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高橋 雅之


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■2018/12/24 報告 第33回国際障害者年連続シンポジウム・筋ジス病棟と地域生活の今とこれから

 みなさん、こんにちは。私の話を始める前に一つ断っておきたいことがあります。私は今こうして普通に声が出ていますが、気管切開の影響でときどき急に声が出なくなってしまうことがあります。呼吸には特に問題ないのですが、もし今日の話の途中で声が出なくなってしまった時は、隣にいる介助者に代わりに原稿を読んでもらうことになると思うので、ご了承ください。
 では始めたいと思います。私の名前は高橋雅之といいます。和歌山県出身の56歳です。
 現在は兵庫県の西宮市という所で、24時間介助者を使いながら一人暮らしをしています。私の障害は筋ジストロフィーのベッカー型というものです。12年前から24時間、人工呼吸器をつけています。今は障害が重度化して、口から食事が出来なくなって胃ろうからの栄養補給になっています。普段は地域の訪問医に定期的に往診してもらい、またその訪問医に筋ジストロフィーの専門である国立病院機構の刀根山病院と市内の別の医療機関を連携してもらっています。そのため検査データを近くの医療機関で測定し、距離の遠い刀根山病院に送ってもらうことで、3カ月に一度のペースで刀根山病院に行くことができています。緊急時には訪問医の判断で救急車で刀根山病院に搬送してもらうように介助者の方々に周知しています。
 さらに24時間対応の市内の訪問看護センターの訪問看護と訪問リハビリも毎週利用しています。このような医療体制が整っている為、私は地域での自立生活を送ることが出来ています。
 ここから少し私の昔の話をしたいと思います。
 小さい頃は、周りの子供たちと同じように走り回って遊んでいました。しかし小学校に入学した頃からよく転ぶようになり、大学病院に一カ月ほど検査入院した結果、筋ジストロフィーと診断され、20歳までしか生きられないと宣告を受けました。現在は医療の急速な進歩があり、この歳まで生きることができています。中学校を卒業してからは在宅生活を続けていましたが、父や母が亡くなった後、平成11年11月1日に障害者の施設に入所しました。
 入所から11年が過ぎた頃、突然「他の施設を探してください」と施設から言われました。当然、納得できることではなく様々な手を尽くしましたが、残念ながら状況を覆すことはできず、友達との別れを惜しみながら悔しい思いを抱き、平成23年4月6日に施設を卒業していきました。そしてその日に私は国立病院機構徳島病院の筋ジス病棟に入院しました。当時は、筋ジストロフィーは重度になると、国立病院機構の筋ジス病棟に移って亡くなっていくのが運命づけられていました。
 しかしその国立病院機構徳島病院での生活はとても悲惨なもので、気管切開をしている人は電動車いすに乗せない、お風呂は週一回だけという信じがたいものでした。食事も施設の時は、普通食を刻みで誤嚥もなく食べれてましたが、徳島病院では飲み込みの検査もせずに医師の判断でミキサー食に変更されしまいました。犯罪者でもないのに、どうしてこんな生活をしなければならないのか。私はこんな所でこのまま終わるのは嫌だと思い、故郷の和歌山での自立を目指しました。しかし和歌山市内では介助者がおらず、断念せざるをおえませんでした。このままでは一生自立できない。そう考えていたとき、NHKの障害者情報番組でメインストリーム協会を知り、ここなら自立できると考えた私は徳島病院のケースワーカーに相談して、メインストリーム協会から一番近い距離にある国立病院機構 刀根山病院に平成25年3月7日転院することになりました。刀根山病院での生活は徳島病院での生活と比べて、お風呂週2回、病棟内での車いす移動1日3時間、指導員さんの付き添いでの売店への買い物など格段に良い生活なりました。ただ目的はあくまでも自立する事だったので、入院中にメインストリーム協会の同じ筋ジストロフィーの当事者の方に来てもらい、自立に関する相談などを経て平成26年8月18日に西宮市で自立しました。
 ここから自立してからのことを話したいと思います。
 自立して良かったことは、何よりも自分なりの生活が出来ることです。外出や旅行など自分で計画を立てて、好きな時に好きな場所に行けます。私は鉄道が好きなので、電車に乗って景色を見ることが一番の楽しみです。カラオケや外食などにも行き、施設や病院ではできなかった人間らしい生活を楽しんでいます。自立してから旅行は4回行きましたが、中でも大分県の湯布院に飛行機を使って行った時に、介助者二人に協力してもらって、リフトのついた温泉に入浴できたことが一番の思い出です。
 「自立生活は楽しい」ということを伝えていきたい。このような活動をしたいと思い、私は今メインストリーム協会にいます。
 人工呼吸器というものに対して、病院のICUとか、生命維持とか、悪いイメージを持っている方も多いと思います。けれでも私は、目の悪い人は眼鏡、耳の不自由な人は補聴器と同じような感覚で、呼吸が困難な人は人工呼吸器を使う、このように考えています。
 これから自立を考えている人へ、自立は自己決定です。社会の中で自由に過ごせる分、自分の意思と責任を持たないといけません。なので当事者の話やILPなどを通じて大切なことを学んでいただきたいです。
 強い意志を持っていただければ、必ず実現できます。
 筋ジス病棟に入院中の方へ伝えたいことがあります。病状も関係あると思いますが、健常者も自立していくのに障害あるだけで自立できないのはおかしいと思います。筋ジス病棟で一生終わるのはもったいないと思います。だから頑張って自立を目指して頂きたいと思います。これが僕の願いです。
 最後まで私の話を聞いて頂きありがとうございます。ご静聴ありがとうございました。


UP:20181231 REV:
筋ジストロフィー  ◇第33回国際障害者年連続シンポジウム・筋ジス病棟と地域生活の今とこれから  ◇メインストリーム協会  ◇自立生活/自立生活運動  ◇病者障害者運動史研究  ◇WHO
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