思わず、よくは知らない。)
ただここでは、これは置く。
一つには、(たとえば「わかい」)人々が言ってしまうということ。
世代的にもそんなに違わない あの人たちを攻撃して、それほど得になることも
なさそうな人たちが熱心に攻撃したらしいこと。どうしてなのか?
「自己責任」という語自体はともかく、これは、ここしばらくの間の
キーワードのようなものだった。
自力で自身を救え と、それができなければ仕方がない と。
自分で努力して、その分で暮らしていけ と。
これはストレスの多い規則であり、価値観である。
このシステムで楽勝、という人はそう多くはないわけで
むしろよくない人はたくさんいる。
にもかかわらず。?
自明に正しいと思っている人やそこから益を得ている(例えば税金が安くて
すんでいる)人のみならず、
苦労しながらつ、不安が潜在的あるいは顕在的にありながら、
なんとかこのシステムの中でやっていけている人、やっていくしかないと
思っている人にとっては、そこから外れているように見える人が
気にくわない。そんな部分があるように思う*。
そしてそのような場合にはしばしば「国益」といった大きなものが持ち出される。
相手を攻撃し、自らを擁護する場合に、なにか「大きなもの」というのはよい
*ひごろの生活のそういうシステムとは別に、人のために行動する
という部分を評価する という仕掛けがある場合には、あの人たちは
責められない。(「欧米」の反応については、そういうところがあった、か)
この国にもそういうところはあるのだろうが、今回の場合は、
その「動機」を詮索し、それをおとしめることによって、
じつは自分のために行い、他人に迷惑をかけて という筋にしてしまうことが
なされたようだ。
あるいは「いいことしたがりやがって」、「かっこつけやがって」みたいな
水準での反感。
*こういう話は、例えば、第二次大戦のドイツ人についていろいろ書かれ
とてもよく知られている話と共通する部分がある。この類似を言うのは
いかにも安直な感じがするが、しかしまるで外れてもいないと思う。
とすると、思想・信条・政治的活動の自由と政府の役割とか、
この派兵は是か非か という議論とともに
(こういう議論はまったく必要である。私は、今回の議論が、この
本筋から離れて、なんとなく論じやすいように見える「自己責任」が
どうとかという議論になってしまっていることの方が問題だと思う。
この自己責任、……という仕掛けには基本的に乗らない方がよい
その方がじつは気持ちがよい ことを言っていく必要もあると思う。
政治家の人たちはいざしらず、そういう立場でなくて、自己責任云々
を言った人は、言わない人からそう離れているのでもない、という
ところもあると思う。
右翼小児病、というのがあるのかどうか知らないが、あるとして
それはそれである現実のもとに成立しているとするなら、ただ
ばかにしても始まらず、論理を使って議論できるところはすればよく
また、こういう方向に社会をもっていって、あるいはそれを受け入れる
ところから出発して、それであなた(わたしら)うれしいだろうかね
というようなことを話したり、考えてみたらよいと思う。
[補足]
* イラク戦争/派兵は不正である か否かについて
もちろんこの議論がやっかいなのは、フセイン、フセイン下のイラクがとんでもなかったようだということだ。
そして、内政不干渉といった原則を、原則であるがゆえに受け入れる、ことはしないとしよう(私はしない)。
同様に、決まった規則(条約〜法律)について、規則が規則であるがゆえに守るべきだとは言わないことにしよう(私は言わない)。
不当な暴力に対抗する暴力、不当な暴力を減少させる暴力をもまったく受け入れない、とはしないとしよう。
その上で、何を言うかである。むろん言えることはいろいろとあるだろう。しかし、(イラクに限らず)この主題については、そうすっきりとはしない。
UP:20040513
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イラク戦争/イラク派兵
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立岩 真也
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