HOME > WHO >

武見太郎

たけみ・たろう
1904〜1983

Tweet



このHP経由で購入すると寄付されます

・医師
・1904年 京都府に生まれる
・1930年 慶応義塾大学医学部を卒業
・1938年から1948年まで理化学研究所仁科研究室にて研究に従事
・1939年 武見診療所を開設 昨年の入院まで週二回診察を行う
・1957年から連続13選日本医師会会長
・1975年から1976年まで世界医師会会長

■著書

◆19821021 『ベッドでつづった病人のための病人学』,実業之日本社,217p. ASIN: B000J7VZAI \1029 [amazon] ※ r06 w03 a01
◆19820310 『戦前 戦中 戦後』,講談社,292p. ISBN-10: 4061256483 ISBN-13: 978-4061256484 \1600 [amazon][kinokuniya] ※ (新規)

■言及

◆三輪 和雄 19901030 『猛医の時代――武見太郎の生涯』,文藝春秋,329p. ISBN-10: 4163447504 ISBN-13: 978-4163447506 [amazon][kinokuniya] ※ ms.h01.
◆水野 肇 20030828 『誰も書かなかった日本医師会』,草思社,223p. 1700+税 ISBN-10: 4794212372 ISBN-13: 978-4794212375 [amazon] ※ ms.h01.

■引用

◆岡本 正・高橋 晄正毛利 子来大熊 由紀子(司会) 19731015 「日本医師会のタテマエとホンネ」,朝日新聞社編[19731015:161-217]*
*朝日新聞社 編 19731015 『荒廃をつくる構造』,朝日新聞社,朝日市民教室・日本の医療5,254p. ASIN:000J9NNZG 500 [amazon] ※

 「岡本 日本に医療問題を論ずる人はたくさんいる。しかし、武見さんがテレビなどで相手にするのは、水野肇さん一人。医療経済の学者もたくさんいるが、そのなかで武見さんのレクチャーの相手をつとめるのは一橋大学教授の江見康一さんだけだ。この二人なら、武見さんの急所をつくような発言はしないからです。これは非常に露骨なんですよ。しかし、テレビをみている人はそんなことは知らない。この二人がいちばん立派な医事評論家であり、医療経済学者であると思っている。」(岡本・高橋・毛利・大熊[1973:182])

◆水野 肇 20030828 『誰も書かなかった日本医師会』,草思社,223p. 1700+税 ISBN-10: 4794212372 ISBN-13: 978-4794212375 [amazon] ※ ms.h01.

 「武見太郎は昭和十四年(一九三九年)以来、死ぬまで銀座で診療所を開設していたが、健康保険は終生扱わなかった。全額自費診療だった。かつての武見診療所には、入口に「次の人はすぐ診察します」と書いてあった。
  一、特に苦しい方
  一、現職国務大臣
  一、八〇歳以上の高齢な方
  一、戦時職務にある軍人
 おそらく戦時中に書いたものを、そのままにしていたのだろう。よく話に出るのは、それで武見の診察料はいくらだったかという話である。武見の患者は偉い人が多く、高額の金を払っていたにちがいない。料金表はない。いくらでも置いていってくださいという姿勢である。政治家で武見の患者だったある人に、「いくら払うんですか」とズバリ聞いたら、「いくらでもいいと言われると、少額というわけにはいかない。ちょっと診てもらったら一〇万円ですよ」と言っていた。昭和五十年代の終わりごろの話である。」(水野[2003:51‐52])
 「武見自身が終生描いていた医師像は「名誉ある自由人」といわれるもので、「自分の努力によって研鑽を一生続け、他から指揮を受けず、自己のおもむく方向に行く」というものである。武見の時代のドクターは、教育の中でこういうことを植えつけられた人が多い。」(水野[2003:96])

■精神医療関連→「精神病院は牧畜業者発言」(1960)

◆「武見さんが精神病院は牧畜業者だと言ったけれども、それは一面の真実をついていると思います。牧畜病院です。精神病院は。」(仙波・石川[1983:311]、石川の発言)*
*仙波 恒雄・石川 信義 198310** 『精神病院を語る――千葉病院・三枚橋病院の経験から』,星和書店,336p. ISBN-10: 479110093X ISBN-13: 978-4791100934 [amazon][kinokuniya] ※ m

◆大熊 一夫 20091006 『精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本』,岩波書店,249p. ISBN-10: 4000236857 ISBN-13: 978-4000236850 2520 [amazon][kinokuniya] ※ m. m01b2000. i05.

 「校了寸前、長年の疑問が解けました。
 国際的に奇異の目で見られる日本の精神保健政策の源流をたどると、私立精神病院「大濫造」にゆきつきます。世界に例のないこの道を開いたのは、故・武見太郎日本医師会長でした(本書一七頁)。一九六〇(昭和三五)年七月に始まった医療金融公庫の融資です。大蔵省は一業種への公的特別融資に反対でしたが、盟友だった佐藤栄作、保利茂、大野伴睦ら政界有力議員の後押しで、この制度は誕生しました。
 その武見会長自身が私立精神病院を「牧畜業者」と指弾し、この言葉は、日本の精神保健の貧しさ、異様さを語る文章には必ずといっていいくらい引用される歴史的名言となりました。
 ところが、何時、何処で、誰に、語られたものなのか、謎でした。
 日本精神神経学会理事会声明(本書六頁)に引用されて有名になったのですが、声明を起草した竹村堅次さんは記憶の彼方というご様子。手がかりはただひとつ、当時、学会関係者(誰だったか失念)から聞いた<0247<「あれはたしか、大分での記者会見発言」という言葉でした。大分での会見なら有力地元紙の大分合同新聞に載ったはずです。同社に問い合わせてみました。けれど、掲載日が特定されなければ探すのは無理というつれない返事です。あきらめかけたとき、私の携帯電話が鳴りました。同社特別顧問の高浦照明さん(七八歳、さる六月引退)からでした。
 「新聞に出たとすると、私が書いたとしか考えられません」
 高浦さんは昔のスクラップブックをめくってくれましたが見つかりません。それから時間をかけて、日時と場所を思い出してくれました。一九六〇(昭和三五)年一一月ニニ日、大分市で第六〇回九州医師会医学会が開かれたその前日の午後。大分県医師会幹部たちと大分合同新聞の二人の記者が大分県医師会館で武見さんを待っていました。正式記者会見の前の放談で先の仰天発言が飛び出し、その場にいた精神病院協会幹部が色をなしたというのです。武見さんはその四年後に大分に来た時にも高浦記者に「一向に変りませんな。要するに牧畜業であるという事は現実問題ですよ」と語ったそうです。
 半世紀近く前のことなのに、高浦さんの記憶は極めて具体的でした。@県医師会館はその日に完成したばかりの奇抜な建物(若き日の磯崎新の設計)だった。A武見さんは記者会見で「保険医総辞退」という特ダネを話してくれた……私は当時の新聞を読みました。@もAも真芙でした。
 では、件の歴史的発言はどこに載ったのか。高浦さんは懸命に記憶を振り絞ってくれました。一九六四(昭和三九)年一一月二五日からの三日間、別府市で開かれた第三回全国自治体病院学会の初日、シンポジウム「公立精神病院は如何にあるべきか」で、高浦さんは武見放談発言を紹介したというのです。
 そしてついに、高浦さんの発言が詳しく記録されている『全国自治体病院協議会会報』(一九六五年六・<0248<七月合併号)が見っかりました。ここまでに約一年かかりました。
 話は振り出しに戻ります。武見さんは医療金融公庫融資開始からわずか四か月後の一九六〇年一一月に「牧畜業」発言をします。まだ「牧畜業」が輩出する前に、です。おそらくは厚生省の指導で私立精神病院大増設作戦が流布され、融資の応募者が殺到して「牧畜業」の大出現が予見できた。それで黙ってはいられなくなった、というのが私の推理です。
 大蔵省の反対を押し切って融資制度を実現させた経緯を紹介した三輪和雄著『猛医 武見太郎』には、武見さんは公的融資制度を使って医師会立病院を日本のあちこちに建てて、医師会傘下の医院と医師会立病院で地域医療ネットワークを構築しようと夢見たのでした。
 しかし、この構想は全国的には成功したとは言えません。そして後の日本に大きな禍根を残すことになる私立精神病院の大増殖だけが、厚生省の計画通りに進んでしまいました。
 一九六〇年といえば、英・仏・米で地域精神保健が動きだした時期です。翌六一年にはイタリアのフランコ・バザーリアが、ゴリツィアで精神病院解体作業を始めました。しかるに日本は……いや、半世紀遅れを嘆いても始まりません。今日からの、賢い精神保健福祉行政を切望します。

   ニ〇〇九年九月一四日
                    大熊一夫」(247-249)

■言及

◆立岩 真也 2013/12/10 『造反有理――精神医療現代史へ』,青土社,433p. ISBN-10: 4791767446 ISBN-13: 978-4791767441 2800+ [amazon][kinokuniya] ※ m.

 「まずそれは――本書では記すことができないが――制度的・構造的な問題だった。精神科に限ったことではないが、公的保険制度のもとで民間病院を認め、それに依存した。経営者・院長は精神科医である必要もなかった。政府が特別の融資を行なった。とくに看護師他の人員配置に特例を認め、人件費がかからないようにした。一九五四年、精神衛生法一部改定で、非営利法人の設置する精神病院の設置および運営に要する経費に対して国庫補助の規定が設けられた。五八年、同法改正でいわゆる「精神科特例」が設けられた。一般病院よりも精神病院のほうが確保すべき医師や看護要員の数が少なくてよいとされる(その後幾度か変更があるが基本的なところは変わっていない、cf.末安[2003]、仲[2010])。さらに六〇年七月、精神病院について医療金融公庫――その創設にあたっては日本医師会他の団体、日本医師会の会長・武見太郎が熱心に動いたという(大熊[2009:18-19]――の融資が始まる。それに加え、いっとき流行った脳外科手術も電気ショックも、薬物療法も管理を容易にした。生活療法も、その実態においては、役に立った。そうした「好条件」のもとで発展していった。そして問題は表に出にくい構造になっていた。
 政策がどの程度意識的にその策を進めたのか、ここまでの増加を目指していたか、予測していたか。[…]」

 「☆27 日本医師会の会長を長く務めた武見太郎が「精神病院を経営する医師達は牧畜業者」と言ったという話はわりあいよく知られている(その「初出」については大熊[2009:247-249])。ただその時、実際に政治力を有していたのはその日本医師会であったはずだ。その組織が(武見自身は保険診療を行なわなかったが)基本的には保険点数の配分その他において開業医の利得を維持しようとしてきた組織であり、一定規模以上の病院の経営がかえって困難にさせられてきたことはよく言われるが、その組織はかつて自らの病院を全国に作っていこうともした。この組織、また日本病院会・全日本病院協会・日本医療法人協会といった組織が精神医療にどう関わったのか(関わっていないのか)も調べられれば調べるとよいと思う。以下は日本精神科病院協会名誉会長でもある斎藤茂太の回顧より。」


UP:20080902 REV:20080904 1022 20090802, 20131229
WHO 

TOP HOME (http://www.arsvi.com)