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斉藤 実

1976/08/14〜2019/04/09

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こくりょう(旧国立療養所)を&から動かす

◆福井県あわら市出身。小学4年までは地域の小学校、4年の途中で福井養護学校に転校。5年生の時に車いす、当時はまだ少し歩けていた。中学1年生(12歳)から医王病院に入院。2017年10月、支援者の協力で外出、7年ぶりの外出だった。その後、2018年3月、6月外出。2018年12月24日京都のシンポジウムにスカイプのビデオ通話参加をしてから京都に住みたいと思うようになった。


◆2017/05/14 斉藤実を藤原・井上訪問
◆2017/10/25 斉藤実を斉藤さん外出 斉藤実を金沢県庁展望台など 斉藤実をメインストリーム古木隆訪問
◆2017/11/13 斉藤実をメインストリーム高橋雅之訪問
◆2018/01/30 斉藤実を小泉・段原・坂野・井上訪問
◆2018/03/17 斉藤実外出・古込シンポジウム参加 小泉・藤原訪問
◆2018/04/03 斉藤実を段原・井上 (4/6に単独でカンファレンスに臨むのを応援元気づけるため。福井のコムサポで打ち合わせに行った後、ふたりで「行く?」と決めて急遽連絡して向かった)
◆2018/04/23 斉藤実を小泉・コムサポ北山・安川訪問
◆2018/06/02 斉藤実を井上訪問
 2018/06/02 井上 武史
 https://medium.com/blogescala/%E9%87%91%E6%B2%A2%E5%8C%BB%E7%8E%8B%E7%97%85%E9%99%A2-f3d19007181c
◆2018/06/11 斉藤実を川口有美子訪問
◆2019/06/12 斉藤実を藤原・メインストリーム真名野訪問
◆2918/07/11 斉藤実を小泉・段原訪問
◆2018/07/13 斉藤実カンファレンス 小泉・段原・藤原・真名野訪問
◆2018/08/05 斉藤実を斉藤新吾訪問
◆2018/08/08 斉藤実を小泉訪問
◆2018/08/15 斉藤実を小泉・渡邊訪問
◆2018/09/03 斉藤実をCIL下関河本訪問
◆2018/09/28 斉藤実を小泉・渡邊訪問
◆2018/10/25 斉藤実を小泉・段原訪問
◆2018/11/03 斉藤実をCIL上田Groping 井出今日我
◆2018/12/05 斉藤実を小泉・段原訪問
◆2018/12/24 斉藤実を段原訪問(クリスマスイブシンポ中継のため)
 2018/12/24 インタビュー
 筋ジス病棟と地域生活の今とこれから,第33回国際障害者年連続シンポジウム,2018年12月24日,於:京都テルサ
◆2019/02/11 斉藤実を小泉・段原訪問
◆2019/03/05 斉藤実を小泉・渡邊訪問
◆2019/03/22 斉藤実を小泉・段原・西田美紀訪問(年が変わると京都への転院を検討し始めたため西田さん同行した)
◆2019/04/07 斉藤実を小泉、渡邉、訪問
◆2019/04/08 斉藤実「診療情報提供書についてのお願い」
◆2019/04/09 斉藤実死去

■2018/06/02 井上 武史
 https://medium.com/blogescala/%E9%87%91%E6%B2%A2%E5%8C%BB%E7%8E%8B%E7%97%85%E9%99%A2-f3d19007181c

■2018/12/24 インタビュー
 筋ジス病棟と地域生活の今とこれから,第33回国際障害者年連続シンポジウム,2018年12月24日,於:京都テルサ

まずお一人目、斉藤実さんです。斉藤実さんは石川県金沢市にある医王病院からです。では、斉藤さん、早速ですがお話を聞きたいと思います。斉藤さん、こんにちは。聞こえてますか?
斉藤氏 こんにちは。
司会 こんにちは。斉藤さんは今、どちらの病院にいらっしゃいますか?
斉藤氏 金沢の医王病院です。30年間ここで入院しています。
司会 30年間ここで、入院されてるそうです。では、病院での生活はどうですか?
斉藤氏 夜中にナースコールしても、なかなか来てもらえず、体位変換してもらえない。しんどいです。夜中に体が痛くて泣いてしまったこともあります...、ありました。
司会 「夜中にナースコールを押してもなかなか来てもらえずに、体位交換してもらえなくてしんどいです。夜中に体が痛くて泣いてしまったこともありました。」ということです。それは辛いですよね。どうしてすぐに来てもらえないと思っていますか?
斉藤氏 人がいなくなります。40人の患者を4人のスタッフでみます。担当です。だから大変なんだと思います。
司会 「人がいなくなります。」
斉藤氏 と思います。大変なんだと思います。
司会 ちょっと斉藤さん、お待ちくださいね。「人がいなくなります。40人の患者を4人の、4人のスタッフが担当です。だから大変なんだと思います。」ということですね。斉藤さん、このことは色んな人から色んな場所から聞いています。何とかしてもらいたいですよね。
斉藤氏 はい。
司会 ところで斉藤さんは、
斉藤氏 地域で、
司会 地域で暮らしてみたいと思っているでしょうか。
斉藤氏 介助者に、体位変換してもらいたいです。
司会 はい。「地域で介助者に体位交換してもらいたいです。」ということです。では、もし地域で暮らすなら、したいことはありますか? 斉藤氏 友だちの家に遊びに行き、パーティーを開いて楽しみたいです。外出や買い物に行きたいです。京都、大阪、神戸、東京、旅行したいです。温泉に行って、美味しいものを食べてみたいです。全国から色んな障害者が集まる研修会でお話ししながら、たくさんの人と交流を深めたいです。経管栄養ですが、おせち料理、ケーキ食べたいです。
会場 (笑)
斉藤氏 食べたいです。はい。
司会 斉藤さん、復唱しますね。「友だちの家に遊びに行き、パーティーを開いて楽しみたいです。外出や買い物に行きたいです。京都、大阪、神戸、東京、旅行したいです。温泉に行って、美味しいもの食べてみたいです。全国から色んな障害者が集まる研修会で、お話ししながらたくさんの人と交流を深めたいです。経管栄養ですが、おせち料理、ケーキ食べたいです。」斉藤さん、ぜひ実現させてくださいね。
斉藤氏 はい。
司会 ありがとうございました。
斉藤氏 ありがとうございました。
会場 (拍手)
司会 斉藤実さん。そして今日そちらで介助に行ってるのは、JCILから段原さんでした。ありがとうございました。
会場 (拍手) [01:50:03]


■2019/02/28 「母親と兄へ」

 僕は、小さい頃母親に甘えてばかりでよく大声で泣いていたと記憶している。自分のわがままでよく母親の知り合いの中川の坪田のおじさんにショッピングセンターに連れて行ってくれておもちゃ屋で僕の好きなミニカー、ゲーム機。お菓子を買ってもらったりして僕が3歳の時芝政にドライブ一乗谷自分は1番上の兄の征二や昌二よりも恵まれている方だと思っている。今は、3ヶ月に1回の診察後の面会で、母親の元気な姿が見られて自分も元気で病院生活を送れている。30年医王病院に入院できていられるのは家族や病院の職員のサポートしてもらえるおかげだと思っている。
 兄は毎日休む暇もなく夜遅くまで忙しい仕事をこなしていてとても大変だと思う。自分は、もう少し楽な仕事に就いてもいいのではといつも、僕は常に感じている。仕事以外には、家のこと、母親のこと、僕のことを考えてくれていて兄にはとても感謝している。たまに面会で自分のほしいを買ってきてくれることにも感謝している。
 去年12月僕にメールで「8月3日にバランスを崩してから、外出ができない状況になって、今もそれは変わらない状況だと俺は理解しているところ。心臓の点滴がめちゃくちゃシビアな医療行為なので、外出は難しいって先生が言っていた気がする。結論からいうと会うつもりはない。」
 「あの人達との関係は実、個人が築き上げてきたこと。俺と母親は無関係です。俺と母親にまで巻き込んでくるのは正直に言ってやめて欲しい。今度、この話が今後もでてくるなら、もう面会には行けない。この点については、母親も同じ意見。もう本当に勘弁して欲しい。」とメールを読んで自分はとても厳しい内容のメールでかなりショックを受けた。
 突然でびっくりさせるようだけど、今、治療に専念しているなか京都の宇多野病院に転院したいと考えている。なぜ宇多野病院に転院したいのかというと、病院は、朝の顔拭き5時と早く、他の患者さんの食事介助、ナースコール対応でなかなか来てもらえないです。平日以外も、土日も職員の人数も少なくナースコール、スキンケア、オムツ交換&体位調整で職員が忙しくてなかなか辿り着けないので身体の痛みが取れないです。
 僕は、3月中には医王病院を退院して、京都の宇多野病院へ転院したい。平日、土日も宇多野病院にJCILのヘルパーさんが来てくれるので、ヘルパーさんに体位の細かい調整、お尻の痛い所、背中、肩さすってもらいたい。医王病院よりは宇多野病院の方が身体の痛みが取れるのではないかと思っている。プラモデルを一緒に作りたい。自分も身体の痛みを取れるのであれば、宇多野病院に転院したいと思っている。今後、僕の体調はどうなるかはわからないが、自分はこのまま病院で死にたくない。
 21日、横内さんと先川原さんに「病院早く出たいので支援者会議は一切なしでとにかく地域移行早く進めてほしいです。自分はこのまま病院で死にたくないです。」と伝えた。
 自分は42歳の立派な大人なので家族とは離れ離れにはなるがそれでも京都に転院したい。自分の人生は自分で決めるものだと思う。


■2019/04/08

医王病院病院長 駒井清暢先生、脇坂先生、MSW小田さま

診療情報提供書についてのお願い

お世話になります。
第五病棟に30年入院している斎藤です。
このまま苦痛やモルヒネの中で病院で死にたくないと思っています。
退院や自立の話を病院に対してすると、絶対ムリだから認められない、と主治医や看護師、MSWから言われています。
病院の所見がそれなら仕方ないのですが、僕自身の身体の状況を他の立場におられる方からも把握するために、セカンドオピニオンを求めたいと思います。
京都の梁山会診療所の田中医師が、セカンドオピニオンに協力してくれる、と言っています。
僕の家族も、この件については、僕にまかせる、と言っています。
田中医師からは、医王病院の先生に診療情報提供書を書いてもらいたい、と言われています。
以下の宛先の田中医師宛に、診療情報提供書を書いてください。

住所 京都市北区大将軍西町163
病院名 医療法人梁山会診療所
医師名 田中直樹

以上、よろしくお願いします。
なお、もし、診療情報提供書を書けないというのであれば、その理由を、ぼくと田中医師に同時にきちんと丁寧に文書でお伝えください。口頭での説明は、ぼくにとっては圧力となり、ぼくの心臓に負担がかかるのでやめてください。ぼく自身の余命も少ないと聞いていますので、文書での回答は一週間以内にお願いします。
(念のため、恐縮ですが、この文書は、「障害と人権弁護士ネット」の弁護士にも共有してもらいますので、しかるべき対応をお願いします。)
よろしくお願いします。

2019年4月8日 斎藤実

■2019/04/09 逝去


◆2020/09/19 「動かなかったものを動かす――「筋ジス病棟の未来を考えるプロジェクト」」【全記録】障害学会第17回大会・2020・オンラインシンボジウム

立岩:[…]そんなんで16年秋ぐらいからとか、ようやくいろんなことが具体的になっていき、そして17年の秋に〔古込さんが〕退院ってことになるっていう。まあ長かったですけど、長くすりゃいくらでも長くなるような、そういうことが起こって。そして古込さん病院出て1年半、2019年の3月にお亡くなりになるんです。だけれども、彼がその間(かん)いろんな人を巻き込んでやってきたこと、それから彼は文章が書ける人で、書けるというか上手い人でした。けっこう沢山の文章を書かれていた。最初僕は、16年ぐらいだったかな、まだ病院にいて、病院に気がねするというかそういう頃でしたので、匿名で彼の文章をホームページに掲載させていただいて。退院なさったあとは「もういい」ということで、記名の文章に変えて掲載して、今でも全部掲載してありますけど、そういうことがありました。で、出て1年半ですね、19年の3月に亡くなるんですけれども、でもそれがきっかけになっていろんなことが起こってきたなということを思います。
 実はそのへんの経緯っていうのが僕もわかってなかったんですけれども、どうやら聞くと、斉藤実さん◇という筋ジスのかたが同室にいて、自立生活プログラムを古込さんのやってるのを見ていたと。で、「自分も出たいから」みたいなことを思ったらしいんですね。そんなことがあって、つくばの「ほにゃら」〔つくば自立生活センターほにゃら〕っていうCILがありますけどそこの斉藤〔新吾〕さん☆がやって来たときにそういう話になり、それで斉藤〔実〕さんに聞いたら斉藤さんは福井の人であるということがわかり、「じゃあ」というので、ちょうど行っていた福井の「コムサポ」というところに話を繋いだと。ただ、コムサポはそんなに大きな活動が、人手とかそういうのでできるってわけでもない。ということで単独で支援は難しいっていうような中で関西、メインストリーム協会、それから日本自立生活センター、京都ですけども、そこに話を繋げて、3つの、福井、京都、西宮が共同して斉藤さんのほうの支援にあたるというかたちで、金沢のほうの動きが続いてきて今に至るということらしいんです。
 この間(かん)、あらためてここ1週間ぐらいのあいだに記録を出してもらって、実はさっき言った、「画面共有はしないけどできれば見てほしい」と言った、今日のシンポジウムのためのページのところに「歴史」っていうところがあるんです。で、最初はありのまま舎とかそっちの話が多いんですけど、2018年ぐらいになってくると、その斉藤さんを訪問するっていうことの経緯が出ていて、これをあらためて並べてみて、「すごいな」と私は思いました。毎月3回とかそんな感じでずっと行き来しているということがあって、まあ大変だったのでもあろうし、根性あるなとも思いました。それにJCIL、日本自立生活センターのほうで主要に関わったのは、去年の障害学会のシンポジウムにも出てくださいました小泉浩子さんがその一人なんですが、小泉さん、一昨日、「斉藤さんの話をすると泣いちゃうから、しゃべれない」って言ってました。なので誰に話を聞いたらいいんだかわかんないんですけど。でも誰か、あのときの金沢での活動に関わったって人、ひと言ふた言でもいいですから。小泉さん、「だめだ」って断られてるんですけども、そのうえでですが、何かないですか?

小泉:このお話をいただいたのは、メインの井上さんからだったんです、私は。だからあの、私が福井県出身やったっていうのもあって、そんなこんなで井上さんから「会わせたいんやけど」って言うて、なんやあの、わからんまま会いに行ったんやけど、それが始まりで。うーん、まあ、とにかくなんとか出てほしいと思って、みんなでがんばってきたんやけども、最後の最後で亡くなるっていうかたちになったので、やっぱりつらい、つらいです。井上さん、なんか言うてえな。井上さん、

井上:はいはい。僕、いちいち遡る必要もないんですけども、JCILとか小泉さんとの繋がりは、「かりん燈」っていう渡邉琢ちゃん◇とかJCILの人がやってた活動に誘われて、2008年、9年かな、その頃からの繋がりで、ちょこちょこシンポジウムにおじゃましたりしたときに一緒にごはん食べたりみたいなことをしてて。その中で小泉さんが福井出身っていうのはインプットされてて。で、「福井に帰る」っていうのは、なんかね、キーワードみたいになってたんですよ、斉藤さんの中で、「福井に帰る」っていうのが。「金沢にいるけども、地元の福井に帰る」っていうのが、なんとなく、コムサポも通じて言われてることで。「じゃあ、じゃあ、ちょっと小泉さん誘おうや」って言って連れてったのが〔2018年〕1月31日、立岩さんと会ったときですかね。おそらく。

立岩:一緒に行きましたね。

井上:あの時だったと思います。まあまあそういういきさつなんですけども、ちょっと付け加えておきたいのは、これ斉藤さんやから今までこれみんなで続けてると僕は思ってて。というのは、ちょこちょこ言うんですけども、優れた人は出れるんですよ、古込さんみたいに文才があるとか、こう魅力的な人っていうのは。斉藤さんに魅力がないとは言わへんけども、少なくとも文才…、文才がないとも言わへんけども、でも社会、世間にアピールしてみんながガッと支援するようなタイプの人ではなかった。でも僕らは出会ってしまって、そのままほっとくわけにはいかなかった。これ、なんかその斉藤さんみたいな、ほっとっても出れるとは言わへんけれども、多くのそういう優れた人が出てきてるのは僕らは見てきてるわけで、これまで。でもほんとにやらないといけないのは、斉藤さんみたいな人がちゃんと出れるようにしないといけないと思った思いをみんなに広げてるっていうのがこの活動だと思ってます。

立岩:ありがとうございました。オフラインとかでしゃべったりすると無意味なあいづちをもっとたくさん打つんですけど、するとなんとなくやり取りしてる感じするんですけど。たぶんZoomであんまりそれやると、音がぶちぶちになっちゃうんで、しないほうがいいんだと思って黙って聞いてました。
 そうですね。古込さんはけっこう「病院っていうのがこんな感じで」っていうの、けっこうきつくっていうかリアルに書いた人ですけど、斉藤さんは、「街に出たら回転ずし行きたい」とか「何を食べたい」とかそういうのりの人で。そこが慕われたというか、みんな「じゃあ彼のために」っていう気持ちにもなったんだろうと思います。ちょうどそうやって、その金沢における個別の支援が進行していくのと並行してっていうか、やっぱりそれはそこの病院の一人二人の話ではなくてっていう認識っていうのは広がっていったんだろうと思うんですね。」


UP:20191124 REV:20191126, 20200911, 13, 20210102
こくりょう(旧国立療養所)を&から動かす  ◇筋ジストロフィー  ◇第33回国際障害者年連続シンポジウム・筋ジス病棟と地域生活の今とこれから  ◇生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築  ◇病者障害者運動史研究  ◇自立生活/自立生活運動  ◇WHO
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