滝沢 武久
たきざわ・たけひさ
last update:20151013
◆滝沢武久(たきざわ たけひさ) (滝沢[2012/11/12]紹介より)
群馬県生まれ。11歳年上の兄が精神障がいを発病したことをきっかけにソーシャルワーカーの道を志す。日本社会事業大学卒業後、40年にわたってソーシャルワーカーとして活動する。元全国精神障害者家族会連合会(全家連)理事。八代英太元衆議院議員の政策秘書を務める。08年より南高愛隣会参与。主著に『こころの病いと家族のこころ』『精神障害者の事件と犯罪』(中央法規出版)。
◆滝沢武久(元全家連事務局長) 2012/11/12 「地域福祉の向上を」,『福祉新聞』
http://www.fukushishimbun.co.jp/series03/1019
◆滝沢 武久 198902 「精神障害者家族会の組織と活動」,『リハビリテーション研究』58・59:79-82 ※
ACTIVITIES AND ORGANIZATIONS OF FAMILIES OF THE MENTALLY DISABLED IN JAPAN
滝沢武久 *(財)全国精神障害者家族会連合会事務局長
「停滞期の家族会運動
1965年代は世界的にも学生運動の暴発期でまさに疾風怒濤の如く医学界に大学医局講座制解体や精神科病棟の告発の嵐が捲き起こった。そしてその大波の中で全家連は1967年会員の拠金で、財団法人化し、公益助成金を受け、機関誌である「ぜんかれん」誌発行と全国大会の開催という活動を続けていたものの、当初予定した更なる組織拡大や国の社会復帰予算獲得はなかなか成果を挙げることができなかった。むしろ精神病院問題告発や論争などに同調する動きが出て、1975年には京都の全国大会で役員間に亀裂が入るなどのことがあった。この間、有名な朝日新聞ルポルタージュ「ルポ精神病棟」は国民に一大ショックを与え、精神病院とはこれほど悲惨なところか、また医師間の闘争ではいかにも精神医療は難しいと思わせたりして、患者や家族の望みである施策改善とは別にいたずらに日が過ぎて、全国の多くの家族会役員がそのまま十年余、年をとってしまった。ちょうど日本は戦後の荒廃から高度経済成長を遂げ、他の心身障害者福祉や社会保障制度がどんどん整備された時だったのにかかわらず、結果として、精神障害問題の方は国の政策の整備からは関係者のコンセンサスがないからという理由で取り残されるようなことになってしまった。」(滝沢[1989:])
◆滝沢 武久 200308 『精神障害者の事件と犯罪』,中央法規出版,ISBN-10: 4805823852 ISBN-13: 978-4805823859 [amazon]/[kinokuniya] ※
■言及
◆立岩 真也 2018 『病者障害者の戦後――生政治史点描』,青土社