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山口 衛

やまぐち・まもる
〜2005/09/19



・山口 衛(やまぐち まもる) ・山梨県在住
日本ALS協会山梨県支部・支部長
日本ALS協会・理事
・20050919逝去

◆2000/03/01 「介護人派遣制度獲得の歩み――山口衛さんに聞く」
 『難病と在宅ケア』05-12(2000-03):04-07(日本ブランニングセンター)
◆2001/10/  「ALS/MND国際会議参加支援募金のお願い」
◆2002/05/01 「ALS/MND国際会議飛行機旅行体験記」,『JALSA』056:43-46
◆2003/10/15 日本ALS協会理事会に提出された文書

◆東京都立大学管弦楽団第十九期一同編 200061120 『本当は生きたい!――山口衛の足跡』,非売品,21+xiiip. ※ als n02

◆2006/09/10 故山口衛さんメモリアル・コンサート 於:東京


◆2000/03/01
 「介護人派遣制度獲得の歩み――山口衛さんに聞く」
 『難病と在宅ケア』05-12(2000-03):04-07(日本ブランニングセンター)

 「山口さんのプロフィールより」(p.7)

 「山口衛さんは52歳。奥さんの元子さん(51歳)、高校1年生の娘さんとともに南アルプス北麓の山小屋風の家に住む。エンジニアとして東京で横河電気に勤めていたが、所属していた事業部が甲府市国母にある工業団地に移転し、部全体が家族ぐるみで転居した。
 山口さんが発症したのは90年12月。登山中に足がよく動かなくなり転落、右足首を捻挫した。その後、検査を繰り返したが足の麻痺の原因は分からず、94年11月、山梨医科大学に3度めの検査入院。同年12月、ALSの診断が下った。
 夫婦ともに東京出身のため東京に戻ろうかとも考えたが、持っていたマンションはコンクリートの柱だらけで、とても車椅子では自由に動けない。
 病気についての知識があり、進行すると車椅子が必需品になることがよく分かっていたため、山梨で闘病生活を送ることを決意。「山が見えるところに住みたい」という強い希望もあって、韮崎市に自宅を新築した。
 95年5月には山口さん自身が働きかけて、日本ALS協会山梨県支部の設立に取り組み、現在支部長として自宅を自宅に開放している。」


 
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◆2001/10

ALS/MND国際会議参加支援募金のお願い

日本ALS協会山梨県支部 山口 衛

 すっかり秋めいた陽気になってきましたが、皆様の体調にお変りあり
ませんか?
 今日は、念願のALS/MND国際連盟主催の国際会議参加に関連し
てお願いがあり、お便りいたしました。国際会議は米国サンフランシス
コ郊外で11月後半に年次総会とシンポジウムが開催される予定になっ
ています。

 さて、昨年初めの毎日新聞の記事に見られるように、欧米のALS患
者における尊厳死ONLYの風潮は、憂うべき現実です。
 私は、日本の人工呼吸器装着者の国際会議参加によって、人間の真の
尊厳とは何か? 尊厳死も人工呼吸器装着も選択肢の一つだと考えても
らえるように行動したいと考えてきました。ALSは決して死病ではな
いこと、生きる方法は存在していることを、つまり人工呼吸器を装着す
ることによって、ほとんどの患者が人工呼吸器を装着せず死を選択して
行く欧米の現状に一石を投じることが出来ればと考えています。何より
も私は、人工呼吸器装着を「神の意志に反した行為」などと言う人達に、
私達の姿と活動を見せつけることで人工呼吸器装着の持つ画記鵜性を理
解させたいと思っています。
 そして、このことに成功すれば、日本のALS関係者にとって何より
の励みになると同時に、厚生労働省を始めとする日本の社会のALS理
解を深めるものと確信しています。

 昨年は、3人の日本の人工呼吸器装着患者が始めて人工呼吸器をつけ
た患者として国際会議に参加し、その活躍ぶりを紹介して欧米の人たち
のみならず会議の参加者全員に強いインパクトを与えることに成功しま
した。
 今年は、私を含めて7人の日本の人工呼吸器装着患者が国際会議に参
加して2005年の国際会議の日本開催を申し出る予定です。
 それに加えて今年は、私が東京都立神経病院の林副委員長、日本AL
S協会の平岡理事と連名でシンポジウムに、

Ventilatory support in Japan:
A New Life with ALS and a Positive Approach to Living with the
Disease
(日本における人工呼吸器療法:ALSとの新しい生活、ALSと前向
きに暮らす方法)

という日本の人工呼吸器療法の歩みをレビューした論文を応募したとこ
ろ受理されて、私は患者の動きを中心にポスターで、林先生は医学的な
成果を口頭で発表できることになりました。
 そういう訳で、発表の準備に追われていますが、介護の人を含めて4
人分の旅費は、最低限必要と思われるもので、170万円にもなること
が分かりました。
 そこで勝手ながら、皆さんのご支援をお願いする次第です。

                              以上

スケジュール、費用概算、等(略)

 
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◆20020501 「ALS/MND国際会議飛行機旅行体験記」,『JALSA』056:43-46

 
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◆2003/10/15 日本ALS協会理事会に提出された文書

 山梨の山口と申します。
 私が、患者自身による講習会に出席したのは故松岡事務局長の亡くなった年だと思います。その年いらい大分を除いて参加しています。各地の患者さんに会うのは楽しみです。こういう会は故松岡さんが悲願としていた国際会議の日本開催に役に立つとも思ったからでした。私の勘違いから、議論が遅くなったことをお詫びすると共に、この事には、いわばJALSAの存立に関わる問題です。
 なるべく多くの人にこの討論に参加して欲しいのです。私は1昨年のオークランドでの国際会議で論文を発表し、マイアミ大学のブラッドレー先生やロンドン大学のスオッシュ先生に評価された時に明らかになったのは、日本は健康保険に在宅呼吸管理料を設けることによって呼吸器療法の普及に貢献したのに、その後のフォローが悪かったので、介護の標準化について深めることなく「介護の社会化」に貢献していないと言うことです。QOLでは「何を」実現すべきかは判っており「如何に」かが大切です。コミニケーションの確保と介護方法の標準化の確立と患者・家族の精神的ケアが「如何に」にあります。これらは他の国では、やりたくても対象となる人がいなくてできないのです。ここに、日本の患者や学会の可能性があります。
 立命館の立岩先生は臓器移植などにシャープな透徹した議論を展開している気鋭の社会学者ですが、彼の関係した介護人派遣制度を社会に於いて自分達を無用な存在と自覚した脳性麻痺者を中心に獲得された制度と看破されました。私にはALS患者にはこの様な厳しい認識は欠けているように思えます。安楽死の本質はホスピスケアをバリアティブケアと言い換えても、生き残る家族の都合にあるという立岩先生の指摘は正しいように思えます。患者にとって家族とは一体なんでしょうか? 
 近畿ブロックのボランティアの西村さんの指摘と記憶しますが、家族の理解ある患者の寿命は標準より長いと言うことは、厚労省のデータの解釈に一考の余地があると感じました。日本の患者には一種の使命感、自分は生き抜いて見せる!に支えられた倫理観があるように思えますが、家族にはそう言うものは宗教的な場合以外は少ないようで危機的に感じます。結局生き残る家族の方のこころの傷の後遺症が問題で後を引きます。もっともっと心理学的アプローチが期待されて良いと思うと同時に、「告知」と「生きる方法」のインフォームドコンセントが必要条件とおもいます。この調査は、答えを誘導する危険性を含んでいます。
 日本は「介護の社会化」手を抜いていて、多くの善良な市民が殺されています。今現在も、殺されています。しかも情報が豊かになり生活権を侵された家族によって、患者の生存権が侵されることすら起きています。看護協会は職域防衛論の旗を降ろして介護と介護コストの最適化に力を注ぐべきであると思います。そして看護師のカリキュラムを見直し、少なくとも呼吸器療法に関しては、呼吸器療法認定士程度の力を保証し自立心を養うようにして欲しいです。お腹についても同じ事です。腸閉塞の起きないように責任をとれる体制にして欲しい。これらは他の難病にも効果的と思います
  最後に日本の江戸時代には大きな意味を感じます。と言うのは、新潟大学の卒業生で椿先生の弟子である都立神経病院の林院長が、その論文の中で、1.日本で、告知を公知させるには、2.医師の父権主義と、3.患者と家族の家族主義が克服される必要があると指摘しているからです。その一方で東大医学部出で医師の資格を持つ評論家の加籐周一が日本とドイツのほとんど同じ時期の封建主義に基づく後進性が20世紀前半の飛躍を可能にしたと言っているのは注目すべき事のように、つまり江戸時代の儒教支配が父権主義と家族主義を育てたと思います。日本では、アメリカの学会のように「平安な死」などという「幻想」をあたえようなどと思わぬことです。例え三本先生のような大物の提案でも、結局、死は死であって悩むのは遺族なので、「生きるメニュー」を示せるようになってからで良い。(患者は死ねばお終いですが、だから良いというわけでなく本当はその死が日常化する方が怖い。1種の死の日常化です。それで済ませると繰り返すことになります。私も何度か有りますが、苦しむのは生きている証拠で、死のときは楽になります。)
  繰り返しますが、遺族は、生き残ります。そして、一種の喪失感で何時までも苦しみます。ところで、加藤はフランス留学中に医学から社会学に転じた人で専門は血液学と記憶します。言いたかったのは、この手の比較文化論では梅棹などが高名ですが、加藤は自然科学の出身か冷静で客観的な議論をするところに好感が持てます。尚、医学と社会学の他に文学に造詣が深く、「マチネミュジカル」同人。「さくら横丁」などの優れた詩には何人もの作曲家が曲を付けています。日本文学史序説のように賞を受けた作品も多いです。彼のことを「小鴎外」と評する人も多いですが私はかなり違う個性と思います。
  さて、日本は江戸時代に儒教に基づきに家族主義を育てたのです。ドイツのプロテスタンティズムにも恐らく同じ様な事情があると思います。ぼくは「医学は、人に生きる希望を与えるべきもの」という考えです。恐らく良心的先生にはALSの治療法を開発したいという良い意味の野心が有ると思います。日本は、再生医療や遺伝子治療は先端を走っていると言われます。私は、こういう調査は、必要なことと思います。でもより高いプライオリティティを治療法や告知に与えても良いと思います。これらは海外にライバルがいます。ノーベル医学賞を日本から出すときは、神経内科からまず出したいのです。今年のMRIを思えば、わたしの卒論に関係したテーマであり、かつて私の在籍した会社の同僚たちが苦しんでいたものだけになおさらです。(なんだこの程度か!ctの次はMRIに決まっている!)
  ALS協会は、故松岡事務局長を中心に唯一の生きるメニューとして、呼吸器装着を推進してきた患者会であることを忘れないで下さい。彼のとにかく生きて下さい。に励まされた人も多いのでは?


 
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2005/09/19逝去

通夜:9月20日 19時より
告別式:9月21日 11時より
場所:国立市富士見台1−28−19 36号棟 集会室
 喪主:山口元子さん

◇2005/09/19 23:40 [maee:3162] Re: 山口衛さんの葬儀日程
 (MLへのメイル)

◇2005/09/21 弔電
お会いしたのは1998年、一度きりでした。残念です。
けれどずっと、何を考え何を言ったらよいのか、教えて
いただいてきました。ありがとうございました。心より
哀悼の意を捧げます。


 
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立岩の文章における言及

 1997秋 ファックスをいただく
 199801 講演依頼のEメイルいただく
〜199804 Eメイル往復
 199805 日本ALS協会山梨県支部で講演。はじめて(そして最後に)お会いする。

◆2004/11/15 『ALS――不動の身体と息する機械』「あとがき」より

  「九七年の秋、ALS協会山梨県支部の山口衛[496]からファックスで連絡をもらった。「介護人派遣事業」(第10章2節)の新設を山梨県に働きかけたいので情報がほしいとのことだった。私がいくつか関係した文章を書いていることが伝わったらしい。私自身は役に立ててもらえる情報をもっていなかったが、制度について最も多く詳しい情報をもち、対行政交渉の手法にも詳しい「障害者自立生活・介護制度相談センター」を知っていたから、この組織を紹介した(関連する書籍に自立生活情報センター編[1996]があるが、今では情報は古くなっているからホームページを見るのがよい)。
  『私的所有論』(立岩[1997b])という本も、そのころ、九七年一〇月に刊行された。その年の終わりに雑誌『仏教』から原稿を依頼された。「生老病死の哲学」という特集で、私への当初の依頼は「出生前診断」だったが、私はこの主題についてその時に書けることは本に書いてしまったし(『私的所有論』第9章)、にもかかわらず煮え切らず、詰められない部分があり、なにか新しいことが書けると思えなかった。そして私は、たしかに本では生まれることに関わる技術について書いたのだが、それよりも死ぬか死なないかの方が大切だと思っていた。想像力に乏しい私には、既に生きていて、自分が死ぬことを理解できる人間が死ぬという出来事の方が大きなことに思えた。今でもそう思っている。それで 安楽死のことについて書かせてもらった(立岩[1998a])。そこでスー・ロドリゲスの裁判に言及し、松本茂[45][489]の文章(松本[1994])を引いた。この文章は拙著『弱くある自由へ』(立岩[2000d])に収録された。
  九八年一月、この雑誌が刊行された頃、山梨県で介護人派遣事業が始まることに決まったから、ALS協会の山梨県支部の総会で講演をしてほしいという依頼があった。その返信のEメールに『仏教』に書いた文章を添付して送った。「難病患者の自己決定の意味・介護人派遣制度の可能性」という題をいただき、五月に講演した(講演までの間の山口とのEメールのやりとりについては、この講演を再録した立岩[2000e]に記した)。」


◆2000/11/27 「手助けをえて、決めたり、決めずに、生きる――第3回日本ALS協会山梨県支部総会での講演」
 倉本智明・長瀬修編 20001127 『障害学を語る』,発行:エンバワメント研究所,発売:筒井書房,189p. 2000円 pp.153-182

 *私が担当したこの章には1998年の講演をそのまま掲載した。その記録の前後に、講演することになった経緯を記した。以下に掲載するのはその一部。

  「私が障害学講座(1999年1月17日)でお話しした内容は、石川准・長瀬修編『障害学への招待』(明石書店、1999年3月)の第3章「自己決定する自立――なにより、でないが、とても大切なもの」と重複します。(実際には準備の手違いで、最初の予定と少し違った方向のお話をせざるをえなかったのですが、それでも)そこに書いたことと別にその時の話をここに再録する必要はないと考えました(『障害学への招待』をよろしく)。
  そこで別の機会にお話しさせていただいたものをほぼそのまま以下掲載します。1998年5月30日の「第3回日本ALS協会山梨県支部総会」(於:甲府市)での講演、いただいた題は「難病患者の自己決定の意味・介護人派遣制度の可能性」です。ALSは、「筋萎縮性側索硬化症」の略、いわゆる神経性難病の一種で、人により進行の速度は様々ですが、全身の筋肉が次第に動かなくなっていく障害です。その患者および家族・支援者の組織として「日本ALS協会」があり、その山梨県支部の総会に招いていただいたのです。  その前年、1997年の秋に「介護人派遣事業」についての情報がほしいという問合せをいただき、手持ちの資料を少しお送りし、「障害者自立生活・介護制度相談センター」を紹介しました。その後、山梨県を相手に尽力された結果、派遣事業が山梨県でもスタートするということになり、そんなことで支部会長の山口衛(やまぐち・まもる)さんから、4月7日に講演依頼のEメイルをいただきました。それから5月の講演までの経緯等は末尾に記すことにして、とりあえず始めます。」

 (講演の記録:略)

  「最初の「おことわり」で、講演依頼のEメイルをいただいたことを記しました。その1週間後の私からの返信のメイルに、一九九八年一月に出た『仏教』という雑誌に書いた安楽死についての文章があって、その中でALSのことにも少し触れているのですが御参考までにお送りしましょうか、といったことを書いたところ、送ってくださいとの返信がありました。そこには、「ALS患者の約七割は呼吸器を着けないで死んで行きますが、その中には患者自身には知らせないで家族親族と医者が安楽死的発想で死なせていると思われるケースがあるようだからです。」とありました。
  原稿をEメイルでお送りしました。すぐにその返事をいただきました(4月16日)。「消極的安楽死を選択した遺族・医師もおり、その人達は重荷を担って生きています。その人たちの傷を暴くよりは如何にしたらそうしないで済む社会を築けるのかという側面からお話をしていただきたい」ということでした。それは、私の文章の中でも言及している、カナダで医師による自殺幇助の合法化を求めて裁判を起こしたスー・ロドリゲスさん(裁判では負けたが、彼女自身は医師の幇助によって亡くなった)のことにふれ、「人は好んで死にたがるものではありません。思うに希望を失ったとき、絶望によって人は死を選択するもののようです。さて私はこのように考えますが」、という文言の後に続く言葉でした。
  私自身、安楽死についてお話しするつもりで原稿を送ったのではありませんでしたから、異存はありませんでした。山口さんのこのメイルの冒頭に、(私の原稿の)「論旨は私の常日頃考えていることに、ほぼ一致しております」と記してありました。(この直後は、「スー・ロドリゲスの番組も見ました。その中で彼女が「本当は私は生きていたいのだ。」と語ったことが印象に残っています。またオランダのケースなど未だ死なずとも人生を楽しめる時期に死んでしまったと言う印象を持っております。」と続き、人工呼吸器のことについて触れられています。)
  (ところで、例えばこの年の五月九日、日本学術振興会『井口記念人間科学振興基金』第二九回セミナー(於・箱根)なる場で、「私の死」という話*をしたのだけれども、その時に(私の話だけではなく何人かの、「非医学・自然科学系」の人の)話を聞いていた「お医者さまたち」の反応というものは、…。普通の言葉で普通に話しているのだけれども、理解してくれない、そのことに居直っているようでさえありました。悲しかった。
*「死の決定について」という文章とほぼ同じ内容の話です。小松美彦の「死の自己決定権批判」を批判し否定した上で、安楽死について、それを肯定できないわけを述べるという話です。)
  その三日後、四月一九日にEメイルをいただきました。四月一八日にNHK教育テレビで放映された『未来潮流』という番組で、私と加藤尚武氏(哲学・倫理学)との対談が放映されました。(対談自体は随分前に収録してあって、三月に放映の予定だったのですが、その日がパラリンピックの閉会式に当っていてそれを放映――当初予定はなかったのだそうですが、多くの視聴者から希望があったのだそうです――したため、延期されていたのです。)「自己決定」といったテーマの対談だったと思います。山口さんはその番組を見てくださった。そしてこの日、知り合いのどなたかが亡くなった、その方は人工呼吸器をつけないことに決めていて、呼吸困難で亡くなった、その方の夫もそれに同意していた、ただその人もそれでよかったのか悩んでいる、そういうことがあったのだそうです。「前のメールについては撤回いたします。「自己決定」をキーワードに話をしていただきたいと思います。」と書かれてありました。そんなこんなで五月三〇日にお話ししたのが、ここに再録した「難病患者の自己決定の意味・介護人派遣制度の可能性」です。
  お目にかかるのは初めての山口さんは、車椅子、人工呼吸器といういでたちでした。言葉のコミュニケーションは、口にくわえた棒で透明なプラスチック板に升目を書いて作った(のだと思います)文字版を示す。そして傍に、その読み取りにとても慣れている方がいらっしゃって音にしてくれる。そういうふうにして少し話をしました。なんというか、スーさんの番組(カナダCBC製作で1994年にNHKで放映された)に流れている、「美しい悲壮感」というかなんというかを感じなかった。ストレッチャー、ボイスエイド(キーボードで音を出す機械)といったいでたちの、普通のおじさん、おにいさんたちと変わらない。ように思った。話をしたのは多分数分でしかないのだし、その日だけのことでしかないのではある。しかし少なくともその日、その日私はそう感じた。あのCBCの番組だけを見た人は、死の方に向かおうとする切迫した思いを受け取り、「ああそうだな」と思うかもしれない。しかしそれと違うものを知ればどうだろう。
  今年の年始にいただいた山口さんからの年賀状には次のように記されていました。

  謹賀新年
  本年は当支部も創立5周年を迎えます。本年も皆様の
  ご指導とご助力をもとに、初心を忘れずに活動を行なってゆく
  決心です。昨年から取り組みを始めた”患者による患者の
  ためのグループホーム”は何とか具体的な段階に進めたいと
  願っております。
  本年もよろしくお願いいたします。
  2000年元旦
  日本ALS協会山梨県支部 支部長 山口 衛」


 
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◆2005/08/25「学校で話したこと――1995〜2002」
 川本隆史編『ケアの社会倫理学――医療・看護・介護・教育をつなぐ』,有斐閣,pp.307-332 [了:20030716 校正:20050124]

 *信州大学医療技術短期大学部での講義で何を話したかを書いた文章の一部

  「その講義で私は、この社会がどんな社会であるかを言い、そうでなければならないことはないことを言い、別のあり方が楽でよいのではないかと言う。それは相対化という仕事でもあるがそれだけでもない★05。つまり私自身が特定の立場に立っている。ただ、私たちは偏ることから逃れることはできず、あとはどのようにそれを言うか、あるいは言ってはならないかだと思う★06。そんなことを考えながらの講義、そして出入り自由、聞きたい人はどうぞ聞いてくださいという★07その講義は、たいてい1時間半ただしゃべり続けるという一方的で★08工夫のないものだったのだが、稀にビデオも使った。まず半期の講義の始まりの方でスー・ロドリゲス(Sue Rodriguez)についての番組のビデオを見てもらった。これはカナダの放送局CBCが一九九四年に制作した番組をNHKが同年の九月に海外ドキュメンタリー「人は死を選択できるか」として放映したものだ。ALS(筋萎縮性側索硬化症)にかかったその女性が医師による自殺幇助の合法化を求めて裁判を起こし、最高裁まで闘う。その裁判に彼女は負けるのだが、その後、医師による自殺幇助によって亡くなる。
  彼女とその周りの人たちのこと、その人たちの言うことが伝えられる。まじめで静かな番組だが、あるいはそんな番組であるゆえに、彼女の主張はもっともな主張だと思える。この病気が悲惨であることが伝えられる。そして彼女は美しくも悲哀に満ち悲壮なのだ。こうして、その番組を見た私たちはかなり納得するのだが、しかしいくつか不思議に思うことがある、と私は言う。たしかにALSはやっかいな病気ではある。だだ、もっと症状が進行している人を知っているのだが、その人はそんなに悲壮な雰囲気ではなく、その人を取材してもなにか心に訴える番組はできそうにない。そしてその人は人工呼吸器をつけているのだが、その番組には呼吸器のことは出てこない。呼吸器をつけるとかなり長く生きられるのだが、彼女はそのずっと手前で死ぬことになる。彼女はそのことを言わない。知らなかったのだろうか、選ばなかったのだろうか。番組を作った人は知っていたのだろうか。カナダという国ではどんなことになっているのだろうか、等。私はこんなことを言うときに頭に思い浮かべている山口衛さんという人を連れてくることができないし、映像で示してもすこし違う雰囲気になるとも思うから、ただ私が話すだけで、そう説得力はないのだが、話す――それは、メディアがどう伝えるかでだいぶ異なってくることもあることを言うことでもある★09。
  死にたけりゃ死ねば、と思うところは私にはある。そう乱暴な人でなくとも、自分の人生は自分で決めることがよいと思うだろう。それにしてもなぜ死にたいのだろう。あれだけの病気ならそれも当然、だろうか。しかし[以下略]」


 
 
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故山口衛さん メモリアル・コンサートのご案内

早いもので南アルプスのALS患者、山口衛さんが
旅立たれてから、1年になろうとしています。そこで、
来る9月10日、生前の山口衛さんとゆかりの皆様と共に
ひと時を過ごしたく、フルート奏者の岩村隆二さんの
トークや映像プレゼンテーションを交えた、
コンサートの開催をご家族が企画されました。
ご多忙中とは存じますが、ご来場いただきたく
ご案内申し上げます。

            記

日時;2006年9月10日(日)午後2時から4時半
場所;自由学園 明日館
東京都豊島区西池袋2−31−3
03−3971−7535
JR池袋駅メトロポリタン口徒歩5分
JR目白駅より徒歩7分
http://www.jiyu.jp/

■プログラム
第一部 山口衛の足跡  音楽・仕事・ALS
第二部 フルート奏者岩村隆二さんのトークコンサート

入場無料
★ALS協会への寄付を目的にチャリティーボックスを
設けます。

主催:
山口元子・雅子
電話 042−222−5403

★当メイルをお読みになった方で、
ご来場を希望されます方は、お手数ですが、
川口までメイルにてお知らせください。
定員100名です。定員になりしだい締め切ります。


手伝い:川口有美子 aji-sun@nifty.com

 
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■1998 山口氏←→立岩

□INET GATE       INU00103 98/04/07 19:27
題名:日本ALS協会山口県支部第3回総会:記念

 日本ALS協会山口県支部の山口です。ご無沙汰しております。
山口県のH10年度予算も無事成立し介護人派遣制度が山口県にも導入されることになりました。これも、先生のご指導の賜物と改めてお礼を申し上げます。
 2800万の予算で、月120時間で55人分と不十分なものではありますが、対象者の条件については弾力的に運用すると担当課長は説明会で明言しており、スタートとしてはまず十分に活用する事ではないかと思っております。
 さて、私どもでは5月30日の土曜の午後に第3回総会を開催し3年目の活動へと歩みを進めようとしております。第3回総会に向けて準備作業を進めてゆく中で、記念講演は今後の当支部の活動の方向を示唆するものであり最重要項目の一つとして検討を進めて参りました。そして国の情況や県の姿勢を考慮するときに、ALS患者が安心して療養出来る環境を実現する上で社会的なインフラストラクチャの更なる整備が大きな課題であると考え、介護人派遣制度の研究に先進的に取り組んで来られた先生に介護人派遣制度の現状と問題点、そして今後の進むべき方向についてお話をしていただこうと意見が一致いたしました。
 誠に勝手かつ無理な願いとは思いますが、お受け下さいますように御願い申し上げます。なお準備の都合上早めにご返事をいただければ幸いでございます。

〇0416
私でよいのでしたら
日本ALS協会山口県支部・山口 様

☆ 立岩です。メイルいただきました。介護人派遣事業について,私が最適と思いませんけれど,私でよいのでしたら,5月30日,うかがわせていただきます。

☆ ついでに。「都合のよい死・屈辱による死――「安楽死」について」という文章を『仏教』42号(法藏舘,1998年1月,特集:生老病死の哲学)に書きました。25枚程度のものです。この中でALSのことに少し触れています。松本茂さんの文章なども引用させていただいております。
 御興味がありましたら,Eメイルでお送りすることもできます。

☆ では失礼いたします。

□INET GATE INS00100 98/04/15 12:57
題名:Re: 私でよいのでしたら
立岩真也 様

JALSA山口の山口です。受諾の御返事有り難うございました。

 [……]

> ☆ ついでに。「都合のよい死・屈辱による死――「安楽死」について」という文
> 章を『仏教』42号(法藏舘,1998年1月,特集:生老病死の哲学)に書きま
> した。25枚程度のものです。この中でALSのことに少し触れています。松本茂
> さんの文章なども引用させていただいております。
>  御興味がありましたら,Eメイルでお送りすることもできます。

大変興味深く思います。なぜかと言えば、ALS患者の約7割は呼吸器を着けないで死んで行きますが、その中には患者自身には知らせないで家族親族と医者が安楽死的発想で死なせていると思われるケースがあるようだからです。ぜひメールで送って下さるよう御願いいたします。

〇0416
原稿
JALSA山口・山口 様

☆ 立岩です。メイルいただきました。どの範囲のお話をすればよいのか(派遣事業だけの話がよいのか,それとも…),私も考えてみますが,御要望がありましたら,お寄せください(私は急ぎません)。

☆ 以下,御要望のありました原稿です。とり急ぎ要件のみ。失礼いたします。

都合のよい死・屈辱による死──「安楽死」について 『仏教』42号 [略]

□INET GATE INP00101 98/04/16 13:14
題名:講演の演題について
立岩真也 様

JALSA山口・山口 です。

> ☆ 立岩です。メイルいただきました。どの範囲のお話をすればよいのか(派遣事
> 業だけの話がよいのか,それとも…),私も考えてみますが,御要望がありました
> ら,お寄せください(私は急ぎません)。

 「安楽死」の文章を読ませていただきました。先生の論旨は私の常日頃考えていることに、ほぼ一致しております。スー.ロドリゲスの番組も見ました。その中で彼女が「本当は私は生きていたいのだ。」と語ったことが印象に残っています。またオランダのケースなど未だ死なずとも人生を楽しめる時期に死んでしまったと言う印象を持っております。欧米では人工呼吸器を着けて生きるケースが日本より遙かに少ないと言われています。キリスト教の倫理と、この事実がどう関係するのか興味深いことです。それはさておき、スーなどに対して周囲から呼吸器を着けて生きることの可能性について、恐らく何も示されなかったと推察されます。人は好んで死にたがるものではありません。思うに希望を失ったとき、絶望によって人は死を選択するもののようです。
 さて私はこのように考えますが、表だって安楽死のことを話していただきたいとは思いません。それは、山口の支部会員でも消極的安楽死を選択した遺族・医師がおり、その人達は重荷を担って生きています。その人たちの傷を暴くよりは如何にしたらそうしないで済む社会を築けるのかという側面からお話をしていただきたいと思っています。その主題に入るいわば枕として、先生の安楽死・自殺に対する考え方、そして安楽死・自殺を患者・家族・医師に強要している日本の社会の状況について話していただければと思っております。
 なお案内状に講演の演題を掲載する都合上、今週中にお知らせいただければ幸いです。--

□INET GATE INS00104 98/04/19 23:07
題名:講演の演題について・その2
立岩真也 様

JALSA山口・山口です。
・土曜のNHK教育の夜9時からの番組で思いがけなく先生のお話を拝聴しました。時間は十分とは言えませんでしたが先生の問題意識を理解できて貴重でした。
・本日、JALSA山口の山口さんから、山口支部長の奥様が呼吸困難のため死去されたという知らせがありました。奥さんは以前から呼吸器を着けないと決心されていたそうです。その決心に同意されていたご主人である支部長は、自分の判断が正しかったか今になって悩まれているそうです。またこんな事が繰り返されたかとの思いです。実は、前のメールを書いてから悩んでいました。やはり先生に「難病患者における自己決定」と言うテーマで話していただくべきではないかと?
上記二つのことで決心を変えました。前のメールについては撤回いたします。「自己決定」をキーワードに話をしていただきたいと思います。そして人工呼吸器によって「新しいALS観」(注)が可能になっているのに社会にとって都合の良い「自己決定」=自殺を患者・家族・医師に強要している日本の社会通念の身勝手さ、それを助長している福祉施策の貧しさについて話していただければと思っております。そして、状況を変えうる一つの可能性としての介護人派遣制度について現状と問題点、今後の進むべき方向について示していただければと思います。また自己決定のための必要条件として告知があり、それを受けるのは患者の当然の権利であると思いますが、それを医師と家族が勝手に棚上げしてしまっていることの不条理についても言及していただけたらと思います。

(注)公開シンポジウム「難病の緩和医療の進歩と今後」から
III−1 ALSの告示の問題(呼吸器装着の問題を含めて)
東京都立駒込病院 神経内科医長 林 秀明

ALSの臨床病理学的所見は発症2〜3年で生じる呼吸筋麻痺をターミナルとして確立され、医師は、「NO-CAUSE(原因不明の疾患),NO-CURE(治療法のない疾患),NO-HOPE(希望の持てない疾患)」として、病気を家族のみに話し患者自身には知らせないようにしてきた。
しかし、ここ20数年の呼吸器装置の実践から呼吸筋麻痺後の長期療養が可能となり、ALSの呼吸筋麻痺はALSの一つの症状で、病気の一進行過程であり、ターミナルではないことが明らかとなった。ALSの呼吸筋麻痺が、即「死」を意味しなくなったので、呼吸筋の麻痺する前に、患者自身に呼吸器装着の問題を含めて病気を知らせることが必須となっている。ALSの各筋群麻痺の発症や進行の個人差、早期呼吸筋麻痺の存在、緊急時呼吸器装着頻度の高さから、ALSの診断が確定した早期に知らせるのがよい。
ALSの告示は呼吸筋麻痺がALSの一つの症状であるという「新しいALS観」で、現在の症状及びこれから起こりうることが了解できるように話し、ALS患者を慢性進行性で早晩死に至る不治の患者でなく障害を持った人と考え、人的・経済的・社会的に生活していくのに厳しい現状から、ALS患者が普通の人と同じように生活していけるように、社会に一員として、皆と、具体的に社会に働きかけていかなければならない現状にあることを理解してもらうようにしていくことが必要である。そして、単に情報を伝達するのではなく、情報を共有できる互いに交流しあった関係で行い、新たな状況の変化に対し患者・家族とその都度一緒に判断できる信頼関係の確立が大切である。ところで、呼吸筋麻痺がALSのターミナルではなくなった現在、ALSの呼吸器装着の問題は、ALSそのものの問題から、厳しい障害を持った人の生命を如何に考えるかの問題に変わってきていることに留意されなければならない。                              以上

□INET GATE INR00102 98/04/20 19:06
題名:講演の演題について・その3
立岩真也 様

[…]

第3回日本ALS協会山口県支部総会開催のお知らせ

 拝啓 すっかり春めいた陽気となりましたが皆様いかがお過ごしでしょうか。この
一年間は支部設立以来、県に導入を求めて参りました介護人派遣制度が予算化された
他に、国の施策として呼吸器装着の患者への訪問看護が倍増されるなどを大きな進歩
がありました。次の一歩の方向を見定めるために、下記の要領にて「第3回日本AL
S協会山口県支部総会」を開催いたしたく万障お繰り合わせの上ご参加をお願いいた
します。[…]


※おことわり
・このページは、公開されている情報に基づいて作成された、人・組織「について」のページです。その人や組織「が」作成しているページではありません。
・このページは、文部科学省科学研究費補助金を受けている研究(基盤(C)・課題番号12610172)のための資料の一部でもあります。
・このページは、文部科学省科学研究費補助金を受けている研究(基盤(B)・課題番号16330111 2004.4〜2008.3)の成果/のための資料の一部でもあります。
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/p1/2004t.htm
・作成:立岩 真也
UP: 20011117 REV:20040221 20050919,23 20060815 20090201
ALS  ◇生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築 
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