「盲学校における教育実践の規定構造――キャリア教育をめぐる教師の語りを手がかりに」
佐藤 貴宣 2011 『年報人間科学』32: 39-55.
last update: 20121001
1 はじめに
2002年11月に設置された「キャリア教育の推進に関する総合的調査研究協力者会議」は、その報告書のなかで「キャリア教育」を「児童生徒一人一人のキャリア発達を支援し、それぞれにふさわしいキャリアを形成していくために必要な意欲・態度や能力を育てる教育」、すなわち「児童生徒一人一人の勤労観、職業観を育てる教育」であると定義し、「学校の教育活動全体を通じて、児童生徒の発達段階に応じた組織的・系統的なキャリア教育の推進が必要」であると提言した。こうした提言を具体化する形で、それぞれの学校段階で、従来から行われてきた進路指導に加え、企業や自治体と協力・連携し、職場実習やインターンシップなど体験活動に関わるカリキュラムの開発・導入が進められている。
一方、特別支援教育の領域でもキャリア教育の実施に向けた制度的な基盤作りが進行している。2007年には「職業自立を推進するための実践研究事業」が文部科学省の事業として開始され、特別支援諸学校における職業教育・進路指導のあり方や障害者の雇用状況の改善方策についての検討がなされた。その後、2009年3月告示の「特別支援学校高等部学習指導要領」において「キャリア教育」の文言が初めて盛り込まれる。そこでは「職業教育に関して配慮すべき事項」として、「キャリア教育を推進するために,地域や学校の実態,生徒の特性,進路等を考慮し,地域及び産業界や労働等の業務を行う関係機関との連携を図り,(略)就業体験の機会を積極的に設ける」ことが規定された。この規定は、地域や産業界と協力・連係し、現場実習等の体験的な学習を一層充実すべきとする特別支援学校についての中央教育審議会答申(2008年1月17日発布)を踏まえたものである。とはいえ、これ以前にも特別支援諸学校では知的障害養護学校を中心としてすでに「個に応じた進路指導」という理念のもと、「作業学習」や「産業現場等における実習」など、現在の「キャリア教育」につながる内容の実践を行っていた(坂井 2000)。そうした試みや理念は、キャリア教育の政策的推進に伴って盲学校や聾学校にまで波及し、近年では職業教育課程における現場実習に留まらず、中学部や高等部普通科の段階においても近隣の商店や公共施設などの協力のもと、職場実習の取り組みが徐々に進められている。このように、今やキャリア教育は、普通学校のみならず、盲学校をはじめとする特別支援教育諸学校においても新たな教育理念として受容され、職場実習はそれを具体化するための有効な方法論として定着しつつあるのである。
それでは、実際に個別の盲学校の日常において職場実習を展開している教師たちは、その過程を通じて具体的にどのような出来事に遭遇し、それらの出来事をどのような現実として意味づけ、対応してきたのであろうか。そもそも盲学校の日常を生きる教師達は自らが実践しているキャリア教育をどのように定義し、いかにして教育行為の認識を生成していくのだろう。本稿の目的は、解釈主義的なアプローチに基づいて、これらの問いを考察することにより、いかなる要因が盲学校におけるキャリア教育を規定しているのかを明らかにすることである。この際、2005年度に東北地方のV県立盲学校において高等部普通科3年生の担任として職場実習の実践に取り組んでいた田中教諭(仮名)の語りに注目する。本稿が高等部普通科(以下、「普通科」と略記)に着目する理由は、一般的に普通科卒業時点で、生徒達は高等部に専攻科として設置される職業教育課程(本稿では三療(マッサージ・鍼・灸)教育を行う「理療科」ないしは「保健理療科」を意味する)に進学するか、あるいは他の進路を模索するかという選択を迫られることになり、ここに進路の決定が現実的な問題として立ち現れうるものと考えられるためである。職場実習に関わる田中教諭個人の経験に着目することにより、盲学校においてキャリア教育が有する意味と、そこから導出されうる課題について行為者の視点から現場内在的に考察していきたい。
まず、先行研究との関連において本研究の立地点を明示し、本研究の意義を明らかにしておこう。
2 先行研究の整理
ここでは、盲教育史に関する近年の代表的な議論を追いつつ、盲学校においてキャリア教育的な取り組みが求められるようになる背景を把握するとともに、関連する先行研究を参照することにより本研究の分析の課題を明確にしていく。
いわゆる三療は視覚障害者にとっての伝統的職業分野であり、かつてはほとんどの盲学校生徒が職業教育課程へと進学し、三療に関する教育を受け、理療士として「職業自立」を果たしてきた。ところが、1970年代の後半以降、生徒の進む進路は多様化し、職業教育課程への進学を自明とする既存の進路状況は徐々に変化を見せ始める。つまり、この時期、発達保障の理念と結びついた「権利としての障害児教育論」が展開され、養護学校の義務制が実現することで、それまで「教育不可能」と見なされ、学校教育の外部へと放擲されてきた重度障害児や「盲精薄」「聾精薄」と呼ばれた重複障害児が教育へのアクセスを求めて盲学校等の特殊教育諸学校へと大量に流入するのである(荒川 2003)。また、同時期の1973年には、盲学校高等部学習指導要領改訂により、職業教育中心の学校形態からの脱却を目的として盲学校高等部に普通科が設置されている(谷合 1989)。こうした動向を背景として、職業教育を受けることの困難な生徒の進路保障という課題が新たに浮上し、それと同時に単一視覚障害生徒(障害が視覚障害のみの生徒)の希望する進路も多様なものとなる。そして、「理療の資格取得が困難な盲重複障害児への進路対策」及び「理療以外の職種の職域・職場の開拓」(平田・久松 2004)、ならびに「高等教育へのアクセス権保証」(東 2002)というトピックは今なお盲学校における進路問題の中心的な課題として残存している。さらに、近年の三療業界は、急激な経済変化に伴う雇用不安や、規制緩和を基調とした政策のもとでの晴眼者(非視覚障害者)業者の台頭、あるいは無資格マッサージ業の横行などにより混迷の度合いを深めている(乗松・黒田 2010)。すなわち、三療という職業はもはや視覚障害者にとっての安定した自立への手段ではなくなっているということだ。このことは生徒たちにも十分理解されていることである。近年の盲学校高等部生徒の職業意識を詳細に分析している新谷(2003)によると、高等部普通科の生徒の約6割が三療では生計を立てていくことは難しいと感じており、多くの生徒が三療以外の職業、とりわけ専門的・技術的職業に就くことを希望している。このように様々な事態が複雑にからみあうことにより、専攻科への進学を自明とする単線的なキャリア形成プロセスは大きく変容し、そのことが盲学校関係者の間に従来の進路指導のあり方への反省を促すとともに、キャリア教育に対する関心を喚起している。それでは、現在の盲学校におけるキャリア教育との関連においては、これまでどのような研究が蓄積されてきたのだろうか。
実のところ、盲学校におけるキャリア教育については、教師による実践研究や個別の学校での事例報告がごく僅かに成されているに過ぎず、ほとんど手つかずの常態にあるといってよい。盲学校でのキャリア教育それ事態が端緒に着いたばかりであり、実践的蓄積の乏しい現状では先行研究が限られてしまうのもやむを得ないことであるだろう。以下では、僅かに存在する先行研究が提示している知見について検討し、本稿の課題を明らかにしていきたい。
まず、高垣治は理療科教員の立場から勤務校である徳島県立盲学校の専攻科におけるキャリア教育の充実を目的として、理療教育課程をめぐる実態の把握を行っている(高垣 2008)。ハローワークの職員や卒業生にインタビューを行ない、在校生や他校への質問紙調査を実施することにより、視覚障害者が「社会参加」する際に、「コミュニケーション能力」や「課題解決能力」に加えて、「視覚代行能力や環境認知能力」が重要になると指摘する。また、佐藤高志は、新潟県立新潟盲学校での地域資源(地域産業や関係施設、卒業生など)を活用した幾つかの進路指導実践を概観した上で、「児童生徒の主体的な進路選択・決定をうながし、豊かな進路を歩むことができるようにする」ために、「体験的な活動を積み重ね、将来への関心を高めていくことが必要」であると主張する(佐藤 2006)。この研究は必ずしもキャリア教育というタームに直接言及するものではないが、キャリア教育と同様に、就業体験を通じて将来への関心を涵養するという目的を有しており、その意味でこれもまた、盲学校でのキャリア教育についての先行研究であると見なしうる。さらに、教師の視点から盲学校におけるキャリア教育の問題を描き出そうとする筆者自身の研究では、職場実習についての教師の語りを参照しながら、学校組織に外在する制度的・物理的障壁ならびに視覚障害者に対する社会的な偏見が盲学校におけるキャリア教育を困難にすると論じている(佐藤 2010)。
いずれの研究も、特定の盲学校におけるキャリア教育についての実態や実践を報告するものであり、公表された調査結果や実践内容、教師の語りはキャリア教育をめぐる興味深い事実を浮き彫りにする。その意味で、これらの研究は現場の教育基盤を豊かにするための重要な役割を担っており、提出される種々のデータは盲学校教師がキャリア教育を展開するための実践的な指針ともなるだろう。また、これらはほとんど調査の行われていない盲学校でのキャリア教育の基本的情報を提供するという意味で有意義であるばかりでなく、比較研究や理論構築のための基礎資料としても有効なものであるに違いない。しかしながら、その一方で、これらの先行諸研究が結論として提示する指摘や主張、論述はあまりにも平板かつ陳腐なものであるように思われる。収集されたデータに対する十分な分析を欠いたまま、キャリア教育や視覚障害教育の領域における常識的言説を踏襲し、関連する政策文書に現れる一般的フレーズを反復し追認するに留まっている。また、これらの先行諸研究においては、盲学校でのキャリア教育に関する全体論的な説明を構築し、あるいは実際のプロセスやプログラムを分析・評価することにもとづいて、一般的な仮説を形成しようとも、検討すべき課題を析出しようともしていない。そこでの焦点はあくまでも現象を記述することに限定され、盲学校でのキャリア教育に関して理論的な考察や方法論的な手続きを踏まえて、概念的カテゴリーを考案したり実践上の問題を明確化するといった作業にはあまり関心を向けてこなかったということである。
こうした状況に鑑み、本稿では、教師の日常生活における経験的位相に照準した上で、キャリア教育の具体的な実践内容やその展開過程を記述・分析することにより、そこでの課題を明らかにしていきたい。個人の主観的経験をとらえる視角を援用し、盲学校の日常場面における教師の主観的なリアリティーへのアプローチを試みる。それにより、キャリア教育をめぐる教師の日常活動を産出し規定する組織的・社会的文脈の特徴を分析することが可能となる。すなわち、自らの認識の世界を構築し、日常的な活動を産出する教師の実践的営為を描出すること、並びにそうした実践を制約ないしは可能とする文脈的諸条件を特定化することこそが本稿の課題となるのである。
敢えて本稿がキャリア教育に関与する教師の主観的な意味世界や彼らの日常的経験を分析の俎上に乗せようとする理由とは、学校現場に埋め込まれた認識や実践と、それを規定する社会的世界とを解明することこそ、多様化・複雑化する進路問題を前にして今なお手探りでの対応を続ける盲学校の教師たちにとって、オルタナティブな実践へと連接しうる実際的な〈知〉となり得るからであり、それは、障害児教育実践における「内実を実証的に明らかにする研究自体がいまだ少ない」(堀家 2002: 338)といわれる社会科学における理論的な課題でもあるからである。こうした研究を遂行するためには、教師の語りの内容それ自体に着目し、それを丹念に分析・解釈することにより、「彼らの認識する実践の意味を多元的に把握すること」(古賀 2002: 24)こそが決定的に重要であるに違いない。次節では、方法論を整序し、研究対象を明確化することにより、本稿の性格を確定しよう。
3 分析手法と調査対象者の概要
本稿を方法論的に位置づけるとすれば、盲学校でのキャリア教育に関する「質的ケース・スタディ」ということになるだろう。メリアムによると、「ケース」とは「境界で囲まれたひとつの物・ひとつの実体・単位(ユニット)」である。この定義を本稿に敷衍するなら、キャリア教育の一環として行われた職場実習に伴う経験として田中教諭によって語られたストーリーの総体――職場実習を企画し、実施するプロセスとそれへの評価、それらを支持する意図や目的、動機や理由や根拠、これらに関わる一連の陳述――が「ケース」であり、その「集約的、全体論的記述と分析」こそが「ケース・スタディ」ということになる(Merriam 1998=2004: 38-39)。ケース・スタディは、「研究対象の現象のくわしい説明を示すもので」あり、「ほとんど調査が行われていない教育の領域の基本的情報を提供する」という点で有用であるとメリアムはいう(Merriam 1998=2004: 55)。その意味からすると、盲学校の日常世界という先行研究の乏しい対象領域にアプローチしようとする本稿においてもケース・スタディは有効な方法論となるだろう。
本稿では2006年2月2日にV盲学校の一室で田中教諭に対して実施した、自由回答方式の半構造化面接法による面接調査によって得られたナラティブのトランスクリプトを、ケース・データとして採用する。インタビューでは盲学校での印象的なエピソードや自身の障害者観の変遷、職務上の悩みなどについて語ってもらった。そこからキャリア教育に関わる語りを抽出し、一つの総合的な資料へと整理した。パットンはこうして完結的に組織化された資料体のことを「ケース・レコード」と呼称し、ケース分析を行う際の主たるリソースとして位置づける(Patton 1990: 386-387)。本稿では、こうして作成したケース・レコードから記述的なナラティヴを提示して、そこにエスノグラフィックな背景を付与することにより、文脈依存的な表現を一般的な説明へと修復し定式化するという手続きを用いている。従って、実際の分析はこれらの手順を繰り返しながらそのつど解釈を加えていくという方法において遂行されることになる。
ここで本稿の対象となる田中教諭のプロフィールに触れておこう。田中教諭は盲学校に勤務して4年目で、聞き取り時点で38歳の女性教諭である。専科は家庭科で、県内の教育大学を卒業後、最初に赴任したのは知的障害者を対象とする養護学校であった。養護学校で2年間勤務した後、「不本意」ではあったが、県立の普通高校に異動となり、そこで9年間勤務した。だが、知的障害養護学校での教育にもう一度たずさわりたいという思いを強くし、特殊教育諸学校への転出を申請する。ところが、転勤先として(盲・聾・養護学校という)特殊教育諸学校内部の個別の学校区分まで指定することはできなかった。結局、知的障害養護学校への転出はかなわず、その代わりとして盲学校に配属となるのである。
次節ではいよいよ、田中教諭の語りに即して、V盲学校高等部普通科におけるキャリア教育の経験を具体的な現場を支配する論理や認識構造に従いながら読み解いていく。
4 V盲学校におけるキャリア教育の諸相
従来、V盲学校においては、どの学部からであっても一度入学した者は自動的に上位の学部に進学するものと見なされてきた。高等部においても普通科卒業後、専攻科へと進学することが慣例とされており、ほとんどの生徒が、理療科へと進学し、「職業自立」を果たしている。そのため、V盲学校においては三療関係以外の進路に関する情報の収集や蓄積はこれまでほとんど行われておらず、外部の進路を志向するような取り組みが積極的に行われるということも少なかった。そのため、実習に関する情報の収集や実習先の探索などは職場実習を初めて企画する3年生の担任が独自に行わざるを得なかったのである。ところが、受け入れ先の選定・決定は大いに難航し、結局のところ、一般の事業所で受け入れ先を見つけ出すことはかなわなかったという。最終的に生徒(普通科3年の全盲2名と弱視1名)の実習受け入れに同意したのは盲学校に隣接する点字図書館と近郊の重度身体障害者授産施設で、その期間も僅か二日間と限られたものだった。
4−1 職場実習の目的
このように、初の職場実習は厳しい条件のもと、手探りで試行されていたわけだが、そこでの目的はいったいどのように設定されていたのだろうか。まず、保護者及び事業所に宛てて書かれた『職場体験実習について』と題する文章からこの点について確認しよう。そこには実習の目的が以下のように3点にわたって列挙されている。
(1)実習体験を通して生徒の経験領域を拡大するとともに,職業意識を高め,将来の進路選択についての積極的な姿勢を養う。
(2)晴眼者と同じ職場に勤務することで,自身の障害と社会との関わりについての関心を深め,職場での決まりや社会のルール,働くことの意味を体験的に学ぶ。
(3)生徒の自立心を高める。
ここには、「職業意識の向上」や「進路選択に向けた態度の育成」、「労働概念の体験的学習」のように、キャリア教育の概念規定から一般的に導出可能な項目だけでなく、「経験領域の拡大」や「障害と社会との関係についての関心の涵養」または「社会規範の習得」や「自立心の形成」といった具合に、盲学校ないしは特殊教育の領域に固有の教育言説を反映する目標項目も掲げられている。僅か二日間の職業体験のわりにいささか大風呂敷を広ろげ過ぎであるようなきらいもあるが、ローカルな現実に基づく独自の目標と、職場実習を実施する際に設定されうる一般的で形式的な目標項目とを巧みに結合することで、文脈的状況に整合する定型的な(その意味で妥当な)目的を提示していると評価できよう。
だがしかし、これは公的文書における規定であって、職場実習に取り組む学校の姿勢を外部に向けて表明するためのいわば「公式見解」に他ならない。従って、そこに必ずしも職場実習をめぐる教師個人の認識や判断が十全に反映されているとは限らない。また、こうした規程からは職場実習に対して教師が主観的にいかなる意味を帰属させているのかは見えてこない。そこで、実習の発案者である田中教諭が、職場実習の取り組みに対していかなる意味付与を行っているのかを実際の語りにおいて確認してみよう。田中教諭はそのねらいについて次のように語っている。
働くっていうことのイメージを具体的にさせてあげたかったっていうのがいちばんですかね。働く、働くっていうふうにことばではわかっても、具体的に働くっていうことがイメージできなければ、それを理解したことにはならないなっていうふうに自分の中では思っていたので。実体験を通してのほうがより鮮明にっていうか、ダイレクトに体の中に入ってきますからね。
ここで示されているのは、生徒達に「働くっていうことのイメージを」「実体験を通して」具体的に理解させるということが、職場実習における主要なテーマであったということだ。しかしながら、この年の3年生は実習以前に既に全員が専攻科への進学意思を明確にしていた。それにも関わらず、あえて普通科の段階で、しかも一般の事業所において職場実習を行うことの意義を田中教諭はいったいどんな点に見出していたのだろう。むしろ理療に関わる職場実習であるなら、専攻科のカリキュラムの中に臨床実習という形で組み入れられているのではないだろうか。そうしたカリキュラムを通じて生徒たちはまさに「働くっていうことのイメージを具体的に」理解していくのだろうし、専攻科におけるそれらの実習こそが理療士としての職業的自立を志向する彼らにとって、実際的な意味で有用なものであるに違いない。
既に進路の選択をすませた普通科の3年生に、一般事業所で職場実習を体験させる意義について、田中教諭は以下のように説明する。
私自身もやっぱりそうでしたけれども、アルバイトをしてとか、就職してとか、いろいろ働いてみて、「あ、働くって、こういうことなんだ」っていうのを理解していきますよね。それを年齢をある程度重ねてからっていうより、まだ若いうちに、そういうふうな体験をさせてあげたかったなっていうのもありますし、あの子たちは「アルバイトしろ」つっても、なかなかできる状況でもないですしね。
動機や意図が何であるにせよ、今日では多くの高校生が何らかのアルバイトに従事している。彼(女)らは、アルバイトという形で労働市場に参画することにより、「働くっていうことのイメージを」実際の労働経験を通じて体験的に理解する。加えて、学校の日常と異なる文脈のもとで培われた人間関係や重ねられた社会経験は彼(女)らが将来への展望を育み進路イメージを形成するための重要なリファレンスとなっているに違いない。一方、視覚的なインペアメント(機能障害)を有する盲学校の生徒の場合、同世代の高校生たちとは異なり、そもそもアルバイトの機会を得、市場労働に参画すること自体が極めて難しい。これら一連の背後仮説が田中教諭自身の経験を伴って強化され、上記の語りを支持している。つまり、ここにあるのは、セルフモニタリング能力を備えた再帰的な自己の形成を可能とするはずの社会経験における格差という問題把握であり、盲学校生徒を同世代の高校生に比してよりナイーブな存在として捉える見方である。そうした認識が基盤となって、僅かでも労働体験へのアクセス機会を保障することにより、盲学校生徒の社会的経験の領野をできる限り拡大しようという論理が醸成され、そのための手段として一般事業所における職場実習という営みが言及されているのである。
さらに、これに続いて田中教諭は次のようにも語っている。
社会に出たときにいろんな社会経験の中で、楽しいことも嬉しいことも、もちろんあるんですけど、苦しいこととか傷つく場面なんかもたくさんありますよね。そういうふうなので、いきなりダイレクトにっていうのもちょっと彼らの実態を考えると難しいかなっていうのもあったので、普通科にいる間に「働くっていうことはこういうことなんだよ」っていうふうなことも意味付けをしたいなっていうのはありましたね。
この語りにおいて遂行されているのは、「苦しいこととか傷つく場面」の多い社会に「いきなりダイレクトに」参画するのは「難しい」、と推定可能な特徴を「彼らの実態」は備えているという認識を提示する作業である。ここですぐに、「彼ら」はいったいどのような「実態」にあるものとして理解されているのかということが問題となる。この点を、実習に参加する3名の生徒についての田中教諭の語りを要約し整理することで明らかにしておきたい。
A(弱視男子)は普通学校に在学していた中学時代に不登校を経験し、高校進学時にV盲学校の普通科に入学してきた。B(全盲女子)は、小学部から盲学校に在籍しており、とにかく手をかけられてきているので、生活体験が欠如している。C(全盲男子)は、家庭の事情から高校を退学し働いていたが、事故に遭って失明し、V盲学校の普通科に再入学した。
以上が職場実習をめぐるストーリーにおいて田中教諭が言及する生徒の履歴である。その意味で、これらは職場実習に関してレリバントなものとして田中教諭が認識する生徒の属性を示している。すなわち、生徒たちがこうした履歴を有しているという現実こそが田中教諭の認識する「彼らの実体」なのである。それでは、生徒のこうした履歴を構成要素とする「彼らの実態」はどのように解釈されることにより、いかに職場実習の合理化に寄与しているのだろう。
ここで所与とされる社会常態とは、「苦しいこととか傷つく場面」の多い社会である。「彼ら」はその「実態」において、(「苦しいこととか傷つく場面」の多い)社会に「いきなりダイレクトに」参画することの難しい存在と見なされる。この主張の背後には、「彼らの実態」を条件としなければ、こうした社会に「いきなりダイレクトに」参画したとしても特段の問題は生じないという仮定が潜在する。すなわち、ここで、生徒たちはその「実態」において、(同世代の高校生よりも)「苦しいこととか傷つく場面」に対して耐久性の乏しい、他者に比してよりバルネラブルな存在として認識されているということである。このように、生徒をバルネラブルな存在として類型的に理解することの結果において、生徒たちが「普通科にいる間に」労働へのレディネスを形成しておくという教育目標は妥当性を獲得する。そして、一般事業所における職場実習はそうした目標を具体化するための合理的な手段として位置づけられることになるのである。つまり、田中教諭は、当該の職場実習に対して「働くっていうことはこういうことなんだよ」ということのリアリティーを体験的に理解させるための、いわば〈社会的リハビリテーション〉の一環という意味をも帰属させていたのである。
このように、盲学校生徒を、社会的経験の乏しいナイーブな存在として、あるいは外部の他者に比してよりバルネラブルな存在としてカテゴリカルに同定することの帰結として、職場実習は内実を備えた有意義な教育活動として成就されていく。ここで重要なことは、教育活動のこうした正当性や固有性が、盲学校と普通学校とを別の秩序を持つ現実として認識論的に切断し把握した上で、盲学校生と普通学校生との間に非対称性を構築し、前者を後者の劣位に定位するという教師たちの思考作用を条件として可能となると同時にその結果において成立しているということである。
とはいえ、実際に職場実習を実施するまでにはさまざまな困難や障壁が存在する。では、職場実習の実施をめぐって教師たちが直面していたのは、いったいどのような現実であったのだろう。次に当該の実習が実現するまでの経緯とそのプロセスにおいて立ち現れてくる諸問題について具体的に確認しよう。
4−2 職場実習までの経緯
前記したように、この度の職場実習の受け入れ先は点字図書館と身体障害者授産施設(以下「K園」と呼称する)である。全盲の生徒2名が点字図書館において、弱視の生徒1名がK園においてそれぞれ職場実習を行った。以下、各々の事業所において実習が実現するまでの経緯を田中教諭の語りに即して確認する。
まず、K園の場合である。田中教諭は「普通高校でもやってること」であるなら、「うちの学校でできないわけはない」と思い、当時同県のハローワークが高校生を対象として実施していたジュニア・インターンシップ事業(高校生に自らの適性と職業の関わりについて考えさせることを目的として、各種の事業所において就業体験を実施する事業)を活用し実習先を見つけ出そうとする。
「視覚障害の人のは、なかなか受け入れてもらえないんですよね」っていうふうなお話なんかもあったんですけども、高校生っていう条件は変わらないので、そこをなんとかお願いできないかっていうことで、ハローワークの人にお願いをしまして、いろいろとあたっていただいたんです。その中で感触がよかったのがK園だったので、早速電話させていただいて、交渉はこちらのほうで行ったっていうことなんですけれども。
しかし、ハローワークの職員も「視覚障害の人の場合だとなかなか受け入れてもらえないんですよね」と言うように、一般事業所の範疇においては盲学校の生徒の受け入れに協力的な事業所を見つけ出すことはできなかった。ハローワークを通じて様々な事業所に生徒受け入れの諾否について問い合わせを繰り返すなかで、「感触がよかったのが」社会福祉事業所K園だった」というわけである。
田中教諭は早速K園と連絡を取り、実習の実施に向けて具体的な交渉を開始する。だが、「壁はありましたよ」と語られるように、K園は全盲生徒の実習受け入れをかたくなに拒み続けた。
すぐに電話させていただいて、こちらのほうからあと出向いて、面接というか面談というか、教員側のですね。いろいろ打ち合わせさせていただいたんですけれども、壁はありましたよ、やっぱり。そのときには、弱視の生徒限定っていうことで、向こうのほうからは言われたんですね。いろいろお話しするなかで、作業の中身とかも見せていただいて、うちの全盲の子たちでもできることはたくさんあったんで、教員も付くからそうさせてもらえないかっていうことをいろいろとお話はしたんですけれども、やっぱり向こうのほうでも全盲の生徒であるとか、視覚障害の人を受け入れたことがないので、ノウハウがないから、まずわからないっていうことで、弱視の生徒であれば受けますと、受け入れますっていうふうなお話があったんです。
K園へとおもむき、実際の作業風景を見学するなかで、「うちの全盲の子たちでもできることはたくさんあった」という感触を得た田中教諭は「教員も付くからそうさせて(全盲の生徒も受け入れて)もらえないか」という要請を熱心に行う。だが、K園側は「全盲の生徒であるとか、視覚障害の人を受け入れたことがないので、ノウハウがないから、まずわからない」という説明に終始し、全盲生徒の受入れを承諾することはついになかった。実習が許可されたのは弱視の生徒1名(A)に限ってのことに過ぎない。ただし、その場合でも、教員の引率が条件であったため、田中教諭は二日間K園に出張し、Tに付き添わざるを得なかったという。また、Aは「弱視っていってもけっこう見える弱視」であり、ある程度パソコンに習熟した生徒であったため、田中教諭はそのことをK園に伝え、パソコンのスキルを活かすことのできる印刷部での実習を求めている。だが、実際にAに与えられたのは商品券を入れる封筒を組み立てたりカレンダーをビニールケースに入れるといった程度の軽作業で、「Aにしたら、それはほんとに簡単すぎる作業」であるように田中教諭には思われた。
K園での職場実習について田中教諭は生徒にとっての経験的な意義という視点から「Aにとってはまったく学校と違うところにぼっと入っていろいろやるので、かなり新鮮だったことは新鮮だったみたいです」と評価する。しかしながら、その一方で、K園との職場実習に伴う一連のやりとりを通じて「視覚障害に対するイメージっていうものが社会の中ではまだまだ見えないイコール何もできないっていう風な誤解を受けているんだなあ」という印象を強くしたのである。
一方、ハローワークを経由して全盲生徒の実習先を確保することのできなかった田中教諭は周囲の教師たちにアドバイスを求めた。そこから得られたのが、「点字図書館だったらどうだろうか」という提案である。次にその点字図書館において職場実習が実現するまでの経緯について見てみよう。
県立の点字図書館はV盲学校に隣接し、盲学校生徒の利用も盛んである。同僚教師たちの助言を受け、「灯台もと暗しだった」という感慨をもった田中教諭は早速点字図書館を直接訪問し、2名の全盲生徒の受入れについて協力を打診する。
いろんな先生からお知恵をいただいて、「ああ、なんだ」っていうことで、灯台もと暗しだったものですから、直接行ってお願いしたところ、最初からもうバーンと門前払いに近いようなところまで、実はあって。こちらからすれば、学校と同じ敷地内にあるし、視覚障害の人たちと毎日接している職員さんたちなので、子どもたちに職員として働くっていう、職場の体験をさせていただくっていうことではそんなにハードルはないんじゃないかなって思っていたところもあったんですけれども。向こうとしては「それは困る」と、「全盲の人が来て、ケガでもされたら、どこが責任をとるんだ」っていうことで言われたんですね。それもすごくびっくり仰天で、やっぱり向こうのほうでも、移動するにしても何にするにしても、とにかくこちらのほうでは責任は負いかねるっていうようなところから、実はスタートした話だったんです。
視覚障害者への情報提供施設として「(盲)学校と同じ敷地内に」立地し、「視覚障害の人たちと毎日接して」いる県立点字図書館であるなら、視覚障害者に対する理解も十分あり、それゆえ全盲生徒の実習受け入れに際しても、「そんなにハードルはない」だろうと思われた。ところが、実際には、生徒の「ケガ」や「移動」などに関わる責任論に拘泥する図書館当局により、田中教諭は「門前払い」されてしまう。点字図書館であれば実習の意義をある程度認め、柔軟かつ積極的に対応してくれるに違いないと密かに期待していた田中教諭にとって、図書館側のこうした応答はまさに「びっくり仰天」すべき事態であっただろう。その後、「私一人で行ってもらちがあかない」と感じた田中教諭は管理職と相談の上、再度正式に交渉の席を設け、生徒の受け入れを要請することにする。
何回もお願いしたんです。こちらのほうでとにかく最初に事前指導もしっかりやりますと。学校の中での体験学習なので、何かあった場合にはもちろん学校の責任っていうことで、保険の対象になるっていうこととかもお話させていただいて。子どもたちの実態も心配しているようなことは何もないっていうことで。あと事前の面接をお願いしたんです、子どもたちの。実際に子どもたちに会っていただいて、誤解を解いて、解けたかどうかはわからないんですけれども。そういう風な形で段取りを何度か踏んで、それで「なんとかやれるんじゃないか」っていうふうなお返事をいただいて。そういう風なことで、向こうの方にもだんだんハードルを、心のハードルだと思うんですが、下げていっていただいて、どうにかこうにか実習までもっていったっていう経緯はありますね。
交渉には、3年生の担任の他、盲学校側からは進路部長と教頭が、図書館側からは副館長と事務次長が参加している。田中教諭は交渉過程を通じて何度も、「子どもたちの実態」について説明し、「事前指導」を十分に行うことを確約し、「何かあった場合」の責任は盲学校に帰属することを強調した。また、生徒に対する「誤解」を解消すべく、図書館側に生徒たちへの事前面接をも求めている。このように説明と説得をねばり強く重ねることにより、当初全盲生徒受け入れに難色を示していた点字図書館側も徐々に状況を理解するようになり、ようやく実習生として二人の全盲生を受け入れることに同意したのだった。
こうした経過を経て点字図書館における職場実習が実現し、二人の生徒は、利用者への対応や、録音図書の整理、点字図書の作成など、点字図書館に関わる一般的な業務について一通り体験する機会を得ることができた。しかしながら、物理的にも盲学校に近接し、視覚障害者の福祉に資することを目的として設立されているはずの点字図書館が、このように盲学校生徒の実習受け入れに対して伸張な姿勢を見せたという事実は、田中教諭に「こんなに近くにあるところでも、全盲イコール何もできないっていうのがあるんだな、思いのほかハードルが高いんだな」という印象を再度強烈な形でもたらすことになる。
4−3 構成される生徒の感想
以上はV盲学校において、職場実習という新たな教育的取り組みが具体化するまでの経緯であり、それに関する田中教諭自身の経験を記述したエピソードである。では、職場実習を主導してきた田中教諭は、当該実習の教育的意義をどのように理解し説明しているだろうか。以下は、因果的な論理構造へと整理した「生徒の感想」に言及することで、実習の教育的意義を強調し、教育活動の正当化を行おうとする語りである。しかし、ここで主題的に分析してみたいのは語りの内容それ自体ではない。むしろ発話のパフォーマティブな側面にこそ注目してみよう。
1人2日間っていう短い時間だったので、「結局相手の人たちにいろいろ教えてもらうばっかりで、自分が相手先に対して何も返せなかったっていうのがすごくいやだった」っていうのをCはいってたんですね。BはBで、「今まで点字図書館でいろいろと文書とか作ってもらって、自分はそれを読むばっかりで、こんなに多くの人たちに支えられてるっていうことが全然わかんなかったから、それがわかっただけでもすごく実りがあったと思います」っていうようなことはいってましたね。
この語りにおいて報告されているのは、ようするに、職場実習という非日常的な状況に参与することにより、慣れ親しんだ日常性が揺さぶられ、それを機に生徒たちは自らの生きる日常に遍在する関係の非対象性を発見し、自己の立ち位置や振る舞いを反省的に捉えかえすことが可能になったという[気づきのストーリー]に他ならない。だが、田中教諭によるこの語りを、学習場面に適合する予定調和的な物語を報告することで職場実習の教育的意義を強調・擁護しようとするレトリックとしてのみ了解するだけでは、必ずしも十分でないように思われる。
ここで重要なことは、説明すべき事象としての生徒の感想を構成し報告する田中教諭の実践それ自体がいかなる日常性を投企しようとしているのかという点であり、必要なことは、ここで投企されようとしている日常性それ事態を、教職というワークを成り立たせるために田中教諭が実践する文脈校正作業として理解し読み解くことである。以下では生徒の感想に言及する田中教諭の報告実践に対して文法構造や語彙の使用という水準において若干の分析を加えてみたい。そうすることで、盲学校において、日常的な教職ワークの基盤となり、ゆえに積極的に参照されもする、困難状況の一端を明らかにすることができるだろう。
まず、生徒C、生徒B双方によって語られたものとして報告されている感想の内容に共通する特徴として指摘できるのは、ともに生徒の感想というわりに、余分なエピソードはそぎ落とされ、全体がすでに[原因とその結果]という論理構造に整理されているという点である。
それぞれについて仔細に観察してみると、生徒Cによって語られたものとして報告されている「相手の人たちにいろいろ教えてもらうばっかりで、自分たちが相手先に対して何も返せなかったっていうのがすごくいやだった」という感想では、「相手の人たちにいろいろ教えてもらうばっかり」が原因を述べる節であり、「すごくいやだった」はその結果を述べる節である。ここでは、いかにも感想らしい結果表現である「すごくいやだった」を強調するように、敢えて「自分たちが相手先に対して何も返せなかった」というフレーズが挿入されている。また、原因節の内部では、この挿入節の「何も返せなかった」という表現に含まれる罪悪感や後悔を際立たせるように、「いろいろ」で種類の豊富さが指摘され、「…してもらう」で受益/謙譲関係が示唆され、「ばっかり」で程度強調がなされている。
次に、生徒Bによって語られたものとして報告されている「今まで点字図書館でいろいろと文書とか作ってもらって、自分はそれを読むばっかりで、こんなに多くの人たちに支えられてるっていうことが全然わかんなかったから、それがわかっただけでもすごく実りがあったと思います」という感想である。ここでは、「今まで点字図書館でいろいろと文書とか作ってもらって」が原因節であり、「それがわかっただけでもすごく実りがあったと思います」がその結果を述べる節である。この原因節のなかでは、「今まで」で過去時間の長さや現時点からの変化が、「いろいろ」で種類の豊富さが示され、「とか」で種類の拡張が行われ、「もらう」で受益/謙譲関係が示唆される。これらが重なりながら結果の節が強調されている。また、結果節のなかでは、「だけでも」で謙譲関係が示唆され、「すごく」で程度強調がなされている。そして、「自分はそれを読むばっかりで、こんなに多くの人たちに支えられてるっていうことが全然わかんなかったから」という部分がCの感想の場合とと同様に結果の節を強調する挿入節として機能する。しかも、この挿入節内においても、過度の自己の過小評価が、主張の中心にある「こんなに多くの人たちに支えられてるっていうことが全然わかんなかった」という感想を指示し、さらに直前の「自分はそれを読むばっかり」という謙譲表現がこの過小評価をより際立たせる形で作用しているように思われる。
このように、挿入節や修飾語などを執拗なまでに多用し、生徒が語ったという二つの感想を要約的に提示することにより、田中教諭は生徒と実習先との非対称性を明示的に強調する。そうした田中教諭の語りの背後に、非対称的な現実社会に無力に巻き込まれ、生徒に対して職場実習の機会ですら満足に補償し得ない教師のジレンマが象徴的に投影されてはいないだろうか。つまり、実習先の開拓という企てが、難渋を極め、厳しい壁に直面するなかで、盲学校教師としての職責を公正かつ十全に履行することの難しさを感得するからこそ、田中教諭は「生徒の感想」を教育現場におけるモデルストーリーへと加工しながら報告するのであり、そうした作業を通じて、職場実習のささやかな「成果」あるいは「意義」をアピールしようとするのである。要するに、この語りにおいて表象されているのは、一方に職場実習の機会やその内実を制約するような困難な社会的状況があるにも関わらず、他方において、教職上の責務として、そうした困難な現実に抗して職場実習の受け入れ先を開拓し確保しなければならないという盲学校教師に特有の(あるいは特別支援教育諸学校教員に固有の)ジレンマの構図であるということだ。そして、こうした状況的ジレンマの認識こそが、盲学校教師にとって、自己の世界を構築し、教育行為を組織化するための現実的で実際的な立脚点となるのである。
5 結語
以上、本稿では2005年度にV盲学校高等部普通科3年生の担任として職場実習を主導してきた田中教諭のナラティブを参照することにより、盲学校におけるキャリア教育に関する教師の主観的な経験について分析を行ってきた。ここまでにおいて確認できたことは、(1)生徒たちをナイーブかつバルネラブルな対象としてカテゴリー化する実践を通して、社会的経験の領野を拡大するための手段ないしは、〈社会的リハビリテーション〉の一環という形式において、職場実習という教育行為が合理的に産出されていたということ、(2)しかしながら、その一方で、実際の職場実習の取り組みには様々な制約や障壁が付随しており、職務活動に忠実であろうとする教師たちはジレンマを抱えながら自らの実践の達成に日々腐心していたということである。最後に、V盲学校が職場実習を推進する際に何が制約条件となるのかを、田中教諭の語りを踏まえて整理し、組織としての盲学校が今後キャリア教育を実践するなかで直面せざるをえない問題の所在について若干の考察を行いたい。
2009年3月に告示された「特別支援学校高等部学習指導要領」は総則において、「地域及び産業界や労働等の業務を行う関係機関との連携を図り」、「就業体験の機会を積極的に設ける」ことにより、キャリア教育を推進することを特別支援諸学校に対して求めている。また、特別支援教育とキャリア教育との関連について説明するマニュアル(全国特別支援学校知的障害教育校長会 2010)や全国の先駆的な実践を紹介する事例集(石塚 2009)でも、特別支援諸学校における体制整備の重要性を強調し、その方法を具体的に解説している。確かに、卒業後の職業生活を見とおしたキャリア教育を実現する上で、個に応じた教育プログラムと、それを系統的に実行するための組織基盤の整備は欠かせない。田中教諭の事例においても、盲学校組織内部に、専攻科以外の進路保障を行うためのノウハウや情報、コネクションや知識を蓄積・形成するための機構はなく、そうした組織条件は教師たちの行う実習先の探索をも難しくしていた。これに加え、田中教諭は学校の外部に向き合う際の組織上の課題についてつぎのように指摘している。
具体的に学校の組織の中でそういう風なの〔実習先の開拓〕に動いていくのは進路指導部の仕事だっていうふうな意識もあるとは思うんですけども、なかなか進路として動いていくっていうのには普通科の中で動けるメンバーがちょっと限られてしまっているので、現実問題として1日中、週のうち3日も4日も出て歩いてっていうのが難しいんですね。授業もあるし、そういうふうな組織上の問題なんかをどうにかクリアできるっていうんであればいいんですけど。
この語りにおいては、授業兼担の中で、「週のうち3日も4日も」出張することが難しいということに加え、進路指導部に所属する普通科の教員で実際に活動できる人員が限られているという状況が実習先の開拓を困難にする制約的な条件として指摘されている。ここから、実習先の開拓に関わる責任を普通科の内部に限定し、その範囲でのみ対応しようとする硬直化した組織運営と、(恐らくは財政的な援助の不足を背景とする)人的な資源の制約の厳しさが組織内在的な要因として職場実習の取り組みを規定していると推定することができるだろう。
だがしかし、単に組織的な特性だけが職場実習の取り組みを規定し制約するというわけでもない。そもそも、生徒を受け入れる事業所が無ければ、職場実習を中核とするキャリア教育は成り立たないのだ。しかも、本稿が対象とした田中教諭の経験からも明らかなように、「体験的な学習を一層充実」するために「協力・連携」すべき相手とされる「地域や産業界」がいつも善意に満ちた良き理解者であるとは限らない。むしろ、積極的に障害者を受け入れていこうとする事業所はいまだ極めて希少な存在であるだろう。そして、協力的な事業所との連携を前提とする既存のマニュアルや答申には障害者の受け入れに消極的な事業所とどのように交渉し、いかに理解を調達し、協力を取り付けていくのかといった実際的な手続きや技法についての記載はない。また、学校や企業と連携し、生徒たちのキャリア形成支援に取り組むはずのハローワークにおいてさえ、対象が障害をもつ生徒である場合、それが本来的に兼ね備えているべきコーディネーション機能は大きく後退してしまう。ハローワークで全盲生徒の受け入れ先を見つけることのできなかった田中教諭も、「これから来年度に向けてユニクロとか、ジャスコとか、そういうところをちょっと回ってみたいなっていう風に思ってるんですけど、現実問題、盲学校の教員がやっぱり足で稼ぐしかないのかなっていう部分はありますからね」と慨嘆し落胆の念を見せていた。この語りにおいて象徴されているのは、実習先を求めて東奔西走し、生徒受け入れに向けて事業所と渡り合い、要求を重ねて説得を繰り返すという困難な職務が、盲学校教員の日常業務として新たに制度化され、組み込まれるという事態に他ならない。
このように見てくるならば、職場実習の取り組みは、ひとつは内部的要因によって、今ひとつは外部的な要因によって規定されると整理できよう。すなわち、内部的要因とは、人的資源の不足や社会的ネットワークの欠如、あるいは組織運営の硬直性のように組織の内部状態に関わる諸要因を意味し、また、外部的な要因とは、学校組織に外在する制度的障壁及び、障害者カテゴリーへの偏見や潜入見に由来する社会的態度であるということだ。こうした知見は、特別支援教育諸学校でのキャリア教育に関する従来の先行諸研及ならびに、公刊されてきたマニュアルや実践報告では必ずしも明確に提示されてこなかった。しかしながら、これらの現状を所与の前提とし、今ある学校の条件の中で、職場実習に基づくキャリア教育のあり方が模索されねばならず、しかも、実習先の開拓や確保といった業務が教師たちの本来的な役割の一部として組み込まれるとするなら、必然的に教師たちの活動は多様化・複線化し、役割も多義的なものとなるだろう。加えて、キャリア教育の成否はひとえに現場教師たちの個人的な努力や貢献の程度に依存するものと見なされよう。まさにこうした状況こそが、前節末で指摘したような教師職のジレンマの背景に伏在していたのである。そしてまた、教師たちの熱意や意欲にのみ準拠してキャリア教育の実践を推進する限り、職場実習をめぐって学校組織の内外に生起し山積する諸課題が十全に捕捉される余地はない。その結果、教師たちの活動を統御し、実践を枠づけている文脈的諸条件は温存され、教師たちが多様な役割を果たさざるをえない現状もまた変革を免れることとなるのである。
とはいえ、盲学校におけるキャリア教育を教師の主観的なリアリティーの側から既述・分析するのみではその意義や効果が十分に検証されることはない。キャリア教育が個々の生徒のキャリア発達を支援し、それぞれの職業観を育てる教育である以上、それは絶えず生徒の経験による検証と批判に開かれた営みとしてあるべきだろう。今後は本論が対象とすることのなかった生徒たちの学校経験に注目することにより、新たな視角から盲学校におけるキャリア教育のあり方について検討していきたい。
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*作成:青木 千帆子