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武村 信義

たけむら・しんぎ
1928〜


「1928年4月15日長野県出生
現在 東京大学医学部脳研究所医学心理学部門・助教授
専攻 犯罪・司法精神医学,異常性格学
著書 「優生学」1961年,南江堂(共著)「精神医学」1966年,医学書院(共著)
訳書 P.ガイスブレヒト「殺人――実存的限界状況の分析」1980年,金剛出版
編集 「精神医学大系」第24巻(中山書店)を懸田克躬,中田修とともに責任編集,等」(武村信義[1983])

http://www.worldcat.org/identities/lccn-n88-48977/

◆武村 信義 1969 「概観」,岩井弘融・平野龍一編『日本の犯罪学 第1巻』,東京大学出版会

秋元 波留夫・武村 信義 1976 「ライシャワー大使使刺傷事件」,内村裕之他監修『日本の精神鑑定』,みすず書房

石川 文之進・武村 信義 「交通事故の人格相応性について」,『犯罪学雑誌』30-5.6

◆Ghysbrecht, Paul 1970 Moord-Analyse van een existentieile grenssituatie. 3e druk, Wetenschappelijke Uitgeverij E. Story-Scientia, Gent-Leuven.=19800325 武村信義訳,『殺人』,金剛出版,226p. ASIN: B000J89QV2 3800 [amazon] ※ m. c0112.

◆武村 信義・石川 文之進 1980 「放火同一性累犯者の1事例――攻撃転移性放火について」,『犯罪学雑誌』46:97-100

◆武村信義 1981/07 「司法精神医学の伝統的立場と心理学――19世紀前葉のドイツにおける“moral insanity”論を通して」,『臨床精神医学』10-7:795-800
 http://jglobal.jst.go.jp/public/20090422/200902093782546414

◆1982/12/04 第19回日本犯罪学会総会 会場:半蔵門会館  総会長:竹村 信義(東京大学助教授)
 http://j-crim.kenkyuukai.jp/event/event_detail.asp?id=7401
 *学会のHPの「武村」は「武村」の誤り。「総会長」となっているものと「世話人」となっているものがある。

◆武村 信義 19830610 『精神病質の概念』 ,金剛出版,精神医学文庫,176p. ISBN-10: 4772401695 ISBN-13: 978-4772401692 1800 [amazon][kinokuniya] ※ m.

 「私はこのー冊を私の恩師,故吉益脩夫先生に捧げる。先生は犯罪学研究者として知られる。しかしまた先生は遺伝精神医学,優生学に多大の関心を寄せられ,自ら精神病の家系調査や犯罪者などの双生児研究に従事され,国民優生法の成立に尽力された。先生の学問的関心とお仕事は変質論に深くかかわりをもっていたとみられる。私がはじめて変質論に触れたのは,1961年,同先生の助手として先生の「優生学の理論と実際」(昭和15年)の改訂をお手伝いしたときであった。」(武村[1983:175])

◆1984/06/25 第101回国会 決算委員会 第9号
 昭和五十九年六月二十五日(月曜日)
 http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/101/1410/10106251410009c.html
○本岡昭次君 文部大臣、東大医学部の問題について今報告がありました。また、自治医大の問題も、これは私立の大学あるいは病院であるという立場からの説明がありました。しかし、私は国立
であろうと私立てあろうと、この宇都宮病院にかかわった病院、医師のあり方というものは、医師の倫理の上から、人道的な問題から許すことはできないと思うんです。厳重なひとつ対応をお願いしたいと思います。
 わけても、この東大医学部ですが、内部で若干の処分的なことを行われたということですが、しかし宇都宮病院に東大の医師が、私の表現をすれば、まさに寄生をしたと思うんです。そして、私欲のために精神障害者をモルモットがわりに使ってきたと。それで、この癒着の深さは――こういうことを言っている。「われわれはこの病院において、平畑高次郎先生と石川文之進院長を中心として、水魚の交わりをもち、精神医学においてまた人生において多大の収穫をえつつあります。」、これは何ですか。人生において多大の収穫を得られたら大変なことになりますやないか。これが医学部附属脳研究施設の武村信義助教授が昨年十二月、こともあろうに宇都宮病院二十五周年祝賀論文にこういうことまで響いているんですよ。そんな簡単なことじゃない。人生においても多大の収穫を宇都宮病院から東大の医師は得たというんですよ。だから、私は東大内のその甘い処分で見過ごすことはできないと。つまり、医師法第四条三号あるいは医師法第七条二項、これによってこの宇都宮病院にかかわった医師たちは厳重に処断されるべきだと、このように思います。文部大臣どうですか。医者としての品位を汚したという問題もあるし、公務員として、現に殺人、リンチ、不法診療、無資格診療が行われているその病院に行ってかかわってきたんですよ。知らなかったとは言わさぬ。そんなことがわからぬようなお医者さんでは困るですよ。自分がそこにかかわって、この病院がどんな病院かわからないで何の研究をやってきたんですか。ただ脳をもらいにだけ行ったんですか。そんな甘い処分では東大の権威が守れぬでしょう。東大なんというものは、日本の今の学術、研究の頂点にあるんでしょう。東大医学部といえば、日本の医学の面で、医師養成の面で、医療の研究の面でトップに立つところなんでしょう。文部大臣としてもっと厳正な処断をお願いしたいと思いますが、いかがですか。

◆2011.11.30 「宇都宮病院の旧「入院案内」」author : 近代日本精神医療史研究会
 http://kenkyukaiblog.jugem.jp/?cid=5

 「今でこそ精神科病院の検索はネットで行うのが主流かもしれないが、かつては紙媒体による案内(パンフレット)が重要な役割を果たしていたに違いない。
 先日、東京の烏山病院を訪れた際に、そこで勤務する旧知のIさんから宇都宮病院の昔の「入院案内」を見せてもらった。
 周知のごとく、栃木県の宇都宮病院といえば、昭和59年の朝日新聞のキャンペーン「宇都宮病院事件」の舞台となり、看護職員による患者リンチ死事件で知られる「悪名高き」精神病院である(少なくとも「かつては」と言うべきか)。
 そういう目でこの「入院案内」を見ると、それなりの感慨もある。
よく保存されていたものである。
 三つ折りの病院案内の裏側(というか内側)の上部三分の一くらいは、以下のようになっている。
 それによると、
directed by
Dr. T. Hirahata
Dr. B. Ishikawa
の下にスタンプで、
顧問 秋元波留夫
顧問 武村信義
と押されている。
Dr. B. Ishikawa とは、後に「宇都宮病院事件」に関わって逮捕された院長の石川文之進であろうし、顧問の2人は言わずと知れた東大医学部の関係者である。
 「入院案内」でこの2人の名前を顧問として掲げることで、当然ながら病院の権威・信用を高める効果を期待していただろう。
朝日新聞は「宇都宮病院事件」を暴露したあと、この病院と東大医学部との関係についても報じている(昭和59年5月26日、朝刊)。」

○本岡昭次君 文部大臣、東大医学部の問題について今報告がありました。また、自治医大の問題も、これは私立の大学あるいは病院であるという立場からの説明がありました。しかし、私は国立
であろうと私立てあろうと、この宇都宮病院にかかわった病院、医師のあり方というものは、医師の倫理の上から、人道的な問題から許すことはできないと思うんです。厳重なひとつ対応をお願いしたいと思います。
 わけても、この東大医学部ですが、内部で若干の処分的なことを行われたということですが、しかし宇都宮病院に東大の医師が、私の表現をすれば、まさに寄生をしたと思うんです。そして、私欲のために精神障害者をモルモットがわりに使ってきたと。それで、この癒着の深さは――こういうことを言っている。「われわれはこの病院において、平畑高次郎先生と石川文之進院長を中心として、水魚の交わりをもち、精神医学においてまた人生において多大の収穫をえつつあります。」、これは何ですか。人生において多大の収穫を得られたら大変なことになりますやないか。これが医学部附属脳研究施設の武村信義助教授が昨年十二月、こともあろうに宇都宮病院二十五周年祝賀論文にこういうことまで響いているんですよ。そんな簡単なことじゃない。人生においても多大の収穫を宇都宮病院から東大の医師は得たというんですよ。だから、私は東大内のその甘い処分で見過ごすことはできないと。つまり、医師法第四条三号あるいは医師法第七条二項、これによってこの宇都宮病院にかかわった医師たちは厳重に処断されるべきだと、このように思います。文部大臣どうですか。医者としての品位を汚したという問題もあるし、公務員として、現に殺人、リンチ、不法診療、無資格診療が行われているその病院に行ってかかわってきたんですよ。知らなかったとは言わさぬ。そんなことがわからぬようなお医者さんでは困るですよ。自分がそこにかかわって、この病院がどんな病院かわからないで何の研究をやってきたんですか。ただ脳をもらいにだけ行ったんですか。そんな甘い処分では東大の権威が守れぬでしょう。東大なんというものは、日本の今の学術、研究の頂点にあるんでしょう。東大医学部といえば、日本の医学の面で、医師養成の面で、医療の研究の面でトップに立つところなんでしょう。文部大臣としてもっと厳正な処断をお願いしたいと思いますが、いかがですか。」


■言及

◆「宇都宮病院事件」より
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E9%83%BD%E5%AE%AE%E7%97%85%E9%99%A2%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 「事件の舞台となった宇都宮病院は1961年(昭和36年)、石川文之進[5]が開院した[15][16]。
 石川は、1952年(昭和27年)に石川医院を開院し[15]、1955年(昭和30年)には医院を発展的に医療法人大恵会石川病院として改組。院長に就任し、1958年(昭和33年)には分院まで開設した[15]。
 石川自身は内科医で精神科の経験は無かったものの、東京大学医学部精神科の研究生となり、当時東大医学部脳研究施設神経生物部門に所属していた武村信義に指導を担当して貰った。武村は臨床医ではなかったものの、この指導を通じて石川さらには宇都宮病院との関係が出来、石川にとっては東大医学部との人脈作りの窓口となった。また、石川は分院との人脈作りも行う[17]。宇都宮病院開院の翌年には、石川は理事長に就任し[15]、1965年(昭和40年)には精神衛生鑑定医の資格を得た。この年、宇都宮病院に解剖室が新設され、病床数を300床に増床する[18]。
 1967年(昭和42年)には病床数は375床にまで増加するものの、この際宇都宮病院の患者獲得方法が問題となり栃木県精神病院協会幹部が栃木県に宇都宮病院を告発するものの有耶無耶に終わっている。この頃から、宇都宮病院では看護長やケースワーカーによる無資格死体解剖が日常的に行われていた[18]。」

 「1984年[…]10月15日には石川や宇都宮病院と最もつながりの深かった武村が東大脳研を辞任し、宇都宮病院へ移る[28]。当時の脳研所長および教授たちは宇都宮病院に問題があることを以前から知っていた。武村が教授になれなかった理由は、宇都宮病院とのつながりが深かかったためと言われている[29]。
28. 『東大病院精神科の30年』(p47)
29. 『東大病院精神科の30年』(p181, p182)」

◆立岩 真也 2013 『造反有理――身体の現代・1:精神医療改革/批判』(仮),青土社 ※


UP:20130904 REV:20130905
宇都宮病院事件
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