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和川 次男

1949〜2011/11/27



・宮城県
日本ALS宮城県支部
・1949 築館町に生まれる
・1989 右手、右肩に不調
・1990 ALSと診断される
・1991 人工呼吸器装着
・1999 脳波による意志伝達装置の使用を開始

鎌田 竹司「ALSを知りたい」より
 http://www.isn.ne.jp/~kamata/
 「平成7年告知より1年半 私は初めて本気で自分の病気について考えようと決意し、7月にALSの情報を集めるための活動を開始する事にしました。情報が少なすぎたし、仲間がほしかった。地元の保健所に「宮城県に患者の会はないか」と尋ね、「ない」との返答を頂きました。ただし「日本ALS協会がある」という。同協会に問い合わせてみれば、個人会員の和川次男さんが現在、県内の「患者・家族の会」の結成に向けて尽力していると聞き、さっそく和川さん宅へ電話をかけました。妻のはつみさんは、「会をつくることを諦めかけていたところに、絶妙のタイミングでした」という返事を頂き7月25日ALSの「先輩」たる和川次男さんの自宅へ伺いました。」

◆マクトス →異なる身体のもとでの交信・過去〜現在――主に不動系の人々の

 「マクトスは、頭の中で意識的に何かを考えたときに発生するベータ波と呼ばれる脳波を検出し、それを電気信号に変え、ブザーなどを鳴らす装置です。
 和川さんは五十音図を利用して対話者と会話するのですが、和川さんは殆ど瞼を開けることができなくなってしまったため、五十音図を目で見ることができません。そこで、対話者が五十音図上の文字を音声で読み上げ、読み上げた文字に対して和川さんがマクトスを利用して応答する、というやりかたで会話しています。」(p.3)

◆1999/05

 「脳波スイッチが実際に和川家に現れたのは平成11年5月であった。その最初の試用日の様子は一部始終をはっきり記憶している。どんなスイッチも装着して直ぐにうまく操作できるものではなく、やはり操作についての慣れが必要である。まして、脳波を検出して信号に変えるという雲を掴むようなスイッチであるから、余計そうだ。当然、最初のうちは支離滅裂の様相を呈していた。しかし、数時間使用しているうちに、和川さんの反応に心なしか手応えを感じるようになってきた。始めてから4時間半を経過した頃に当日の試用を終えることにし、最後に何か言いたいことは無いかと和川さんに尋ねた。その質問に対する答えは「ほんた×〇い」であった。(残念ながら×〇に相当する文字を記憶していない。最初はこの文字列の意味が理解できなかった(p.81)が、はっと気が付き、「本体」を見せろ、ということかと尋ねたところ、YESのブザーが脳波スイッチから発せられたのである。ここに至り、和川さんは脳波スイッチの制御に成功したと私は確信した。
 それ以来、ちょうど2年が経過した。途中多少の曲折はあったが、和川さんは脳波スイッチを利用してご家族や介護の人達と意思の疎通を図っている。そして、2年の間に書きためた俳句を、このたび出版するという。和川さんの強い意志力と、それを支えてきた和川夫人の粘り強い気力に敬意を表したい。おめでとう、和川さん。」(pp.81-82)

◆1999/07
 介護・福祉機器[コミュニケーション機器] 事例・体験談 より
 http://www.technosj.co.jp/fukusi/mctos/jirei.htm
 「仙台の和川次男さんは、10年程前に筋萎縮性側索硬化症(ALS)と診断されました。病状が進んでからは、コミュニケーションがまったくできない状態に。
 しかし、そんな和川さんがMCTOSとめぐり合ったのは、平成11年5月。以来、途絶えていた奥様との会話を、見事によみがえらせ、毎日、ご夫婦の楽しい会話をたのしんでいらっしゃいます。
 奥様の質問にあいづちを打つように、ブザーを鳴らして返事をしたり、また、奥様が示す五十音表から文字を選んで、文章をつづったり。ヘルパーさんに五十音表で、「妻 愛してる」とつづって、ごちそう様と笑われたことも・・・。

よみがえった”会話”

 運動神経系が侵され、言葉や動作で意思を伝えられなくなった仙台市泉区の筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者の家族が、開発間もない脳波による意志伝達装置を使って患者とのコミュニケーションを復活させた。
 仙台市泉区の和川次男さんは10年程前、原因や治療法がわかっていない難病のALSと診断され、人工呼吸器による自宅療養を続けている。全身の筋力を奪われた次男さんの意志を妻のはつみさんらに伝えるのが、兵庫県姫路市の福祉機器メーカー「テクノスジャパン」が発売を開始した意志伝達装置「マクトス」。

「す・し・お・こ・る」。

ある日、次男さんが装置を通じて伝えた反応をつなぐとこんなメッセージになった。普段世話になっているホームヘルパーに人たちに、すしをご馳走してほしいという頼みだった。
 ベッドに横たわり、装置のベルト部分を顎に巻きつけた次男さんは、はつみさんやヘルパー、訪問看護婦が50音順に読み上げる単語に時々反応する。その極めて弱い脳波(ベータ波)が電気信号に変換されてブザーが鳴り、次男さんが反応した単語をつないで家族が言葉にする。
次男さんの病状が進んでからは、コミュニケーションが全くできなかった。はつみさんは「この装置のおかげで夫の希望に添った納得できるケアが可能になった。効率的なのでレスバイト(介護人の負担減)にもつながっている」と話す。
ALS患者は全国に約4,000人いるとされる。重度身障者の意志伝達を支援する活動に取り組み、和川さんの家族にこの装置を紹介した「コム・イネーブル」代表の坂爪新一さんは「聴覚か視覚のどちらかの機能が残っていれば、最も重いALS患者でも意志伝達が可能になった意義は大きい。介護する上で、意思が通じることは何よりの喜びになるだろう」と話している。<1999.7>」

◆2000/08/16
 「よみがえった会話:仙台市・和川さん――「NHKニュース10」が、仙台の和川さんを紹介!」
 介護・福祉機器[コミュニケーション機器] 事例・体験談 より
 http://www.technosj.co.jp/fukusi/mctos/jirei.htm
 「平成12年8月16日、和川さんとご家族の闘病のようすが、特集「言葉を失った時に家族は−難病をこえた心のきずな」として報道されました。日常生活の中で、MCTOSを使った和川さんとご家族のコミュニケーションが注目を集めました。」

◆NHKスペシャル
 http://www.nhk.or.jp/special/libraly/01/l0008/l0818.html
 「仙台市の和川次男さん(51)は、脳波を使って自分の言葉を発している。難病のため、体を全く動かせず、声も失った和川さんは、2年間、自分の意志を伝えられなかった。空白の2年を経て、言葉を取り戻した和川さんの命のメッセージを伝える。」

 
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山口 進一 2000/10/07 「あいだに在るもの」(講演)より
 芸術とヘルスケア・パネルディスカッション 於:福岡アジア美術館・あじびホール
 http://www.kyushu-id.ac.jp/~tomotari/yamaguchi2.html
 「仙台の和川さんですが、3年前に発病、2年前から奥さんとの会話が途絶えていました。最近、脳波を使って会話ができるようになりました。額に器具をつけ、緊張するとでるベーター波をつかってYES NOを伝えられるようになった。これはNHKの番組です。「どうしても夫の意思が知りたい。初美さんは脳波を電子音にかえる装置が開発されたと知り、望みをかけました。初美さんは50音をすべて読み上げ、反応があった言葉を繋げて夫の意思を知ろうとしています。...」一見簡単そうにみえますが、この状態になった患者さんが使いこなすのは至難の業。半年ぐらい訓練してできるようになったのです。日本のALS患者で使いこなせるのはこの人だけです。」

 

◆和川 次男 20010515 『声とどけ――和川次男句集』,仙台宝文堂,95p. ISBN-10: 4832301128 ISBN-13: 978-4832301122 \1350 [amazon][kinokuniya] ※ als c07 n02 v03

 http://www.ne.jp/asahi/miyagi/comenable/Wagawa.htmより

難病となり呼吸器をつけて10年
人はすべての機能を失った時 何を思うのか
支える人々への思いを脳波スイッチで綴る世界初の句集
ISBN4-8323-0112-8
発行日: 平成13年5月15日
発売元: 仙台宝文堂
仙台市青葉区中央2-4-6 TEL:(022)222-4181
定価: 1,350円 ※
一般書店で購入できます。→[本]

 

◆2001/08/18土 21:00〜21:50 NHK総合【903857】
 NHKスペシャル「“いのち”の言葉〜あるALS患者・脳からのメッセージ」
 (「いのちの言葉 ”空白の2年”からの記録」)
 http://www.nhk.or.jp/special/libraly/01/l0008/l0818s.html
 「仙台市の和川次男さん(51)は、脳波を使って自分の言葉を発している。難病のため、体を全く動かせず、声も失った和川さんは、2年間、自分の意志を伝えられなかった。 空白の2年を経て、言葉を取り戻した和川さんの命のメッセージを伝える。」

◆2011/11/28

From: 橋本操
Sent: Monday, November 28, 2011 10:27 PM
To: maee@freeml.com
Subject: [maee:8192] 訃報

みなさま
長い間JALSA活動にご尽力いただいた
宮城県支部支部長の和川次男様が、
11月27日(日)の16時30分に
ご自宅にてご永眠されたとのお知らせを頂きました。

謹んでご冥福をお祈りし、皆様へお知らせ致します。

お別れ会の日程は以下の通りです。

・お別れ会: 11月30日(水)14:00〜フローラルプラザ台原2Fにて
・偲ぶ会: 11月30日(水)15:00〜フローラルプラザ台原2Fにて

喪主:和川はつみ様

※ 宮城県支部支部長の和川次男様の「お別れ会」ですが、一般の方とのお別れは、
14:00〜15:00の「お別れ会」のみとの事です。
*15:00〜からは、お身内だけで行う「偲ぶ会」との事ですので、
 皆様にはご注意いただきますよう、お願いいたします。
 どうぞよろしくお願いいたします。 日本ALS協会 事務局より

 
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■立岩真也『ALS――不動の身体と息する機械』における引用・言及

「【59】 一九九九年からMCTOS(マクトス)と呼ばれる脳波による意志伝達装置(↓第12章8節)を使っている和川次男(宮城県)(著書に和川[2001])の発症は一九九〇年。やはり一四年が経った。」
「【311】 後藤忠治[216][…]九九年四月に後藤は花見に行った★05。《患者仲間から花見の誘いを受ける。[…]小野寺さん、鈴木さん、和川さん。皆さんは呼吸器装着です。[…]皆さんに会えた事で生きる喜びを知り、そして呼吸器を付ける勇気をもらいました。/[…]/一〇月一三日。あんなに悩んでいたのに苦しさに耐えきれずあっさり呼吸器装着。》(後藤[2000a]。続く文章は[275])」
「【357】 鎌田竹司(宮城県)[185]、一九九五年。《告知より一年半 私は初めて本気で自分の病気について考えようと決意し、七月にALSの情報を集めるための活動を開始する事にしました。情報が少なすぎたし、仲間がほしかった。地元の保健所に「宮城県に患者の会はないか」と尋ね、「ない」との返答を頂きました。ただし「日本ALS協会がある」という。同協会に問い合わせてみれば、個人会員の和川次男さんが現在、県内の「患者・家族の会」の結成に向けて尽力していると聞き、さっそく和川さん宅へ電話をかけました。妻のはつみさんは、「会をつくることを諦めかけていたところに、絶妙のタイミングでした」という返事を頂き七月二五日ALSの「先輩」たる和川次男さんの自宅へ伺いました。》(鎌田[199?b])。
 一一月に「宮城県ALS患者家族の会」設立、和川[59]が会長、鎌田が副会長に。翌九六年六月宮城県支部設立、鎌田は支部長に就任。」
「【520】 […]もう一つは福祉機器メーカー「テクノスジャパン」(兵庫県姫路市、http://www.ngy.3web.ne.jp/~technosj/index.htm)が発売を開始した意志伝達装置「マクトス(MCTOS)」。
 和川次男(仙台市)が使っている。頭の中で意識的に何かを考えたときに発生するベータ波と呼ばれる脳波を検出し、それを電気信号に変え、ブザーなどを鳴らす装置だ。指や瞬きを使う装置と同じく、また脳血流利用の場合も同様に、「あかさたな」…↓「な」を指定↓「なにぬね」↓「ね」を指定、というように、文字盤を人が示すのに、コンピュータの画面でカーソルが動くのに、あるいは人や機械が音を読み上げるのに応ずる。この装置を使って、和川は何年か言葉を発することができなかった状態から、言葉を発することのできる状態に戻ってきた。二〇〇〇年八月(NHKテレビ〈ニュース10〉)、二〇〇一年八月(NHKスペシャル『“いのち”の言葉――あるALS患者・脳からのメッセージ』)等、マスメディアでも紹介される。」
「【521】 一九九九年。《脳波スイッチが実際に和川家に現れたのは平成一一年五月であった。その最初の試用日の様子は一部始終をはっきり記憶している。どんなスイッチも装着して直ぐにうまく操作できるものではなく、やはり操作についての慣れが必要である。まして、脳波を検出して信号に変えるという雲を掴むようなスイッチであるから、余計そうだ。当然、最初のうちは支離滅裂の様相を呈していた。しかし、数時間使用しているうちに、和川さんの反応に心なしか手応えを感じるようになってきた。始めてから四時間半を経過した頃に当日の試用を終えることにし、最後に何か言いたいことは無いかと和川さんに尋ねた。その質問に対する答えは「ほんた×○い」であった。(残念ながら×○に相当する文字を記憶していない。)最初はこの文字列の意味が理解できなかったが、はっと気が付き、「本体」を見せろ、ということかと尋ねたところ、YESのブザーが脳波スイッチから発せられたのである。ここに至り、和川さんは脳波スイッチの制御に成功したと私は確信した。/それ以来、ちょうど二年が経過した。途中多少の曲折はあったが、和川さんは脳波スイッチを利用してご家族や介護の人達と意思の疎通を図っている。そして、二年の間に書きためた俳句を、このたび出版するという。》(坂爪[2001:81-82]。板爪新一は「コム・イネーブル」代表。マクトスの情報を入手し購入、和川を支援してきた)」


※おことわり
・このページは、公開されている情報に基づいて作成された、人・組織「について」のページです。その人や組織「が」作成しているページではありません。
・このページは、文部科学省科学研究費補助金を受けている研究(基盤(C)・課題番号12610172)のための資料の一部でもあります。
・作成:立岩 真也
REV: 更新:20011206, 07, 20020904,28, 1010, 20030703, 20111129
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