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横内 正利
よこうち・まさとし


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□昭和21年生まれ。東京大学卒業後,東京都老人総合研究所研究員,国立循環器病センター内科医長などを経て,昭和61年,浴風会病院検査科医長に。平成元年から現職。専門領域は循環器(高血圧),老年医学。(横内[1997]より)→いずみクリニック
・いずみクリニックのHP
 http://www.newton-doctor.com/doctor/tokyo39/izumi/s01/
 cf.有料老人ホーム・グリーン東京の医療体制(cf.滝上宗次郎
 http://www.green-tokyo.com/medical/medical.html

http://www.sekishinkai.org/ishii/3mantalk_01.htmlより
1946年、東京都生まれ。
1972年、東京大学医学部卒業。東京大学付属病院第3内科へ入局。
東京都老人総合研究所、国立循環器病センター内科医長、浴風会病院診療部長を経て、99年から現職。
専門は、循環器内科、老年医学。
著書は、『老年者心電図の読み方と実例』(医薬ジャーナル社)、『高齢者高血圧の病態と治療』(診断と治療社、共著)、『医療と介護保険の境界』(雲母書房、共著)など。

◆横内 正利 20010720 『「顧客」としての高齢者ケア』,日本放送出版協会,197p. ASIN: 4140019204 914 [amazon][kinokuniya][boople] ※ a06.

◆須貝佑一*1, 横内正利*2 1995 「高齢者にみられる悪性症候群」,『老年精神医学雑誌』6(2) : 203-209
 *1浴風会病院精神科, *2浴風会病院内科  http://www1.meteo-intergate.com/journal/jsearch.php?jo=aj2rsizd&ye=1995&vo=6&nu=2
◆横内 正利 199609 「高齢者の終末期医療とは何か」
 『imago』1996-9 特集:ターミナルケア
◆横内 正利 1998 「高齢者の終末期とその周辺――みなし末期は国民に受け入れられるか」,『社会保険旬報』1976:13-19
◆横内 正利(浴風会病院診療部長) 19970417- 「高齢者医療への提言」
 第1回「内科の延長でよいか、老人科的対応が必要か」
 『Medical Tribune』30-16:27
 http://www.medical-tribune.co.jp/mtbackno/3016/16hp/M3016271.htm
 19970515 第2回「高齢者の末期とは何か」,『Medical Tribune』30-20:47
 『Medical Tribune』30-20:47
 http://www.medical-tribune.co.jp/mtbackno/3020/20hp/M3020471.htm
 第3回「治水こそ高齢者医療の要」
 http://www.medical-tribune.co.jp/mtbackno/3025/25hp/M3025471.htm
 Date: Mon, 11 Aug 1997 15:10:01
 第4回「高齢者医療に革命をもたらすパルスオキシメータ」
 http://www.medical-tribune.co.jp/mtbackno/3029/29hp/M3029471.htm
 Date: Thu, 28 Aug 1997 16:20:45
 第5回「高齢者の薬物療法の基本」
 http://www.medical-tribune.co.jp/mtbackno/3034/34hp/M3034391.htm
 Date: Mon, 22 Sep 1997 13:44:32
 第6回「偽薬の効用」
 http://www.medical-tribune.co.jp/mtbackno/3038/38hp/M3038271.htm
 Date: Wed, 22 Oct 1997 10:49:33
 第7回「高齢者に正常値は必要か」
 http://www.medical-tribune.co.jp/mtbackno/3042/42hp/M3042271.htm
 Date: Tue, 25 Nov 1997 16:16:57
 第8回「高齢者の急性期医療におけるせん妄への対応」
 http://www.medical-tribune.co.jp/mtbackno/3047/47hp/M3047471.htm
 Date: Thu, 18 Dec 1997 15:59:25
 第9回「高齢者の高血圧管理」
 http://www.medical-tribune.co.jp/mtbackno/3051/51hp/M3051431.htm
 Date: Tue, 20 Jan 1998 13:55:01
 第10回「高齢者の負荷心電図はどうあるべきか」
 http://www.medical-tribune.co.jp/mtbackno/3103/03hp/M3103231.htm
 Date: Mon, 23 Feb 1998 12:00:04
 第11回「高齢者看護の基本」
 http://www.medical-tribune.co.jp/mtbackno/3108/08hp/M3108311.htm
 Date: Tue, 24 Mar 1998 10:21:47
 最終回「高齢者への対応の基本」
 http://www.medical-tribune.co.jp/mtbackno/3112/12hp/M3112231.htm
◆横内 正利 19980301 「高齢者の終末期とその周辺」,『社会保険旬報』1976
◆横内 正利 19980721 「高齢者の自己決定権とみなし末期――自己決定権の落とし穴」,『社会保険旬報』1991(1998-7-21):12-16,1992(1998-8-1):30-34
 cf.日本尊厳死協会と「痴呆」
 この論文への言及
◇植村 和正 200606 「高齢者の終末期医療」,『学術の動向』2006年06月号(日本学術会議、特集 終末期医療――医療・倫理・法の現段階)
 http://www.h4.dion.ne.jp/~jssf/text/doukousp/pdf/200606/0606_2733.pdf
 「「立場表明」作成の過程で、倫理委員会案に対する日本老年医学会学術評議員全員へのアンケート調査が行われた。「立場表明」を出すことを含めて倫理委員会案に対してほとんどの評議員から賛同が得られたが、反対意見もあった。それを要約すると以下の二点である。「高齢者の終末期には未だ明確な基準がない。時期尚早である。このような時期に学会としての立場を表明すると医療費抑制のよりどころとして行政に利用されかねない」、「高齢者の終末期は老年医学会だけが責任を負うものではない。この国のすべての学会あるいは医師会などが責任を負うものである」(植村2006:)
 「上述した高齢者特有の事情により、終末期の医療およびケアにおいていくつかの問題が生じることになる。老衰等の死に向かう過程で生じる「摂食不能」がその一つである。摂食不能を放置したいわゆる老衰死の場合、それは脱水死であり通常苦しみは少なく死亡までの期間も短く治療による苦痛もない。ヨーロッパ諸国ではこのような場合に人工栄養を施さないで安らかに「死なす」ことが社会的合意として定着しているようである 2)。しかしながら、日本ではこのような場合に補液などの医療処置を行わない例はきわめて少ない」(植村[2003:28])
2)横内 正利 1998 「高齢者の終末期とその周辺――みなし末期は国民に受け入れられるか」『社会保険旬報』1976 13-19
◆横内 正利 19981201 「高齢者の自己決定権とみなし末期〈続報〉」,『社会保険旬報』2004(1998-12-1):12-16
◆横内 正利(浴風会病院内科) 1998 「自立生活の限界とケア施設のあり方」
 『総合臨牀』47-1:18-22
 http://www.meteo-intergate.com/journal/jsearch.php?jo=af2sgrsa&ye=1998&vo=47&nu=1
◆横内 正利(いずみクリニック院長) 20001202 「北欧の高齢者医療はなぜ日本に正しく伝えられないか」,『週刊東洋経済』2000-12-2 http://www.toyokeizai.co.jp/mag/toyo/mokuji/w20001202.html
◆横内 正利 20010215 「日本老年医学会『立場表明』は時期尚早」,『Medical Tribune』(メディカル・トリビューン社)
◆横内 正利 20011004 「再論・日本老年医学会『立場表明』――高齢者医療打ち切りになる恐れあり」,『Medical Tribune』(メディカル・トリビューン社)
 cf.日本老年医学会 20010613 「「高齢者の終末期の医療およびケア」に関する日本老年医学会の「立場表明」」
  http://www.jpn-geriat-soc.or.jp/tachiba/index.html

◆1998/06/06 シンポジウム「高齢者の終末期医療−尊厳死を考える」
 老人の専門医療を考える会(会長=青梅慶友病院長 大塚宣夫氏)主催
 『週刊医学界新聞』2299(1998-07-27)
 http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n1998dir/n2299dir/n2299_08.htm
 「高齢者終末期医療への視点――老人の専門医療を考える会シンポジウムより
 さる6月6日,東京の銀座ガスホールにおいて,老人の専門医療を考える会(会長=青梅慶友病院長 大塚宣夫氏)主催によるシンポジウム「高齢者の終末期医療−尊厳死を考える」が開催され,高齢者医療に取り組む第一線の演者らが話題を提供した。

死は医療のものか
 「これからのターミナルケアに求められる視点」を口演した広井良典氏(千葉大助教授)は,「超高齢時代においては後期高齢者の死亡が急増し,長期の介護の延長線上にあるようなターミナルケアが増加すると見込まれる。より,ソーシャルサービスや『生活モデル』的視点の重要性が高まる」との見解を示した。
 その上で,戦後日本においては「疾病構造の変化,医療技術の高度化,病院化の進展の中で,急速な死の医療化(medicalization)が起こり,病院での死が急増した(日本人の病院での死亡率は,1965年には死亡者全体の29%だったが1995年には74%に拡大)」と指摘。「日本における死に場所としての病院への集中と,ターミナルへの今日の人々の意識は,高度経済成長期を中心とするこの30年の時代環境と,制度・政策のあり方によって大きく規定されたものである」との考えを示した。
 さらに広井氏は,「死は医療のものか」と問い,「死は医療サービスにより一義的に決められるものではない。個人の判断による死のあり方の『選択』の幅を拡大すること。それを可能とするような政策的支援が重要である」と強調した。
 具体的には,在宅・福祉施設でのターミナルケア,施設や居宅に孤立しないような通所型サービスへの支援などをあげるとともに,「死生観そのものを含めて,ターミナルケアというものを,より広い視点から捉え直す作業がいま何より求められているのではないか」と問題を提起をした。

 「みなし末期」は許されるか
 一方,「終末期医療の検証を」を口演した横内正利氏(浴風会病院診療部長)は,「高齢者の末期については多くの誤解と混乱がある。末期とは考えられない状態までも末期とみなされて議論されている」と危惧を表明。「虚弱・要介護のレベルにある高齢者は,急性疾患などによって容易に摂食困難に陥るが,多くは治療によって疾患が軽快すれば,経口摂取が再び可能となる。しかし,もし治療しなければ死に至ることも少なくない。このような高齢者の摂食困難に対して,それを不可逆的なものとみなして医療を実施しないとすれば,それは『延命』治療の放棄ではなく,治癒の可能性をも放棄することだ」と述べ,治癒の可能性があるにもかかわらず,末期とみなすこと(「みなし末期」)を「国民的合意なしには許されるものではない」と主張した。
 また,高齢者医療における治療法や治療の場の選択については,「一定のレベルを超えた治療は望まない,ある限られた範囲内の治療で治癒を試みてほしいという『限定医療』を望む場合が一般的である」と述べ,「この場合,『みなし末期』との決定的な違いは治癒する可能性が十分残されていることであり,医療者が『自然な看取り』を心がけるのは危険である」と警鐘を鳴らした。」(記事全文引用)

■引用

◆19970515 「高齢者の末期とは何か――高齢者医療への提言・2」,『Medical Tribune』30-20:47
 http://www.medical-tribune.co.jp/mtbackno/3020/20hp/M3020471.htm
 *以下全文
 末期医療と言うと、高齢者の場合も癌の末期を想定して語られることが多い。しかし、虚弱・要介護の段階にある高齢者、すなわち前回説明したような“老人科的対応”を必要とする高齢者の場合は、癌の末期とは異なる末期像を呈することが多い。
 私は高齢者には“生命の末期”“老化の末期”“みなし末期”という3つの末期が存在すると考えている(表)。まず、生命の末期=「疾患が治癒しないで、死期が近い状態」について考えてみよう。
 生命の末期に対する対応は基本的に非高齢者の場合と同じで、安楽死と延命に大別できる。
 安楽死はさらに積極的安楽死と消極的安楽死=尊厳死に分けられる。これらは、現在のわが国では社会的合意が得られる状況にないが、尊厳死については今後条件が整えば容認される可能性もあるだろう。
 一方、延命についても2通りの考え方がある。少しでも生命がながらえるよう、できる限りの治療を行うのが積極的延命。尊厳死のように継続中の医療までは放棄しないが、新たな医療は追加しないのが消極的延命である。後者の場合は蘇生術も行わない。
 意外に思われるかもしれないが、高齢者医療の現場では消極的延命が選択されることのほうが多い。私が勤務する浴風会病院でも、積極的延命を希望する家族は少なく、多くの場合、家族の意志に沿って消極的延命を行っている。
 ただし、これには重大な問題が2つある。1つは診断上の問題で、高齢者の場合、癌のように段階的に病態が悪化するのではなく、急性疾患に対する治療が奏功せず、比較的急激に末期に陥ることが多い。このため、死の間際でなければ、確信を持って末期と宣告できる医師は少ないだろう。
 もう1つは、高齢者では多くの場合、本人の意志確認が不可能だという問題である。現状ではリビングウイルのような形で、元気なうちに意志表示している高齢者はほとんどいない。
 そうなると、家族が代弁するしかないが、家族の希望だけで、積極的延命を行わなくてよいという司法的判断は確立されていない。今後の法整備が待たれるところである。
 以上述べた生命の末期以外に、高齢者には非高齢者では見られない老化の末期=「急性疾患などの特定の要因がないのに、不可逆的に経口摂取不能に陥った状態」が存在する。
 この状態では、生存のためには補液や人工栄養が不可欠で、それが施されなければ老衰死=脱水死を迎えることになる。脱水死は苦痛が少なく、体の醜い変化も伴わず、ある意味で理想的な死に方である。大多数の日本人は自分自身に人工栄養などの延命治療が施されることを望んでいない、とする調査もある。
 しかし、現状では老化の末期に人工栄養を行わなくてよいという社会的合意は得られていない。また、この段階では、多くの場合、人間的交流は保たれている。そのため、わが国では老化の末期に人工栄養を回避することは難しい。
 また、生命の末期においては人工栄養は行なわず通常の補液だけ行うという処置も選択されるが、老化の末期でこの方法を選択するのはやはり問題である。
 高齢者に特徴的なものとして、もう1つ、みなし末期というものが存在する。
 先に不可逆的に経口摂取不能の状態は老化の末期だと述べたが、実際には可逆的か不可逆的かの鑑別は難しく、治療してみなければなかなか分からない。しかも、可逆的なことのほうがはるかに多い。
 ところが、北欧などでは、経口摂取不能に陥った高齢者に対し、可逆的か不可逆的かの吟味をしないまま、人工栄養も補液も行わないのが普通だという。つまり、不可逆的とみなして、治癒する可能性を放棄しているのである。言い換えると、本当の老化の末期だけでなく、脱水などの急性疾患によって食事が取れなくなった場合でも、医療を施さないということだ。
 このようなみなし末期が容認される背景には、「自ら食べようとしない者に補液などを行うのは非人間的な行為だ」という独特の価値観があると思われるが、現在のわが国では到底容認されるものではない。
 そして、見逃してならないのは、みなし末期を容認するか否かが、高齢者の介護や福祉の問題に大きく影響しているという事実だ。
 みなし末期が容認されれば、その時点でその高齢者の介護問題は解消されるが、容認されない場合は、徐々にADLレベルを低下させながらも長期間生存することになる。つまり、わが国では1人の高齢者に要する介護期間や労力が北欧に比べ、圧倒的に大きいのである。
 しばしば、寝たきり老人が少ないという事実だけを捉えて北欧を賛美する論調があるが、その背後にある問題を十分に認識する必要がある。
 また、最近「延命治療は無意味」とか、「管でつながれた末期には尊厳がない」などと決めつける人たちが医者のなかにも少なくない。しかし、どんな姿であっても、少しでも生きたい、生きていてほしいと願う高齢者や家族がいることを忘れてはならない。医師はあくまで中立でなければならない。不用意な発言は厳に慎むべきだ。
 高齢者の末期医療はこのような末期の多様性を踏まえてこそ、正しく理解できると言えよう。」

■言及

◆向井 承子 20030825 『患者追放――行き場を失う老人たち』
 筑摩書房,250p. ISBN:4-480-86349-4 1500 [amazon][boople][bk1] ※, b d01

 「話は数年前にさかのぼる。1997年11月。東京の永田町で「フォーラム・末期医療を考える――老人に生きる権利はないのか」と名付けたシンポジウムが開かれた。老年医学者の横内正利氏、社会保障の専門家で有料老人ホームの経営者である滝上宗次郎氏、医師で病院経営者、医療政策の専門家である石井暎禧氏らが呼びかけ人だが、かねがねこのことが気になっていた私も患者・家族の立場ということでそのひとりに加えていただいていた。/シンポジウムは、メディアに大きくとり上げられることこそなかったが、その後、専門誌(『社会保険旬報』)での長い論争(石井暎禧氏、横内正利氏と広井良典氏による)のきっかけとなり、いまふり返っても、制度の枠組みが大きく転換していく過程で、医療と福祉の最前線の政策思想と技術倫理と現場の実情が真剣勝負でぶつかりあうきっかけになったと思う。/ことの発端は一冊の報告書だった。『「福祉のターミナルケア」に関する調査研究報告書』と題され、厚生労働省の外郭団体である長寿社会開発センターが1996年度の調査研究事業報告書 <179< として世に出したものだった。/(中略)/だが、報告書の筆者が「ターミナルケアが『医療』の問題として論じられるかぎり……どうしても技術論に傾いてしまう。……(これからのターミナルケアでは)医学的介入の必要性の薄 <0180<い『死』のあり方が確実に増え、言い換えれば、長期ケアないし『生活モデル』の延長線上にあるような、いわば『福祉のターミナルケア』が非常に大きな位置を占めるようになるんではないか」と言い切るのには違和感を覚えた。それは生と死の文化が政策的な意図をもった文脈、いわば「政策論」にとりこまれているような違和感だった。/(中略)/「生活モデルを」との主張への違和感は、その現状の分析が伝わってこないためだった。死の場面で「技術論」を否定するのならば、その前に、おとしよりたちをあえて死なせたり悪化させたりしないように、死を追い込まないためにも、「医療の質」の技術評価をこそしてほしかった。」(向井[2003:179-181])



UP:20061229 REV:20071221,23,28 20080329,0414
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