吉岡 斉
よしおか・ひとし
1953/08/13〜2018/01/14
九州大学
◆立岩真也 20230311 [mlst-ars-vive: 24274] 吉岡斉資料
「http://www.arsvi.com/w/yh03.htm
1980年代にその論にふれて、おおっーと思った人でした。
森岡正博さんが(実質)国際日本文化研究で主催した「現代文明と生命」のメンバーとしてお合いました。基本軽いかんじのメンバーが多いなかで、もの静かにしておられました。(「かおでか」と思ったのは蓮実重彦でしたが、吉岡さん「あたまでか」、と思いました。)
その吉岡さんの遺された資料が九州大学に、という番組。
まったくたまたま知りました。
https://plus.nhk.jp/watch/st/400_g1_2023031057341?playlist_id=4a908930-ab23-48d1-bd9d-2e33a9fcf99e
ザ・ライフ「ある原子力学者の遺言 〜未公開資料が語る〜」
3/10(金) 午後8:15-午後8:42
配信期限 :3/24(金) 午後8:42 まで」
◆https://plus.nhk.jp/watch/st/400_g1_2023031057341?playlist_id=4a908930-ab23-48d1-bd9d-2e33a9fcf99e
「ザ・ライフ「ある原子力学者の遺言 〜未公開資料が語る〜」
3/10(金) 午後8:15-午後8:42
配信期限 :3/24(金) 午後8:42 まで
公式サイト:九州大学副学長などを務めた吉岡斉さんが残した膨大な文書が九大文書館で見つかった。原子力をめぐる科学技術史・科学技術政策を専門に研究してきた吉岡さんは国の原子力委員会の専門委員や福島第一原発の事故調査・検証委員会の委員なども歴任した。今回見つかった吉岡さんのメモや記録、日記、電子メールなど、未公開資料が今に投げかけるものは。」
→◇生を辿り途を探す:身体×社会アーカイブの構築 社会学・社会科学&学会
◆訃報 「吉岡斉九大教授が死去 脱原発けん引事故調委員」
2018/01/15付 西日本新聞朝刊 2018/1/15 6:00
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/386508/
「東京電力福島第1原発事故を巡る政府の事故調査・検証委員会(政府事故調)の委員を務め、科学者の立場から脱原発を訴えた九州大教授の吉岡斉(よしおか・ひとし)氏が14日午前8時18分、肝神経内分泌腫瘍のため福岡市内の病院で死去した。64歳。富山市出身。葬儀・告別式の日取りは未定。
専門は科学技術史、科学技術政策。独立した立場で原因究明する政府事故調(2012年9月廃止)では東電関係者らへの聞き取りを行い、13年には脱原発を目指す有識者団体「原子力市民委員会」の設立に携わり、近年は座長として脱原発運動を引っ張っていた。
東京大理学部卒、同大大学院博士課程単位取得退学。和歌山大助教授などを経て九州大に。九大では10年4月〜14年3月まで副学長を務めた。内閣府原子力委員会や経済産業省の審議会で委員も歴任。著書は「原子力の社会史」「脱原子力国家への道」などがある。
□科学者の過信看破し批判
〈評伝〉「理系出身の研究者や技術者には、詐欺師の傾向がある」。科学史を専門とした吉岡斉さんは、こう言って政府や電力会社への批判を続けた。真意を尋ねると「自分の分野を誇大に表現したがり、それが社会に悪影響を及ぼす。代表格が原発だ」と話していた。
吉岡さんの考えは、東京電力福島第1原発事故の前から一貫していた。原発に対し「生涯にわたり国家のすねをかじる自立能力のない技術」と。だから「国の支援がなければいずれなくなる」と主張する段階的な脱原発論者だった。
使用済み核燃料の再処理や、高速増殖原型炉「もんじゅ」にも“詐欺師の傾向”を見いだし、その過信を疑った。もんじゅは、まともに稼働することなく一昨年末、廃炉が決まった。
福島事故後、政府の事故調査・検証委員会の委員として活動。公的に発言する傍ら、反原発の市民集会や講演会に顔を出すようになり、草の根の活動の理論的な支柱となっていく。研究室ではぼそぼそと話したが集会でマイクを握ると腹の底から訴えた。本人が福島事故後に「原発の安全性をやや軽視していた」と語っており、自省に突き動かされているように見えた。福島事故後、講演回数などは100回を大きく超えた。
手元に、取材の折々に読み込んだ吉岡さんの著書「脱原子力国家への道」がある。政府が今も、使用済み燃料の再処理政策を見直さないことなどを批判している。自ら動き、それを実現させたかったはずだ。 (釜山・竹次稔)
□「市民の立場で意見言える人」 関係者、哀悼の声
脱原発の理論的支柱の一人だった九州大教授の吉岡斉さんの死去に、共に運動をしてきた学者や市民からは哀悼の言葉が聞かれた。
有識者団体「原子力市民委員会」座長代理の大島堅一龍谷大教授は「国が原子力利用で抱えてきた問題を客観的、学術的に明らかにした功績は大きい。他国の情勢にも詳しく、議論に説得力があった。原発の推進側や政府関係者にも高く評価されていた」と語り、立場を超えた吉岡さんの存在の大きさを振り返った。
「市民の立場から国に意見を言える大切な人を失った」と肩を落とすのは九州電力川内原発がある鹿児島県薩摩川内市で反原発運動をする鳥原良子さん(69)。4年前、勉強会の講師に招いた吉岡さんが「原発は経済的じゃないよ」と淡々と語った姿が印象に残っているという。
九電玄海原発(佐賀県玄海町)の再稼働に反対する住民団体「玄海原発プルサーマルと全基をみんなで止める裁判の会」の永野浩二事務局長(45)は「脱原発実現に向け、今は大事な時期。大所高所からもっと発言してほしかった」。同町で原発誘致時から反対運動を続ける仲秋喜道さん(88)も「今からが彼の本当の出番だったのに…」と突然の訃報を悔やんだ。
■ウィキペディア
※増補を求めています。
吉岡 斉(よしおか ひとし、1953年8月13日 - 2018年1月14日)は、日本の科学史家、九州大学教授、東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会(政府事故調)委員[1]。専門は科学革命の歴史、科学社会学[2]、科学技術政策[3]。理学修士[2]。産業技術と倫理の関係について研究し科学社会学を構想している。
◇生涯
富山県生まれ[1]。東京教育大学附属駒場高等学校、東京大学理学部物理学科卒業[3]、同大学院理学研究科科学史修士課程修了、村上陽一郎、中山茂に学ぶ。1983年同理学系研究科科学史・科学基礎論専門課程博士課程単位取得退学[4]。
その後、和歌山大学経済学部講師、同助教授を経て九州大学教養学部助教授、同比較社会文化研究院教授。この間、内閣府原子力委員会専門委員、経済産業省エネルギー調査会臨時委員などを歴任。
1995年毎日出版文化賞、2000年エネルギーフォーラム賞特別賞受賞。
2011年に内閣官房設置される東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会の委員。[1]2014年9月より原子力市民委員会の座長(2018年1月逝去まで、脱原発のシンクタンクである)。[5]
2018年1月14日午前8時過ぎ、肝神経内分泌腫瘍のため、福岡市の九州大学病院で死去。64歳没[6]。叙正四位、瑞宝中綬章受章[7]。
◇著書
『テクノトピアをこえて 科学技術立国批判』社会評論社 1982
『科学者は変わるか 科学と社会の思想史』社会思想社 1984
『科学社会学の構想 ハイサイエンス批判』リブロポート 1986
『科学革命の政治学 科学からみた現代史』中公新書 1987
『科学文明の暴走過程』海鳴社(叢書:技術文明を考える)1991
『原子力の社会史 その日本的展開』朝日選書 1999
『脱原子力国家への道』岩波書店 叢書社会と震災 2012
共編著
『戦後科学技術の社会史』中山茂共編著 朝日選書 1994
『「通史」日本の科学技術』全5巻別巻 中山茂、後藤邦夫共編 学陽書房 1995−99
『科学革命の現在史』中山茂共編 学陽書房 2002
『「知の加工学」事始め 受容し、加工し、発信する日本の技法』松永典子,施光恒共編著 編集工房球 2011
『原発と日本の未来-原子力は温暖化対策の切り札か』編 岩波ブックレット、2011
『「新通史」日本の科学技術 世紀転換期の社会史 1995年〜2011年』全4巻・別巻 編 原書房 2011-12
cf.立岩 真也 2018/12/20 『病者障害者の戦後――生政治史点描』,青土社,512p. ISBN-10: 4791771206 ISBN-13: 978-4791771202 [honto]/[amazon]/[kinokuniya] ※
「ただ、そのことを言った上で、医療、生命に関わる科学技術について、その個々の主題について、何が起こり、何が論じられたのか、その記述がもっとなされたらよいとも思っている。自分一人で考えられるというならそれでもよいだろう。しかし、人が考えるたいがいのことは、既に考え始められている。△022 そして時にそれは、自分の身に迫ったこととして、真剣に考えられたりもしている。だから、多くの場合、それを知ってから考えた方がうまくいくはずだ。
ところがそうなっていない。多くは半端に事実が辿られ、いくらかの考察が付加されて終わる。もっと(ずっと)知りたいと思う部分が残るし、まだ考えるべき部分が残っている。例えば『戦後日本病人史』(川上編[2002])は大部な本だが、多くの章に分かれ、一つひとつは(ごく)短い。また『新通史 日本の科学技術』四巻+別巻(吉岡他編[2011-2012])は全体としてさらに分量の多い貴重な成果だが、やはり一つひとつの主題の記述は多くない。
こうしたことには全般的な出版事情であったり、研究者の数・層であったりといったことがもちろん関わってはいる。しかし、それにしても、と思う。この国のそんなに昔のことではないことを調べるのは、遠いところの、あるいは太古のことに比べて、より容易に思える。だがなされていないことが多くある。
一つに、既にまったく知らないので、調べるということを思いつかない人たちがいる。そして一つ、なぜそんな空白が生じているかの理由でもあるのだが、事情を知っている人たちがためらっているうちに時間が経ったということがある。
歴史研究とか記録の必要といったことの以前に、これから私が見ていこうとする領域について、時間が途切れてしまっているように思える。例えばいっときの社会運動で主題化されたことは、それに直接に関わった人たちの記憶の中にしかない。その全般が文字になっていないというわけではない。様々の党派への分派やその間の細々とした争い・いざこざについてあきれるほど詳しく回顧され書かれた本などはたくさんあった。しかしここで見ていこうとするような主題について、何が闘われたのか、何は闘われなかったのか、そうしたことを記した文献は少ない。△023 」
『技術システムの神話と現実 原子力から情報技術まで』名和小太郎共著 みすず書房 2015
『原発 決めるのは誰か』寿楽浩太,宮台真司,杉田敦共著 岩波ブックレット 2015
翻訳
マイケル・ギボンズ、ビヨルン・ウィトロック『商品としての科学 開放的な学者共同体への脅威』白鳥紀一共監訳 吉岡書店 1991
ラングドン・ウィナー『鯨と原子炉 技術の限界を求めて』若松征男共訳 紀伊國屋書店 2000
出典
^ a b c 柳茂嘉 【考・原発】九州大学副学長・吉岡斉氏インタビュー(1)〜劣った技術を実用化した罪 ネットアイビーニュース 2012年5月 9日 12:30
^ a b 九州大学-研究者情報 吉岡 斉 (教授) 比較社会文化研究院 社会情報部門 データ更新日:2015.9.28
^ a b 『この人に聞く 市民科学と高木基金』 >> 吉岡 斉さん 取材日:2003年1月21日 聞き手:高木基金事務局 菅波 完
^ 九州大学広報14号(インタビュー)「原子力政策と大学の社会史」 聞き手:酒匂一郎
^ “原子力市民委員会 新体制のお知らせ”. 原子力市民委員会. (2018年2月19日)
^ 九州大教授、吉岡斉氏が死去
^ 「叙位叙勲」『読売新聞』2018年2月15日朝刊
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■新着
◆2011/10/01 「脱原発とは何だろうか」,『現代思想』39-14(2011-10):46-51
◆20000907 「原子力発言論争の転回――安全性論争から総合政策論争へ」,栗原・小森・佐藤・吉見編[20000907:073-101]*
*栗原 彬・小森 陽一・佐藤 学・吉見 俊哉 編 20000907 『言説:切り裂く』(越境する知・3) 東京大学出版会,285p. 2600 ※
◆1980 「現代科学のフロンティア喪失」
『クライシス』4(1980夏)→吉岡[1982]
◆1981 「オルタナティブとは何か――太陽エネルギーの夢と現実」
『クライシス』7(1981夏) ※
◆19811210 「世紀末テクノロジーのゆくえ――科学技術立国と国民精神の動員」
『技術と人間』10-12(101):008-027 ※COPY
◆1982 「科学技術立国は何をもたらすか――軍事テクノロジーと拡張主義」
『クライシス』11(1982春)
◆19820325 『テクノトピアをこえて――科学技術立国批判』
社会評論社,270p. 1700 *
◆1983 「ニューテクノロジー論議をふりかえる」
『季刊クライシス』17
◆1984 『科学者は変わるか――科学と社会の思想史』
社会思想社 *
◆198406 「プロジェクトとしての現代科学」
『歴史と社会』4:156-192→吉岡[1986]
◆1985 「現代科学技術を考える」
講座「現代と変革」編集委員会編[1985:260-292]→吉岡[1986]
◆198505 「ニューサイエンス批判」
『思想の科学』1985-5:53-64→吉岡[1986]
◆198509 「基礎科学の社会的吟味」
『理想』1985-9:63-80→吉岡[1986]
◆19860610 『科学社会学の構想――ハイサイエンス批判』
リブロポート,243p. 本郷T10-426 *
◆19910123 『科学文明の暴走過程』,海鳴社,228p. 2100 [kinokuniya]/[amazon]/[bk1] ※
□出版社/著者からの内容紹介[boople]
癌細胞的増殖をつづける現代科学技術の構造とダイナミックスについての一般理論構築を目指す。科学技術の「成功」は歓迎すべきものなのか?
◆19920218 「脳死臨調の技術主義的見解に反対する――脳死は本当に“死”なのか」
『エコノミスト』70-07:70-73
◆柴谷 篤弘・吉岡 斉・桂 愛景・江口 幹 1988 『ネオアナーキズムと科学批判』
リブロポート **
◆ 『科学革命の政治学』
中公新書856
◆中山 茂・吉岡 斉 編 19940925 『戦後科学技術の社会史』, 朝日新聞社,360p.ISBN-10: 4022596112 ISBN-13: 978-4022596116 1553 [amazon] b
◆吉岡 斉 19990425 『原子力の社会史――その日本的展開』, 朝日新聞社, 325p. ISBN-10: 4022597240 ISBN-13: 978-4022597243 1575 [amazon] h01 b
■引用・言及
◆吉岡 斉 2007 「宇井さんの言葉と仕事は、何だったのか」、公開自主講座「宇井純」を学ぶ実行委員会編[2007:11-12]*
*公開自主講座「宇井純」を学ぶ実行委員会 編 2007 『公開自主講座「宇井純」を学ぶ』、公開自主講座「宇井純」を学ぶ実行委員会
cf.http://d.hatena.ne.jp/yummyseaweed/20070717
「宇井純の仕事について私は、水俣病をはじめとする公害問題の解明・解決の先頭に立つリーダーとして、また自主講座運動の創始者として、若い頃から敬意を抱いていたが、宇井氏の仕事を自分の仕事の模範として役立てようという問題意識はなかった。なぜなら宇井氏の仕事は、ご自身も述べているように、筋立てた記述を目指すものではなかった(理屈よりも行動の人であった)。また私が科学技術の「上流」に興味があるのに対し、宇井氏は「下流」それも河口近くに興味をもっていた。さらに私にはチッソ・行政・御用学者などの悪徳はあまりにも明白であり、「科学技術批判学」によってさらに深める余地があるような事柄ではないように見えた(もっと微妙なグレイゾーンに私は興味があった。)」(吉岡[2007:12])
↓
◆立岩[2018]に引用
※は生存学資料室にあり