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坂本 喜教

(さかもと・よしのり)

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last update: 20210529


■略歴

昭和31年5月18日みやま市瀬高町にて長男として出生。小学校1年生くらいで熊本県荒尾市に転居(父親の仕事の都合)。小学校6年で久留米市御井町に転居(御井小学校)。良山中学校、九州産業高等学校(電気科)進学後、三菱重工業株式会社広島造船所に就職。しかし、造船業の不況の煽りを受け成田空港へ出向を命じられる。3年間の予定が、父より毎日戻ってこいと連絡を受け、家族が心配で23歳で退職、久留米市藤光町に戻る。父の勤務先にて働いたが環境の変化と人間関係がうまくいかないことがストレスとなった。25歳で両親に連れられ久留米厚生病院に受診(初診)。通院中断して、電気屋に就職するも、病状悪化のため本間病院に入院(初めての入院)。

福岡県保健所が久留米にあったので、そこのデイケアに行って、地域で暮らす精神障害者に初めて会った。みな周りを気にする、ひっそりとお邪魔になりませんて過ごしていて、この病気は人としての生活ができないのかと思った。精神障害者ということが口に出せない時代。働いてみたいと思ったが、精神ときいただけで相手にされなかった(100件近く面接)。1995年「くるめ出逢いの会」の世話人になり、「言いたい放題」、2000年「福岡県精神障害者連絡会」を立ち上げる(初代代表)。連絡会は3,4年続いた。「ピアくるめ」(久障支援運営委員会)の運営にも関わる。当事者活動を集中して行っては「思考回路が止まり」入退院を繰り返す(過去10回くらい)。40歳過ぎに活動を続けることを選び、仕事はあきらめた。障害年金から生活費を切り詰めて活動をしてきた。現在、「くるめ出逢いの会」代表、「久障支援運営委員会」理事を務める。


(2021.5.9 長澤聴き取り)


■関連ページ

インタビュー:坂本 喜教氏(NPO法人くるめ出逢いの会代表),場所:オープンスペースゆるか、
聞き手:長澤 奈緒子(インタビュー所要時間:2時間9分34秒) 20140908,24p. [PDF]


*作成:岩ア 弘泰
UP: 20210525 REV: 20210529
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