和田 努
わだ・つとむ
◆和田努 医療ジャーナリスト和田努の「医療・健康・福祉」を考える「CONSUMER HEALTH」
http://wadajournal.com/index.htm
◆和田 努 198208 『老人で儲ける悪徳病院』,エール出版社,187p. ASIN:B000J7FAQS [amazon] ※
◆和田 努 19860113 『大学医学部――その人脈と名医たち』,日新報道,270p.,1100 ※
◆和田 努 19910901 『老人医療の現場――明日の高齢者福祉を考える』,東林出版社,288p. ISBN-10: 4795235627 ISBN-13: 978-4795235625 1800 [amazon] ※ a06
◆和田 努 編 19970820 『患者が主役だ!――高医療費時代の患者学』,法研,220p. ISBN-10: 4879542008 ISBN-13: 978-4879542007 1260 [amazon] ※ a06
◆和田 努 1996 『カルテは誰のものか――患者の権利と生命の尊厳』,丸善 ※
◆森 功・和田 努 20020427 『医療事故を考える――その処理と処方せん』,同友館,190p. ISBN-10: 4496033178 ISBN-13: 978-4496033179 1890 [amazon] ※ f02
◆和田 努 20050723 「高齢者医療を考える」,大久保・武藤・菅原・和田[2005:129-141]*
*大久保 一郎・武藤 正樹・菅原 民枝・和田 努 20050723 『これからの高齢者医療――団塊の世代が老いるとき』,同友館,184p. ISBN-10: 4496039923 ISBN-13: 978-4496039928 2100 [amazon] ※ a06
■引用
◆和田 努 20050723 「高齢者医療を考える」,大久保・武藤・菅原・和田[2005:129-141]*
*大久保 一郎・武藤 正樹・菅原 民枝・和田 努 20050723 『これからの高齢者医療――団塊の世代が老いるとき』,同友館,184p. ISBN-10: 4496039923 ISBN-13: 978-4496039928 2100 [amazon] ※ b a06
1健康転換からみた高齢者医療
長谷川敏彦「日本の健康転換のこれからの展望」
「ここで肝心なことは、老人の遅発退行性病変は、治癒することはなく、不可逆的に退行していく「障害」と捉えていることである。つまり「治療」(Cure)の対象ではなく「癒し」(Care)の対象であることを確認していることである。延命至上主義(Vitalism)を否定している。」(和田[2005:131])
2終末の儀式
終末の儀式:イリッチ『脱病院化社会』
「キャラハンの三原則は、おおむね私は賛成である。[…]しかし、私は「自然な寿命を全うした年齢」を正確な暦年齢をきめる<0133<ことには賛成できない。
「自然な寿命を全うした」という判断基準は、画一的であってはならない。その判断は個々の患者に対して、そのつど慎重に判断すべきである。」(和田[2005:133-134])
「人工透析をある年齢で打ち切るという意見もある。例えば、80歳で打ち切るとする。現に透析を続けていることでQOL(生命・生活の質)をよい状態で維持している人に、80歳になったからという理由で、透析を打ち切ることは許されることではない。しかし、ターミナル期にある腎不全の高齢の患者に透析をすれば、わずかに延命ができるという理由で透析をするのは、私は反対である。これは”終末の儀式”だからだ。このような延命至上主義は、捨てるべきである。」(和田[2005:135])
3 痴呆をどう考えるか
「私は、十数年前、86歳で逝った父のことがよみがえる。ターミナル期の短い期間入院させた。余命いくばくもない父に、若い主治医は人工透析を勧めた。勧めたというよりは強制したと言ったほうがいい。私は断固断った。主治医は「あんたは息子として、父親が早く死ぬのを望んでいるのか」と言った。頑なに断った。しかし、父の口元には人口呼吸器が取り付けられた。父はもう意識はないのに、苦しそうに喘いだ。いまだにその苦しそうな喘ぎが耳元から離れない。
いまも「終末の儀式」は多くの病院で繰り返されているはずだ。医療経済から言っても、旧弊な「延命至上主義」から抜け出ることが必要だ。」(和田[2005:135])