後藤秀和さんへのインタビュー
2022/05/12 聞き手:
田場 太基 場所:ZOOM
last update: 20220529
■インタビューについて
後藤秀和 (自立支援センターおおいた 理事長)
聞き手: 田場 太基
インタビュー実施日2022年5月12日(木曜日)15:00-15:40 Zoom にて
■本文
田場
お願いします。1つ目に、後藤さんがもし可能であれば、どういった経緯で別府の今のCILに入ったかをお聞きしたくて、まずは。聞いてもいいですか。
後藤
そうですね、あの、私今45歳なんですけども、29歳の時に別府に移住しているわけなんですね。私今代表でありますけども、2代目の代表になりますので。前回インディペンデントリビングに交流会に参加していた、米倉の方から、お誘いを受けてですね。こういう生活体があることを知ったわけなんですね。それまで本当全く、そういう障害者の自立の支援とか、そういうことに携わらなかったのですが、(米倉から)招待を受けて入社して。それから、丁度ですね、障害者の自立支援法が導入された時期だったんですね。2008年になりますかね、あの時は。その時から、障害者運動に携わるということになってきたんですね。その、お誘いがあったというきっかけになりますね。 (1min31sec)
田場
そうなんですね。あと1つ、米倉さんの『暴れん坊の車いす』読んでるときに、別府の国立、別府重度障害者センターっていうところが、脊損者だったりあとは重度の障害者の方々たちの自立訓練をするっていうところがあって。結構、そこから動かれる、社会復帰、社会参加される方って多いんですか。(2min1sec)
後藤
実はですね、あの、私も重度障害者センターに入ってて。ここのスタッフ(別府CIL)の半数、6割くらいが重度障害者センターを出てるわけなんですね。今はですね、福祉制度の中で仕組みが少し変わってきているんですけども。私がいた当時というのが、米倉もちょっと先になりますけども、だいたい23、4年前くらいのときにいたわけですね。そのときには、年齢が16歳くらいから、高校生くらいから、4,50代の方が大体メインで入所されていて。大体70名くらい入所されていたんですよ、そのときにですね。受傷した当時というのは、みんな病院の生活で、1番重度な障害があるわけですね。(3min10sec)だけど、重度障害者センターは、言うても、今まで自分が1番重度の障害だと思っている、ケガとか病気とか色んなもので。そういった、車椅子の生活になって。思っていたのが、自分よりも状態、ようは、障害が重い方もいたりするわけなんですね。そうすると、色んな助け合いとか、もっと言うと、悪い意味での無い競い合いが生まれるわけです。悪い意味のない競い合いと言うのは、自分でやれることを増やしていこうと。例えば、外出が、重度障害者センターの前はかなりの坂ですから。制限されるわけなんですね。だけど、自分で力を付けていくことによって、その坂道を登っていく力を付けたりだとか。食事はまず、自分で出来なければ、重度障害者センターにはOTの中に、そういった工具を上手く、自分の形に合わせて作ってくれる方もいて。あとは、こういった自分たちが出来ることを増やしていくためのプロフェッショナルがいっぱいいたわけなんですね。なので、みんなで切磋琢磨しながら、助け合いながら、競い合いながら、成長していくという過程が昔の重度障害者センターの役割である、ということですね。
田場 4min41sec
ありがとうございます。すいません、あの聞いて、なるほどとなるところがあって。以前話が出来なかったんですけれども、僕自身もですね、実は先天性の右手右足、右半身に軽い麻痺があって。これによるのが、僕、早く出てきちゃって、それで。何回かあの中学校入って、入ったあたりくらいまではリハビリを繰り返したりして。そっから、沖縄出て、別府のAPUに通っているという状態なんですけども。やっぱり、リハビリをする時に、僕自身、ああこれはもう治せないんだって挫折したのが、中学校2年生の時だったんですね。僕は、比較的、こう言い方は失礼なのかもしれないんですけども、比較的僕に関しては軽い方なので。正直な話、ポケットに手を突っ込んじゃえばバレないから。周りの友達とかにも、何かあったとき以外には、思ったりしたり。あとは、やっぱりここで自分の麻痺のハンデがかかるときは。この、スポーツをする時とか何か身体を動かす時にハンデがあるから。そこは、ごめん俺、運動音痴だからって何かしら流したりっていう部分も多少なりありながら、そういった経験とか思いもありつつ、今回、別府大分における当事者って言われている人たちの話を聞きたいなというのがあったんですけども。あの、そうですね、はい。
で、後藤さん自体は元々どちらのご出身ですか。(6min52sec)
後藤
私は、九州なんですけど。宮崎県の小林市というところの出身になります。
田場 7min2sec
そうだったんですね。あのなんで今僕これを聞いたかと言いますと、五反田さんとも話する機会があった時に、五反田さんも熊本県の出身の方であった。米倉さんも福岡出身であったと言うのを書いてあったんですけれども。結構、別府って集まってくる場所なのかなって個人的に思ったりしてて。そこらへんはどうなんでしょうか。集まってくるんですか。
後藤7min31sec
結局ですね、先程の私たちの重度障害者センターから出たメンバーが多いという話をお伝えしたんですけれども。重度障害者センターを出るときに、当時は、選択肢が3つあったわけなんですね。
田場 7:53
あっ、すいません。これって何年くらいの、2000とか1900とかの話ですか。覚えている限りありますか。
後藤 7:58
あの、私が45で22歳でセンターを出てるので。23年前です。の時代の話ですね。その当時は、訓練、比較的状態がいい人。そういう言い方になりますけども。埼玉県の所沢に行くというパターンがありました。そこでは、専門的な職業訓練を受けて、色んな技術というかですね、資格も含めて取得して就職につながっていくというパターンがひとつ。もう1つは、親元、ようは在宅に帰るということですね。3つ目は、どうしても行き場所がない方は施設という方がいました。この3つの選択だったんですね。ようするに、少ししかなかったんですよ、場所としては。大半が大体1と2。所沢に行かれた方とか、在宅に戻る方が大半でした。で、一旦、五反田もそうですけど、在宅に帰って。私も帰って、在宅に帰って。地域で生活をしているんですけど、どうしてもね、別府で重度障害者センターで過ごした記憶っていうのが。別府自体はですね、中々、ハード面は決して良いとは言えない、別府自身は。ただ、道路悪かったりとか。ただ、太陽の家ですかね、やっぱり。太陽の家を含めて、人の教育、ようは、人が障害者という風なところと平等な関係性が築き上げているのが過去から別府は出来上がっている。そこの居心地の良さも含めて、戻ってきたというパターンが多いですね。なので、五反田は熊本、私は宮崎、あとは、奈良とか福岡、山形ですね。あとは、こちら(別府CIL)に改めて来たという方が今職員にいます。
(10:20)別府は、そういった福祉のソフト面が進んでいると。全国の中でも抜群に進んでいると捉え方をして頂いても良いかもしれません。
後藤 10:31
そうなんですね。やっぱり、僕自身もそこに関しては、優しいなと思う部分もあって。自分も身障者手帳を持っているので、別府に住所を移すってなった時に、結構、説明が手厚いなというのもありましたし。僕が住んでた沖縄とちょっと何かしら違う部分もあるなと思ったりしてて。
でですね、米倉さんの本の方にも書かれてあったんですけれども、後藤さんが初めての別府の温泉の観光を先駆された方というので色々書かれてあったと思うんですけれども。この別府の温泉を色々最初やっぱり、後藤さんが開拓者として、バリアフリーに向けていったと思うんですけども。これをやろうと思ったきっかけってあったりしますか。
後藤11:35
単純にですね、別府に過去いた時に温泉に入ったこともなく、こちらに改めて29歳に帰ってきた時も、温泉はいっぱいある。観光も含めてなんですけども。温泉を売りにしているのに、障害の方が入れてる環境が作れているのかっていうのが疑問を持ったわけなんですね。まずは何か温泉自体を変えてやるというような意欲ではなくて、まずは自分が経験してみようという部分で、そういった色んな仲間を募っていってですね。そう言った温泉でのチャレンジを始めたというのが経緯ですかね。
田場 12:25
そうだったんですね。結構こう、状況変わりました?状況的に。やっぱり、別府駅周辺の温泉、不老泉だったり海門寺だったり、僕も行かせて頂くときがあるんですけど。本当にフラットだなというのが多少なりあって。これに関しては、別府のバリアフリーの観光のパンフレットも一度拝見したんですけども、そういったものに関しても最初からなかった感じですか。
後藤 12:57
あの、実際はですね、数カ所はありました。あったんですけど、ここ10年くらいでそういったバリアフリー認識というのが高まってきました。それと同時に、やっぱりそれも運動だったわけなんですね。結局、今まで入っていない温泉に障害がある方が行くわけですよ、私も含めて。何人も行くわけですよ。そうすると、自ずと施設側の方の意識も何かちょっと手すりをつけようかとかですね。段差をちょっと無くそうかなという意識は結構広まってきたかなというところがいち。あとは、市営温泉、先ほども申し上げたように、不老泉もそうですけども、今別府の市営温泉に関しては、新しく出来るところは、必ずユニバーサルデザインにつくっていくので。ようは、不老泉、海門寺温泉もそうですし、あとは亀川の亀陽線(きようせん)、堀田温泉もバリアフリーですから。紫石温泉はちょっと段差があるんですけども。市内に6ヶ所のそういったバリアフリー市営温泉があるというわけなんですね。だから、それは全国としても例がないということで、私たちも観光の方々にアピールしていけるように、バリアフリー市営温泉という冊子をつくっているんですけれども。そういった背景で、ここ10年でかなり変わってきたというのは目に見えて分かったということですかね。
田場 12:34
そうだったのですね。大変興味深いです。ありがとうございます。あと、色々運動をされていく中で、また米倉さんの本の話に戻るんですけれども、彼自身も車いすに乗りながら別府の飲み屋街に行ったりとかっていう話もあったと思うんですけれども。あとですね、これも何気なくチラッと聞いた話で信憑性があるかどうか分からないんですけど、別府市内の大体の飲み屋街は車いすでも入れるよっていうのを聞いたことがあるんですけども。それに関して何かあったりしますか。繁華街のこのバリアフリーみたいなもので。
後藤 15:18
まず、別府の飲み屋さんに関してはですね、バリアフリーになってるところが結構多いです。例えば、入口に階段があったとしても、特殊につなぎ合わせたスロープを用意しているとか。あとはもう入口から段差がないとか。もっというと、あんまり重い車椅子じゃなかったら抱えてくれます。というのが、別府ってそこが凄いと思うのが、車椅子だから福祉ではないわけですよ。車いすの方もあくまで商売相手なんですよね。すごかったのが、車椅子3人で、階段3段上がる飲み屋さんに行って入ったら。どちらかといったら、年配の方が経営するお店だったんだけど、その年配の方々が経営する全員で、車椅子3名抱えて上げましたからね。かわいそうとかそういうことではなくて、あくまでも障害があってもなくてもお客さんなんです。だから、繁華街はバリアフリーになってなくても、ほとんど入れますっていうのが、答えかもしれません。
田場 16:40
そうだったんですね。やっぱり、そういった動きっていうのが米倉さんだったり、そういった方々たちの影響って大きいですか。
後藤 16:50
私はですね、あの、言うても、この団体が出来て20年になりますけども、米倉自身はもう別府で、実際35、6年ぐらいもうなりますから。先駆者として、色んなそういった変えていくと言うのは凄いなと思いますね。何が凄いかと言うと、やはり行こうかなと思うのが凄いわけですよ。
ようは、結局、このCILもそうですけど、実際地域の中で活動する人がいなければ、何も変わらないわけですよ。なぜかと言うと、地域の方々が不便を感じてないわけなんですね。障害者の方々がアピールしていかないと、その障害がない方に関しては不便を感じないわけですよね。なので、行って色んなことを伝えて、そういう共存をしていく。共生していく社会の必要性を色んなところで伝えていくということがまちづくり、福祉のまちづくりの第1歩になるのかなと思っているわけですね。
田場 18:01
そうなんですね。ありがとうございます。大変興味深いですね。やっぱり、障害者が当たり前じゃないから分からないからどうしていいか分からないっていうこのサイクルに陥っちゃうと思うんですけど、やっぱり外に出ることって凄い大事だなと思いますし。
今までの障害者運動のケースを見てきたときに、大体やっぱり、自立生活においてフォーカスが当てられてたと思うんですけど、自分のことは、自分の生活は自分で決めるという自立生活運動のスタイルから。別府に関しては、そこもありつつ、どんどんまちに出てる、自分から外に出てる、地域に出てる、地域の外に出る。障害当事者の方々が(別府は)多いのかなと思っていて。これもやっぱり、太陽の家の影響だったり、そういったものもあったりすると思うんですけれども。
何か別府自体の特殊な運動を捉えたときに、障害当事者の方々たちも自分達でまちにアクセスするために、移動性、利便性をもっとより良くしていくために、動いている方々たちが多いなって感じるんですね。
これまでの運動の中で、周りの第三者の関係性というのが別府で築けていっているんだろうなと、僕関心してて。何かしら僕もAPUに来て別府に住む機会があったので、これを機会に感じですね、はい。
後藤 20:06
ありがとうございます。確かに、運動というのは大小いっぱいあります。例えば、地域の道路であったりとか公共施設をバリアフリーにしていくってなったら、それだけの費用がかかったり。要するに、ハード面ですよね。っていうのは、私たち1団体だけではなくて大きな運動、行政との交渉を含めても巻き起こしていきます。ただ、それも発案者というかやろうよという人がいなければ流れていくわけなんですよね。特に私たちのCILの活動として今までやってきたのが、やっぱり、地域社会のバリアフリー問題っていうことに関しては、かなり向き合ってきたのかなという、1つ目の大きい方です。小さい方って言っていいか分からないんですけれども、自立といった障害者運動って誰でも出来るというふうに思っているわけです。どういうことかというと、その自分が住み慣れた地域の中で、1段段差がある、例えばラーメン屋さんとかうどん屋さんでもいいですよ。そこに行くことを諦めずに、抱えてもらったりしても良いです。とにかくそこに行って食べ続ければ、必ずと言っていいほど、必ずはちょっと言い過ぎですけども、ほとんどは、スロープ付けてくれたりだとか、店主の心意気が変わってきます。これも立派な障害者運動なんですよ。ようは、その人が行って下さったおかげで、そこを利用出来る障害のある方々がいっぱい増えるわけですよね。それの積み重ねが今の別府のまちにあるのかなということですね。自立生活運動の原点っていうのは、チャレンジするということがどれだけ増えてくるのかっていうのも大きな要素になってくるのかなというわけですね。
田場 22:00
ありがとうございます。運動に関しては、僕自身最初に入ったのが、有名どころなんですが、青い芝の会から読みつつ、入って。すごい革新的な活動をしてきた人たちなんだなっていうのがあって。大変興味深いですね。
あの、後藤さん自体も29歳から45歳に至るまで、別府で過ごされてきたと思うんですけれども、どういう風に別府のまちが変わっていったと思いますか。何か感じることってありますか。
例えば、スロープが増えたとかあると思うんですけど、行政とのいざこざだったりとか、なんかそういったもの、だいぶ手間省けてきたなとか何かしらあったりしますか。
後藤 23:20
今ですね、行政間向けに関しては、何か新しいものをつくるときには、必ず 私たちの団体に相談に来てくれるという。それを私たちが偉いとかそういうのではなくて、やっぱりそれだけ、凄いことをやってたわけですよ。青い芝の会みたいなものではないですけれども。結構、喧嘩、言い合いになるくらいの厳しい権利主張を(別府のCIL)からやってきたんですね。今時代がですね、別府だけではなくてですね。色んな差別解消法もそうですけども権利条約も含むんですけども。バリアフリー新法もそうですが、法整備が全国的に進んできた、もちろん条例もそうですけれども。そういった縛りがあるというか、法があることも大きな要素で。それによって交渉がしやすくなっている。(24:30)どう変わったかというと、対面的に揉める交渉はしないです。ただ、お互いに行政と話し合って、協働しながら、率直に話はします。差別解消法でいったときには、要領と対応方針があるんですけれども。対応指針ですね。ようは、当事者に聞き取りをしてですね、行政とした義務としたものをしかりと、初めから誰もが出来るようなものにしないといけない法律があるので。単純に行政から提示があったときに、それは差別になりますよと素直に言えるわけなんですね。そうすると、ものづくりに失敗がないということです。それから、行政としては、別府はですね、私たちの団体に聞きに来て下さるのですけど。声を聞いて慎重にしています。声を全部聞くようにしているので。
(25:34)実は、今年、本年度から3ヵ年くらいかけて、別府駅につながる道路線、例えば、富士見通りであったりだとか、ようは、別府に関しての道路・歩道は、バリアフリーになります。それは、障害のある方がいるのも大きな要素ですけれども、観光の要素も含んでいて。バリアフリーでなければ観光としてもね、やっぱ皆んな動きづらいわけです。もっと言うと、2025年問題にはなりますけど、今別府市の高齢者人口というのは、全国平均を大幅に上回っていて。36%の人が65歳以上の高齢者なんですよ。なので、道路を良くしないといけない。ただ、それをバリアフリー新法で勝手につくるんじゃなくて、多様な障害者の方に参加して貰って。まち歩きとして、行政と意見交換会をして、はじめて施工にあたるということが、去年調査をして、今年からつくられていきます。なので、まとめると、障害の意見をより聞くようになったということですね、今の別府市においては。
田場 27:02
ありがとうございます。2002年でしたっけ、別府のCILが立ち上がったという認識で大丈夫ですか。
後藤 27:10
ええ。
田場 27:12
それまで、別府のCILが立ち上がる前って、どういった感じだったというのか、雰囲気というのか、覚えていますか。生活をしていく上で不便だなとか。
後藤 27:39
あの、実際ですね、別府、20年前に立ち上がったのがスタートなんですけども、それ以前に私も別府に重度障害者センターにいましたから。そういう活動団体なかったわけです。ただ、CIL化したのは、米倉が20年前にしたというだけの話であって。その前から、米倉が任意団体として活動は実際してたわけなんですね。車椅子体験とか。交渉というよりも喧嘩が近かったわけでしょうけど。色々文句を言いに行ったりとかですね。なので、それ以前の別府っていうのは、どちらかといったら、施設のハード面はまだまだ激しかった。ようは、階段とかもかなり多かったし、そういったバリアフリーもほとんどなかったですし。だけど、絶対的に言えるのは、CIL立ち上げる20年前よりも先に、人っていうのは既にソフト面は整っていたというふうにと思います。(28:41)あの、私たちが重度障害者センターから、10人20人でカラオケボックスに行こうが、近くの飲み屋に飲みに行こうが、大概のところは受け入れてくれるという仕組みはできていましたね。
田場 28:58
そうだったんですね。ありがとうございます。やっぱり、この重度障害者センターでのつながりってすごい大きいのかなって、僕自身、感じて思うんですけれども。あの別府って、国立病院が。
国立の重度障害者リハビリセンターもあるんですけれども。国立病院が、別府病院、今の別府の亀川医療センターですよね。別府医療センターと、西別府病院、2つっていうのがあって。それ前、以前が、別府自体が温泉観光である前に、温泉療養地であったっていう話も、本で見たりとかしたりして。あのですね、それで、リハビリの一環とかそういった療法の中で、温泉療養、療法に特化したものってあったりしたんですか。
後藤 29:53
実際ですね、別府重度障害者センターは、ようは、戦争で負傷された方々の療養施設だったんわけなんですよ、昔はですね。基本的には、そういう当事も含めた場所からスタートしている。歴史的な話になると、戦争の時も別府は燃えなかったという説が残ってるくらい。温泉土地っていうのはそういう中でも、重宝された、あの大切にされている。重度障害者センターは別府ならではだと思います。障害と温泉というのがイコールするかというと、ちょっとまだ分からないところがありますが、ということですね。
田場 30:53
そうなんですね。ありがとうございます。だいぶ今ので、お話しが繋がってきて面白いなって思いますね。あと1つ、僕はこれ面白いなと思ったんですけれども、肢体不自由者、身体障害者たちに向けた、そういった住宅を建設するっていうプロセスがあったと思うんですけれども。これも、別府大分のこのCILって、すごい面白い動きだなと思ったりしてて。それって、ケア付き住宅みたいな感じなんですか。それとも、物理的に全部バリアフリーにしちゃって、何かあったらいつでも対応できるように、ナースコールじゃないけど、あるような感じなんですか。聞いてもいいですか。
後藤 31:50
あの今言った、1個目も2個目も全然違います。私たちの決めている住宅っていうのが、施設ではないんですね。ケア付き住宅でもないし、ナースコールが鳴るわけでもない。障害のある方も何か門限があるのではなくて。何かに縛られることがあるわけではない一般住宅を目指しているわけなんですね。ただ、1人ではもちろん出来ないので。社会資源をしっかりと活用させてもらって。自分で1人暮らしをして、どの時間帯にどのくらいの時間数のヘルパーさんが必要かというマネジメントをするわけなんです。ようは、いくら障害があったとしてもヘルパーさんが居れば、緊急がなくても生活していけるということです。あくまで、一般住宅を目指しているというふうに思っていただければと。もちろん、バリアフリーです。
田場 33:04
そうだんたったんですね。ありがとうございます。そこに関しても面白いなというか、別府ならではっていうか。そこもすごい先駆的だと思ったりしてて。あのですね、ご存じかと思うんですけれども、PLSの落水さんっていう方がいて。その方が以前、別府のCILのところにユニバーサルマンションがあるじゃないですか。そこに見学させてもらったという、フェイスブックの投稿を見たときに、これもすごい面白い取り組みだなと思ってて。そういった形で見学をしにくるとか、体験しにくる方々って多いですか。この別府以外から、別府外からと言えばいいでしょうか。
後藤33:57
先のユニバーサルマンションもそうですけれども。この前交流会を持った別府Jのマンションもそうですけど。結論から言うと、全国にないです。こういった全部の集合のマンション住宅が全てバリアフリーになっている場所って全国にないわけなんですね。これも結論から言うと、
色んな方が見学に来られます。来られるんだけど、やっぱり実現をしていくとなったときには、個々レベルでは中々難しいなというのが現状です。落水くん、オッチーも先月、別府に10人くらいで、オッチーを支える支援者と共にこのマンションに意見交換と見学に来られたんですけども。オッチーとしてもそういったものを目指していきたいということは伝えてたんですけども、どうしてもそれは運営というのがありますから。そのポイント、ポイントを伝えてですね。オッチーあたりは力いっぱい持ってるので、協力者も支援者も含めて。回していける仕組みがあればですね、それを北九州につくるとか、福岡につくるとか、また見学者が増えてくるということで。私もやってみようとか、いうような人たちが増えていくことが必要かなと思います。
田場 35:27
ありがとうございます。だいぶ僕が今回聞きたかったことがだいぶ聞けて。すごい納得する部分もありつつ。またよろしくお願いします。
後藤
また連絡ください。
田場
ありがとうございました。