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吉村 仁

よしむら・ひとし
1930.9.27-1986.10.23


健康保険制度改革を実現させた厚生省事務次官。「医療費亡国論」を主張したことで知られる。広島県賀茂郡西条町(現・東広島市西条岡町)出身。

■吉村仁 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E6%9D%91%E4%BB%81

■論文
198302 「医療費をめぐる情勢と対応に関する私の考え方」『社会保険旬報』(当時、保険局長)

■答弁など
衆議院会議録情報 第101回国会 社会労働委員会 第13号
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/101/0200/10105100200013c.html
医療費亡国論
http://sword.txt-nifty.com/guideboard/2006/10/__4e8d.html

■言及
水野 肇 20030828 『誰も書かなかった日本医師会』,草思社,223p. 1700+税  ISBN-10: 4794212372 ISBN-13: 978-4794212375 [amazon] b a06
水野 肇 20050707 『誰も書かなかった厚生省』,草思社,246p. 1600+税  ISBN-10: 4794214197 ISBN-13: 978-4794214195 [amazon] b a06

◆ドクター塚本 白衣を着ない医者のひとり言
http://meiwakai.org/ikiikijinsei/doctsukamoto-top.htm

◇「医療費亡国論」は本当か(その1)
 白衣を着ない医者の私は、医療の第一線、臨床現場の経験ゼロです。しかし明治生命の現役時代には医師免許を持つ勤務医(社医)として働いていました。入社したのは1960(昭和35)年で、池田勇人首相の「高度経済成長、所得倍増計画」スタートの年に当ります。翌1961年からは世界に冠たるわが国の「国民皆保険」制度が導入され、経済と歩調を合わせるように医療も高度成長をつづけることになります。私の在職中は、社医のターンオーバーが激しく、その定着には苦心した苦い思い出があります。給与体系が臨床の勤務医と比べて低いことも一因だと考えられていたので、民間給与の実態調査(人事院)などを参考にして、社医の給与案を策定するといった仕事もやりました。親しくしていただいた何人もの方から、臨床の仕事をすればもっと高収入が得られるのに、どうして保険会社に残っているのですか、と真面目に質問されたことも再々でした。もともと予防医学に関心があったことと、統計疫学の研究ができる「医事調査」という仕事が性に合っていたから定年まで勤めあげることができたと思っています。
 当時を振り返ると、医師という売手市場にいたため、同年輩の事務職のサラリーマンよりはちょっとだけ高い給与をもらい、会社からも大事にしてもらったと思っております。短絡して言うなら、医療の高度成長をもたらした医療界のリーダー、強烈な個性の持ち主の武見太郎(1904〜1983)のおかげだったと言えそうです。そうです、「ケンカ太郎」の異名で有名な、日本医師会長として連続13期25年(1957〜1982年)もの長期間、君臨した「武見天皇」とも呼ばれた人物です。彼は、医療政策の立案者である厚生省官僚と徹底的な対決姿勢を貫いて、医師がそれぞれの長い臨床経験によって「芸」として高めた医療をだれにも拘束されることなく、各々の患者のニーズに応じて提供できる体制(「プロフェッションとしての自由」)の構築を目標としたのです。独特の医療哲学と政治力に物を言わせて、自由主義経済下における開業医の独立と利益擁護のため奮闘されたので、武見会長の率いる日本医師会は圧力団体の代表だと言われながらも、臨床現場の大半の医師から熱烈な支持を得たのです。
 武見会長お一人だけの影響ではないのですが、バブル経済が崩壊する頃までに、わが国の医療体制は、薬づけ、検査づけ、さらには不正請求などの批判はあるものの、国際的には高い評価を受けるに足る実績を上げてきました(WHOの「ワールド・ヘルス・レポート2000」によると、医療の総合達成度の評価は世界第1位です)。
 つまり、@平均寿命、乳児死亡率などの保健指標は世界最高水準に達しています。A国民全員が公的医療保険に加入している国民皆保険制度によって、いつでも、どこでも、平等に、合理的な一律料金で受診することができます。B医師側も、基本的に自由診療ができて、出来高払い制度に基づいて診療内容に応じて収入が増えるようになっています。C一方、毎年歯止めもなく高騰し続けていると一般に信じられている医療費も、実は世界的には低い水準にとどまっています。むしろ、これと対照的な国がアメリカで、真剣に日本の医療体制から学ぶべきだとする研究者がいるくらいですし、今年行われるアメリカ大統領選挙でも、公的医療保険の導入問題が争点の一つになっているほどです。
 ところが、今世紀に入ってからにわかに、「医療危機」とか「医療崩壊」という言葉を日常的に聞くようになってきました。いわく、医療過誤、医療事故、医療訴訟、医療裁判、救急患者のたらい回し、分娩取り扱い中止、お産難民、小児科の閉鎖、病院の廃院、医師不足、医師の過労死・自殺、医療格差、医療財政の破綻、「立ち去り型サボタージュ」などなど、またかというほど「医療が悲鳴をあげている」ニュースの洪水です。新年早々の総合雑誌もこぞって医療崩壊問題を特集しているのが目立ちます。タイトルだけ並べてみましょう。「医療崩壊の行方」(中央公論1月号)、「医療崩壊をくい止める」(世界2月号)、「大増税が医療・年金を破壊する」(文藝春秋2月号)といった具合です。白衣を着ない医者の私も漫然と見過ごすことが出来ません。それもそのはず、私自身は臨床現場にタッチしなかったのですが、阪大・大学院、公衆衛生院時代に薫陶を受けた恩師は、故人となられましたが、いずれも医療制度問題の専門家だった(関悌四郎、朝倉新太郎、曽田長宗、橋本正巳の諸先生)というご縁もあり、並々ならぬ関心を持ち続けていたから当然とも言えます。
 これから数回にわたって、医療崩壊の現状を検証してみたいと思います。まず、医療崩壊の出発点は厚生省(当時)の医療費抑制政策にあるというのが多くの専門家の一致した見解です。
 武見・元会長が亡くなられたのは1983年の暮れのことです。同じ年の2月に、厚生省・吉村仁保険局長(当時)が「社会保険旬報」に寄稿された「医療費をめぐる情勢と対応に関する私の考え方」と題するの論文のなかで端的にこの政策の基本を提示しています。まったくの偶然とは思えないグッドタイミングだと指摘するのは、済生会栗橋病院副院長で、NPO医療制度研究会・代表理事の現役外科医・本田宏医師です。なぜなら、一般には「医療費亡国論」と呼ばれる吉村論文が発表されて以来、四半世紀にわたってこの論文を金科玉条のようにしてわが国の医療行政政策が推進されてきたからです。
 この論文の主張を本田医師は次の3点に要約しています。

@「医療費亡国論」:このまま租税・社会保障負担が増大すれば、日本社会の活力が失われる
A「医療費効率逓減論」:治療中心の医療より、予防・健康管理・生活指導などに重点を置いたほうが効率的
B「医療費需給過剰論」:供給は一県一医大政策もあって近い将来、医師過剰が憂えられ、病床数も世界一、高額医療機器導入数も世界的に高い

 もちろん医療費抑制は吉村論文より遥か以前から一貫して続けられた厚生省の政策ですが、吉村氏は、「医療費の現状を正すためには鬼にも蛇にもなる」と言い切って、日本医師会初め、自民党内部や野党からの猛反対にも屈することなく、それまで聖域化されていた医師優遇税制の改革にメスを入れたり、無料だった健康保険の被保険者本人(サラリーマン)の医療費2割自己負担を導入するなど、健康保険制度創設以来ともいえる大改革を実現させます。彼は厚生省事務次官まで上り詰めたのですが、退官した1986年に56歳の若さで死去されました。病身を押して健保改革に身を賭したホンモノ官僚の壮絶な死だったと評されています。その政策が破綻を来たして、今日の医療崩壊を齎したと諸悪の根源だとされているのです。次回以降にもっと詳細に吟味してまいりましょう。
 なお1987年に、ご遺族の申し出によって、将来の厚生政策の企画立案をするのに基盤となるべき卓越した調査研究に対して毎年助成することを目的に、「吉村記念厚生政策研究助成基金」(通称・吉村賞)が発足し、2003年まで続きますが、その受賞者には、現在も医療経済、医療政策分野で活躍する多くの第一線研究者が名を連ねています。さらに蛇足ですが、私と一緒に「明治生命体重表」の研究に携わってくれた田村誠・国際医療大学准教授(当時)も受賞者(1999年)のお一人でした。
<参考文献>
 本田宏:「誰が日本の医療を殺すのか 「医療崩壊」の知られざる真実」羊泉社 2007年9月
 池上直己、キャンベルJC:「日本の医療 統制とバランス感覚」中央公論社 1996年8月
(2008年1月30日)
http://meiwakai.org/ikiikijinsei/doctsukamoto109.htm

◇「医療費亡国論」は本当か(その2)
 1983年当時、吉村仁局長の医療費亡国論がまかり通ったのにも、それなりの社会的な素地があったと思います。国民皆保険の導入(1961年)によって、自己負担ゼロの健保・本人はもちろんのこと、患者数の増加に伴って医師の収入が増えたのは当然の結果でした。武見太郎・日本医師会長をして、医師集団の3分の1は「欲張り村の村長さんだ」と嘆かせたほど金儲けに走った医師がいたのも事実でした。銀座で遊んでいるのは医者ばかりとか、高い入学金を支払って新設医大へ外車で通学するのは医者の息子だけ、とか言われたのも昭和40年代のことでした。たしかに日本の医療が医師会主導の時代は、医者の驕りが目立った時代だったのです。奢れる者久しからず、医師会主導にとって変わる厚生省主導時代の政策キャッチフレーズこそ医療費亡国論でした。
 しかし医者すべてが金持ちだったというわけではありません。私のようなマイノリティは例外としても、昭和32年卒業の同級生のなかで、「高額納税者番付」に載ったのはたった一人(T県で親の代からの病院経営者)だけでした。その同級生に聞いてみました。彼は、近所に腕の良い医者がいなかったせいもあって、外科医として脂の乗り切った時期、体力に任せて切りまくったし、幸い見事に治癒させた実績が高収入を齎したと思う、と述懐していました。でも同級生の大部分は病院の勤務医でしたから、世間で言う金持ちにはとても見えない連中ばかりです。
 行過ぎた金権主義に走った奢れる医者に対する世間の目は厳しく、マスコミもこぞって医師バッシングの報道を展開するようになり、厚生省の医療費抑制政策に賛成する世論を作り上げて行ったのです。それもそのはず、「国民医療費」は経済の高度成長、国民の高齢化と歩調を合わせて年々高騰をつづけ、財政を圧迫していることが誰の目にもはっきりしていたからです。
 もともと医療費は複雑な仕組みにより構成されています。
 ここでいう「国民医療費」は、医療機関などにおける「傷病の治療に要する費用の推計値」で、毎年厚生労働省が発表しているマクロ経済の数字です。その範囲を治療費に限定しているために、@正常妊娠や分娩、A健康診断(人間ドックを含む)や予防接種、B固定した身体障害のための義眼、義肢、などに要した費用は除外されています。さらに患者負担の入院時室料差額分、歯科差額分などの費用も計上されていません。
 ざっと国民医療費の動向を追ってみますと、最初に発表された昭和29(1954)年度には2152億円だった推計額は増加の一途をたどり、国民皆保険達成の昭和36年度以降は増加が一段と加速して、40年度に1兆円、53年度には10兆円を超えました。その後も、治療費を「介護保険」に移行させた平成12年度とか、診療報酬本体で初めてマイナス改定をした平成14年度などの例外を除いて、国民医療費の増加に歯止めはかかりません。平成17年度は、前年より約1兆円増加して33兆1289億円と、過去最高水準に達しています。当然ながら国民一人当たりの医療費も増加の一途で、2400円だった昭和29年度から、1万円台(40年度)、10万円台(55年度)と上昇をつづけ、平成17年度には25万9300円に達しています(数字の詳細は厚生労働省のHPから「国民医療費」を検索してご覧ください)。
 この年間約33兆円が高いのか安いのか、が問題です。前回ご紹介した本田宏医師はこんな比較をしています。ガソリン税で有名になった道路整備のための公共事業に充てている予算は、何と約50兆円であるのに、国民医療費のうち国庫からの支出は約12兆円(全体の36.4%)で、公共事業費に比べてはるかに小さい額だ、と言うのです。これでも医療費を削らないといけないのか、と怒りをこめて疑問をぶっつけています。
 もっと分かりやすく、高速道路に設置されている緊急電話の値段は、1台につき250万円もかかっています。外科医の本田先生が、二人の胃がん患者を手術し、それぞれ1ヶ月間、検査・治療をつづけながら入院してもらって、病院に入る診療報酬はやっと240万円でしかないそうです。胃がんの手術を一人でこなすようになるまで10年近くもかかることを考えるとため息が出てしまうと嘆くことしきりです。
 またこんな比較もあります。平成16年度の数字ですが、国民医療費31兆円に対して、パチンコ産業が同水準の31兆円、葬式産業は半分の15兆円だそうです(鈴木厚「崩壊する日本の医療」秀和システム 06年11月刊)。いずれの数字もこれではマクロでみると医療費が高いとは言えそうにありません。
 それでも医者は儲かっているから医療費を上げる必要なし、という議論もありそうです。実際には、病院に勤務する医師の給与は一般の人が考えているほど高くありません。厚生労働省の2005年賃金構造基本統計調査によると、勤務医(39.9歳)の平均年収が1047万円に対して、医師同様、高度で特殊な技術が求められる専門職の所得と比べてみると、パイロット(39.0歳)の年収は1323万円、弁護士(40.5歳)のそれは1171万円と、いずれも勤務医の給与を上回っています。週刊東洋経済の調査でも、ほぼ同年齢の、フジテレビ、三菱商事、電通、三菱UFJ、野村HD、新日本石油、三井不動産など大企業サラリーマンの平均年収の方が高くなっています(2006年10月7日号)。医師が給与を貰い過ぎだというのは退職金が極めて少ないことも考えあわせると完全な誤解だと、本田医師は断言しています。
 勤務医の待遇は給与だけではないのです。その過酷な労働条件は無視できません。1ヶ月間休みを取らずに働いた勤務医は全国に3割近くおり、7割以上の医師が宿直明けの日もそのまま連続勤務をしています。1ヶ月の残業時間が「月80時間以上」の勤務医が3割を超えています(日本医師労働組合連合会のアンケート調査)。
 一方開業医の方は、患者が軽症で訴訟リスクが少なく、仕事が楽な割に所得は高いのです。医療経済実態調査(2005年6月時点)によると、介護事業を行わない一般開業医(無床診療所)の平均年収は2724万円となっています。これではたくさん働いても報われない勤務医が、開業医へ移動するのは当然の現象で、病院は崩壊寸前だと指摘しているのは、川渕孝一・東京医科歯科大学教授です(中央公論、2007年6月号)。
 もともと国民医療費は、これまでも、さらに今後も上がっていって当然なのです。大きな要因の1つが人口の高齢化にあることは誰しも指摘するところです。平成17年度の年齢別国民医療費をみても、65歳以上の医療費は16.8兆円で全体の半分以上(51%)となっています。1人当りの医療費も64歳未満が15.92万円であるのに対して、65歳以上では65.57万円と4倍以上です。さらに75歳以上では81.91万円と5倍を超えています。
 もう一つ、医療経済の特殊性があります。ふつう技術革新は生産の効率化を促進して生産コストを下げることができます。日常使っている家庭電気製品などその好例です。一方、医療技術の進歩は診断、治療に大きな貢献はするものの、効率化どころかコスト削減とは逆の人件費を初め経費増になります。患者満足度は上がるがコストも上がるのが特徴です。マクロ経済的にみて、医療費は抑制できない宿命をもっていると申せましょう。 
(2008年2月13日)   
http://meiwakai.org/ikiikijinsei/doctsukamoto110.htm

◇「医療費亡国論」は本当か(その3)
 前回も申しましたが、医療費が年々高騰するのは当然のことなのです。昭和一桁世代の私が医学校を卒業した当時の医療内容は、今と比べると質量ともに雲泥の差があります。お医者さんのシンボルは白衣と聴診器だと言われていますが、当時の診察室では聴診器のほかは素手で行う視診、聴診、打診、触診などが重視されていました。「まず検査しましょう」から始まるのが現在の診察風景です。しかも検査の種類は増える一方のうえ、日進月歩の医療技術の進展によって高度な検査が次々に導入されています。治療のことは言うに及ばず、患者が欲する「良い医療」を受けるためにコストがかかるのは当たり前のことなのです。無駄遣いや不正請求を排除するための抑制ならいざ知らず、もともと政策としての医療費抑制には無理があります。国際的にみても医療費が高騰していない国はどこにもありません。
 まずはわが国の医療費がどのようなレベルにあるのかみてみましょう。OECD(経済協力開発機構)は、1960年から医療に関する各国のデータを収載した「OECDヘルスデータ」(2007年版が最新のもの)を公表しています。数あるOECDの公表資料のなかでももっとも利用価値の高いデータベースとされています。この中から医療費に関連した主な内容を紹介しますと次のとおりです。(「OECD日本政府代表部」HP、「社会実情データ図録」ご参照)

@医療費のGDP比率
 国によって医療制度、保険制度が異なり、比較のための補正が必要なので、厳密には「国民医療費」と同じ数字ではありませんが、国際比較をする際には「医療費のGDP(国内総生産)比率」が良く使われます。日本は、8.0%、OECD30か国の平均値は9.0%で、30か国中22番目です。先進G7のなかでは言うまでもなくアメリカ(15.3%)は断トツのトップですが、わが国は最下位となっています。また医療費に占める公的支出をみますと6.5%で、OECDの平均 7.4%を1%近くも下回っていて、先進国のなかでは最低です(こちらはフランスの8.9%が最高となっています)。
A一人当たりの医療費
 一方一人当たりの医療費は、OECD平均が2,759ドルに対して、日本は2,358ドルで、30か国中19番目となっています。一人当たり医師診察回数はというと、平均6.8回に対して日本は13.8回と平均の2倍以上の断トツです。したがって、「国民」一人当たりではなく、「患者」一人当りの医療費は文句なく最低レベルということになります。
B医師数(人口千人対)
 医療従事者の代表とも言うべき医師数は、平均が3.0人なのに対して日本は2.0人で、3分の2と少ないのです(米、独、仏、スウェーデンはいずれも3.4人)。

 数字の羅列はこの辺で止めますが、要するに国際的にみてわが国の医療は低コストの模範生だというのが世界の常識になっているのです。日本医療経済学会会長である日野秀逸・東北大学経済学研究科長・学部長は、OECDのデータを基に日本の経済力を考慮して、OECD上位10か国の平均値と等しくする、つまり先進国並みの医療費をわが国が支出するという仮定に立つならば、約10兆円の医療財源を投入して然るべきであると試算しています。具体的には、現行の国民医療費約33兆円を約43兆円程度に増額してようやく先進国平均に到達できるという提言をしています(「世界」2008年2月号)。また彼は、現在26万人の医師数は絶対不足の状況で、OECD平均の医師数にまで追いつくためには約13万人も増やさねばならないとも言っています。
 ここで、イギリスの体験から学ぶべきだとする、医療経済の専門家の見解もお聞きしてみましょう(川渕孝一・東京医科歯科大学教授「医療費抑制が病院を殺す」、中央公論2008年1月号)。
 ご存知のサッチャー首相時代に医療費抑制政策を断行した結果、イギリスの医療費はGDP比率で2000年に7.3%(日本は7.9%)と先進国中最低だったのですが、ブレア政権になってから行った「医療改革」で、まず医療費を増額しました。2002〜07年の間に医療費の年伸び率は約11%(金額にして約10兆円)に達して、あっという間に日本を追い越して最低国から脱却したのです。財源が潤ったことで、医療資源も緩やかに増加に転じ、専門医・研修医数や看護師数の伸び率がそれぞれ6.3%、4.3%(2000〜04年)と増加した結果、イギリス最大の懸案だった「長い入院待ち」も短縮傾向にあります。これまで「格下」だったはずのイギリスに、わが国は医療費のみならず医療へのアクセスでも後れをとるようになっています。
 こうした量的確保(ステージ1)につづいて、医療の質と安全の改善も行われました(ステージ2)し、さらに「医療の可視化」(短絡して言うと評価システムの導入です)と報奨の供与も実施しています(ステージ3)。
 川渕教授は、わが国もこのような「政府が医療費を増やして医療の質を底上げする英国モデル」を選択したいところだが、残念ながら日本にはトニー・ブレアがいないと、慨嘆しておられます。
 足元の日本の現状を見直してみましょう。吉村局長の「医療費亡国論」(1983年)の頃からOECDヘルスデータは分かっていたはずです。それにもかかわらずと言いたいのですが、1997年には、国民医療費が2000年には38兆円、さらに2010年には68兆円に達するという予測値を厚生省は公表したのです。この予測値に踊らされて医療費亡国論の宣伝に一役買ったのは当時のマスコミでした。前回ご紹介したとおり、2005年が33兆円でしたから、まさに国民医療費を抑制するための厚生省による情報操作としか言いようがありません。鈴木厚・川崎市立川崎病院地域医療部長は、このようなウソのデータを示し、国民の将来不安をあおって、医療費抑制政策を遂行しようとした政府を怒りをこめて糾弾しています(鈴木厚:「崩壊する日本の医療」(株)秀和システム 2006年11月刊)。
 このような流れのなかで登場したのが小泉首相でした(2001年4月)。5年半の小泉政権のもと、歴代の自民党政権と比較してもはるかに厳しい医療費抑制・患者負担拡大政策が強行されたのです。
 「改革は痛みを伴う」というのが彼の謳い文句だったことを思い出してください。医療費抑制政策の中心は、2002年の健康保険法改正による健保本人の自己負担率の引き上げ(2割→3割)と、診療報酬の史上初の引き下げ、追い討ちをかける2006年の史上最大の診療報酬引き下げと医療制度改革関連法の成立でした。これらが1980年代以降、四半世紀も継続された世界一厳しい医療費抑制政策の「最後の一撃」となって、現今の医療崩壊・危機を招くことになったことは明らかだ、と批判を強めているのは、二木 立・日本福祉大学教授です(「医療改革 危機から希望へ」勁草書房 2007年11月刊)。
 小泉元首相のあの政治手法には根強い人気があって、今も一部で彼の再登場説すら囁かれているそうです。でも私は結果論ながら、事「医療政策」に関する限り、「小泉失政論」に加担したいと思います。さて皆さんはどのようにお感じでしょうか。                                               
(2008年2月27日) 
http://meiwakai.org/ikiikijinsei/doctsukamoto111.htm

◇「医療費亡国論」は本当か(その4)
 「医療費亡国論」以来長年にわたって推進された医療費抑制政策のツケが、深刻な「医師不足」を招いていることは誰の眼にも明らかです。数年前まで、医師の絶対数は足りているがその偏在が問題だと公言していた厚生労働省も、現在では「総数としてはもちろん、特に一部の地域や診療科で深刻な不足を生じている。とりわけ産科、小児科、外科、救急などで顕著だ」(佐藤敏信・医政局指導課長)と正直に認めるに至っています(3月2日付 朝日新聞)。
 この冬のインフルエンザ流行のピークは過ぎたので、臨床現場の小児科医も一息ついておられるのではとご苦労をお察ししています。日常経験する医療のお値段は、国民皆保険制度の下では健康保険の「診療報酬」で決まりますので、「公定価格」と言ってよいでしょう。診療報酬体系では、モノ中心の出来高払い制で、技術料の評価が低いという弱点を持っています。もともと小児科では患者に対する投薬も少なく、採血はもちろん検査もなるべく行わないので、診察1件当りの収入は低くなります。その上、時間外診療が多くて、大人の診療科とは違った苦労が多いのです。
 それもそのはず、小児は症状を自己表現できないので、重要な徴候を見落とすリスクも大きいし、採血の場面など泣き叫ぶ小児を看護師と一緒に3人で押さえ込んで細い静脈に注射針を入れてやっと採血するという苦労が眼に見えるようです。容態の急変もしょっちゅうですし、昔と違って核家族となっているので、育児経験のない若い母親自身がベビーちゃんの病状におろおろしてパニック状態になっているケースもあります。まず母親から落ち着かせないと始まらないのですから、小児科医は大変です。
 自治体ごとに濃淡はありますが、「小児医療の無料化」施策は完全に経済原理を無視していますし、それ以上に受診体制が疎かなままで実施されたのでは、「濫受診」を招くこと必定です。
 近藤喜代太郎・北海道大学名誉教授によると、「小児の時間外患者のうち、9割までは医学的に大したこともなく、電話相談で両親の心配に答えるだけで対応可能」というのが現状だそうです(「医療が悲鳴をあげている あなたの命はどうなるか」西村書店 2007年12月刊)。
 病院経営にとっても収益性が低く、小児科医求人難を承知で、下手に小児科を開設しようものなら、無理な診療体制と過重労働が重なって事故を起こしかねません。そうなると病院が小児科を閉鎖するのも当然の道筋となってしまいます。
 小児科医出身の坂口力・厚生労働大臣(当時)は、今からみれば割合早く、2002年に病院の小児科・産科の医師不足の問題に理解を示され、「小児科・産科若手医師の確保と育成に関する研究班」を立ち上げたのでした。しかしいまだ実効のある施策となって結実してはいないのは残念です。
 産科にも医師不足を招く固有の問題があります。お産は昼夜を問わないので、産科医の勤務は時間が不規則になり、夜間当直が多いのです。少子化社会と言われて久しいので、分娩数は減少しているはずですが、分娩施設が減少しているために、1施設当りの分娩数は逆に増加しています。しかも高齢出産が増えているので、当然ハイリスクの分娩者も増えます。正常分娩の場合、昔は、病院勤務の助産師に任せて、当直医を起こさなくても済むこともあったようですが、ハイリスク分娩が多くなった現在では、当直医は眠れないまま朝を迎え、過重労働を余儀なくされます。深夜勤務が終われば、そのまま帰宅できる体制にはなっていません。勤務明けの「うしろの時間制限」はないのですから、36〜37時間の連続勤務という過重労働がふつうに行われているのです。これでは勉強時間もなくなり、医療の質の低下につながりますし、場合によっては医療事故の原因にもなるのです(岡井崇ら「壊れゆく医師たち」岩波ブックレット 2008年2月刊)。
 産科の場合、医療事故による訴訟が急増して、年間約1000件を数えるに至っています。うまくいった場合と医療事故との間に激しい落差があるだけに訴訟になりやすいのだとも言われます。それも民事訴訟だけではなく、昔と違って刑事訴訟にもなるケースが出ているのが最近の特徴です。典型的な「福島県立大野病院事件」がきっかけとなって、産科医不足に拍車をかけたと言われています。
 その事件というのは、2004年12月に大野病院産婦人科に「一人医長」だった常勤産婦人科医が、帝王切開分娩を行った際に出血により妊婦の患者を死亡させたのです。その経過は「癒着胎盤」の剥離中、多量の出血を生じたため、追加輸血をして血圧上昇を確認後、子宮を摘出したのですが、その後、止血操作の途中に突然の心室細動を起こし、死亡の転帰となります。もともと癒着胎盤は産婦人科医が一生に一度遭遇するかどうかというほど稀な病気((発生頻度は約0.01%、つまり出産1万件に1件です)であり、しかも術前の予測不可能な合併症なのです。
 2006年2月になって、業務上過失致死罪および異状死の届出義務(医師法第21条)違反の疑いで担当医師が逮捕されて福島地方裁判所に起訴され、現在裁判中の事件です(医師は保釈中)(詳細は「ウィキペディア」、「一般向け:子供に語る、福島大野病院事件」などをご参照)。
 もちろん関連する専門学会から抗議の声明が出されたことは言うまでもありません。日本母性保護産婦人科医会は、「このように稀で救命する可能性の低い事例で医師を逮捕するのは、産科医療、殊に地域医療に於ける産科医療を崩壊させかねない」と声明して強く批判しています。産科に限らず、医療の現場では100%安全ということはあり得ません。予測できない不可抗力なのか医療過誤なのかの見極めは大変難しいので、いわゆる「鑑定意見」が割れることはしばしば経験するところです。ようやくスエーデンで実施されている「無過失補償制度」の導入なども検討がはじまったばかりです。
 小児科、産科だけに限って医師不足を招くに至った原因の一端をご披露しました。政府もようやく重い腰を上げて、平成20年度から8年ぶりに診療報酬値上げの改定を決定しました。医療費抑制に限界があることを認めた証拠だと言えましょう。診療報酬改定のポイントは、@ 医師不足対策、勤務医の待遇改善、A 産婦人科の空洞化を防ぐ対策、B 手間のかかる小児医療の待遇充実だと、報じられました(2月14日付 日本経済新聞)。しかし病院勤務医対策として重点配分された総額は、約1500億円ですから、国民医療費の0.5%にも達していません。先日の「自衛艦・漁船衝突事件」の、あのイージス艦が1隻1400億円だと聞くと、比較すること自体、出来ない相談と分かっていながら、ほぼ同じ金額でしかないのかと慨嘆せずにおれません。有力新聞もこぞって、「中途半端に終わった勤務医対策」(読売新聞)、「勤務医の待遇改善に力不足」(日本経済新聞)などと、医師不足解消の道はなお遠いと論評しています。
 しかし、以前は医療費抑制政策を支持し、その徹底を主張していたマスコミが、はっきりと「医療費亡国論」を捨ててこのような姿勢を打ち出していることに明るい希望も感じるのは、二木立・日本福祉大学教授だけではないでしょう。それでも、「開業医は儲けすぎ」(アエラ 2月25日号)とか、このままで国家財政は大丈夫なのかなど、今なお「医療費亡国論」に加担する声も聞かれますので、次回もお付き合いください。
(2008年3月12日)
http://meiwakai.org/ikiikijinsei/doctsukamoto112.htm

◇「医療費亡国論」は本当か(その5)
 このシリーズを始めて2ヶ月になります。「医療の崩壊」のニュースは毎日のように続いて、とてもフォローしきれない状況です。小児科、産科と並んで「救急存亡」(朝日新聞)とも言われるほど救急医療の現場は悲鳴を上げています。
 3月11日に総務省消防庁から公表された「救急搬送における医療機関の受入状況等実態調査の結果」を報じた新聞各紙のタイトルは次のとおりでした。

○重症救急「拒否」1万4387人、都市部に集中・・・実態調査
○重症患者受け入れ「3回以上拒否」1万4000件
○重症拒否10回以上が年1000件超

 受け入れに至らなかった理由は、「処置困難」(設備・器材がない、手術スタッフ不足など)、「ベッド満床」、「手術中、患者対応中」、「専門外」というのが実態調査の結果ですから、医療機関側が一方的に断るという印象を受ける「拒否」という言葉はタイトルとして不適切だというジャーナリストもいます(橋本佳子・m3.com編集長)。もともと、2007年8月末に、奈良県で腹痛を訴えた妊婦が、救急搬送の受け入れを10回以上断られて死産した不幸な事例がニュースになってから社会問題化して以来、頻繁に使われるようになった言葉が「受け入れ拒否」でした。
 3月25日の厚生労働大臣の記者会見では、分娩休止、制限(里帰り出産を断るなど)に追い込まれた病院が1月以降だけで77施設あり、そのうち7カ所は近隣自治体でも対応が困難だと発表されました。いつまでつづく泥濘ぞ、と言いたくなります。「医師不足問題は一つの失政だ」と小島邦夫・経済同友会副代表幹事がコメントする(3月21日付朝日新聞)ほど、医療費政策「失政論」は、すでに少数意見ではなくなっていることに注目すべきでしょう。
 松井彰彦・東大教授によると、「医療、教育、福祉の3分野はその重要性にもかかわらず経済学の知見がほとんど生かされてこなかった代表的分野」(2007年11月25日付 日本経済新聞)だそうです。そこで諸悪の根源とも言うべき「医療費亡国論」を、専門外であることは承知のうえでその根っこから見直してみることにしましょう。
 私たちは日頃、政府の財政が危機状態だ、社会保障の財源がない、と言われつづけていて、すっかり国民の常識として定着しています。しかし、財政収支が均衡していることが健全だとする「均衡財政」(その逆が財政危機です)や、財政規模を縮小する「小さな政府」はドグマに過ぎない、と指摘してこれらを打破しようと提唱しているのは財政学の専門家である神野直彦・東大教授です(「世界」2008年4月号)。
 まず「財政危機」という常識から検証してみます。菊池英博・日本金融財政研究所長によると(「文藝春秋」2008年2月号)、財政危機はウソだと断じています。現在、日本は834兆円もの債務を抱えていて、これはGDPの160%にものぼる危機的数字だ、と言うのは財務省の宣伝文句で、国民は財務省のマインドコントロールによって思い込まされているに過ぎないというのです。たしかに欧米の日本通の学者や金融関係者たちも口を揃えて、「日本は財政危機ではない。経済政策を間違えていることこそ、真の危機だ」と指摘しています。実は債務の捉え方に違いがあるのです。財務省の主張する「834兆円」は「粗債務」であって、国際的に一国の債務を的確に判断するには「純債務」を使うのがふつうです。菊池所長の推計では、純債務は「254兆円」で、粗債務のおよそ3分の1以下になっています。詳細な数字は割愛しますが、日本政府は欧米諸国と比較して多額の金融資産を保有しているから、このような大きな違いが出るのです。すでに加藤寛・千葉商大名誉学長も、「日本の純債務は250兆円程度」、「債務の半分は二重帳簿」、「日本は財政危機ではない」と指摘しておられるのです(2005年12月14日付 産経新聞)。
 さらに財務省自身、日本が財政危機ではないことを実はよく知っているとも言います。2005年4月、アメリカの格付け会社が日本国債の格付けを引き下げた際に、当時の財務官は、「日本は世界最大の貯蓄超過国であり、国債はほとんど国内で消化されている。また世界最大の経常収支黒字国であり、外貨準備高も世界最高である」との意見書を格付け会社へ送りつけました。つまり、日本が多額の金融資産を保有していることを誇示して、格下げに抗議したのは、政府自ら「純債務で見れば日本は財政危機ではない」ことを認めていることにほかなりません。その一方で、「834兆円」債務を叫び、医療崩壊を招くほどの緊縮財政を続けてきたのです、外国向けと国内向けとを使い分けて国民を欺く二枚舌としか言いようがない、と菊池所長は怒りをぶっつけています。財政再建と医療・年金制度の立て直しは、「二者択一」ではなく、「一石二鳥」で取り組むべきだというのが彼の結論です。
 次は「小さな政府」というドグマです。納得できる理由も提示しないまま、「大きい政府」より「小さい政府」で行くべきだという路線を走ってきたのが日本です。分かり易く言うと、医療を含む社会保障の「国民負担率」を5割以内に抑えるべきだという政策です。ここで言う国民負担率とは、「国民総生産の中で、税金と社会保険料が占める割合」のことです。困ったことに社会保障の財源を論じる際、国民負担率を使うのは日本だけだそうです。この言葉の直訳(和製英語)、National Burden Rate は日本以外では一切使われていませんし、国民負担率という数字が国民負担の実際と大きく乖離して、誤解や恐怖心をかきたてる働きをしているというのは、京大出身でハーバード大学助教授を務め、現在は文筆家として活躍中の李 啓充医師です(週刊医学界新聞の連載「続アメリカ医療の光と影」2008年2月4日〜)。
 ここでも詳細な数字の比較は割愛しますが、国民負担率という言葉を使うことによって、「小さな政府を運営する国」=「国民の負担が小さないい国」という迷妄な固定観念を蔓延させることに威力を発揮してきたのですが、この「小さな政府=善」とする議論の延長線上で医療費(特に公的給付)も抑制され続け、いま日本の医療が崩壊の危機に瀕する事態を招いたのですから、この言葉を流行させた人たちの罪は大きいはずです。
 実は、国民負担率の国際比較をすると、わが国の39.7%に対して、社会保障先進国のフランス、スエーデンがそれぞれ66.0%、70.2%とはるかに高い数字です。言葉の響きから6〜7割も給与から天引きされる国は大変だ、と事実とはかけ離れた思い込みを生じさせるのですが、「国民負担率の大きい国ほど事業主負担が手厚い」のが実情で、実際の社会保険料の本人負担は安いという手品のようなことが起こっています。これらの国では事業主負担が日本の約3倍と非常に手厚いからです。
 2つのドグマにすっかり洗脳されていたのが我々国民だったということにお気付きになられたでしょうか。医療費亡国論からすでに4半世紀が経過しました。現在の医療崩壊を齎した諸悪の根源だと断じただけで、医療崩壊の危機問題が直ちに解決すると考えているほど単純ではないつもりです。
 少数派の意見は常に正しいし、何時かは多数意見に転換するに違いないと楽観しながら、このテーマをいったん終りにします。これからも時々、マクロの医療制度問題を取り上げてゆきたいと思っております。
(2008年3月26日)
http://meiwakai.org/ikiikijinsei/doctsukamoto113.htm

■関連情報
◇この20年間の医療改悪略年表
http://www.fukuoka-sk.org/jyouhou/20iryou.htm
*福岡県歯科保険医協会
http://www.fukuoka-sk.org/

*作成:北村健太郎
UP:20080419 REV:
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