・神宮寺(長野県松本市)住職
http://www.jinguuji.or.jp/
・NPO法人長野県NPOセンター代表
・ライフデザインセンター代表理事
・日本チェルノブイリ連帯基金(事務局:神宮寺)
http://www.jca.ax.apc.org/jcf/menu.html
・ACCESS21代表
・尋常浅間学校
「長野県松本市の神宮寺(臨済宗)に生まれる。龍谷大学、同大学院でインド史学を専攻。現在、神宮寺住職、日本チェルノブイリ連帯基金理事長代行、松本いのちを考える会代表、松本南無の会総務等。 」(『インフォームドチョイス――成熟した死の選択』著者紹介より)
「1948年長野生まれ。長野県NPOセンター代表。タイにエイズ感染者支援を行うACCESS21代表。ライフデザインセンター代表。地域のお年寄りのデイサービス「ごくらく倶楽部」や、「尋常浅間学校」、「ほてら劇場」など、お寺というスペースを使い、ユニークなとりくみを多数実施中。また、東京大学をはじめ客員教授として仏教者の立場から、命についての講義も行う。松本市ですすめられようとしている市民会館建設(建設費が県民会館の2倍・145億円も計上されている)をめぐって結成された市民グループ「市民会館建設を考える会」の呼びかけ人。」(『民医連新聞』2001年02月21日 1235号の「プロフィール」より)
■著書
◆鎌田 實・高橋卓志 19971210 『インフォームド・チョイス――成熟した死の選択』,医歯薬出版,242p. ISBN-10: 4263230442 ISBN-13: 978-4263230442 1800 [amazon]/[kinokuniya] ※ d01.
cf.http://www.avis.ne.jp/~emu/syosai09.htm
◆内藤 いづみ・鎌田 實・高橋 卓志 19970606 『ホスピス最期の輝きのために――Choice is yours』, オフィス・エム, 277p. ISBN-10:4900918091 ISBN-13: 978-4900918092 1600 [amazon]/[kinokuniya] ※ d01.t02.
◆高橋卓志 1996/04 『死にぎわのわがまま』
現代書館 ISBN:4-7684-6680-X 価格:1,700円
cf.http://www.gendaishokan.co.jp/goods/ISBN4-7684-6680-X.htm
http://www.sankei.co.jp/databox/paper/96/paper/0602/book.html#14
◆高橋卓志 1993/08 『チェルノブイリの子どもたち』
岩波書店 ISBN:4-00-003248-8 価格:340円 [品切]
■
◆1984/10/10 「名僧日記(3)」
『水牛通信』Vol.6 No.10
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~mie_y/suigyu/tushin/1984.html
(「入力中」だそうです。いまのところ目次のみ 20011112)
◆1984/11/10 「名僧日記(4)」
『水牛通信』Vol.6 No.11
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~mie_y/suigyu/tushin/1984.html
(「入力中」だそうです。いまのところ目次のみ 20011112)
◆1986/04/10 「名僧旦過帳 セタガヤが僕の寺をダメにする」
『水牛通信』Vol.8 No.4
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~mie_y/suigyu/tushin/1986.html
(「入力中」だそうです。いまのところ目次のみ 20011112)
◆1996/12/01 「大事なことはボランティアで教わった」(1000字提言)(↓)
『ノーマライゼーション 障害者の福祉』1996年12月号(第16巻 通巻185号) 38頁
http://www.dinf.ne.jp/doc/prdl/jsrd/norma/nrm001/n185_038.htm
◆1997/08/01 「変わらなきゃ…お寺が、坊さんが」(1000字提言)(↓)
『ノーマライゼーション 障害者の福祉』1997年8月号(第17巻 通巻193号)30頁
http://www.dinf.ne.jp/doc/prdl/jsrd/norma/n193/n193_030.htm
◆1999/08/28 「ノストラダムスと2日酔い ― 新世紀への自覚の時」
『産経新聞』夕刊・文化欄
cf.http://www2s.biglobe.ne.jp/~posteios/PROJ_G_9908.htm
◆高橋卓志・辛淑玉 2000/10/10 「「憲法9条の男」の生き方」(辛淑玉のおススメ)(対談)
『週刊金曜日』第339号
http://www1.jca.ax.apc.org/kinyobi/mokuji/W339.html(目次)
◆2000/11/04 「選択はあなたにある」
第12回日本生命倫理学会年次大会 於:旭川医科大学
http://www.asahikawa-med.ac.jp/dept/ge/philos/bioethics00/program0.htm
◆遠藤順子+辻本好子+高橋卓志 2001/冬 「光の中へ――魂をめぐるトライアングル」
(鼎談)
季刊『僧伽』1
http://www.jinguuji.or.jp/samgha/(目次・紹介)
◆2001/冬 「高齢化――もう旬とは言えないが」(旬のキーワード)
季刊『僧伽』1
http://www.jinguuji.or.jp/samgha/(目次・紹介)
◆2001/02/21 「終末期迎える人に社会的なバックアップを 民医連には期待しています」(インタビュー 地域からの発言 人権と福祉の世紀へ(3))
『民医連新聞』2001年02月21日 1235号(全日本民医連)
http://www.min-iren.co.jp/10press/sinbun/2001/0221-02.html
◆2001/02/26 基調講演&パネルディスカッション・パネラー
シンポジウム『新宗教・新新宗教を考える』第2回
主催 花園大学国際禅学研究所 現代宗学研究室
共催 大本山妙心寺派教化センター
www.hanazono.ac.jp/oshirase/end/conts3.html
◆鎌田實+柳原和子+高橋卓志 2001/春 「深い河――「がん」の時代をどう生きるのか」(鼎談)
季刊『僧伽』2
http://www.jinguuji.or.jp/samgha/(目次・紹介)
◆2001/春 「脱○○」(旬のキーワード)
季刊『僧伽』2
http://www.jinguuji.or.jp/samgha/(目次・紹介)
◆2001/04/30 [産経新聞フロントページ | 産経新聞インデックス] 2001.04.30
作務衣作りで自立を支援 タイのHIV感染者支援のため、現地に作務衣
作業所を設立した僧りょの高橋卓志さん(右)ら=長野県松本市. ...
http://www.sankei.co.jp/databox/paper/0104/30/html/0430side069.html
◆2001/06/00 「死の周辺のお手伝い――ライフデザインセンター発足」
『こちら”ちくま”』2001年第3号 通巻23号
www.azumino.matsumoto.nagano.jp/human/chikuma/tsushin/tsushin23.html(全文)
◆2001/06/22 「さんぽ道」
『週刊金曜日』第368号
http://www1.jca.ax.apc.org/kinyobi/mokuji/W368.html(目次)
◆2001/09/00 「長靴で赤ジュータン」
『こちら“ちくま”』2001年第3号 通巻24号
http://www.azumino.matsumoto.nagano.jp/human/chikuma/tsushin/tsushin24.html#24号03(全文)
◆199612 「大事なことはボランティアで教わった」(1000字提言)(↓)
『ノーマライゼーション 障害者の福祉』1996年12月号(第16巻 通巻185号) 38頁
http://www.dinf.ne.jp/doc/prdl/jsrd/norma/nrm001/n185_038.htm
牟田悌三さんが本を出し、出版記念パーティーが行われた。牟田さんといえば、俳優生活40年という芸能界の大ベテラン。だから本の内容も芸能界の裏話であったり、役者人生の機微が満載されているものだと普通は思ってしまう。まして出版記念パーティともなると芸能人が押し掛ける華々しいものであることを誰もが想像してしまう。しかし、当日会場を埋めたのは、車いすの障害者であり、日本全国で地域活動というたぐいの仕事を地道にこなしている人々であり、開発途上の国々で苦労しながら支援活動を継続している人たちであった。
近年、幾多の芸能人がボランティアに参加し、知名度を活用して社会情勢を改善に導こうとする風潮が強まってきた。それはたとえば阪神淡路大震災の復興チャリティであったり、あるいはHIV患者の支援などでセンセーショナルに扱われている。これは確かに結構なことで、その必要性を時代というものが欲求しているとも思う。しかしどうしても一過性の謗りは免れない。自分の職業領域を無償で提供するということは、殊に芸能人にとっては日常化することはないし、もしそうなったら負担が大きすぎるからである。
牟田さんのまわりで囃子たて、傍観しているぼくから一方的に牟田さんの個人史を見てみると、社会福祉や環境、教育、文化まで実に幅広い活動に入り込んでいるのが見える。障害児として特別意識するのではなく、普通の人間として付き合おうじゃないかといった趣旨で始まった「障害のかきねをはずそう会」や、障害者の生活保証の一助となるように始めた「街角からこんにちは」。そしてチェルノブイリ事故の被災者への支援やネパールでの学校建設。それらが一緒になってゆるやかに社会を暖かさの中に包み込んでしまおうというもくろみの「あった会」の設立などは、ボランティアを、「いのちに関わる領域」にグレードアップさせる貴重な活動といえる。
牟田さんの本のタイトルは『大事なことはボランティアで教わった』というものだ。牟田さんは自分の生活空間である世田谷から、世界を串刺しにするかのような視線をもちながら、自前の暖かさを押しきせではないボランティアという活動に持ち込んだ希有な芸能人といえるのである。
ボランティアからさまざまなことを教えられ、試行錯誤しながら、より「いのちの在り方」を問うことに重点を置き、長いスパンの活動に展開していくという牟田さんの生き方に、ボランティアといわれる人々は大いに学んだほうがいい。
(たかはしたくし 浅間温泉神宮寺住職・日本チェルノブイリ連帯基金副理事長)
◆199708 「変わらなきゃ…お寺が、坊さんが」(1000字提言)(↓)
『ノーマライゼーション 障害者の福祉』1997年8月号(第17巻 通巻193号)30頁
http://www.dinf.ne.jp/doc/prdl/jsrd/norma/n193/n193_030.htm
ぼくの寺は信州浅間温泉のはずれにある。この寺はヘンな寺として全国的に有名だ。
旧ソ連チェルノブイリ原発事故後の原発障害の治療支援に信州大学の医学部を巻き込み、半端でないNGO活動を行っているその事務所を置いていたり、年数回行われる「ほてら劇場」と名付けられた大騒ぎのコンサートを行ったり(ああ、そうそう、ほてらとはホテル+お寺の意味で、コンサートを聞いた人たちがたくさん泊まっていくからそんな名が付いた)、若いボランティアが集まり、地域を騒がす計略を練ったりと、日々人の出入りが途切れないという寺なのである。つまり簡単に言えば、死んだ人の数より生きた人間の出入りの方が圧倒的に多い寺なのである。
先日も新しい企画「尋常浅間学校」をスタートさせたところ、400人を超える生徒(?)が集まって大混乱だった。明治初年の廃仏棄釈でこの寺がつぶされ尋常小学校となったことを思い出し、現代の硬直化した学校教育にはない面白い学びと遊びをやってみようというコンセプトで始めたのが当たったらしい。
校長は永六輔さん、教頭は無着成恭さん、ぼくが小使となり、常時100名近い各界のスペシャリストが先生として登録されているという豪華な学校である。この学校は年10回、10年間で100回の授業を目指し、内容も歌舞音曲のたぐいから、ターミナル・ケア、高齢化の問題、癒しなどかなりシリアスなものまでを予定している。また、修学旅行と称してカンボジアへのスタディ・ツアーが12月に予定されている。これらの企画を運営するスタッフは、ボランテラと呼ばれている。もちろんお寺で行うボランティア活動という冗談からできた集団だ。学生が中心となり、彼らは無料で各種の授業に参加できるという特待生の資格をもっているが、出世払いを義務付けている。
寺とは本来そういうものなのだ。かつての寺は祈りの場だけでなく、医療や学問の中心地であり、公民館の役割をもち、悩み事の相談所でもあった。また、行き暮れた人々や、身寄りのない人々の安息の場所でもあったのである。それが忘れられて久しい。全国に8万もあるといわれる寺と、そこに住まいする坊さんたちの意識が社会に向いていけば日本も確実に変わるのにと思う。
寺の在り方、坊主の生き方が地域を変えていく時代の到来を、ぼくはあまり期待感を抱かずに待っている。
(たかはしたくし 浅間温泉神宮寺住職・日本チェルノブイリ連帯基金副理事長)