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鈴木 絹江
すずき・きぬえ
1951/02/26〜2021/05/16
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・19510226生
・福島県田村郡船引町→京都市
・
福島県青い芝の会
障害名:ビタミンD抵抗性くる病
https://www.nanbyou.or.jp/entry/4559
1951年 福島県いわき市小名浜で生まれ、母一人娘一人で育つ。
1958年 いわき市小名浜第一小学校入学 全校生徒3000人のマンモス校。
1963年 福島県立郡山養護学校入学 全校生徒50名 小学校6年生3学期に転校
その後中学・高校生活を郡山養護学校で過ごす。
1969年 高校卒業後、千葉県東金市の日本刺繍の会社に入社。
1971年 足の再手術後、会社を退社 自宅にて編み物教室へ通う
1975年 障がい者運動に出会う 青い芝の会主催の映画会を手伝う。
1979年 結婚後、夫とともに有機農業を始める 電気・ガス・水道もない暮らしを8年間。
1985年 夫と共に、インド・ネパール・バングラディシュ・アメリカと5か月半の放浪の旅。
1990年 娘「夏」が授かり、子育てと田村市の福祉向上を考え始める。
1994年 任意団体 「福祉のまちづくりの会」設立 学習会を始める。
1996年 「自立生活支援センター福祉のまちづくりの会」設立 福島県単独事業補助金を受ける。
2001年 介護保険事業所「NPO法人ケア・ステーション ゆうとぴあ」設立 理事長就任。
2011年 3月11日 東日本大震災 東京電力原子力発電所事故にて被曝。
2013年 10月16日 京都市へ避難。
(鈴木・牧口[2016:27])
鈴木絹江・牧口一二 2016 「形も色もニオイもない放射線から、京都に居を移した絹江さんの若き日々…」『そよ風のように街に出よう』89
■新着
「立岩:鈴木絹江さんも、3年前かな? 2年前、3年かな? 一回僕らが大学でやったイベントに来てくださったのよ。すごい久しぶりにお会いして、少しだけ話した。また、京都にいらしたから、今度はちゃんと聞きますよっていう話したんだけど、ね、去年、そういうことになって。」
「立岩:鈴木さんにはもっと聞きたいというか、鈴木さんには思い出があって。ずっと前に、彼女がいたところ★に講演っていうかで呼んでもらって、話したあとそのちっちゃい鈴木さんとでっかいのっぽの連れ合いの人とみんなでビール飲んで、話聞いて、すっげえ面白くて。匡さんか。『さようならCP』の上映会に引き込まれてそれ以来ですって★。そういう話も含めて面白かったですね。もっとそのへんのことも聞きたいなと思っていたら、「今度うかがいに参りますね」って言ったら、亡くなってしまいました。
★ 「福島を訪れたのはずっと間があいて、九九年七月年三一日、鈴木絹江(69頁)たちの「障がい者自立生活支援センター〈福祉のまちづくりの会〉」の福祉セミナーという催に呼んでいただいた時のことだ。船引町(現在は田村市船引)で、話をさせていただいた。いただいた題は「障がいを持つ人の介助保障と介護保険」。二〇〇〇年から介護保険が始まるということで、そういう関係の話をしたのだろう。終わった後、夕方まだ四時ころではなかったかと思うのだが、近くの飲み屋に行って皆でビールを飲んだ。鈴木さんとそのつれあいの匡さん(49頁)がテーブルの前にいて、いろいろと話をうかがった。匡さんは専門学校の学生であったかの時、『さようならCP』の上映会(27頁)に、まったくなんの知識も関心もなかったのに引き入れられて、それ以来のことなのだと聞いたように思う。それ以来の話を話された。絹江さんは小さい人で、匡さんは細長い人で、髪がもしゃもしゃしていて、当時人気があったサッカー選手のラモスに似ていると思った。実際そう呼ばれているのだった。とにかくみなさんの話がとてもおもしろくて、録音機をもっていかず、録音しなかったのをたいへん後悔した――なので今では、酒の席でもときに録音機をまわす(作動させる)ことがある。」(p.6)
立岩 2019/09/10
「はじめに・いきさつ」
,
青木他[2019
:3-10]
■
◆「放射能に追われたカナリア」鈴木絹江さん死去 障害者と原発事故避難を訴え続け
『京都新聞』2021年5月16日 21:03
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/565897
写真:鈴木絹江さん(2015年 京都市下京区・京都産業会館)
「「放射能に追われたカナリア 災害と障がい者の避難」などの著書があり、車いすユーザーの鈴木絹江氏が15日午後7時半、甲状腺乳頭がんで死去した。70歳。
障害者で車いす生活を送りながら、長く福島県田村市で障害者の自立生活を支援するNPOを運営、ヘルパー派遣などに取り組んできた。2011年、約40キロ離れた東京電力福島第1原発事故で、利用者の障害者とともに一次避難を余儀なくされ、2013年から京都市西京区に自主避難し、障害者の立場から原発問題に取り組んだ。ドキュメンタリー映画「逃げ遅れる人々」にも出演した。
京都での講演活動では、福島への思いをいつも語り、「(障害がある)仲間の中には、避難所に行くと『迷惑』と拒まれ、仕方なく自宅に戻って何とか生活した人もいた」「事故により、それぞれの家族間や友人間で断絶が生まれた。時間がたっても怒りや悲しみは変わらない」などと語りかけた。」
◆
鈴木 絹江
i2019
インタビュー
2019/02/22 聞き手:田中 恵美子・土屋 葉 +:鈴木匡 於:京都・鈴木絹江氏宅
◆鈴木さんより 2019/10/06
広告(PDF)
→
災害と障害者・病者:東日本大震災
「こんにちは。絹江です。今度10月6日(日)13時30分〜「逃げ遅れる人々」映画上映と15時〜フクシマのその後を青田さんと鈴木の話しで、災害時の要支援者や一般市民がどのように避難したかのお話しを聞きます。
是非、要支援者や皆さんの避難と防災に役立てて欲しいかと思います。また、避難者の支援に当たっている学者の先生方や弁護士の先生には、避難した人、残った人どちらにも大きな影響を残した原発事故の現実を知っていただきたいと思います。 皆さんには先ずは「逃げ遅れる人々」の映画を見てほしいかと思います。その映画での質問や日頃から聞いてみたい避難について聞いてみて下さい。
是非、質問を持ってきていただき、フクシマに残った人、避難した人、区域内の人、区域外の人と共に率直な意見交換を行い、被害者の被害とはなにを指すのか、共に考えていきたいと思います。 皆さんが是非参加してほしいと思う人は誘ってください。参加は予約をお願いしています。宜しくお願い致します。
https://kokucheese.com/event/index/579581/
予約のためのコクチーズです。」
■
◆鈴木絹江・牧口一二 2016 「形も色もニオイもない放射線から、京都に居を移した絹江さんの若き日々…」,『そよ風のように街に出よう』89
◆2015 『放射能に追われたカナリア――災害と障がい者の避難』,解放出版社
◆2001 「「障害者は生きているのが仕事だ」ってね」,
全国自立生活センター協議会編[2001]
*
*
全国自立生活センター協議会
編 2001
『自立生活運動と障害文化――当事者からの福祉論』
,全国自立生活センター協議会,発売:現代書館
■青木 千帆子・瀬山 紀子・立岩 真也・田中 恵美子・土屋 葉 2019/09/10
『往き還り繋ぐ――障害者運動於&発福島の50年』
,生活書院
[表紙写真クリックで紹介頁へ]
◆立岩 真也 2019/09/10
「はじめに・いきさつ」
,
青木他[2019
:3-10]
「福島を訪れたのはずっと間があいて、九九年七月年三一日、鈴木絹江(69頁)たちの「障がい者自立生活支援センター〈福祉のまちづくりの会〉」の福祉セミナーという催に呼んでいただいた時のことだ。船引町(現在は田村市船引)で、話をさせていただいた。いただいた題は「障がいを持つ人の介助保障と介護保険」。二〇〇〇年から介護保険が始まるということで、そういう関係の話をしたのだろう。終わった後、夕方まだ四時ころではなかったかと思うのだが、近くの飲み屋に行って皆でビールを飲んだ。鈴木さんとそのつれあいの匡さん(49頁)がテーブルの前にいて、いろいろと話をうかがった。匡さんは専門学校の学生であったかの時、『さようならCP』の上映会(27頁)に、まったくなんの知識も関心もなかったのに引き入れられて、それ以来のことなのだと聞いたように思う。それ以来の話を話された。絹江さんは小さい人で、匡さんは細長い人で、髪がもしゃもしゃしていて、当時人気があったサッカー選手のラモスに似ていると思った。実際そう呼ばれているのだった。とにかくみなさんの話がとてもおもしろくて、録音機をもっていかず、録音しなかったのをたいへん後悔した――なので今では、酒の席でもときに録音機をまわす(作動させる)ことがある。」(p.6)
◆田中 恵美子 2019/09/10 「福島コミュニティの形成――コミュニティ・キャピタル論から福島の障害者運動形成期を読み解く」,
青木他[2019
:3-10]
「B 鈴木絹江
一九五一年二月二六日生まれ。早生まれのため、白石、橋本と同級である。小学校六年二学期まで自宅近隣の普通学校で学び、一九六二年三学期から新設の郡山養護学校に第一期生として就学した。高等部まで過ごし、卒業後千葉で就職したが過労で帰郷し、実家で編物などをしながら母子で暮らす。その後障害者運動と出会い、傾倒する。結婚と同時に運動から離れ、農業に従事。やがて自立生活運動に関わり、事業所を立ち上げ、理事長となる。現在は福島原発事故の影響で京都に移住。事業所運営を続けている。」(p.69)
4 福島コミュニティの発展 93
1 「刷り込み」の拡張――「青い芝の会」
A脳性まひではない同級生へ――鈴木絹江の場合
◆2020/02/09
https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1226319124558569472
「話9。鈴木絹江さん→
http://www.arsvi.com/w/sk20.htm
すぐ近くにいらしたのに(マスクされていることもあってか)最初気づかなかった。失礼。今は桂離宮の近くに暮らしていて、尋ねたらこれからずっといらっしゃるとのこと。沖縄か京都かと思ったが今も福島に通っていて、通うことできる京都にしたとのこと」
◆2020/02/09
https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1226321001824145408
「10。鈴木絹江さん続。『往き還り繋ぐ』(生活書院)→
http://www.arsvi.com/b2010/1909ac.htm
のことでお礼申し上げる。&インタビュー記録の公開をあたらめてお願いし基本認めていただく→
http://www.arsvi.com/b2010/1909acb.htm
本は、必要だが、その「もと」にさせてもらった記録には独自の、ときに本なんかより価値がある。」
◆2020/02/10
https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1226839283706683392
「0208の話27 約1年前の鈴木絹江さんへのインタビュー記録を公開させてもらいました→
http://www.arsvi.com/2010/20190222sk.htm
これらをもとに『往き還り繋ぐ――障害者運動於&発福島の50年』(青木千帆子・瀬山紀子・立岩真也・田中恵美子・土屋葉、生活書院)ができました→
http://www.arsvi.com/b2010/1909ac.htm
」
▽立岩真也@ShinyaTateiwa
「10。鈴木絹江さん続。『往き還り繋ぐ』(生活書院)→
http://www.arsvi.com/b2010/1909ac.htm
のことでお礼申し上げる。&インタビュー記録の公開をあたらめてお願いし基本認めていただく→
http://www.arsvi.com/b2010/1909acb.htm
本は、必要だが、その「もと」にさせてもらった記録には独自の、ときに本なんかより価値がある。」
UP: 20160425 REV:20190310, 0916, 20210615, 20221016(
権藤眞由美
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福島県青い芝の会
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生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築
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病者障害者運動史研究
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