『精神障害者の「就労」モデルの構築――社会福祉ニーズとの関連を巡って』
齋藤敏靖 201002 エムシーミューズ,274p.
last update:20210212
■齋藤敏靖,2010,『精神障害者の「就労」モデルの構築――社会福祉ニーズとの関連を巡って』エム・シー・ミューズ.[amazon]/[kinokuniya].
■内容
(紀伊国屋ホームページより)
精神障害者の社会福祉ニーズとは何か?最優先すべき援助は「就労」支援だ。障害者自立支援法の成立・施行前後の議論や評価の記録
■目次
序章
第1章 社会福祉ニーズ概念
第2章 社会福祉ニーズ判定モデル
第3章 自己決定モデル
第4章 新しい障害者就労観と障害者自立支援法
第5章 「就労」モデル
結語 セーフティネット型からキャスティングボードとしての「就労」支援へ
■言及
■書評・紹介
■引用
pp. 11-12
20年前の当時(1990年頃)の20代30代の精神障害者は、一般に「退院して自立したい、働きたい」との意欲が旺盛であった。ところが、先日、家族同居で、福祉的就労の場である共同作業所に通所する一人の精神障害者の方と、就労について話す機会があった。彼は就職したくないという。その理由として、「障害年金で自由になるお金はあるし、家族が身の回りの世話をしてくれるし、今が快適である」とのことだった。彼のような例は特別なのかと他の精神科ソーシャルワーカーに確かめると、最近安定志向の人が目立ち、退院すらしたくない人も増えているとのことであった。しかし私が見たところ彼は十分就職の可能性があると思えた(p.11)。20年前(1990年頃)は社会福祉制度が過少であり、精神病院かた退院するためには、「就労する」という選択肢しかなかった。ところが現在では……選択肢の一つとして就労があるという状況になっている(p.12)。
pp. 14-18
日本精神科病院調査5)において、就労の項目で「収入になる仕事をしたかったが、見つからない」が24.7%となっており、働きたいが働けない(働く場が無い)が他の項目中1位になっている。(しかし、現実には)単に「就職先がない」だけではなく、「就職を希望する人が少ない」状況なのである(p.15)。アンケートで「将来したいことは何ですか?」と聞かれると、「一般企業に就職したい」と答える。しかし現実に求人活動を行う人は少数なのである(p.16)。今日、わたしが出会う精神障害者の多くの方は、退院して地域生活は維持できているものの「どのように生きていって良いのか?」「このままずっと援助を受け続けるのか?」「何のために生きているのか?」といった問を発しているように思う。つまり、「生きがいや生きる意味」を見出せずにいる(p.17)。マズロー9)は、人は「基礎的欲求充足」のみに終始し、「高次欲求」(自己実現等)の充足が図られないと「生きがい」「生きる意味」を無くし、次第に「遷延化した神経症」状態に至り、それを「破局的挫折状態」と呼んだ(p.17-18)。
p. 19
支援者も精神障害者が一般企業に就労することによるストレスから再発することを恐れ、就労が「生きがい・やりがい」繋がると思いつつも、消極的選択ながら、ストレスのない保護的な福祉的就労を推奨する。また、多くの社会成員は、社会福祉の予算を大きくすると「フリーライダー」が増加することを恐れる。〔中略〕結果的に、精神障害者は社会から孤立し社会的に見て「望ましくない」状況に至っている。私は、このような誰一人満足のない状況に対して、膨大な予算を投入していることを不合理に感じている。
p. 22
第4章では、新しい障害者就労観を述べる。特に参考とするのは、社会的企業である。これは市場原理を採用しつつも障害者雇用を促進させるという手法によって、市場原理と雇用の維持は「トレードオフ的」関係であるという従来の見解を転換させる。結語では、現在の再発防止中心のセーフティ―ネット型の社会福祉から、「就労」を支援するキャスティングボード型の社会福祉へ移行する必要性について提示する。
pp. 33-35
戦後1950年制定の精神衛生法のもと、精神病床の急激な増加によって多くの精神障害者は私宅監置から精神病院にその居を移したが、双方とも場所こそ違え、社会防衛的・隔離主義的な処遇体制であった。〔中略〕アメリカ合衆国では1963年ケネディ教書が発表された。この教書の趣旨は、「精神病者及び精神薄弱者」を精神病院や障害者施設に隔離収容する施策を改め、地域生活に移行させるという「脱施設化」を志向した。しかしながら、ケア体制が未整備であったため、都市部に精神障害者や知的障害者がホームレスとしてあふれることになり、「アメリカの恥」と呼ばれることになった。あくまで結果の検証は数年後のことであり、教書発表時点では先進的な方向性として理解された(p.33)。特に我が国の精神医療関係者の間では精神衛生法改正の模範とされ、わが国の精神医療も「脱施設化」の方向性で進む予定であった(p.33-34)。しかし、1964年3月にライシャワー駐日大使が大使館門前において統合失調症(精神分裂病)で治療歴のある少年にナイフで刺され重傷を負うという事件が発生した。〔中略〕1960年の精神衛生法改正は、当初「脱施設化」と地域ケア体制の整備というケネディ教書を意識した内容になるはずであったが、ライシャワー事件のインパクトが強く、むしろ社会防衛的なニュアンスの強い改正となった(p.34)。1960年の精神衛生法改正は、当初の予定から大きく変化し、社会復帰促進から隔離収容へと舵を切ることになった。以後わが国の精神病床は、医療法による精神科特例、つまり一般病院の3分の1の医師数で良いとする規定を背景に、増加の一途をたどる(p.35)。
pp. 36-37
本格的に精神病院の問題が提示されたのは、1982年の宇都宮病院事件が発覚したことである。医療法人報徳会宇都宮病院は、内科・産科医であった石川院長が創立した民間精神病院で、地域で引き取り手のない精神障害者や、薬物依存症者などを積極的に引き取り、長期入院させていた。直接ニュースになったのは、看護者が患者数人をバットなどで殴りつけ、死亡させたとの内部情報が表に出たためである。患者への暴力による傷害・死亡事件は氷山の一角と言えるほど常態化していたことや、病院の業務に患者を使役していたこと、大学病院と結託し家族に無断で死亡患者の脳を提供したことなどが判明した(p.36)。宇都宮病院事件の発覚以後、わが国の精神医療および精神病院の人権抑圧的な「処遇」が国際的な非難を浴び、1987年の精神衛生法から精神保健法への改正により、従来の隔離収容型施策から、人権擁護、社会復帰、地域ケアを主眼とした体制整備が行われてきた。これによって精神障害者は、精神病者監護法・精神病院法では「隔離監督される人」、精神衛生法では「病者」、精神保健法・精神保健福祉法では「病者であり障害者」としての立場が変化してきたととらえられる。特に1993年に心身障害者対策基本法が改正され障害者基本法となり、従来障害者の定義を拡大し精神障害者も「障害者」とされるようになった。これにより精神衛生法で医療の対象者とされていたため福祉施策が大幅に遅れていた精神障害者も、社会福祉の対象とされたことになり、大きなターニングポイントであった。1995年、精神保健及び精神障害者福祉に関する法律(精神保健福祉法)へと変化する中で、地域生活支援策の拡大・社会福祉サービスのメニューは豊かになっている(p.37)。
pp. 168-169
一般企業等における就労は、わが国の社会通念上において就労可能年齢にある成人にとって高い価値とされているし、近年では精神保健福祉領域の専門家にとって自尊心や自己効力感の維持向上に寄与すると考えられている(p.168-169)。一方、障害者自立支援法は2006年4月に障害者の自立・就労促進を意図して施行された。同法第1条には、法の目的として「障害者及び障害児がその有する能力及び適正に応じ、自立した日常生活又は社会生活を営むことができるよう、必要な障害福祉サービスに係る給付その他の支援を行い、もって障害者及び障碍児の福祉の増進を図るとともに、障害の有無にかかわらず国民が相互に人格と個性を尊重して安心して暮らすことのできる地域社会の実現に寄与することを目的とする」と規定している。私の立場であるが、障害者自立支援法の目的を障害者の自立・就労とすることは賛成である。理由は現在の障害者施設、なかんずく精神障害者の社会復帰施設等における福祉的就労は、低賃金かつ無内容なものであり、私が考える「就労」には値しない。結果的にサービスを利用している精神障害者の「生きがい」や「やりがい」を失わせることになり、マズローが述べるところの「破局的挫折状態」に陥らせていると強い批判を持っているためである。〔中略〕しかし同法の制度設計は、法の理念に反して障害者就労が低調であった時代の非効果・不効率を伴う従来型の障害者就労観に立っており、健康な「市場原理」を働かせる制度設計になっていないことを批判する(p.169)。
pp. 177-178
精神障害者の場合「再発さえしなければ良い、安全な福祉的就労の方が望ましい」という「パターナリズム的な障害者就労観」が払拭されない限り、就労しようとする精神障害者は増加せず、必然的に働く精神障害者は増加しない(p.177-178)。このような障害者労働観の背景には、障害者の労働を巡って1970年代から1980年代にかけて「労働概念論争」があった。「労働概念論争」とは、個人の稼働能力によって労働可能性を評価されることに対する批判を共通の基礎にしつつ、具体的な労働とのかかわりの相違を巡る論争である。田中14)は、「労働概念論争」において、以下の3つの主張があったと述べる。@青い芝の会を中心に「障害者にとって生きること自体が労働である」という主張、A一般の職場の在り方そのものを「内部から変革すべく一般就労を求める」という主張、B共同作業所の中で「新たな労働のあり方を創出しよう」という主張。特に共同作業所等の社会復帰施設側にはBの主張が採用され、共同作業所の運動は、後に共同作業所全国連絡会(略称:共作連 きょうされん)として組織化された。〔中略〕職員と利用者、利用者同士の関係は民主的な運営を目指すという理念のさに反して作業所運営における実践段階では矛盾を内在している。例示すれば、職員と利用者は対等といいながら職員は支給され、利用者は低額の工賃収入であることである(p.178)。
p. 180
私もかつて「パターナリズム的障害者就労観」に支配されていた。理由は、営利企業への就職による失敗を数多く見てきたためである。営利企業の利潤追求に対する「効果・効率」に適応できず、再発し再入院してきた精神障害者の「働く場所」を用意するため、福祉的就労の場である授産施設や作業所を数箇所、関係者と連携して地域に積極的に創設した。私の紹介で退院し作業所に通所することになった精神障害者の多くは「退院できて本当にうれしい。さらに少額とはいえ、工賃まで貰えるから最高だ」と述べた。ところが、数年後同じ人から「なぜ1か月働いて3千円しか貰えないのか?」「なぜ手内職のような面白くない仕事をしなくてはいけないのか?」と言葉を投げかけられ、少なからずショックを受けた。私の体験上、営利企業で雇用可能な最軽度の精神障害者は限られている。また福祉的就労で満足する重度精神障害者もまた限られている。ここに数的に一番多い軽・中度精神障害者を抱合することが可能な、新しい「障害者就労観」の必要性が出現している。
*作成:伊東香純