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砂原 茂一

すなはら・しげいち
1908〜1988


http://kotobank.jp/word/%E7%A0%82%E5%8E%9F%E8%8C%82%E4%B8%80  「1908−1988昭和時代の医師。
 明治41年5月16日生まれ。国立東京療養所所長をへて,昭和36年国立療養所東京病院院長となる。薬の科学的な効果判定法の確立につとめ,また医の倫理について積極的に発言した。昭和63年6月15日死去。80歳。三重県出身。東京帝大卒。著作に「医者とくすり」など。」

■著書・編書

◆砂原 茂一 19700630 『医者とくすり――治療の科学への道』,東京大学出版会,UP選書,308p.+7p. 980円 ASIN: B000JA0RD6 [amazon]
◆砂原 茂一 1980 『リハビリテーション』,岩波新書
◆砂原 茂一 編 19840228 『リハビリテーション概論』,医歯薬出版,リハビリテーション医学全書1,379p. ISBN-10: 4263217616 ISBN-13: 978-4263217610 [amazon][kinokuniya] ※ r02.
 *奥付に「1998年2月25日 第1版第14刷(増補)発行」とあり
 *p.ivに「第1章「1.障害論」「2.リハビリテーションの理念」の内容については、初期執筆のままであり、加筆・訂正が行われておりません。」とあり

■引用

◆1980

 砂原は『リハビリテーション』(岩波新書)の中で,デジョングの論文を紹介しつつIL運動について述べている。
 「IL運動者たちの基本的主張は,障害者問題の主体はリハビリテーションの専門家ではなく障害者自身であり,改善しなくてはならないのは障害者の側よりも環境であり,従来のリハビリテーションの過程であると考える。そしてリハビリテーションのルートに乗らない重度障害者にも独立自尊の生活が許されるべきであるというのである。」(砂原[1980])
・砂原 茂一 1980 『リハビリテーション』,岩波新書
 *「問い返される理念」,砂原[80:202-214]→障害者自立生活セミナー実行委員会編[1983:15-24]

■言及

◆上田 敏 1988/05/18 「砂原茂一先生を悼む」,『リハビリテーション医学』25-3:137

◆立岩 2010

「☆04 米国他のことが紹介されていくのは、一九七〇年代後半から、とくに一九八〇年代に入ってからのことになる。一九八一年に「国際障害者年」があり、八三年には米国の運動家たちを招いた規模の大きな催しが行われた。この辺りに出された文献は立岩[1990a:73]で紹介している。リハビリテーションの関係者たちがわりあい早く――といっても十年ほどたってからだが――その動向を紹介している文献を――文献表にはあげているのではあるが――紹介していないことに気がついた(立岩[1999]ではいくらかの引用を行っている)。この時期には、上田に限らず、リハビリテーションの領域の人たちによる紹介が多い。リハビリテーションは医学の(あるいはそれに近接する)領域にあって、相対的に国際的動向の受け入れは早く、そして、RIに対するDPIの登場は、世界中の専門家には知れ渡るようなできごとであったということはあるだろう。また国連その他における「障害」の定義・規定の問題も、その人たちの仕事に関係することではあった。また、その頃(あるいは今も)「障害者福祉」の学者・研究者がどれほどいたのかということもあるだろう。
 これから引用する原田政美(他に原田[1979]等)も、また岩波新書の『リハビリテーション』の中で次のように述べている砂原茂一も医学・医療の領域の人であり、リハビリテーション(医学)の世界において(も)、既にその場を確立した――大所高所に立ってものが言える――人たちだった。
 「IL運動者たちの基本的主張は、障害者問題の主体はリハビリテーションの専門家ではなく障害者自身であり、改善しなくてはならないのは障害者の側よりも環境であり、従来のリハビリテーションの過程であると考える。そしてリハビリテーションのルートに乗らない重度障害者にも独立自尊の生活が許されるべきであるというのである。」(砂原[1980])
 また、丸山一郎(厚生省障害者福祉担当官→現全国社会福祉協議会参与)は医学・リハビリテーションの専門家ではないが、彼が一九七〇年代後半に――日本ではたぶん最も早い時期に――米国の運動・動向を紹介したのは、おもに職業リハビリテーションの領域の媒体だった(引用・書誌情報等はHPに掲載→「生存学」→「自立生活(運動)」)。
 「これらはいずれも米国の事情を紹介したものである。例えば、原田政美(当時、東京都心身障害者福祉センター所長)が米国の事情を紹介した文章が『ジュリスト』という比較的よく知られた雑誌に掲載される。以下はその冒頭。
 「自立生活はアメリカのIndependent Livingの訳語である」(原田[1981→1983:56])
 そしてこうした認識・記述は「障害者福祉」の教科書の類いに引き継がれることになる。[…]
 しかし日本で「自立」「自立生活」に向かう運動がなかったかと言うと、まったくそうではない。このことを立岩[1990b]で述べた。当初、歴史的な検討を予定していなかったあの書(安積他[1990])で、歴史記述にある程度の分量が割かれているのは,このことがはっきりと言われず、それで知られないのは困ったことだと思ったからでもある。ここでは言葉そのものを追っていく。まず、一九七〇年から七二年にかけて[…]」(立岩[1999])
 こうして私は、同時期に日本に「自立生活」の方向に行く動きがあったことを書いてきたのだが、それは各国・各地の運動に差異がないことを主張するものではない。むしろ、そこにあるいくらかの違いについて書いてきたはずである(立岩[1998][1999])。このことについて、再度、別に記すことがあるかもしれない。
 そして、まずは外国語を読めたり外国に行けたりした人々によって始められ、学界・動向を知る人たちがそれに重なり加わり、そして国際障害者年を巡る様々もあってさらに障害者運動の一部が加わって、紹介・輸入がなされていく経緯、そしてそれからだいぶ経って「障害者政策研究集会」等が「専門家からの自立」の方向に行くこと、これらについても、機会があったら紹介する。


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