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芹沢 俊介

せりざわ・しゅんすけ


・1942年 東京生

*立岩のデータベースにあったものだけ

◆芹沢 俊介 20031030 『「新しい家族」のつくりかた』,晶文社,205p. 1700 ※

 ◇立岩 真也 2003/12/** 「書評:芹沢俊介『「新しい家族」のつくりかた』」,『東京新聞』2003-12-

◆2001/12/00 「私的所有を問う――無理せずボチボチやっていける社会に向けて」
 (対談:芹沢俊介・立岩真也
 『グラフィケーション』118:3-11(富士ゼロックス)
 『グラフィケーション』118
 http://www.fujixerox.co.jp/company/fxbooks/graphication/index.html
◆20010731 「知の組み替えに向けて子どもたちが身体で表した希望」
 岩川・汐見編[2001:098-109]*
*岩川 直樹・汐見 稔幸 編 20010731
 『「学力」を問う――だれにとってのだれが語る「学力」か』
 草土文化,223p. 1800円+税 ※

◆2005/01/23 「書評:『ALS――不動の身体と息する機械』」
 『東京新聞』『東京新聞』2005/01/23

◆197705  『戦後社会の性と家族』
 白川書院,195p. 1700
◆19810715 『家族の現象論』
 筑摩書房,226p. 1600
◆198311  『女性はいまどこにいるのか――恋愛・性・結婚・パート・学習・家庭観などをめぐって』
 毎日新聞社,223p. 1100
◆1985   「死の行進――「エホバの証人」の輸血拒否事件」,
 『正論』1985-8→1987 芹沢『システムの贈りもの』,筑摩書房:45-62
◆19851125 『「イエスの方舟」論』
 春秋社,シリーズ家族 2,208p. 1400 ※
◆他 編 1986 『思想としての風俗』
 大和書房 1800 千葉社4461共通
◆1987   『システムの贈りもの――高度大衆社会における欲望』
 筑摩書房 1300 千葉社3725共通
◆19870725 『漂流へ――芹沢俊介家族論集』
 春秋社,シリーズ家族4,308p. 1751 ※/連雀367
◆他 198806 『家族の現在』
 大和書房,219p. ISBN:4479750150 1500
◆19880625 「<家族>と死」
 吉本他[1988:101-140] ※
◆19890930 『現代<子ども>暴力論』
 大和書房,196p. 1450 杉並367
◆19901101 「家族の戦後史」
 小浜・芹沢・湯沢・高橋・青木・清水[1990:043-081] 千葉社5150/三鷹367.3
◆19901101 「子どもの死と犯罪」
 小浜・芹沢・湯沢・高橋・青木・清水[1990:181-214] 千葉社5150/三鷹367.3
◆19910705 「現代の離婚をどう分析するか」
 上野他編『家族の社会史』(シリーズ変貌する家族 1):141-160 ※/千葉社5009-1
◆19910806 「現代心中論」,上野他編『セクシュアリティと家族』(シリーズ変貌する家族 2):191-212 ※
◆19910815 『他界と遊ぶ子供たち――少年たちの資本主義』,青弓社,198p. 1700 ※
◆編 19940330 『解体される子どもたち――少年犯罪の政治学』,青弓社,297p. 2884 千葉社4980共通
◆19941225 『現代<子ども>暴力論 新版』,春秋社,237p. 2163 ※

◆ 『ブームの社会現象』
◆ 『高村光太郎』
◆ 『愛』
◆編  『消費資本主義論――変容するシステムと欲望のゆくえ』,新曜社,288p. 2472

◆芹沢 俊介・村瀬 学・清水 真砂子・最首 悟・小浜 逸郎 19861030 『家族の現在』,大和書房,219p. 1500 真砂367
◆吉本 隆明・竹田 青嗣・芹沢 俊介・菅谷 規矢巨雄・川上 久夫・田口 雅巳  19880625 『人間と死』,春秋社, 233p. 1400 ※
◆芹沢 俊介・藤井 東 19950825 『いじめの時代の子どもたちへ』,新潮社,277p. 1400 ※

 ※は生存学資料室にあり

 
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◆19941225 『現代<子ども>暴力論 新版』より
 (春秋社,237p. 2100円) ※

 「少年はアルマンという名を肯定されたからこそ、主体的にアルマンを捨て,つまりイノセンスを解体し、新しい名フレデリックを選びとることができたのです。」(p.12)
 「イノセンスを表出することが、実は同時にイノセンスを解体することでもあるということです。もちろん、肯定的に表出が受け止められることという条件は付きますが、イノセンスは表出されないかぎり、解体もされないということです。」(p.13)

 「子どもがおとなになるためには,その本質であるイノセンスを捨てなくてはならない。イノセンスを捨てるということは,さきに挙げた何重もの不自由を自ら選びなおすことを意味する。それらの不自由は強制されたという点ですべて暴力であるという観点に立てば,この選びなおしの過程は…」(p.22)


◇立岩 真也 『弱くある自由へ』第1章

 「……例えば、強くあろうとするその思いはどこから来ているのだろうか、考えてみると強い人が一定数いた方がなにかと都合がよいくらいの理由しかなく、それ以外には根拠はなさそうだと、もっと弱くあればよいのだ、もっと弱くあってよいのに、と言うことである。それはおそらく、過剰なものを差し引く行いである。もっと積極的には、その人が条件をつけずに肯定されること、少なくとも許容されること、ということになるだろうか。けれど、それがどのような意味で可能なのか、私にはよくわからない。少なくとも、肯定し続けることができるようには思えない。ただ、肯定されることへの欲望もまた一つの症状であると言えるかもしれない。否定が肯定への衝動を形作っているのだとすれば、ともかく肯定される時、肯定への衝動もまた終わっている。その意味で、肯定の過程とは、構築されるとともに解体されていくような過程であるのかもしれない。★23
 ……
★23 芹沢[1994]に書かれていることについて考えてみたいと思う。〔本書第7章5節に述べることが関わる。〕」


REV:...20031218
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