日本のサリドマイド集団訴訟と2020年代に必要な補償について
松枝 亜希子last: update: 20251017
◆松枝 亜希子 2025/10/25-26 「日本のサリドマイド集団訴訟と2020年代に必要な補償について」, 障害学国際セミナー2025, 於:京都(日本)
◇障害学国際セミナー2025 ◇障害学国際セミナー
◇障害学
*作成:中井 良平
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松枝 亜希子 2025/10/25-26 「日本のサリドマイド集団訴訟と2020年代に必要な補償について」
"Japan's Thalidomide Lawsuits: Compensation Needs in the 2020s"松枝 亜希子
社会理論・動態研究所研究員/立命館大学生存学研究所客員協力研究員
1.研究の背景――サリドマイド事件とは?
1950年代後半から1960年代はじめにかけて、全世界的にサリドマイド製剤を服用した妊婦からサリドマイド胎芽症の新生児が生まれた薬害である。サリドマイド製剤は、1950年代後半に西ドイツの製薬会社が開発した鎮静・催眠薬である。この製剤には催奇形性があるため、妊娠初期に妊婦が服用した場合、障害のある新生児が生まれることがあった。サリドマイド製剤はつわり等に有効であり、なおかつ安全な医薬品だと宣伝されていたため、妊婦が服用し、被害が全世界的に発生した。日本では被害が1961年頃に顕在化し、当時、サリドマイド製剤は医療機関で処方されていたと同時に市販もされていた。日本では、サリドマイド製剤による被害児が1,000~1,200人出生したと推定されている。2.研究の目的
本報告の目的は、日本初の薬害集団民事訴訟となったサリドマイド訴訟の経緯と、1970年代に締結された和解内容を確認することである。そのうえで、1970年代に締結された和解の内容が2020年代の補償の枠組みとなっており、これは2020年代のサリドマイド被害者への補償としては不十分であることを示す。以上の検証により、2020年代に被害者が必要な補償を獲得するための障壁について検討する。3.日本のサリドマイド訴訟の概要
1960年代前半におこなわれた被害者の親たちによる製薬会社との直接交渉は実らず、また人権擁護局への救済申立等は却下されたため民事訴訟が提起されることになった(全国サリドマイド訴訟統一原告団・サリドマイド訴訟弁護団編 1976)。 まず1963年に、被害児およびその家族が名古屋地方裁判所に製薬企業を被告として提起し、翌1964年には、京都地方裁判所に国(旧厚生省)および製薬企業を被告として提起した。この2つの先発訴訟が提起された後の1965年11月に、全国各地に散在する20数人の被害児とその家族が、東京地方裁判所に国および製薬企業を被告として損害賠償請求訴訟を提起した。これがサリドマイド集団訴訟の第一次集団訴訟であり、日本初の薬害集団民事訴訟となった(全国サリドマイド訴訟統一原告団・サリドマイド訴訟弁護団編 1976; 川俣2010)。 1966年以降、各地の原告および弁護団の間で交流が進み、全国統一原告団および弁護団会議が結成され、東京地裁訴訟が全サリドマイド訴訟のモデル・ケースとして進められた(藤木・木田編 1974; 川俣2010)。 訴訟では、サリドマイド製剤と被害の因果関係、責任の所在および補償などについて原告団と国および製薬企業が争った。国および製薬企業側は、サリドマイド製剤と被害の因果関係を強く否定し、不法行為責任についてもこれを全面的に否認したため、訴訟が長期化した。(藤木・木田編 1974; 全国サリドマイド訴訟統一原告団・サリドマイド訴訟弁護団編 1976)。4. 訴訟の決着点としての和解
日本初の薬害集団訴訟となったサリドマイド訴訟は、ジャーナリストや医学・推計学の専門家、学生、市民などによって支援された。サリドマイド訴訟を契機に、日本国内の薬害市民運動が展開されたといえる。市民運動の訴訟支援者は、国および製薬企業の責任を追及し、サリドマイド製剤による被害の実態を社会に訴えることで、日本初の薬害集団訴訟に世論の関心を集めようとした。そうすることで、前例がない薬害集団訴訟を原告団優位に進めようとした。当初、この方針は原告団・弁護団・支援者で共有されており、因果関係および責任の所在等を明確にするべく訴訟での判決を求めて協働していたのである。 けれども、判決か和解かという訴訟の決着点をめぐって、原告団・弁護団と支援者の見解の相違が表面化していく。原告団・弁護団は裁判の長期化による精神的・肉体的疲弊、経済的困窮などを鑑み、判決ではなく和解交渉による訴訟の早期解決を支持するようになった。 いっぽう支援者は、判決によって因果関係や国および製薬企業の過失責任を明確にすべきだと主張していた。なぜなら、支援者は精力的に薬害告発をおこなってきており、薬害被害者等が連帯する活動も支援していたがゆえに、サリドマイド訴訟を後に続く薬害訴訟の先例にしたかったからである。 最終的に、サリドマイド訴訟は1974年10月に原告団と国および製薬企業の3者が確認書に調印し、和解で終結した。和解では、国および製薬企業がサリドマイド製剤と被害の因果関係と責任を認め、今後、重篤な薬害が再発しないよう最善の努力をすることが確認された。 和解の成果として、未提訴者も含めた全被害児への一括賠償が実現し、生存者309名が被害者として認定された。さらに、福祉センターいしずえが設立され、希望者への長期継続年金事業が実施された。年金事業には、国および製薬企業が負担する条件で、物価上昇や金利変動リスクに対応する物価スライド制が導入された。和解は被害者の分断をもたらすことなく、福祉的事項を実現し、原告団の要望に大きく譲歩するものとなった(川俣2010)。いっぽうで、国家賠償請求訴訟で判決を得なかったことにより、国の過失責任等は法的に明確にされないままとなった。5. 二次障害と2020年代に必要な補償についての考察
被害者への補償は、1974年の和解の確認書をもとになされてきた。けれども、1970年代に締結された和解内容では、2020年代の被害者の障害に十分に対応できていないという事実がある。 和解から約50年を経た2025年現在、平均年齢が60歳を超えた被害者は幼年期より足や口など体を酷使してきた結果、深刻な痛みや機能低下などの二次障害に苦しんでいる。二次障害とは、障害のある部位をかばい、他の部位に無理を加え続けたことで痛み等が現れることである(NHK 2025)。二次障害への対応には資金が必要であり、社会福祉施策の強化が必須である。けれども、現在、国によって新たな施策はなされていない。 和解の確認書には「現時点で予測しえない新たな障害が生じたとき当事者が誠実に協議し解決する」とある。二次障害は確認書の「新たな障害」に該当し、国および製薬企業の誠実で早急な対応が望まれると被害者は強く主張している(NHK 2025)。 和解から約50年が経過しており、1970年代の和解内容をもとにした補償枠組みでは、2020年代に被害者が必要とする補償を提供できないのは当然だといえる。サリドマイド製剤による被害に対して、国が責任を果たすという認識のもとで、新たな施策を実施する必要がある。文献
- 蘭由岐子, 2023,「サリドマイド薬害」本郷正武・佐藤哲彦編『薬害とはなにか――̶̶新しい薬害の社会学』ミネルヴァ書房,77-93.
- 藤木英雄・木田盈四郎編,1974,『薬品公害と裁判――サリドマイド事件の記録から』東京大学出版会.
- 平沢正夫,1965,『あざらしっ子―薬禍はこうしてあなたを襲う』三一書房.
- 川俣修壽,2010,『サリドマイド事件全史』緑風出版.
- 松枝 亜希子,2022,「サリドマイド訴訟への市民運動による支援と原告団との見解の相違について」『大原社会問題研究所雑誌』769: 40-56.
- NHK,2025,「続 薬禍の歳月 薬害サリドマイド事件60年」『ETV特集』,初回放送日:2025年3月15日.
- Stephens, Trent and Rock Brynner, 2001, DarkRemedy: The Impact of Thalidomide and Its Revivalas a Vital Medicine, New York: Perseus Books Group.(=2001,本間徳子訳『神と悪魔の薬サリドマイド』日経BP社.)
- 全国サリドマイド訴訟統一原告団・サリドマイド訴訟弁護団編,1976,『サリドマイド裁判――第一編 総括』総合図書.