『和解ある老いと死――家族にとっての看取りとは』
黒岩 卓夫 19950825 教育史料出版会,206p.
last update:20101211
■黒岩 卓夫 19950825 『和解ある老いと死――家族にとっての看取りとは』,教育史料出版会,206p. ISBN-10: 4876522839 ISBN-13: 978-4876522835 1575 [amazon]/[kinokuniya] ※
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「MARC」データベースより
患者・家族・医師や看護婦が三つ巴になり、喜びや悲しみを分かちあって進められる在宅ケア。その中で著者が関わってきた、「老い」や「死」について書き綴った12章。〈ソフトカバー〉*
■引用
序
「私は世に言う、安楽死や尊厳死はありえないと思う。また大往生もありえない。なぜなら人間の死はまさに人間的なのであって、元来日常生活の継続のなかに実現されるにすぎないからである。
しかし病院死はそうではない。日常性を断ちきった場所でのケアであり死である。そのような世界のなかでは、安楽死や尊厳死が叫ばれるかもしれない。
大往生のイメージは、高僧が自分の死を予言して、弟子たちを枕元に集め、遺言を与<0009<てなんの苦しみもなく従容として死を迎えるといったものである。
また超ベストセラーになった永六輔宇治の『大往生』は、氏独特の軽妙な語り口で死を描いている。
そこに描かれる死は連続する映像のなかで好ましい一コマをクローズアップしたものに似て、誰しもがいだく、どうしようもない死への恐れを忘れさせてくれる。そうか、そんな死ならちょっとやってみようかと思ってしまうほどである。
しかし私のように、くり返しくり返し死の場に臨む者からみると、かならずしも永氏の描いたように死はやってこない。苦悶とまでいかないにせよ、物が食べれない、大便がでない、小便がもれる、床ずれができた、夜がねむれないといった、一見とりとめもない”不快”の時がゆっくりと過ぎていくのが死への過程なのだ。
それを家族が共に味わい、微力ながら医療者がケアし、どれほどかお互いに自分を抑制することによって、お互いにやさしさを分かち合うことによって死へのドラマが進行する。」(黒岩[1995:9-10])