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和中 勝三
わなか・かつみ
〜2013/11/13

《難病ALSの人生》
http://www.jtw.zaq.ne.jp/cfbng303/



・和歌山市
日本ALS協会近畿ブロック
http://www.jtw.zaq.ne.jp/cfbng303/
 (開始:1999年4月  最終更新日:2002年6月…[200207])


1990   自覚症状
199109  最初の告知「私には、急激な脊髄の老化と説明を受けましたが、診断書を見ると運動ニューロン疾患」(↓)
199210  「筋萎縮性側索硬化症」
19960116 気管切開
19960425 人工呼吸器装着

◆2006/11/28 「一五年間で経験したこと」,「生きる力」編集委員会編[2006:064-072]*
*「生きる力」編集委員会編 20061128 『生きる力――神経難病ALS患者たちからのメッセージ』,岩波書店,岩波ブックレットNo.689,144p. ASIN: 4000093894 840 [amazon][kinokuniya] ※,
◆20010801 「呼吸器をつけるということ――患者の立場から」
 『難病と在宅ケア』07-05(2001-08):45-49

◆ホームページ目次

・プロフィール
 http://www.jtw.zaq.ne.jp/cfbng303/pro/pro.html
・入退院
・医療体制
・訪問看護
・食事
・水分補給
・胃瘻
・意思伝達装置
・告知について
 http://www.jtw.zaq.ne.jp/cfbng303/kokuchi/kokuchi.html
・今の病状と家族
 http://www.jtw.zaq.ne.jp/cfbng303/ima_yosu/ima_yosu.html
・口腔ケア
・介護保険
・介護マニュアル
・リンク集

◆「告知について」
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 「平成3年9月に最初の告知を受けました。
 私には、急激な脊髄の老化と説明を受けましたが、診断書を見ると運動ニューロン疾患と書いていました。何も知識が無かった私は難病欄を見て、運動ニューロン疾患て書いていないか探しましたが、書いていなかったのでラッキーと喜び、治る見込みがあると信じて、他の病院を転々と診察に回りました。
 何処の病院へ検査に行っても先生に質問してもはっきりと答えてくれずに、困ったような顔をしてうなずくばかりで、かえって迷惑そうに感じました。
 病院を転々と回っていると、自分でも治らない病気ではないかと感じ始めてきました。  平成4年10月に「筋萎縮性側索硬化症」と告知を受けました。
 難病と覚悟はしていましたが、本当の事を知るとショックで落ち込むし、イライラして家族にあたる時もありました。
 3年〜5年の寿命と告知された時が一番辛いし、将来の事を考え落ち込むと思います。一時期は、悩み苦しみますが、ALSから逃れる事が出来ないと判ると、闘うか死ぬかで悩んだ末に気持が開き直ります。気持が開き直れば前向きに考えるようになり、気持が明るくなりました。
 私は、告知を受けるのは早い方が良いと思います。
 私の場合は、約1年で告知受けたので、考える時間が長く冷静に判断できたと思います。家族と将来の事を十分話し合って、心残りの無いように気持の整理がつくように家族皆で隠さず話し合うことが一番大事なことです。そうすれば家族の結束がより強くなります。」
 告知を受けるまでの事。

 妻が、告知を受けて1年間、私に言う事ができなくてに辛かったと言います。私は、何処の病院へ診察に行っても納得できない答えばかり返って来た時は、先生に不信感を持ちましたし、自分の心の中で先生が信用できなくなりました。
 告知される先生も、患者と同じように辛いと思いますが、告知を希望する患者さんには早く告知をされる方がいいと思います。
 告知の時に、患者さんに今後のケアの事や情報の入手方法をサポートしてほしいと思います。
 私の願い、ALSと告知されて、あと3年〜5年の命と言われても決して諦めないで延命処置を受けて欲しいと願っています。
 呼吸器装着しても、苦しい日よりも、楽しい日の方が遥かに多いですから、生きていればかならず笑う日がくる事を信じて…………。
★ 告知される先生方に、絶望的な説明をしないで、生きる希望を持てるような告知をお願いしたいです。」

◆「今の病状と家族」
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 「子供達にも後5年しか生きられないと告白すると、悲しそうな顔をしていたのが記憶に残っています。」
 「呼吸が苦しくなってくると、一時は格好よく死にたいと思った事がありましたが、だんだんと息苦しさが増してくると、死ぬのが恐くなり、生きたいとの思いが強くなりました。」
 「気管切開する時は、本当に情けなく思い涙が出ました。呼吸器装着すると、今まで、苦しかったのがウソのようになり、もっと早く呼吸器装着すればよかったと後悔しました。」
 「在宅呼吸器療養に慣れて落ち着くまでは、1年掛かりました。
 病院でいる時よりも、在宅の方が時間自由になりゆっくりくつろげますし、家族の顔を見て会話ができるのが何より励みになりました。
 もっと、惨めな在宅療養生活になると想像していましたが、想像以上に明るく過ごせていますので、呼吸器装着して本当に良かったと喜んでます。」

 
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◆2007/11/14 「動けなくても生きる 日本ALS協会近畿ブロック会長・和中勝三(わなか かつみ)さん(58)」
 『読売新聞』2007/11/14朝刊
 *ALS・2007にも掲載

 「全身の筋肉がだんだん動かなくなり、ついには自力で息もできなくなる。筋委縮性側索硬化症(ALS)は、そういう病気だ。日本ALS協会近畿ブロック会長の和中勝三さん(58)は、病気が進行して呼吸困難に陥り、人工呼吸器を装着して10年近くなる。声を失い、体もほとんど動かない。それでも、ほおのわずかな動きでパソコンを操作し、「精いっぱい生きたい」とほほえむ。

パソコン使い友らと対話
 左ほおの動きで意思を伝える和中勝三さん。一つの文字をパソコンに表示するのに数秒から十数秒かかる(和歌山市和歌浦南の自宅で) 和歌山市内の自宅を11月初めに訪問した。和中さんが横たわるベッドの上に取り付けられたパソコン画面に、「ようこそいらっしゃいました」と、歓迎の言葉が打ち出されていた。
 左のほおにつけたタッチセンサーで、50音のひらがなの表などが示された画面を見ながら、マーカーを走らせたり止めたりして文字を選択する。以前は左手の親指で操作していたが、今年4月から動きにくくなり、ほおに変えたという。記者が質問すると、一つの問いに数分かけて返事を入力してくれた。
 今では、一日中パソコンを使っても疲れません。苦しい時や痛い時は、思うがままに自分の意思を打ち続け、伝えるだけで苦しみや痛みが半減します。意思が自由に伝えられることで、人間らしく生きられるのです。
 右手の握力が下がり、体がだるくなるなど、異変を感じたのは1990年。脱サラして始めた鮮魚商の商売が面白くなったころだった。検査入院した和歌山市内の病院では、急激な脊髄(せきずい)の老化と説明を受けた。治るはずと信じて、いくつもの病院を転々とし、ALSという病名を告げられたのは2年後だった。
 うすうすおかしいと感じていたが、真実を知ると、生きる希望を失って落ち込み、いらいらして家族にあたることもありました。小中学生だった3人の子どもにも「お父さんはあと3年で死ぬから、お母さんの言うことを聞いて、助けるのやで」と伝えました。
 国内のALS患者は約7000人(2004年度末)。意識や感覚はしっかりしているが、筋肉を動かす運動神経が徐々に破壊され、3〜5年で症状が全身に及ぶ。原因は不明で、進行を止める治療法も、まだない。
 妻の育美さんとは、パソコンを使ってケンカすることもあるという でも、告知を受けるのは早いほうが良いと思います。一時期は悩み、苦しみますが、ALSから逃れることができないと分かると、闘うか、死ぬかで悩んだ末に開き直り、前向きに考えるようになります。
 かつては呼吸筋がまひすると終わりだったが、人工呼吸器の補助や医療ケア技術の向上で、長期療養が可能になった。
 告知当初、呼吸器を着けている自分の姿を見られるくらいなら早く死ぬほうがましだと思い、拒否しました。しかし気管支炎になって呼吸困難の苦しさを体験し、最後はのたうち回って苦しんで死ぬのかと思うと、怖くなってきました。家族からも「生きていてほしい」と懇願され、着ける決心をしたのです。
 人工呼吸器を装着せずに亡くなる患者も、まだ少なくない。
 呼吸器を着ける、着けないという判断は少しのことで変わります。ALSの告知を受けた段階では、精神的に不安定なので、医師は、呼吸器を着けるかどうかということを聞くべきではありません。私は死にそうになって初めて、生きることだけを考えるようになりました。
 告知から約15年。妻の育美さん(56)やホームヘルパーらの介護を受けながら在宅療養を続ける。食事は胃に直接つないだチューブから入れている。意思伝達装置は、難病患者向けの給付事業を利用できた。
 この15年間で、福祉サービスが向上したと感じます。一方、障害者自立支援法が昨年施行されてから、自己負担が増えました。見直してほしい。
 携帯用の会話補助装置もある。月に数回は外出し、ALS関係の会合に出席したり、看護学校の講演会に呼ばれたり。電子メールもやりとりして、積極的に友人や社会ともかかわっている。
 患者仲間の笑顔を見た時や、家族と一緒にいる時が一番幸せ。呼吸器を装着しても、苦しい日より、楽しい日の方がはるかに多い。ALSと告知されても、決してあきらめないでほしい。積極的に行動すれば、療養環境が良くなるのだから。

 1948年、和歌山市生まれ。化学メーカーに勤めた後、81年から鮮魚商を営む。92年10月にALSと告知された。96年の1月に気管切開、4月に人工呼吸器を装着。8月から在宅療養を始める。現在は週6回のホームヘルパー派遣、週3回の訪問看護、週1回の主治医の往診などを受けている。2004年から日本ALS協会近畿ブロック会長。個人のホームページ(http://www.jtw.zaq.ne.jp/cfbng303)もある。」

 
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■立岩真也『ALS――不動の身体と息する機械』(2004,医学書院)における引用・言及

 [16]一九九二年・「三年〜五年の寿命と告知」(本人に、和中[1999-])

 [51]一九九〇年に症状を自覚、九一年九月に「急激な脊髄の老化」と説明され、診断書に「運動ニューロン疾患」とあったのを見た和中勝三(和歌山県)は、九二年十月にALSと告知され、三〜五年の寿命と知る[16]。九十六年、気管切開、人工呼吸器装着(和中[2001])、在宅での生活を続けている(和中[1999-])。

 [83]和中勝三(和歌山県)[16][51]は一九九一年「九月に最初の告知を受けました。/私には、急激な脊髄の老化と説明を受けましたが、診断書を見ると運動ニューロン疾患と書いていました。何も知識が無かった私は難病欄を見て、運動ニューロン疾患て書いていないか探しましたが、書いていなかったのでラッキーと喜び、治る見込みがあると信じて、他の病院を転々と診察に回りました。/何処の病院へ検査に行っても先生に質問してもはっきりと答えてくれずに、困ったような顔をしてうなずくばかりで、かえって迷惑そうに感じました。/病院を転々と回っていると、自分でも治らない病気ではないかと感じ始めてきました。/平成四年十月に「筋萎縮性側索硬化症」と告知を受けました。」(和中[1999?])

 [155]和中勝三[51][83]は、一九九二年十月「に「筋萎縮性側索硬化症」と告知を受けました。/難病と覚悟はしていましたが、本当の事を知るとショックで落ち込むし、イライラして家族にあたる時もありました。/三年〜五年の寿命と告知された時が一番辛いし、将来の事を考え落ち込むと思います。一時期は、悩み苦しみますが、ALSから逃れる事が出来ないと判ると、闘うか死ぬかで悩んだ末に気持が開き直ります。気持が開き直れば前向きに考えるようになり、気持が明るくなりました。/私は、告知を受けるのは早い方が良いと思います。/私の場合は、約一年で告知受けたので、考える時間が長く冷静に判断できたと思います。家族と将来の事を十分話し合って、心残りの無いように気持の整理がつくように家族皆で隠さず話し合うことが一番大事なことです。そうすれば家族の結束がより強くなります。/[…]妻が、告知を受けて一年間、私に言う事ができなくて辛かったと言います。私は、何処の病院へ診察に行っても納得できない答えばかり返って来た時は、先生に不信感を持ちましたし、自分の心の中で先生が信用できなくなりました。/告知される先生も、患者と同じように辛いと思いますが、告知を希望する患者さんには早く告知をされる方がいいと思います。」(和中[1999?])

 [163]「告知の時に、患者さんに今後のケアの事や情報の入手方法をサポートしてほしいと思います。/[…]告知される先生方に、絶望的な説明をしないで、生きる希望を持てるような告知をお願いしたいです。」(和中[1999?]、[155]の続き)

 [184]和中勝三[155][163]は、一九九二年十月に天理よろづ相談所を「退院する時に主治医の先生から、日本ALS協会近畿ブロックの存在と、近畿ブロック会報を教えて頂きました。/退院後すぐに協会にはがきを出して会報を送ってもらいましたが、少し開いて見て写真を見ると、皆さん呼吸器を着けている姿ばかりで、私も呼吸器を着けるのかと思うと、早く死ぬ方がましだと思い呼吸器を着けるのは嫌だと拒否しました。」(和中[1999?])
 ALSという状況を共有する人たちの集まりのもつ積極的な意味をこれから何度も見ることになるが、同時に、その深刻さが受け止められ、近い将来の自分が予想され、気持ちを萎えさせることもある。病の人たちの組織の可能性と困難を考えるとき、このことを想起することになるだろう。
 九四年「十二月に気管支炎になり[…]診察を受けました。[…]私は、この時に初めて呼吸の苦しさを体験しました。この時から、呼吸に危機感を感じるようになり呼吸器を着けるか、着けないかで悩み苦しみました。私は、まだ呼吸器を着ける自信がなくて拒否していました。自分でも病気の進行が手に取るように分かり、自分の最後の時が見えてきたような気がして、最後は、呼吸困難に襲われ、のたうちまわって苦しんで死ぬのかと思うと、死ぬのが怖くなってきました。/[…]/肺活量二五〇〇mlに低下、常に息苦しさを感じるようになってきました。/妻と子供達に介護のお願いをして呼吸器を付ける決心する。」(和中[1999?])
 「呼吸が苦しくなってくると、一時は格好よく死にたいと思った事がありましたが、だんだんと息苦しさが増してくると、死ぬのが恐くなり、生きたいとの思いが強くなりました。」「気管切開する時は、本当に情けなく思い涙が出ました。呼吸器装着すると、今まで、苦しかったのがウソのようになり、もっと早く呼吸器装着すればよかったと後悔しました。」(和中[1999?])

 [340]「絶望的な説明をしないで、生きる希望を持てるような告知をお願いしたいです」[163]と書いた和中勝三[184]の同じ文章から。「ALSと告知されて、あと三年〜五年の命と言われても決して諦めないで延命処置を受けて欲しいと願っています。/呼吸器装着しても、苦しい日よりも、楽しい日の方が遥かに多いですから、生きていればかならず笑う日がくる事を信じて」(和中[1999?])

旧HP:http://www.nnc.or.jp/~wanaka-k/


※おことわり
・このページは、公開されている情報に基づいて作成された、人・組織「について」のページです。その人や組織「が」作成しているページではありません。
・このページは、文部科学省科学研究費補助金を受けている研究(基盤(C)・課題番号12610172 〜2004.3/基盤(B)・課題番号16330111 2004.4〜2008.3)/グローバルCOE「生存学」創成拠点 2007.7〜2011.3/の研究活動の一環として作成されています。
・作成:立岩 真也
・作成:20011125 更新:20020711,0911,1004,1015,20030124,0912 20061203 20071114, 20131114  QLOOKアクセス解析
ALS  ◇日本ALS協会近畿ブロック  ◇WHO 

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