『魔女・産婆・看護婦――女性医療家の歴史[増補改訂版]』
Ehrenreich, Barbara & English, Deirdre(長瀬久子訳) 20150918 法政大学出版局,225p.
last update: 20191101
■内容
◆出版社(法政大学出版局)の書籍紹介ページ
http://www.h-up.com/books/isbn978-4-588-35231-7.html
“豊かな知恵と経験で身近な人々を治療していた女たちを、資格や免許がないという理由で迫害し、排除し、閉じ込めてきた歴史を明らかにする。1970年代にアメリカでパンフレットとして出版され、フェミニズムの古典となった「魔女・産婆・看護婦」と「女のやまい」を収めた初版に、その後の社会の変化を詳しく解説した序文を加え、訳文も全面的に改めた。”
● → 日本語版初版(1996/02/15)
■目次
I 魔女・産婆・看護婦──女性医療家の歴史
序文
第二版への序文 これまでの話
中世の魔術と医学
魔女狩り/魔女の犯罪/医療家としての魔女/ヨーロッパの医療専門家の出現/女性医療家の弾圧/その後
アメリカの医療専門家の興隆と女性
医師の登場/公衆衛生運動/攻勢に出る医師/専門家の勝利/産婆の追放/ランプを手にした婦人/医師が看護婦を必要とする
結論
II 女のやまい──性の政治学と病気
序文 医学の社会的役割──その全体像
第二版への序文(スーザン・ファルーディ)
一九世紀末から二〇世紀初頭の女性と医学──歴史的背景
上流階級の「病気」の女性
女は病弱説の普及/医師と女性の病気との関係/女性の虚弱さについての「科学的」説明/卵巣心理学/治療/病人の立場を利用する
「病原菌」である労働者階級の女性
階級的細菌戦争/労働者階級の女性の特別な危険性/売春婦と性病/中産階級の社会運動、公衆衛生/中産階級の社会運動、産児制限/女性が女性を「向上」させる
今日の状況に関する覚え書き
今後──結論として
訳者あとがき
参考文献
■書評・紹介
◇内田麻理香 20151101 「[書評]『魔女・産婆・看護婦――女性医療家の歴史』」『毎日新聞』東京朝刊11頁《今週の本棚》
“前半のヨーロッパの医療従事者の魔女狩りと、後半の米国の女性の「やまい」では、話題が急転換するように思えるだろう。しかし、当時の権力と「医学」らしきものが結託して、女性を制限していたことは共通している。”/“女性を病にし、または病原菌にしたのは、当時の権力と医学のイデオロギーであった。その軛(くびき)から自らを解放したのは、女性自身だ。”
cf. 「毎日新聞「今週の本棚」書評掲載『魔女・産婆・看護婦――女性医療家の歴史』」(2015-11-01/内田麻理香ブログ:KASOKEN satellite)
◇小林繁子 20160206 「人々に怒りと勇気を与え女性運動の黎明期を支えた本――女性たち自身の経験と知識から女性の身体・セクシュアリティーを語る」『図書新聞』3241(2016-02-06)
■引用
- 女性はいつでも治療を施す人であった。西欧の歴史において女性は免許をもたない医師であり、解剖学者であった。女性は中絶医で、看護婦で、カウンセラーであった。女性は薬草を栽培し、使用法の秘密を交換する薬剤師であった。女性は家から家、村から村へと旅する産婆であった。何世紀にもわたって女性は、書物や講義から閉め出され、互いに学びあい、隣人から隣人へ、母から娘へと経験を伝承する学位なき医師であった。民衆からは「賢い女」と呼ばれ、権威筋からは魔女、贋医者と呼ばれた。医療は私たち女性の、女性としての世襲財産の一部、女性の歴史、女性の生得権である。┃(p.3「序文」)
- かつて女性は自立した医療家であった。△4/5▽女性や貧民にとっては唯一の医者であることが多かった。私たちが対象とした時代において、立証されていない学説や儀式のような治療法に固執したのはどちらかといえば男性専門医であった。より思いやりのある、経験に基づいた治療をしたのは女性の医療家であった。
今日の医療制度における女性の地位は「自然」なものではない。その状況は説明を要する。小著が投げかけた疑問は、女性はかつての主導的地位から、いかにして現在の隷属的地位にいたったのかということである。
これだけは分かった。つまり、女性医療労働者の鎮圧と、男性専門医による支配権の獲得は、医学の変化の結果自動的に起こった「自然」ななりゆきでもなければ、女性には医療の仕事を続ける力がなかったためでもなかった。男性専門医が【傍点:奪い取った】のである。男性は科学の力で勝ったのではない。決定戦は近代科学技術が発展するよりずっと前に行なわれたのである。┃(pp.4-5「序文」)
- 『魔女・産婆・看護婦』(以下『魔女』)は、合衆国の第二波フェミニズムが生んだ記録である。[…]一九七〇年代初頭までには、フェミニストたちは、医療制度が女を虐げ、不当に扱ういろいろなやり方に気づき始めていた。┃(p.7「第二版への序文 これまでの話」)
- 女はいつの時代でも、いかなる状況のもとでも、これほどまでに無力だったわけではないのではないか、と私たちは気づき始めていた。何といっても、医療技術も、それを独占する医療専門職も、比較的△8/9▽最近発達したのに、私たちの祖先の女たちは、不十分とはいえ、女のライフサイクルという難題を何とか切り抜けてきたのだ。┃(pp.8-9「第二版への序文 これまでの話」)
- 研究結果を、廉価で手に入りやすく、ちょうど私たちがオールド・ウェストベリー校で教えていた学生のような種類の女性に手を〔ママ〕とってもらえるような形で出版したかった。だから本でも雑誌論文でもなかった。今考えると少し突飛だが、私たちの結論は、研究結果をパンフレットにして自費出版するというものだった。そうすれば、挿絵の選択も含めて内容を自分で管理できたし、手から手へ広め△10/11▽ていきやすい廉価な製品ができた。私たちは、この自前の小さな自費出版社を硝子山小冊子社【ルビ:グラス・マウンテン・パンフレット】と名付けた。┃(pp.10-11「第二版への序文 これまでの話」)
- 魔女治療家の治療法は、その効能と同程度に(プロテスタントにはそうでもなかったとしてもカトリック教会には)脅威だった。なぜなら、魔女は経験主義者だったからである。魔女は信仰や教義よりは△33/34▽自分の感覚を頼りにし、試行錯誤、因果関係を信じた。魔女は信心深く受け身ではなく、行動的で探求心旺盛だった。魔女は病気や妊娠や出産の対処法を探す時(投薬だろうが呪文だろうが)自分の能力を信じた。要するに、魔術はその時代の科学だったのである。┃(pp.33-34「医療家としての魔女」)
- 女性に専門職の門戸を開放しようという、初期の女性運動の努力は忘れられた。なぜつまらない男の仕事をするために母性を捨てるのかというわけだった。専門意識とは本質的に性差別的でエリート主義であるという非難も、無論影をひそめてしまった。代わりに女性に生まれつき備わる機能を職業化し始めた。家事は美化されて「家政学」という新しい学科になった。母であることは看護や教育と同じような準備と技能を要する天職として期待されたのである。△68/69▽
このように一部の女性が女性の家庭内役割を職業化する一方で、別の女性たちが看護や教育、後には福祉などの職業的役割を「家庭内化」していた。女らしい活力を家庭の外で示したい女性に対して、こうした職業は女性の「生来の」家庭内役割の単なる延長として提示された。逆に、家庭にとどまる女性には、自分を家族限定の看護婦であり教師でありカウンセラーと見なすよう奨励された。こうして一八〇〇年代末期の中産階級フェミニストは性差別の矛盾をいくらか目立たぬものにしてしまったのである。┃(pp.68-69「ランプを手にした婦人」)
- 私たちが小著を書く動機となったのは、女性として、医療を受ける者として、女性の健康運動に携わる者としての経験である。執筆にあたっては、私たちは自分の経験(と怒り)を超えて、医学の性差別が、すべての女性の選択肢を決定し、その社会的役割を形成する一助となった【傍点:社会的勢力】であることを理解しようとした。┃(p.82「序文 医学の社会的役割――その全体像」)
- 女性がただおとなしく、医学の恐怖支配の犠牲者となっていたと考えるのは誤りである。ある意味で、女性は病人の立場を自分たちの都合のよいように利用できた。特に産児制限のために利用した。┃(p.141「病人の立場を利用する」)
- 公衆衛生に進んだのは、女性の医師が圧倒的に多かった(公衆衛生に進む方が開業より女性にとって簡単だったためもある)。草の根レベルでは、公衆衛生は禁酒運動と参政権運動に密接に関連する(中流上層階級の)女性運動そのものだった。┃(p.184「中産階級の社会運動、公衆衛生」)
- 〔マーガレット・〕サンガーが孤軍奮闘するうち運動は成熟し、多くの中流上層階級や上流階級の女性の支持を得ると、それは中流上層階級の利己心に大いに受けるようになった。一九一〇年代末に、サンガーは、世界のあらゆる問題――戦争、貧困、売春、飢餓、精神薄弱――は人口過剰のせいであるとしていた。そして人口過剰の責任は女性にあるとはっきりと非難した。┃(p.184「中産階級の社会運動、公衆衛生」)
- 公衆衛生運動は、細菌まみれの貧民窟の住人全員を隔離することはできなかった。産児制限運動は人種「浄化」の目的を達成するにはほど遠かった。実のところ、公衆衛生によって富裕層だけでなく貧困層にとっても都市は住みよくなり、産児制限の最大の影響を受けたのは皮肉にも中上級階級の人口だった。現代の女性が、動機はともあれ、このふたつの運動に携わった多数の女性に多くを負っていることは確かである。悲しむべきは、改革運動が女性を階級でさらに隔てたことである。その一方の側には改革者(中産階級や中流上層階級の女性)、もう一方の側に改革の対象(労働者階級の女性)がいたのである。┃(p.188「女性が女性を「向上」させる」)
- 異なる階級の女性を団結させられたかもしれない女性や家族の健康という問題は、こうして女性を改革者の側と「お荷物」の側に分断してしまった。中流上層階級の女性は、自分を閉じこめ、貧しい女性は拒絶した医療専門家に背を向けはしなかった。すべての女性の健康と健康管理を目的とした単一基準を求めて運動を組織するために、貧しい女性と手を組もうとはしなかった。公衆衛生運動と産児制限運動では、貧困層の脅威に対抗して【傍点:医師】と手を組んだのである。┃(p.192「女性が女性を「向上」させる」)
- 医療制度は単なるサーヴィス産業ではない。それは社会統制の強力な道具であり、性差別的イデオロギーの主な発信源として、性役割の強制者として、既成宗教にとって代わったのである。┃(p.205「今後――結論として」)
- 私たちはフェミニストとして、性差別的イデオロギーの発信源である医療制度に断固反対する。同時に私たちは、望まない妊娠や長期的な身体障害からの解放など、最も根本的な女性の解放については、△205/206▽完全に医療【傍点:技術】に依存している。[…]
女性が身体的には完全に依存しているために、医療技術はますます性差別的イデオロギーの発信源として強力になる。医師はいわば、女性の卵巣を掌握している。┃(pp.205-206「今後――結論として」)
- 自助は、女性に必要だとだれかが思っていることでなく、女性自身が必要としていることを求めるための備えとなる。医療の可能性に関する展望、ニーズを満たすために尊厳を犠牲にする必要のない制度を示してくれる。
自助は、既存の制度の改革を求めて医療制度と闘う代替案ではない。自助、もっと一般的にいえば自覚は、この闘いにとって不可欠なのである。
女性にとって医療は、階級や人種の壁を越えられるかもしれない問題である。┃(p.208「今後――結論として」)
- 問題は、女性が何を言おうと、女性に不利なように利用されかねず、実際に利用されていることである。月経が痛くてつらいとでも言えば、女性は集中力や責任を伴う職業から勝手に締め出されてしまうだろう。そんなものは気にならない、男性と同じようにいつも健康だなどといえば、[…]同じだけ長時間働くことを要求されるだろう。┃(p.212「今後――結論として」)
- 女性の体には「正解」はない。「女性の本性」とは本当は何なのか理解する方法がないように、性差別的社会での、女性の「本当」のニーズ、「本当」の強さや弱さを断定する方法はない。女性が唯一もっている自己イメージは、抑圧的な社会が割りあてたイメージだというのに、どうして「自分を知る」ことなどできようか?
女性がいかなる「下位文化」をつくりだそうとするにせよ、そのなかで女性が自分自身の体を受け入れることは不可能である。結局は【傍点:体】の問題でも、生物学の問題でもなく、あらゆる点で女性に影響を及ぼす権力の問題なのだから。┃(p.212「今後――結論として」)
- 女性の身体や健康上必要なことについて、これ以上確かな情報はいらないと言っているのではない。女性に特有な職業病、月経や妊娠に実際にともなう感情の傾向、種々な避妊法の潜在的危険性、医療に無視されたり歪められたその他の多くの分野について、私たちはもっと知らなければならない。しかし、自分の身体についてもっと知ろうとする際は、女性を抑圧しているのは生物学的な要素ではなく、性と△212/214▽階級支配に基づく社会制度だという事実を見失ってはならない。┃(pp.212-214「今後――結論として」)
- 最後に、本書で用いた「産婆」、「看護婦」という訳語について、お断りしておきたい。どちらも現在ではポリティカル・コレクトネスの考え方から、「助産師」、「看護師」を使うことになっている。「産婆」は今では差別語に近いかもしれない。しかし、これらの新しい用語は、少なくとも訳者には、どこか役所指導で近年になって人為的に作られた言葉という印象があって(実際には、そうではないかもし△218/219▽れないが)使いたくなかった。控え目にいっても、なじみの薄い言葉なことは確かで、原文のmidwifeやnurseという、イギリスの中世以来ずっと庶民に使われてきた言葉の訳語としては、適当でないように思われた([…])。特に、本書の趣旨が、いわば「近代社会の体制側」と「古い、草の根の産婆・看護婦」の対立構造にあるので、よけいに、新しい言葉や、(訳者には)役所風の印象のある言葉は、ふさわしくないように思われた。「産婆」や「看護婦」も、明治時代にその関係の法律ができた時に、それこそ役所指導で作られた言葉ではあるようだが(看護婦という職業はその頃にできたもので、産婆はそれ以前には、とりあげ婆などと呼んだのだろう)、何といっても一二〇年以上日本の庶民の口になじんだ言葉で、現在の医療専門職の方々がどう感じられるかはわからないが、訳者には、こちらのほうがふさわしい訳語に思われた。┃(pp.218-219「訳者あとがき」)
■関係する文献のファイル
◆Federici, Silvia, 2004, Caliban and the Witch: Women, the Body and Primitive, Autonomedia.=シルヴィア・フェデリーチ 20170201 小田原琳・後藤あゆみ訳『キャリバンと魔女――資本主義に抗する女性の身体』,以文社,528p. ISBN-10: 4753103374 ISBN-13: 978-4753103379 4600+ [amazon]/[kinokuniya]
■言及
◆滋賀県立大学人間文化学部2019年度前期科目《家族論》
「産むこと、“母[はは]する”ことをつかみ直す――資本主義と性/愛/家族、その先の地平」(担当:村上潔)
["Re-grasping the Birthing and 'Mothering': Capitalism and Sex/Love/Family, and the Horizon Beyond Them" as a Class of "Theories of Family" (The First Semester of the 2019 Academic Year) at School of Human Cultures, The University of Shiga Prefecture.]
◆立命館大学産業社会学部2019年度秋学期科目《比較家族論(S)》
「マザリング[Mothering]の現在――をめぐる議論と実践の動向」(担当:村上潔)
["The Present of 'Mothering': The Trend of Arguments and Practices about It" as a Class of "Comparative Analysis of the Family (S)" (The Second Semester of the 2019 Academic Year) at College of Social Sciences, Ritsumeikan University.]
◆中村佑子 20191106 「私たちはここにいる――現代の母なる場所[第11回]」『すばる』41-12(2019-12): 272-293
*作成:村上 潔(MURAKAMI Kiyoshi)