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梅棹 忠夫

うめさお・ただお


last update:20110512
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1920年京都市生まれ。生態学者、民族学者。国立民族学博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授、京都大学名誉教授。 理学博士(京都大学、1961年)。2010年 7月3日大阪府吹田市の自宅で老衰により没した。90歳没。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%85%E6%A3%B9%E5%BF%A0%E5%A4%AB

■著書、論文等

◆1959a 「妻無用論」、『婦人公論』1959-6→上野編[1982a:191-206],梅原[1988],梅原[1991]
◆1959b 「母という名の切り札」、『婦人公論』1959-9→上野編[1982a:207-220],梅原[1988],梅原[1991]
◆19690721 『知的生産の技術』,岩波書店, 218p. ISBN-10:4004150930 ISBN-13: 978-4004150930 \798 [amazon][kinokuniya] ※
◆198811 『女と文明』,中央公論社,中公叢書,223p. ISBN: 4120017451  1365 [kinokuniya] ※
◆199102 『梅棹忠夫著作集第9巻 女性と文明』、中央公論社,528p. ISBN: 4124028598 5913 [kinokuniya]


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■引用

上野 千鶴子 編 19821130 『主婦論争を読むI 全記録』,勁草書房,viii+241p. ISBN: 432665032X 2266→3045 [kinokuniya] ※ *r

 「「おくさん」というのは、官舎か何か、安ぶしんの借家に住んでいて、買物に出ると、商人に対してはおうへいなことばづかいでよく値ぎる。日中は何もしないで近所の「おくさん」仲間はペチャクチャおしゃべりをしている。じっさい、巡査だとか、教師だとか、会社員だとか、そういう下級サラリーマンの細君が、この「おくさん」というよび名をお互いに好んで使ったのである。」(梅棹[1959→1982:192]、上野[1990:44-55]に引用」)


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■言及

上野 千鶴子 19911106 「技術革新と家事労働」,上野他編『家族のフォークロア』(シリーズ変貌する家族 4):137-161→上野[19940325:167-192]

◆上野 千鶴子 1991 「梅棹「家庭」学と文明史的ニヒリズム」、『梅棹忠夫著作集第9巻 女性と文明』、中央公論社→上野[19940325:147-165]

◆上野 千鶴子  19940325 『近代家族の成立と終焉』,岩波書店,354p. 出版社: 岩波書店 ; ISBN: 4000027425 2200 [kinokuniya] ※/千葉社4901 *r

落合 恵美子 19940405 『21世紀家族へ――家族の戦後体制の見かた・超えかた』,有斐閣,有斐閣選書1613,244p. ISBN: 4641182051 1680 ※/千葉社4949/三鷹367 [kinokuniya] *r
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/db1990/9404oe.htm

◆立岩 真也 2006/03/01「専業主婦体制・3――家族・性・市場 6」,『現代思想』34-0*(2006-03):- 資料

☆06 […]ブェブレンを読んでないその時期に読んで、捉え方として近いと思えたのは、後の注でもとりあげるが、梅棹忠夫の論だった。前回に述べたこととの関連では、次のようなことも述べていることを、やはりこの期に及んでようやくのことであるのだが、知った。
 「極端にいうと人口のごく少数の人が生産者になり、大多数は消費者になってゆく。あるいはべつな観点からすれば、人間は、人生のごくみじかいあいだを生産者としてすごし、大部分は消費者としてすごすというのでもよいのではないか。そうすると、消費者としての女の存在はあらためて評価されるべきである。人口の半分をしめる女の大部分が非生産者なのだから、人間の共通の目標がすでにそうとう程度に実現しつつあるのではないか。」(梅棹[1988]、上野[1991b→1994:159-160]に引用)
☆07 普通に考えるなら、ここうした理解は上野(他)の主張と整合しない。ただ、上野は、どうにもおもしろそうだと思えることは書いてしまいたいようなのだ。  「梅棹忠夫は、家事省力化機器によっても減らずにかえって高水準化する主婦の労働を「偽装労働」と呼んだ。[…]家事労働があるからそれを担当する専従者として主婦がいるわけではなく、主婦という地位が成立してからそれにふさわしい仕事が発明されたとすでに五〇年代に論じて、当時の主婦の憤激を買った。/NHKの生活時間調査を見ても、兼業主婦が一日三・五時間でこなす家事に、専業主婦は七時間をかけている」(上野[1991a→1994:178])
 なお上野の『家父長制と資本制』において梅棹の論を引いているのは、梅棹が商家の主婦は「奥さん」とは呼ばれなかったことを記し、では「奥さん」とはどんな人たちであったかを述べている箇所である。たしかにそこは、自らの論の筋に反する記述であったとしても引用したくなるような――落合[1994:44]でも引用、紹介されている――箇所である。
 「「おくさん」というのは、官舎か何か、安ぶしんの借家に住んでいて、買物に出ると、商人に対してはおうへいなことばづかいでよく値ぎる。日中は何もしないで近所の「おくさん」仲間はペチャクチャおしゃべりをしている。じっさい、巡査だとか、教師だとか、会社員だとか、そういう下級サラリーマンの細君が、この「おくさん」というよび名をお互いに好んで使ったのである。」(梅棹[1959→1982:192]、上野[1990:44-55]に引用」)
 この後、上野は次のように続けるのだが、その記述が仮に間違いでないとしても、それは、梅棹が記してることからはずれている(こうしたずれは上野が梅棹に言及している他の文章にも見出される。)
 「「奥さん」はもちろん、武家の「奥方」から来ている。モデルの原型は支配階級の「奥様」であっても、それが振興の階級の間に大衆化[「大衆化」に傍点]したときには、「奥さん」の実態は矮小化し、地に堕ちた。自分で尻をからげて廊下の雑巾がけをし、手にあかぎれを作ってたらいで洗濯をしなければならない「奥さん」とは、もうたんなる「家事労働者」以外のものではなくなった。」(上野[1990:45])


UP:20060206 REV:20110512
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