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吉本 隆明
よしもと・たかあき

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http://www.kobosha.co.jp/yoshimoto/d.html
◆「吉本隆明ワールド」
 http://shomon.net/ryumei
◆「吉本隆明の思想」
 http://homepage2.nifty.com/vff02773/old2/yoshi/index.html
 (「戦後最大にして最高の思想家、吉本隆明氏の思想を、私のできる範囲で紹介、解説していくページです。」1998年9月10日)
http://www.angel-z.com/yoshimoto/


◆195208  『固有時との対話』
 自家版,53p.
 固有時との対話/少数の読者のための註
◆195309  『転位のための十篇』  自家版,53p.
 火の秋の物語/分裂病者/默契/絶望から苛酷へ/その秋のために
 ちいさな群への挨拶/廢人の歌/死者へ瀕死者から/一九五二年五月の悲歌/審判
 「ぼくがたおれたらひとつの直接性がたおれる」(「ちいさな群への挨拶」)
◆195609  『文学者の戦争責任』武井昭夫との共著  淡路書房
……
◆1962   『擬制の終焉』
 現代思潮社 *
◆196303  『丸山真男論』
 一橋新聞部
◆196505  『言語にとって美とはなにか』第1巻
 勁草書房
◆196510  『言語にとって美とはなにか』第2巻
 勁草書房
◆196808  『情況への発言――吉本隆明講演集』
 徳間書店
◆196812  『共同幻想論』
 河出書房新社 *
◆197504  『書物の解体学』
 中央公論社,駒場904Y1-2
◆197506  『思想の根源から――吉本隆明対談集』
 青土社
◆197511  『吉本隆明新詩集』
 試行出版部
◆197608  『知の岸辺――吉本隆明講演集』
 弓立社
◆197610  『最後の親鸞』
 春秋社  千葉教養E683
◆197706  『初期歌謡論』
 河出書房新社
◆197809  『戦後詩史論』
 大和書房,269p.  東大駒場911Y23-2
◆19780905 『論註と喩』
 言叢社 ,187p. 1200 ※/東大駒場160-Y2.1 *
◆1979   『悲劇の解読』
 筑摩書房,272p.  高円寺910-28Y
◆19800620 『世界認識の方法』
 中央公論社 ※
 198402  『世界認識の方法』
 中央文庫
◆198101  『言葉という思想』
 弓立社
◆19820430 『空虚としての主題』
 福武書店,243p. 1200 高円寺904
◆198210  『源氏物語論』
 大和書房
 198509  『源氏物語論(新装版)』
 大和書房
◆19821220 『「反核」異論』
 深夜叢書社,264p. 1600 東大本郷S10-943 *
◆19830510 『素人の時代』(対談集)
 角川書店,279p. 1400 三鷹904
◆19840715 『マス・イメージ論』
 福武書店,284p. 1200 三鷹
 198805  『マス・イメージ論』
 福武文庫
◆198509  『重層的な非決定へ』
 大和書房
◆198510  『難かしい話題 吉本隆明対談集』
 青土社
◆198511  『吉本隆明ヴァリアント』
 北宋社
◆19920316 『大情況論――世界はどこへいくのか』
 弓立社,253p. 1942 ※


◆吉本 隆明・竹田 青嗣・芹沢 俊介・菅谷 規矢巨雄・川上 久夫・田口 雅巳
 19880625 『人間と死』★ 春秋社, 233p. 1400
◆19880625 「<死>の構造」
 吉本他[1988:7-47] 

◆「マチウ書試論」   
◆『思想の根源から』 青土社 1600 
◆「転向論」   
◆『情況』   
◆『情況への発言』   
◆『共同幻想論』   
◆「埴谷雄高」   
◆『心的現象論序説』   
◆1968   『吉本隆明全著作集7 初期詩篇T』 勁草書房 千葉社1058共通
◆1969   『吉本隆明全著作集3 初期詩篇U』 勁草書房 千葉社1057共通
◆19841215 「共同幻想とジェンダー」(講演)樺山・山本編[1984:24-69]  
◆19850610 『死の位相学』,潮出版社,xxxiii+267p. 1500 杉並914-7 d
◆198712  『宗教』 大和書房,吉本隆明全集撰 5,526p. 2800 
◆19880625 「<死>の構造」 吉本他[1988:7-47 ]  ※
◆198909  『像としての都市――吉本隆明・都市論集』 弓立社,377p. ISBN:4896671260 2200 
◆19920316 『大情況論――世界はどこへいくのか』
 弓立社,253p. 1942 *

■共著・対談等

◆吉本 隆明・河合 隼雄・押田 成人・山折 哲雄 19930310 『思想としての死の準備』 三輪書店,191p. 2060 三鷹114
◆吉本 隆明・芹沢 俊介 198501 『対幻想――n個の性をめぐって』 春秋社,シリ-ズ家族 1,222p. 1400 
◆吉本 隆明・竹田 青嗣・芹沢 俊介・菅谷 規矢巨雄・川上 久夫・田口 雅巳 19880625 『人間と死』,春秋社, 233p. 1400 d
◆吉本 隆明・山本 哲士 19830725 『教育 学校 思想』 日本エディタースクール出版部,211p.  本郷K10-822
◆吉本 隆明・山本 哲士 19841215 「<アジア的ということ>と<対幻想>」 樺山・山本編[1984:93-148]

◆今西 錦司・吉本 隆明 19781210 『ダーウィンを超えて――今西進化論講義』 朝日出版社,171p. 960 ※
◆上野 千鶴子 1985 「フェミニズムと家族の無意識」(吉本隆明との対談)in 『現代思想』vol.13-6, 1985年6月号

 

◆19780905 『論註と喩』
 言叢社 ,187p. 1200

「ここでいう「罪人」や「取税人」は「悔い改め」の概念に手がかりを与える。具体的には犯罪者、取税人、廃疾者など社会から故なく疎んじられた者、またマルコ伝の言質から社会的に貧困な下層の者などの総体をさしている。これらの人々は何かの<罪>からの因果として犯罪人、取税人、廃疾者、貧困者になった。この通念はマルコ伝の背後に潜在していた。けれどこの<罪>を「悔い改め」れば、犯罪人、取税人、廃疾者、貧困者の境涯から逃げられると説かれていない。むしろマルコ伝はこれら社会から疎まれた者たちを存在として肯定的に視ている。習俗を破って犯罪人や取税人と主人公が食事をする場面はそのことを語っている。わたしたちの理解ではマルコ伝は、犯罪人、取税人、廃疾者、貧困者がどこからか背負っている<罪>の概念を、善からぬことという情緒的な雰囲気から切り離して普遍化した。弁証法的な交換によって犯罪人、取税人、廃疾者、貧困者もまた社会的な存在から<罪>を負った内在的な存在の象徴に転化された。「悔い改めよ」というのは<罪>を咽喉もとまで溢れさせよということだが、この罪はすでに、大なり小なり犯罪人、取税人、廃疾者、貧困者のいずれかであるすべての人間が負うものの意味に転化されている。<罪>は「悔い改め」によって消去されるべきものであるとともに、無くてはならぬものを指している。「わたしは正しい者を招こうとしてではなく、罪人を招こうとしてきたのだ。」というときの偏倚と普遍的な感じの同在はそこからきている。
 ……本来的な概念では、犯罪人、取税人、廃疾者、貧困者など、社会から眼を背けられたり疎まれたりする人々は、ある<罪>の結果そうなっているのだという通念が流布されていた。この<罪>の結果は、穢された身から追いはらう(清祓する)ことによって消去されるという考え方も一般であった。これは神が法定者だとする神法が支配している時期の通則ともいえる。なぜかこの未開的な混沌のなかで<罪>という概念を犯罪から切り離し、犯罪人、取税人、廃疾者、貧困者という現実の社会的な在り方の言葉に、暗喩の役割を負荷させた。これがマルコ的な世界の徴候であった。」(吉本[1978:85-87])
「ひとつの宗教がじぶんの教義は犯罪者、取税人、廃疾者を対象として撰ぶと自分で宣言することは、本来はあり得ない。宗教が対象を撰りわける仕方は、いつも戒律によってである。きびしい戒律を課すれば対象は自然にせばめられ撰択されるだろう。これは教義が撰択するのではない。教義は理念であって信仰をほんとうは含んでいない。だがマルコ伝にあらわれた教義は、むしろ戒律を無視することによって対象を犯罪者、取税人、廃疾者、貧困者に限定している。これはマルコ伝の世界が非宗教の側面をもっていた徴候とみることができる。けれどもこのような徴候は対象を普遍化しようとして犯罪者、取税人、廃疾者、貧困者の意味を内面的に拡大することを強いられた。この矛盾がマルコ伝の感性的な異様さにつながっている。」(吉本[1978:87-88])
「盗みや殺人は動機の内在性によってみられるようになった。それとともに嫉妬や傲慢や愚 などは不可視な者のようにあつかわれることになる。マルコ伝がはじめて宣告しているのは内部と外部の分離とトポロジー化なのだ。それ以後盗みや殺人のように外にあらわれて他者を障害する行為も、嫉妬や傲慢や愚 のように内心の欠如や障害に沈積するものも<罪>に該当することになる。人間はこのマルコ伝の倫理の法網に抵触しないことも、これをくぐって快活であることもできるはずがない。そのため<罪>は現実的な人間の不可避の属性にまで普遍化されることになった。」([同:90-91])
「……古代的な霊肉分離観のなかにマルコ的な疾病観はおおきな異議をもち込んだことは間違いなかった。<罪><疎まれるもの>という概念を内向させることによって、いわば悪い霊とか欠如とかいうものを肉体化したからである。後ろめたさ、悔恨、痛みというものの内面化はその都度肉体のその部位に感性に付着させることによって、肉体そのものの内在的な構造を自覚させるものであった。たぶんマルコ伝の世界では、ひとびとは肉体と霊とがもはや無造作に分離できるものではないという観念を獲得していっただろう。あるいはそのような心身のかかわりが認識されたところで、マルコ伝の世界は成立したのである。」(吉本[1978:100])
「誰でもが現実の支配秩序を動かし難いものと認めた情況では、その批判や反抗は内面化するだろう。また繰り返される生活の平穏が厚い皮の下で破れそうにもないときには、生活を破りたい願望や衝動も破らざるを得ない契機も心の内部に巣くうほかなくなる。ユダヤ的律法によってはこの内在的な<罪>は違法行為を構成しえない。なぜなら心の動きは不可視であるから。心の動きを<罪>としうるような律法とはなにか。その眼に視えない条文には何と書かれてあるべきか。これこそがマルコ的世界が宗教から道徳を発生せしめた根源であった。かれらが眼に視えない心の動きを<罪>としえたのは、心の動きが現実の行為と同等またはそれ以上に重さを持つという価値転換を獲得していたからであった。以後法律が罰しなくても自己を罰することは誰にもできるようになった。」([同:103])
「もともと教義と思想の型でいえば旧約的な世界を先鋭な形で集約したマルコ伝の教義と思想は、共同体の支配のうえにもうひとつ、べつの支配を招きいわば二重の媒介的な関係をゆるすような、アジア的な制度でうみだされやすいものであった。こういう世界では、共同体の制度的な表現である法と道徳と宗教のうち、宗教と道徳の支配原理と法の支配原理とを分離するか、これを分離しないときにはいわば媒介的な、間接の屈折した支配をうけいれるかのいずれかである。マルコ伝の世界はこの媒介的な屈折した支配原理のもとで、教義と思想にこの原型を鋭く刻み込んだ。」([同:131])
「……あらゆる太古の共同体は人間の自然的な自由の公約数として造りあげられたはずだ。かれらは生存に必要なかぎりで、必要な範囲でだけ共同の管理に採取物をゆだね、その他については自然的な自由を享受したかもしれぬ。この自然的な共同体は、共同体の相互の間に第三の共同体をつくりあげる必要がおこったときに人々の桎梏になりはじめる。人々は自分たちが合意でつくった共同体が独立した意志のようにじぶんたちに桎梏をふりまくのを体験した。<罪>をおぼえさせられた。そして<罪>をおぼえたものたちは次第に共同体の意志や、その保護から離脱していった。どこまで落ちこぼれていけたのか。その様態はさまざまであったとしても、共同意志から落ちこぼれてきた者たちのあいだに、さらに利害や意志の対立がおこったときに、相互のあいだから第三の落ちこぼれが生みだされていった。そこまでは<罪>の深さはとどいたことは疑いない。共同体の意志を規範として意識しなければならなかった度合と質において<罪>の度合と質とは決定された。アジア的な共同体においては、第三の落ちこぼれの度合があまりに深くはげしかったので、共同体の意志は規範として底辺まで届かないほどであった。あるばあいには自然的な共同体のうえに第三の共同意志が聳えたって重層された。ここでは<罪>は全体的でありしかも<空>におかれる。マルコ伝の世界が強いるのは、共同体の意志の直かな規範力の前に永続的におびやかされたものの明晰な直かな<罪>の内面化の物語である。」([同:147-148])*
 *立岩真也『私的所有論』第6章注で言及

 

◆小林 一喜 19681114 『吉本隆明論』,田畑書店,278p. 790 ※
◆『現代思想』 19741001 特集:吉本隆明――その思想的主題と核心 『現代思想』02-09 680 ※
◆蓮實 重彦 19750616 「書評:吉本隆明『書物の解体学』」 『日本読書新聞』1975-6-16→蓮實[198201:232-235]*
 *蓮實 重彦 198201 『小説論=批評論』
◆久米 博 19790201 「書評『論註と喩』吉本隆明著」,『現代思想』07-02(1979-2):228-234
◆蓮實 重彦 198003 「吉本隆明『悲劇の解読』――野性の悲劇について」  『海』1980-3→蓮實[198201]
◆蓮實 重彦 198103 「吉本隆明『論註と喩』――矛盾について」 『国文学』1981-3→蓮實[198201:39-49]
◆山下 恒男 19821225 「意識の共同性と個別性――吉本隆明『共同幻想論』と『心的現象論』から考える」(差別の心的構造 第15回(最終回)),『福祉労働』17:165-179 ※
◆橋爪 大三郎 198608 「吉本隆明はメディアである」,『現代詩手帖』吉本隆明特集 ※(原稿COPY)
◆土井 淑平 198612 『反核・反原発・エコロジー――吉本隆明の政治思想批判』 批評社,382p. 2800
◆谷口 孝男 19870101 「吉本<幻想論>の現在」,『クリティーク』06(特集:家族と性):85-97 ※
◆竹田 青嗣 19880130 『世界という背理――小林秀雄と吉本隆明』 河出書房新社,197p. 1600 三鷹901
◆鷲田 小彌太 1990 『吉本隆明論』 三一書房 
◆鷲田 小彌太 1992 『増補 吉本隆明論』,三一書房
橋爪 大三郎 20031121 『永遠の吉本隆明』,洋泉社新書y0098,190p. 720 ※


◆立岩 真也 2004/02/28「世界の肯定の仕方」
 『文藝別冊 総特集 吉本隆明』,河出書房新社,pp.94-97 [了:20040121]
 http://web.kyoto-inet.or.jp/people/sangatu/yosimotohon/yosimotohon04.htm
◆立岩 真也 2005/05/25「死/生の本・5――『性の歴史』」(医療と社会ブックガイド・49)
 『看護教育』46-05:(医学書院)[了:20050331]


REV:....20030722,24,0813 20040108 20050331
 

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