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塚田 宏

つかだ・ひろし


東京都三鷹市在住
日本ALS協会東京支部・支部長

◆塚田 宏 20010401
 「苦しくてやがて楽しき渡米の記――日本ALS協会東京支部長塚田宏さんに聞く」
 『難病と在宅ケア』07-01(2001-04):57-60

「小さな事件があった。塚田さんは、話の内容まではよく分からなかったが、近所の人が家から出てきて通訳の女性に対してかなり口汚い言葉を使ってクレームを述べていた。あとで聞くところによると、このあたりでのウェドマイヤー家の立場が背景にあるらしい。フットボールの名選手であったこと、そして呼吸器をつけて生命維持するたの支援財団を立てたこと、ウェドマイヤーさんの活動は、あらゆる意味で衆目を集めている。呼吸器装着を選択したことで自らが財団の広告搭になった彼の生き方は、必ずしも賛同や奨励の目ばかりではない。人種・宗教が交錯する地域に住み、著書まで出すようなウェドマイヤーさんの、これは有名税といってしまっていいのだろうか。」(2000/10/26)

「フォーブノリス病院のALS患者交流会に参加。ここでは、呼吸器をつけた患者は1人もいなかった。聞くところによると、カリフォルニア州にある協会の3支部では1人もいないらしい。
 帰国してから都立神経病院の先生に聞いたところ、人工呼吸器をつけないと神経内科、装着すると呼吸器内科の担当になるらしい。ウェドマイヤー氏と会談やフォーブノリスでわかったことの一つは、アメリカにおける人工呼吸器選択の特異性だった。それでも塚田さんは、次回のALS国際会議ではこのテーマで発表を考えている。宗教観や文化の違いなど様々な壁はあろうが、「呼吸器をつけて生きる今、人生でベストな状態」を塚田さんなりの言葉で伝えたい、という思いを新たにした。」(2000/10/28)


◆塚田 宏 20001001
 「医療を越えた私の活性剤」
 『難病と在宅ケア』06-07(2000-10):11-15

 「塚田さんの発病は昭和59年、家族のみにALSの告知がなされたのはその年の7月だった。……最初の病院では、原因は不明との診断、「少しお疲れでしょう」ということで帰された。次に訪れた横浜の港湾病院で「進行性筋萎縮症」の診断を受けた。
 その後、知り合いの医師から三鷹市に「難病検診がある」という話を聞いた。とにかく病気についてのどんな情報も手に入れたかった塚田さんは、そこでの診断で都立神経病院に即日、検査入院をするようにいわれた(1カ月間)。検査の結果、ALSの告知を受け、さらに「余命2年」と知らされた。
 18年前の時点では、ALSという病気はまったく日の当たらない世界にあった。塚田さんと家族は実際の病気を知るためにも、ALS患者に会わせてほしいと医師に希望したが、答えは「NO」。その理由は、患者側(またはその家族)が、それを拒むということからだった。これが、18年前の難病患者の閉ざされた現実であった。
 どうしてもというなら、と主治医は奥さんの公子さんと息子の学さんを伴い、病棟階へ上がった。「廊下の一番端をさりげなく歩いて、立ち止まらずに通り過ぎて下さい」という条件で、家族は初めてALSという病気を目の当たりにした。」(p.11)

 「1985年には肩で息をするようになった。呼吸筋が侵され始めたのである。この頃、都立神経病院に2度目の検査入院をすることになっていたが、あまりの苦しさに、それを待たずに病院に行くことにした。着替えをすませたその時、公子さんの腕の中で塚田さんの呼吸が停止した。  幸い、家の目の前がホームドクターだったので大(p11)至急蘇生を行い、救急車で杏林大学病院に運ばれた。そこで、塚田さんは挿管を行った。後に都立神経病院に転院している。」(pp.11-12)

 

◆ALSの塚田、高井さん/県内療養者らと交流
 『沖縄タイムス』2002年3月13日朝刊26面
 http://www.okinawatimes.co.jp/day/200203131300.html

 「筋委縮性側索硬化症(ALS)患者で、日本ALS協会東京都支部長の塚田宏さん(68)と、同福祉部長の高井綾子さん(78)を招き、ALS療養者と家族が集う交流会が十二日、那覇市の中央保健所で開かれた。塚田さんの講話に続き、腹話術や竹笛の演奏もあり、和やかな雰囲気の中、交流を深めた。
 ALSは運動機能や発語、呼吸などに障害を来す進行性の難病。塚田さんと高井さんは、人工呼吸器を装着しながら全国各地を巡り、病気について情報交換する活動を続けている。塚田さんは二回目、高井さんは初めての来県。十三日は、国立療養所を訪問する。
 塚田さんは昨年十一月に参加した国際ALS会議(サンフランシスコ)の模様をスライドで紹介したほか、約二十年の療養生活を振り返り「家族やボランティアの支えで楽しく生活している。自分の姿を同病者やその家族に伝えたい」(妻公子さん代読)と話した。
 発明好きの高井さんは二十年以上にわたって考案した自慢の品々をパネル展示。発案の経緯や用途の質問に笑顔で応じ「今年も(発明コンテストに)応募しています」とちゃめっ気たっぷりだった。」
 *「福祉部長」は「副支部長」の間違いです。

◆社会活動で喜び/難病のALS患者ら交流
 琉球新報ニュース3月13日
 http://www.ryukyushimpo.co.jp/news01/2002/2002_03/020313ec.html

 「重度の運動障害を伴い、難病中の難病といわれるALS(筋委縮性側索硬化症)の日本ALS協会東京支部会長の塚田宏さん(68)と同支部副支部長の高井綾子さん(78)が来県し、12日、那覇市の中央保健所で県内の患者や家族、関係者と交流会が行われた。
 交流会では塚田さんが講演したほか、高井さんの発明した介護用品の写真パネルの展示が行われた。13日には宜野湾市の国立療養所沖縄病院で交流会が行われる。
 全国でALS患者は5738人、県内には61人いる。二人は人工呼吸器を付けているが、活発に全国のALS患者との交流を続けている。塚田さんは1999年に来県しており二度目、高井さんは初めて。
 講演は塚田さんの妻、公子さん(60)が塚田さんに代わって原稿を読み上げた。塚田さんは発病から現在までの経過と現在の日常生活について語り、2001年11月に米国で開催されたALSの国際会議に参加したことを報告した。
 「どうなるか分からず不安だったが、現実を認める大切さを知り、闘病中の人たちと交流し社会的な活動をする喜びを知った」と話し、「主役は私たち。意思を伝える方法を確保することが大切。外に出て毎日の生活を楽しもう」と呼び掛けた。
 高井さんは「皆さん大変、親切。来られてうれしい。ことしも暮らしの発明展に出品したい」と笑顔を見せていた。」

写真説明:家族や介護者らと来県した塚田宏さん(左)と高井綾子さん=12日、那覇市の中央保健所

立岩の文章における言及

 [9]一九八四年・「検査の結果、ALSの告知を受け、さらに「余命二年」と知らされた。」(東京都立神経病院で、家族に。塚田[2000:11])
 [41]塚田宏(東京都)は一九八四年に発症、この年「余命二年」と知らされた[9]。現在は日本ALS協会東京都支部長。二〇〇〇年に米国へ(塚田[2001])――塚田、熊谷[33]、橋本[42]、山口[48]らが外国に行くのは、「先進国」の事情を勉強するため、ではなく、はじめにあげた「安楽死」のことにも関わるのだが、このことについては後述。
 [169]塚田宏[41]は、一九八四年に発病、「八五年には肩で息をするようになった。呼吸筋が侵され始めたのである。この頃、都立神経病院に二度目の検査入院をすることになっていたが、あまりの苦しさに、それを待たずに病院に行くことにした。着替えをすませたその時、公子さんの腕の中で塚田さんの呼吸が停止した。/幸い、家の目の前がホームドクターだったので大至急蘇生を行い、救急車で杏林大学病院に運ばれた。そこで、塚田さんは挿管を行った。」(塚田[2000:11-12])


※おことわり
・このページは、公開されている情報に基づいて作成された、人・組織「について」のページです。その人や組織「が」作成しているページではありません。
・このページは、文部科学省科学研究費補助金を受けている研究(基盤(C)・課題番号12610172)のための資料の一部でもあります。
・作成:立岩 真也
・作成:20011117 更新:20011120,20020727

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