1.当事者と科学者コミュニティへの接近
ハンチントン病とは,常染色体優性遺伝の神経難病である.全身の不随意運動と精神症状,認識障害を特徴とし,主として成人期に発症する.この病気は,アメリカ合衆国の当事者たちが自ら医学研究を推進する旗振り役として科学者コミュニティとのかかわり方をしてきた歴史と,当事者自身が医学モデルとは異なる形で発見された原因遺伝子との向き合い方を主張した,という経緯で知られている.
前者のような当事者組織のありようは,現在もひとつのモデルとして受け継がれ,さらに発展してきた.2003年にアメリカ合衆国の患者会7団体が集まってつくられたGenetic Alliance Biobankや,EUの支援を受けた稀少難病患者会の連合体Eurordisの活動にみられるように,科学者コミュニティが生む専門知に積極的な期待をするだけでなく,その知を生みやすくするためのバイオバンク設立などのインフラ構築の協力にも関与するようになってきたといえる.また,原因遺伝子の有無について「知らないでいる権利(right not to know)」の確立は,ゲノム研究の対象が多因子疾患に広がり,決定因子ではなく危険因子についての情報を収集する方向になっても,依然重要な意味を持っている.
しかしながら,こうした動きは日本の当事者とはかかわりがない.原因遺伝子発見からの10年間,日本の当事者は,大きな成果はないとはいえ,年中臨床試験を実施している欧州やアメリカ合衆国,オーストラリアでの状況とは遠く,医学研究の世界とは距離を置いて過ごしてきた.国際的な臨床試験に牽引する役回りの人間がいなかったこと,患者数が少ないため,国内の製薬企業が関心を寄せていないことなどが背景にある.半面,多くの家族が関心を持ち,また困っていたのは,生活に支障を来たしながらも病院に行きたがらない「自称・リスクのある人」をいかにして受診させ,確定診断をつけさせるかということ,そして,暴力や暴言から逃れるためにいかにしてこっそりお薬を盛るか(向精神薬を飲ませるか)ということであった.そこで鍵となるのは,病気の始まりとしてのマーカーである不随意運動である.本稿では,不随意運動をめぐる知の体系について論じたい.