矢吹 文敏
やぶき・ふみとし
1944〜2021/02/02
◆2021年2月2日 19:10 「障害者の自立生活運動に尽力 矢吹文敏氏が死去 車いすとユーモアとともに」
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/494692
「障害者の自立生活や京都の障害者権利運動に取り組んできた日本自立生活センター(JCIL)代表の矢吹文敏(やぶき・ふみとし)氏=京都市伏見区=が2日午前0時16分、呼吸不全のため京都市内の病院で死去した。76歳。山形県出身。葬儀・告別式は5日午後0時半から、京都市南区西九条池ノ内町60、公益社南ブライトホールで。喪主は妻昭子(あきこ)氏。
骨形成不全症のため生まれつき骨折しやすく、電動車いすで生活。「反貧困ネットワーク京都」共同代表や伏見区の向島二ノ丸学区自主防災会会長なども務めた。」
◆https://jcilhontai.hatenablog.com/entry/2021/02/03/094950?fbclid=IwAR2-Ze2XyYl-WlKe05qzNhiYUNtAXeNq5CZ13BpIXqKFe0UeYuySMNDwIso
JCILのブログ 2021-02-03 【訃報】
誠に残念なお知らせです。
日本自立生活センター代表矢吹文敏、昨年末から入院し復帰を目指して闘病生活を続けていましたが、2月2日(火)0時16分、呼吸器不全により享年76歳にて逝去いたしました。
生前のご厚誼に心より感謝し、謹んでお知らせ申し上げます。
お通夜、告別式は以下の通り執り行われます。
【日時】
お通夜 2月4日(木)17時から
告別式 2月5日(金)12時半〜14時
【場所】
「公益社南ブライトホール」
京都市南区西九条池ノ内町60 TEL (075)662-0042 FAX (075)662-0242
アクセス https://www.gishiki.co.jp/funeral/hall/514?tab=map
喪主 妻・昭子
※時節柄、式場の指示に従い、人数制限を行いつつお参りいただくなど、密にならないよう配慮しますので、ご了承ください。また、大声での会話を控えていただくなど、感染予防にご協力ください。
なお、2月5日の告別式については、zoomにてご覧いただけます。
他府県の方などでお越しになれない方は、そちらから参加いただけたらと思います。
zoomアドレスについては、式場から案内が来るのを待って、おってご連絡いたします。
※故人は現在、「南ブライトホール」五階(南エレベーター上がってすぐ)の安置室 (※追記参照) におられます。
時節柄、通夜、告別式に関わらず、
2月3日(水)13時〜17時
2月4日(木)9時〜お通夜まで、
お参りいただけますので、皆さまのご都合のつく時間で、
故人と顔を合わせてお別れの挨拶をしていただけたら幸いです。
※追記
今日3日(水)と4日(木)のお参りのお部屋が変わりました。
安置室は狭いため車いすの方々もお参りしやすいようにとの式場の取り計らいで、
今日の13時から、2階(北エレベーター上がる)の会場に移ることになりました。
お通夜、告別式も同じくこの会場で行われることになります。
日本自立生活センター所長、車いすと仲間の会代表 香田晴子
NPO法人日本自立生活センターワークス共同作業所所長 大崎雅彦
NPO法人日本自立生活センター自立支援事業所所長 小泉浩子
■著作
単著
◆矢吹 文敏 20140325 『ねじれた輪ゴム――山形編』,生活福祉社 307p. ※
◆矢吹 文敏 2018 『下から目線――車いす視点から社会を斬る』,ウインかもがわ
共著
■関連ファイル
全文掲載
組織
■報道・紹介・言及
◆立岩 真也 2021/02/10 『介助の仕事――街で暮らす/を支える』,筑摩書房,ちくま新書,238p. 820+
※電子書籍版にすこし出てきます。
◆2019/03/14 「車いす生活「下から目線」で 社会や他者理解、エッセーで斬る」
『京都新聞』2019年3月14日
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/5611
「障害者の自立に取り組む当事者団体、日本自立生活センター(JCIL、京都市南区)代表の矢吹文敏さん(74)=伏見区=がこのほど、エッセー集「下から目線 車いす視点から社会を斬る」を出版した。
矢吹さんは骨形成不全症のため生まれつき骨折しやすく、電動車いすで暮らす。「反貧困ネットワーク京都」共同代表や自主防災会会長なども務め、あちこちに出掛け多忙な日々を送る中、78編のエッセーをつづってきた。
矢吹さんは車いす目線で、銀行の現金自動預払機(ATM)のタッチパネルに届かず使えないこと、混雑する電車で他の乗客の買い物袋やバッグが顔にかぶさってくることなど日常をユーモアを交えて描きつつ、時事問題へ、他者理解とは何かを柔らかな筆致で切り込む。
障害者が老いに直面した時の苦しみ、制度の課題も率直に記す。ウインかもがわ、税込1620円。」
◆2016/07/04 「地域と関わり障害者運動」
『京都新聞』「来た道 行く道」2016年7月4日
https://fukushi.kyoto-np.co.jp/column/kitaiku/160704.html(外部リンク)
「障害者が自立して生活できるように、在宅介助者の紹介、共同作業所の運営などいろいろな援助サービスや啓蒙(けいもう)活動を行っています。障害者の自立生活運動の拠点です。体が不自由な人をあえて障害者といわなくても、障害者、健常者というような言葉がない「人として生きる」社会になればいいのですが、ハードルは高いです。そのためには障害者の自立が大切だと考えています。
骨形成不全症のため、車いすを使っています。母親がおむつを替えるとき、足を上げると骨折したらしいです。当時は養護学校もなく、小・中学校にもほとんど通っていません。歩けないから学校に行けないと思い込んでいました。でも、家に閉じこもっていたら、対人関係など築けないと思い、地元山形の県立高校の通信制に入りました。そこで知り合った障害者と旅行に行ったのですが、車いすの私は重度なのに、軽度の人がだれも助けてくれない。障害者といっても障害の種別、重・軽度などさまざまです。障害者同士でも理解が乏しいことを感じました。さらに「頑張る障害者しか世の中に出られない」といった風潮です。この疑問が障害者運動の出発点となります。
高校在学中に、私と同じ思いの人が集まるようになりました。生活においての疑問や改善点などを障害者団体に訴えましたが、受け止めてもらえません。それならと、20人ほどで新たな団体をつくり、要望書を出したり、署名活動を行いました。1973年に初めて開かれた車いす市民全国交流集会にも参加しました。その後、2年置きに全国各地で交流集会が開かれました。そこで知り合った日本自立生活センター(京都市南区)を設立した前代表の故長橋栄一さんから、京都に勉強がてら手伝いに来ないかと誘われました。87年からセンターのスタッフとして働き始めました。今から思うと「全く知らない土地によく来たな」と不思議に感じてしまいます。
センターでの活動では、路線バスに車いすで乗降できるリフトバスの運行を働きかけた運動が思い出されます。米国に行き、先進地事情を視察しました。長橋さんらが行った地下鉄駅へのエレベーター設置運動から10年後の91年に京都市バスでリフトバスが走り始めました。また、障害者が入院時につけられなか?た介助者も、京都市に働きかけ、言語障害などの事情によっては可能になりました。
障害者が生活を自立するには地域との関わりが大切になります。社会参加です。地域の団体との交流も積極的に進めています。今後さらに新しい町づくりに加わっていきたいし、私たちにとっての社会貢献とも考えています。4月にはセンターがある地元の春まつりの実行委員長も務めさせていただきました。」
◆https://fukushi.kyoto-np.co.jp/column/kitaiku/160704.html
作成:安田 智博・立岩 真也