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『精神障害者のための効果的就労支援モデルと制度――モデルに基づく制度のあり方』

山村りつ 20111020 ミネルヴァ書房,380p.

last update:20210220

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■山村りつ,2011,『精神障害者のための効果的就労支援モデルと制度――モデルに基づく制度のあり方』ミネルヴァ書房.ISBN-10: 462306171X,ISBN-13: 978-4623061716,[amazon][kinokuniya]

■内容紹介

(出版社ホームページより)
本書は、精神障害者の就労を実現するための方策を具体的かつ実施可能なものとして提示するために、(1)精神障害者の就労の実現に必要な支援の具体的条件の明示、(2)その条件に基づく支援モデルの提示、さらに(3)その支援モデルについて、その効果を保持したままで実施するための制度モデルとそのために必要な現行制度上における修正点の提示を行う。

■目次

序 章 本書の概要と基本的概念の整理
第T部 精神障害者が働くということ
 第1章 障害者と就労
 第2章 精神障害者の就労と支援の現状
 第3章 精神障害者への就労支援政策
第U部 二つの当事者調査と求められる支援
 第4章 調査の背景
 第5章 精神障害者にとっての「就労」という現実
 第6章 雇用主にとっての「雇用」と「障害者雇用」
第V部 求められる支援実現のために
 第7章 必要かつ効果的な支援とは
 第8章 支援モデルと制度の整合性
 第9章 精神障害者の就労における合理的配慮への期待
 終 章 精神障害者の就労に必要な支援と制度
おわりに/参考文献/索引

■引用

pp. 45-46
【精神障害者にとっての「働くことの意味」】ここまでに述べてきた「働くことの意味」に関する議論のなかにみられる特徴が一つある。それは働く主体として精神障害者を含む障害者が想定されていない、あるいは想定されていると思われる記述がみられない、という点である。もちろん、先述のような研究は、最初から障害者や障害者支援をテーマとしたものではなく、むしろ人類に普遍的な「働くことの意味」をテーマの中心に据えたものであるため、障害者についての配慮がなれていない点も必ずしも非難されるべきことではない。しかしその議論に関して、行きつかの点においては、その主体が障害者であった場合には話が違うという状況が考えられる(p.45)。「働くことの意味」の議論は、同時に人々が「働こうと思うことの意味」を問うものであるが、そこで働こうと思っても働けないという状況は十分に考慮されていないということである。しかし、個人の意思(働こう)と相反する現実(働けない)のなかで生じると予測される葛藤やジレンマ、挫折感などは、その個人にとっての「働くことの意味」を考えるうえで十分検討に値するものである(p.46)。

pp. 46-47
多くの精神障害者が就労を望んでいることは、これまでの調査研究でも明らかにされている。たとえば・・・・・・(p.46)。しかし、そのような状況に対して、同時に多くの精神障害者が就労に至っていないことを示す例もあり、精神障害者には働こう(あるいは働きたい)と思っても働けない状況があるといえる(齋藤 2010)。つまり、この点が、ここまでにあげた「働くことの意味」についての議論と、その前提を異にする点なのである。それでは、精神障害者および障害者全般の就労やその支援をテーマとした論文・著作のなかで、その働くことの意味はどのように述べられているのか(p.47)。

p. 48
【先行研究】野中と松為(1998)は、働くことは「すべての人生にとって究極の目的」としたうえで、改めて身体的・心理的・社会的側面jからその意義を述べている。ここでの特徴は特に身体的側面である。自己実現や他者の承認としての存在意義、あるいは経済的報酬や人間関係などの心理的および社会的意義は、先述の働くことの意味に共通する部分となっている。それに対し、身体的側面では、生活リズムの獲得や身体的な調整と体力の増強などが指摘されている(野中・松為 1998)。このような身体的な状態は、障害のない人にとってじゃある意味で働くために備えておくべき条件、つまり労働の前提として位置づけられるが、精神障害者の場合は働くことでそれが得られるとし、その意味で就労の治療的側面を指摘しているものである(野中 1998)。

p. 49
ここまで見てきたように、精神障害者および障害者にとっての働くことの意義は、障害を持たない者含めた人間としての働くことの意味に、ほぼ通じるものであるようにみえる。野中(野中・松為 1998)があげた身体的側面でのでの治療的意義を除ければ、自己実現や社会との関わり、自己形成など、物理的・金銭的報酬だけでなく心理的・社会的報酬という二つの側面を持つという点でも共通している。しかしそのなかでも、あえて特徴的な点をあげるとすれば、身体的側面(野中・松為 1998)に加えて、自尊心や自己効力感の獲得、社会に役立っているという感覚などの点が指摘できるだろう。これらの点についての一般的な働くことの意味との違いは、一般的な場合には、他者からの評価や競争心理(今村 1998)などを背景に、仕事の内容や成果(たとえばたくさん製品をつくるとか優れた業績を残すとか)によってもたらされるものであるのに対して、障害者の場合には、働くことそれ自体の機能として自己の存在価値や自尊心などを得られるとする点が大きく異なる点である。

p. 49
【精神障害者自身の一般就労への思い】働くことの意義は、就労によって結果的に効果がみられる点ではあるが、では実際に、働きたいと考える障害者自身がそう思う理由は何なのだろうか。たとえば、生活のための必要に迫られている場合もあるだろう。障害者自身が「自己実現」や「自尊心の獲得」あるいは「身体的・心理的安定」のために働きたいと思うのだろうか。それらは、働いた結果得られるものかもしれないが、最初に働きたいと思う動機とはいえないのではないだろうか。

p. 51
【精神障害をもつ当事者へのインタビュー調査から】竹川は現代が「働くことが当たり前から当たり前でなくなった時代」(竹川 2009)と表現したが、精神障害者になった時から、人々は自らの意志とは違うところで働くことが当たり前でなくなる。そのなかで働くということは、当たり前になること、「みんな」と同じになることを意味している。だからこそ、その内容よりも何よりも「働くこと」が重要なのであり、働くことそれ自体によって自尊心などの心理的・社会的効果がもたらされることとなる。彼らがこのような心情を備えていく背景には、現代では世界的に浸透した労働本質論(今村 1998)を背景とした労働観があるといえる。そしてそのことは、極論的にいえば、それらは現在働いていない、働くことから切り離されている自分の人間性を否定するものとなる。

p. 52
齋藤(2010)は精神障害者の支援の歴史から就労(支援)が軽視された経緯を説明しているが、これは結局、精神障害を理由に「働くこと」を免除されたものであり、彼らは労働から解放されているのではなく、拒絶あるいは排除されているのだといえる。つまり、それは、労働社会である現代において社会から締め出されていることを意味する。結局、そのような労働観を巡るさまざまな議論や、それに基づく社会のあり様が、彼らに疎外感を与え、彼ら自身のなかで自らの人間性の存在を危うくしていく。だからこそ、精神障害者にとって働くことや働くための努力をすることは、社会的に否定されることで失われた人間性を自らのなかに取り戻すための手段であるといえるのである。

pp. 56-57
精神障害者にとって働くことは、自分が自分の人間性を肯定するために必要な手段であり、そのためには「みんな」と同じであることが重要となる(p.56)。彼らの根底にある人間性の回復という欲求に応えるためには、「みんな」と同じように働くことに意味があり、その「みんな」における代表的な働き方がいわゆる一般就労なのである(p.57)。


■書評・紹介

■言及



*更新:伊東香純
UP:20210220 REV:
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