『環境思想を学ぶ人のために』
鬼頭 秀一 199605 ちくま新書,254p.
■鬼頭 秀一 199605 『自然保護を問いなおす-環境倫理とネットワーク』,ちくま新書,254p.ISBN-10: 4480056688 ISBN-13: 978-4480056689 [amazon]/[kinokuniya] ee
■内容(「BOOK」データベースより)
環境問題はいまや地球全体をおおっている。「地球にやさしく」「自然との共生」…至る所に時代のキーワードが氾濫しているようだ。「自然」や「共生」とは一体何なのだろうか。一八世紀末から始まる欧米の環境思想の系譜を鳥瞰しつつ、その問題点を明らかにするとともに、非西欧社会をも射程に入れた新しい環境学の枠組みを構想する。世界遺産に指定された日本の白神山地のブナ原生林を具体的な事例として、現在の自然保護の考え方を鋭く問いなおす最新の環境問題入門。
■目次
序章 環境倫理思想のいま――自然との「共生」再考 007
「共生」とは何か?/寒さの夏――自然の脅威/自然をコントロールできるだろうか?/自然保護と人間の営みは対立するのか?/環境思想における「人間の営み」/伝統的社会における自然との「共生」/「パパラギ」問題――「共生」の文化論への道/人間の本性は自然破壊的なのだろうか?/動的な文化論に向かって/本書の構成
第一章 環境倫理思想の系譜 029
1 人間中心主義を超えて030
「自然保護」から「環境主義」へ/リン・ホワイトの衝撃――キリスト教的人間中心主義を超えて/「保全」と「保存」/思想的な歴史的起源をもとめて――ロマン主義/自然保護のはじまり/「保全」と「保存」の対立
2 「自然の権利」という概念 050
木は法廷に立てるか?――自然物の法的当事者適格/「自然の権利」訴訟の日本的展開について/種差別の撤廃をもとめて――動物開放論の展開
3 環境倫理思想における全体論の問題 068
動物解放論と環境倫理学論争/レオポルドのランド・エシックス/「宇宙船地球号」と共有地の悲劇、そして人口問題/地球全体主義の問題
4 ディープ・エコロジーの出現 083
5 環境倫理思想における「社会」の視点
エコフェミニズムの展開/生命地域主義の展開/エコロジーにおける「社会」の復権――ソーシャル・エコロジー
第二章 新しい環境倫理をもとめて 099
1 環境倫理思想を問いなおす 100
自然の価値とは何か?/「原生自然=ウィルダネス」概念――歴史的文化的文脈の中で/「原生自然=ウィルダネス」概念の新しい意味づけ/「原生自然=ウィルダネス」――その歴史的再評価/新しい学際的な環境倫理思想に向けて
2 「生業」と「生活」の視点からの環境問題 115
人間と自然の二分法を脱却するために――「生業」論へ向けて/人間と自然のかかわりの全体性/「生業」と「生活」/「生身」と「切り身」
3 環境問題の社会的リンク論 132
宗教的・文化的リンクと社会的・経済的リンク/リンクのネットワーク/「切り身」のリンクのネットワーク/リンクを「つないで」いく
4 新しい環境倫理学の枠組み 141
「技術」と環境倫理/「生業」と「遊び」――「仕事」論に向けて/コモンズと所有の問題/「流通」と「分配」/「環境的公正」とリンクのネットワーク/具体的な展望の中で
5 風土論と文化論の射程で 166
第三章 白神山地の保護問題をめぐって 174
1 白神山地の保護問題が問いかけるもの 174
2 青秋林道問題から世界遺産の登録へ 179
青秋林道の建設計画と周辺の町村の思惑/青秋林道建設反対運動の動き/林道建設中止への大きな転換/世界遺産に向けて/入山規制問題の混迷/白神山地の歴史的利用状況/赤石川流域地区の人たちとの自然とのかかわり/藤里町の人たちの自然とのかかわりと近代化施策/入山問題に対する青森県と秋田県の対応の違い/保護管理における共的(コミューナル)と公的なあり方/登山と渓流釣りの場合/文化伝道者としての「よそ者」/保護問題の新しい視点に向けて
終章 わたしたちはいかにして「つながる」ことができるか 237
「もぐらたたき」を回避するには/「社会的リンク論」の先にあるもの/「生活環境主義:と「社会的リンク論」/「よそ者」の意味――動的な理論へ
あとがき 249
■引用
p.46-47
「保全」と「保存」の対立
…森林管理という観点から、アメリカにおいて自然保護に最初に積極的に取り組んだのはピンチョであった。彼はフランスのナンシーに留学して森林管理学を学んで帰国して、1890年代から森林管理に携わった。とくに、1898年に農務省の森林局長に迎え入れられてからは、森林管理行政の中心となり、1901年からセオドア・ルーズヴェルトの下で公有地の天然資源管理の重要な役割を担った、彼の自然保護は、「森林<管理>」あるいは「資源<管理>」であって、基本的に「保全」であり、功利主義的な観点からのものであった。彼の自然保護の基準としての「最大多数の最長期間の最大幸福」という考え方はそれを象徴している。
p.48
…ヨセミテ渓谷の国立公園化には、ミューアのような「保存」論者だけでなく、「保全」論者の動向も大きく関係していた。サンホワキン渓谷の農業開発にはヨセミテの国立公園地域からの水利の安定性が重要であると考えられており、そのような功利主義的な目的で、ヨセミテの国立公園化を指示している人たちもいたのである。
p.48-49
19世紀末から今世紀初頭にかけてサンフランシスコ市がヨセミテのヘッチ・ヘッチィ渓谷に、慢性的な水不足を解消するためと、水力発電による電力確保のためのダムを建設することを計画してその建設許可を求めていた。1908年に連邦政府の内務長官がそれを受理して論争が始まった。その時に「保存」派として中心的にに闘ったのはミューアであった。彼は以前求められて一緒にヨセミテを歩いたセオドア・ルーズヴェルト大統領に手紙を送ったりして、原生自然に対して人の手を入れることに反対を唱えた。それに対するピンチョは、適切な管理をしながら賢明な利用をしていくという「保全」の基本原則に則る形で、結局は建設を認める対応をとり、長年の論争の末に行われた下院の公聴会でもそのように証言した。この論争は、1913年に最終的に建設が認められることで決着した。「保存」派は、この時代にあっては、「保全」派との対立の中で敗北を喫したのである。
この「保存」派と「保全」派の対立は、その後にも、形を変えて繰り返し出現しており、現在でもなお議論は絶えない。この意味でこの事例は古典的な事例である。そして「保全」派の論理を支えた思想の背景は功利主義であり、さらに、成立したばかりの生態学を基礎とした科学的管理で裏打ちされていた。しかし、それに対して「保存」派の論理は、この時点では、ロマン主義的な感性を共有する部分に訴えかける以上のものはなく、希薄であったと言わざるを得ない。そのよいうな「保存」のための論理が明確に打ち出されたのが1970年代の環境主義への転換の時代なのである。
*作成:森下 直紀 追加: