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竹村 堅次

たけむら・けんじ
1924〜

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 「大正13年12月秋田県大館町に生まれ。昭和17年、旧制秋田県立大館中学卒業。慶應義塾大学医学部予科入学。昭和23年、同大学医学部本科を繰り上げ卒業。昭和24年、共済組合立・立川病院インターン終了。慶應義塾大学精神神経科学教室に入る。昭和35年、昭和大学医学部精神医学教室に移籍。51年、同大学医学部教授に就任。昭和58年、同大学精神医学主任教授。昭和34年、昭和大学附属鳥山病院勤務。昭和38年、同病院副院長。昭和46年、同病院院長、同病院名誉院長。平成2年、(財)精神医学研究所附属東京武蔵野病院院長、同病院名誉院長。平成10年、北千住幸仁クリニック勤務。平成15年、医療法人薫風会象潟病院院長。平成1年、東京都精神保健福祉審議会会長。昭和63年、東京都精神医療審査会委員。日本精神科病院協会理事。昭和56年、同通信教育部部長。昭和43年、東京都福祉局精神科嘱託医。平成5年、東京都福祉局障害者施策推進協議会委員。平成7年、(財)日本医療機能評価機構評価部会委員。医療・福祉の両方で、東京都知事医療功労賞、厚生大臣賞を受賞」(竹村[2006])より

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E9%99%84%E5%B1%9E%E7%83%8F%E5%B1%B1%E7%97%85%E9%99%A2
 1971年9月1日 昭和大学附属烏山病院院長に就任
(1988年4月1日  奥山精、院長に就任)

■著作

◆竹村 堅次 19700315 「社会療法」,小林八郎他編[1970:173-182]*
*小林 八郎・松本 胖・池田 由子・加藤 伸勝・徳田 良仁・鈴木 明子 編 19700315 『精神科作業療法』,医学書院,247p. ASIN: B000JA0RBS 2300 [amazon] ※ m. r02.

◆竹村 堅次 19881126  『日本・収容所列島の六十年――偏見の消える日はいつ』 ,近代文芸社,247p. ISBN-10: 4896070275 ISBN-13: 978-4896070279 [amazon][kinokuniya] ※ m.
◆竹村 堅次 19941010 『患者は教科書――精神科医療・今昔談』 ,りん書房,147p. ISBN-10: 4795273804 ISBN-13: 978-4795273801 \1019 [amazon][kinokuniya] ※ m.
◆竹村 堅次 19981215 『日本・収容所列島の六十年――その後の十年』,りん書房,390p. ISBN-10: 4795273936 ISBN-13: 978-4795273931 \3150 [amazon][kinokuniya] ※ m.

■引用

◆1966

 「当院では開放下の病棟管理に重点をおき、1.生活指導、2.レク療法、3.作業療法、4.社会的療法(または社会治療)に4大別しています。  このため病棟区分もさしあたり、1.治療病棟、2.生活指導病棟、3.作業病棟、4.社会復帰病棟の機能別4単位(男女別計8単位)にするのが便利と考えました。このように病棟を区分すると、入院患者の流れは治療病棟からはじまり、身体治療後の病状に応じて他の病棟へ、最後には社会復帰病棟へ移ることになります。
 […]
 このような病棟移動は、あくまでも生活療法中心主義ではじめて徹底できるのですが、実際にやってみますと、かなりおおきな効果があるものです。」(竹村[1966])

◆竹村 堅次 19981215 『日本・収容所列島の六十年――その後の十年』,りん書房,390p. ISBN-10: 4795273936 ISBN-13: 978-4795273931 \3150 [amazon][kinokuniya] ※ m.

◇六 お別れ講演 私の生きた時代と私の歩いた道、これからの道
 19980320 東京武蔵野病院にて
 (財)精神医学研究所業績集 1997年に収載

 「烏山紛争の真相
 あれは、要するに反体制運動、それが次いで反精神医学になったときにどうなるかというと、精神病は社会が作るというわけです。病院に入院させるとかえって悪くなる。全部解放すべきだ。そして世の中がめちゃくちゃになろうと、彼らの自由にやらせろ。自殺したい患者は死んでいいと、そういう極端なことを言っていました。あの連中に任しておくと何がおこるかわからんということだったんだけれども、私は大学紛争の中にいたわけではなくて、烏山の中でリハビリのいい態勢を築いていたという立場にいたんですね。そこを目指していけばいいと考えて、いわゆる市中病院をねらってきたのが東大紛争の中心にいた精神科を目指す連中だったのです。共産主義を信奉してた連中ですね。それで医者の方も大変になった。その当時先輩の西尾院長の時代だったんですが、医者が一〇人いると、五人はその連中、五人は我々といったことで、たえずはりあった形でしてね、精神病の診断能力がまだつかないうちにあのインターン闘<0116<争をやったあと、何でも反対でやってきて、日本の国を改革するんだという具合でしたね。今の精神病院はなっておらん、俺たちに任せろという気負いで、もう無法なことをやりだしたんてすね。それが烏山紛争の発端であったわけです。で、烏山病院の紛争は、その中の一人の若年医師を解雇して八年も裁判が続いたのですが、いまだに真相が分からない人がたくさんいると思うんです。
 もう今になってみると、ある程度話さなければわからないだろうから話しましょうということをいってもいい時代だと思うんだけれども、私はね、声を大にして実は精神科の医者が問題なのだといっているわけです。精神科の医者は一番常識がないといけない。それから一番物を見るのが正しい中立の立場にいなくちゃいけない。その人たちが精神的に偏ったらどうなるか、ということを言っているのです。理論的な根拠がどうだこうだというんじゃなくて、日常の生活態度において、精神科医として何をするかということがですね。烏山病院の紛争の真の発端であり、またのちの世に残す忠告であったわけです。ですから連中がね、どんな思考や理論でやろうと、共産主義であろうと、社会主義であろうと、何でも構わないけれども、まずちゃんとした勉強をしろということで叱ったのだけれども、一人の医者がおかしくなってしまって、ワーッと躁状態になってね。それに同調むしろそれを利用、患者を完全開放する。それを誰もとめられなかった。とめようと思っても説得不可能。だからあとで私いろんな検討をしてみたんだけれども、あの躁状態になる時というのは絶対自分では止められないんですね。前から予防しよ<0117<うと思っても、薬飲んでよく寝ろとかいってもだめ。分裂病の場合はどうかというと、薬の飲ませ方を非常に注意深くやっているでしょう。その効かせ方もね、副作用がないように飲ませればいいんですからね。だが躁欝病は、仏教でいえば、業だというんです、業。こういうことで、問題は、朝日新聞が増幅して、世の中に、いままでの精神病の治し方は間違ってると報道したのです。あの若手医師たちの反精神医学理論は、明らかに誤りだったのだが、烏山紛争はこれだけでは起こらなかった。それが真相なのです。」(竹村[1998:116-118])

■言及

◆立岩 真也 2013 『造反有理――精神医療現代史へ』,青土社 ※


UP:20110730 REV:20110801, 20131007, 20150516
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