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白石 清春

しらいし・きよはる
1950/04〜

last update: 20120403

JDF被災地障害者支援センターふくしま代表(2011〜)

 ・福島県→神奈川県相模原市→福島県
 ・福島県青い芝の会
 ・脳性マヒ者が地域で生きる会(神奈川県相模原市,  〜  )
 ・CP 福島郡山養護学校→在宅72郡山市の福祉サークルに入り活動 (23歳) 73?福島青い芝の会会長 自立連代表

 ・1950年4月 福島県郡山市生まれ。生まれた時に脳性まひとなる。
 ・1969年3月 福島県立郡山養護学校高等部卒業。
 ・1972年 「さよならCP」を見て衝撃を受ける
 ・1973年 福島県青い芝の会
 ・1974年 福島市にて橋本広芳氏と共同生活始める
 ・1976年3月 福島市で地下歩道建設阻止闘争
 ・1976年 秋田市に転居、活動の拠点を秋田市に移す
 ・1977年4月 川崎駅前でのバスジャック闘争に中心的立場で参加
 ・1979年 全国青い芝の会再建委員会の代表に就任
 ・1980年 秋田市から相模原市へ、活動の場を移す。
 ・1981年 脳性マヒ者地域作業所くえびこ開所。
 ・1989年7月 郡山へUターン。
 ・1990年 グループらせんを作る
 ・1994年 ワークIL・オフィスIL開所。オフィスILの所長を務める
 ・1997年7月 全国障害者市民フォーラムが郡山で開催される
 ・2001年 NPO法人あいえるの会設立。郡山市身体障がい者ガイドヘルプ事業の委託を受け、活動に関わる。
 ・2006年 NPO法人あいえるの会理事長に就任。現在に至る。
                     (白石清春氏・橋本広芳氏 還暦祝い記念誌より)

 『道程』:141-181, 『生きる』2:6-17,3:1,8:1-4,10・11:8-11,12:1,19:28-37『はげみ』86-2・3:17-22 聞86.8.29〕

白石清春氏1白石清春氏2

◆白石 清春・橋本 広芳 i2018 インタビュー 2018/03/16 聞き手:立岩真也 於:福島県郡山市・オフィスあいえる


2018/03/16 郡山で 撮影:立岩真也

◆青木 千帆子・瀬山 紀子・立岩 真也・田中 恵美子・土屋 葉 2019/09/10 『往き還り繋ぐ――障害者運動於&発福島の50年』,生活書院

青木千帆子・瀬山紀子・立岩真也・田中恵美子・土屋葉『往き還り繋ぐ――障害者運動於&発福島の50年』表紙

[表紙写真クリックで紹介頁へ]


◆白石 清春 20130325 「白石清春さんの場合」(聞き手:長崎圭子),『そよ風のように街に出よう』84:3-11

◆白石 清春 20130301 「JDF被災地障がい者支援センターふくしまでの活動報告と今後の福島の新生に対する提案」,『現代思想』41-3(2013-3):104-115

1 JDF被災地障がい者センターふくしま活動報告
 2011.3.11東日本大震災を経験して
  郡山市総合福祉センター3Fで地震に会う
  障がい者用避難所設置を郡山市に要望
  被災地障がい者支援センターを立ち上げる
 「二〇一一年三月一八日に滋賀の障がい者事業所から医療関係などの支援物資が届けられた。支援物資と共に大阪のゆめ風基金の方がみえられて、福島県に被災地障がい者支援センターを立ち上げたらどうかという提案がある。次の日に関係者で協議した結果、支援活動を行なっていくことになる。支援物資があいえるの会の生活介護事業所に届いたので、自動的にあいえるの会で事務局を私が担い、私が代表を務めることになる。」(p.105)
 多方面にわたる支援センターふくしまの活動
  支援物資を被災地に届ける活動から始める
  福島県障がい者相談支援強化・充実事業が始まる
  南相馬市等の障がい者事業所に職員の補佐役を派遣
  被災障がい者交流サロン「しんせい」オープン
  サテライト自立生活センター(避難拠点)を神奈川県相模原市へ設ける
「[…]障がい者は、避難先での住環境が整っていないと避難することば難しい。そのにうな点を考慮して東北・関東大震災救援対策本部の支援を受け、相模原市に旧ケア付住宅(私が相模原にいた時分に建設された)を借り受けて避難拠点とした。二〇一二年五月に一人の脳性まひ者が相模原に避難していった。二〇一二年五月にも脳性まひ者が避難していった」(p.106)
  UF-787プロジェクトの活動
  原発事故による賠償問題に関する動き
2 震災後、障がい者の避難に関しての支援活動を通じて感じたことなど
  初動でつまづく
  きょうされんのボランティアの皆さんと共に福島県内の避難所をまわる
  計画的避難地域となった飯館村に何回も通う
  仮設住宅を回って
  福島県内で唯一南相馬市が名簿開示を行なう
  障害者支援(入所)施設を回って
  その地域に障がい当事者団体が存在するかどうかで被災障がい者の支援体制が大きく変わる
「福島県においてはさかのぼること四〇年前からの重度の脳性まひ者の団体である青い芝の会が、みずからの存在を社会に訴える文字通り体を張った運動を行なってきたという経緯がある。一九七〇年代後半には福島県青い芝の会は解散していくが、福島県の各地域で活躍していた脳性まひ者たちが地域に根付いた活動を継続していく。」(pp.109-110)
3 支援センターふくしまの活動を通して浮き彫りとなった問題点とそれを解決するための提起
  障がい者の避難のあり方
  被災地における障がい者の名簿開示
  我が国における障がい者の人権の確立が急務
4 障がい者支援の視点の転換(変化)と原発事故
  障がい者支援の視点の転換(変化)は?
  福島原発の事故により
  原発に頼らない安全・安心な日本・世界を目指して

……

◆白石 清春 198107 「自らの意志で生き,運動し,自らの手で創り出す」,『新地平』84(1981夏):23-30
◆白石 清春 1982 「私と結婚」,芝草の会編[1982:141-181]
◆白石 清春 19820228 「障害者の完全な「社会参加と平等」――基本的人権の確立をめざして」,『生きる』002:06-17
◆磯部 真教・仲村 優一・三ツ木 任一・太田 修平・白石 清春・久保・斉藤 明子(座談会) 1983 「自立生活」,『リハビリテーション』255(83-7):10-31
◆白石 清春 19841215 「所得保障――脳性マヒ者をはじめとする幼い時からの障害者の所得保障制度の確立をめざして」,仲村・板山編[1984:36-50]
◆白石 清春 19841215 「地域で生きていくことをめざして――脳性マヒ者が地域で生きる会」,仲村・板山編[1984:246-259]
◆白石 清春 19880901 「自立生活のワンステップとしてのケア付住宅――脳性マヒ者が地域で生きる会」,三ツ木編[1988:188-201]
◆白石 清春 20010501 「闘争の青春を謳歌しました」,全国自立生活センター協議会編[2001:161-168]*
*全国自立生活センター協議会 編 2001 『自立生活運動と障害文化――当事者からの福祉論』全国自立生活センター協議会,発売:現代書館
◆白石 清春 19920301 「'91シンポジウム「誰にもやさしい街づくりを考える」を開催して」,『障害者の福祉』12-03(128):36-37
◆Kiyoharu Shiraishi 2012/03/24 "Human Rights and the Japan Disasters." in PANEL DISCUSSION: Human Rights Based Approaches to Climate Change, Disaster Preparation, Post Disaster Management and Reconstruction. Kiyoharu Shiraishi (invited) , Sylvia Yee, George Kent, Martine Abel & Joshua Cooper. PacificRim International Forum Hilton. Hawiian Village.
◆Kiyoharu Shiraishi 2012/03/26 "What we felt, shared, and acted with our devastated fellows in Fukushima:in the aftermath of the unprecedented triple disaster" in Masayo Furui, Toru Furui, Kiyoharu Shiraishi & Chihoko Aoki: Human Rights Violations of persons with Disabilities in Fukushima after the Great East Japan Earthquake, Tsunami, and Nuclear Power Plant Accident. 〔PDF〕 The 28th Annual Pacific Rim Conference on Disability and Diversity. Hawaii Convention Center.

■言及

◆辻 宇乃 1987 「ケア付住宅「シャローム」」,『障害者の福祉』7-6(87-7):9-11

◆安積純子 1990 「〈私〉へ――三〇年について」,安積他[1990:19-56→1995:19-56]*
*安積 純子・尾中 文哉・岡原 正幸・立岩 真也 1990 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学』、藤原書店→1995 増補改訂版、藤原書店
*安積 純子・尾中 文哉・岡原 正幸・立岩 真也 19950515『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 増補・改訂版』,藤原書店,366p.,ISBN:489434016X 2900+ [amazon][kinokuniya] ※ ds.

 「当時、全国青い芝の代表は横塚晃一さんだった。福島で最初に始めたのは白石清春さんと橋本広芳さん。そのころ、橋本さんも白石さんもすごく過激でね。施設へ行って、ベッドの周りに棚があって鉄格子みたいになってると、「おまえら、こんなところに入りたいと思うのか」ってすごい剣幕でどなったりしがみついたりして。二度とこないように立入り禁止になったりして。怒り狂って。悲しみのあまりにね。私たちの目の前で、ご飯に味噌汁とおかずと薬と水をかけて、ごちゃごちゃに混ぜたのを口につつこまれたりしているんだよ、私達の同窓生がさ。あまりにも悲しみが高まるよね。「おまえら、こんなのめしだと思うのか」ってつかみかかってどなるのよね。
 白石さんはその後、青い芝の活動のために秋田に移り住んで、青い芝の事務所のある神奈川と往復してた、福島にもしょっちゅう来てたけど。七九年には白石さんが全国の代表になったんだ。橋本さんは白石さんの女房役でね。」(安積[1990:30→1995:30])

◆立岩 真也 2011/**/** 「もらったものについて・7」『そよ風のように街に出よう』81:-

◆立岩 真也 2012/**/** 「……」,『福祉社会学研究』09(福祉社会学会

◆安積 純子・尾中 文哉・岡原 正幸・立岩 真也 20121225 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 第3版』,生活書院・文庫版,666p. ISBN-10: 486500002X ISBN-13: 978-4865000023 [amazon][kinokuniya] ※

◆立岩 真也 2012/12/25 「多様で複雑でもあるが基本は単純であること」(第10章),安積他[2012:499-548]*
*安積 純子・尾中 文哉・岡原 正幸・立岩 真也 20121225 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 第3版』,生活書院・文庫版,666p. ISBN-10: 486500002X ISBN-13: 978-4865000023 [amazon][kinokuniya] ※

◆立岩 真也 2013/03/20 「『生の技法』広告続・白石さんたち」
 生活書院のHP http://www.seikatsushoin.com/web/tateiwa11.html

◆立岩 真也 20170801 「福嶋あき江/虹の会・2――生の現代のために・24 連載136」,『現代思想』

◆―――― 2018/12/20 『病者障害者の戦後――生政治史点描』,青土社,512p. ISBN-10: 4791771206 ISBN-13: 978-4791771202 [honto][amazon][kinokuniya] ※
 「そして東京青い芝が主導権を有していた時期の全国青い芝の会長だった白石清春(うつみねの会)★06が、所得保障・年金について一つ(白石[1984a])、「脳性マヒ者が地域で生きる会」の活動について一つ(白石[1984b])書いている。虹の会の人たちが八七年に見学に行ったのが、この相模原市の組織――白石は福島青い芝の会を始めた人だったが全国の会長になって神奈川にやってきて、相模原でこの会を作り活動した――が運営する「シャローム」。この原稿の時点では「自立生活センター(仮称)」を建設したいと語り、その「近くに居住部分(個室)を設け[…]ます。そして、ここは独立した生活を目ざす訓練の場であるので、あくまでも通過施設とします」(白石[1984b:259])とされる。「通過施設」「移行の場」であることをこの時期にも強調する人たちがいた。ただ、条件次第ではその流動性は弱まる。実際に八王子自立ホームがそうなったことが後に指摘されることになる。そしてこの時にはまだできていなかったシャロームは八二年に運動が始まり、八六年に開設。その翌年に虹の会が見学に行ったということになる。」

 「★06 「当時、全国青い芝の代表は横塚晃一さんだった。福島で最初に始めたのは白石清春さんと橋本広芳さん。そのころ、橋本さんも白石さんもすごく過激でね。施設へ行って、ベッドの周りに棚があって鉄格子みたいになってると、「おまえら、こんなところに入りたいと思うのか」ってすごい剣幕でどなったりしがみついたりして。二度とこないように立入り禁止になったりして。怒り狂って。悲しみのあまりにね。私たちの目の前で、ご飯に味噌汁とおかずと薬と水をかけて、ごちゃごちゃに混ぜたのを口につつこまれたりしているんだよ、私達の同窓生がさ。あまりにも悲しみが高まるよね。「おまえら、こんなのめしだと思うのか」ってつかみかかってどなるのよね。  白石さんはその後、青い芝の活動のために秋田に移り住んで、青い芝の事務所のある神奈川と往復してた、福島にもしょっちゅう来てたけど。七九年には白石さんが全国の代表になったんだ。橋本さんは白石さんの女房役でね。」(安積[1990:30→2012:47-48])  白石は二〇一一年の大震災の時には「被災地障がい者支援センターふくしま」の代表を務めた。そのことを本誌に書いた文章として白石[2013]。その「女房役」であり続けてきた橋本はこの本では福島の「うつみねの会」について書いている(橋本[1984])。そして白石・橋本について語った安積は所属をうつみねの会として安積[1984]を書いている。だからこの本の著者は、東京青い芝関係が五、福島青い芝の会――その初期の活動について土屋葉[2007]――関係が三。さらに実態調査には結局反対の立場をとった障害連関係者も、所属「東京都清瀬療護園」となっている(後に清瀬療護園を出る)太田修平、そして所属障害連で宮尾修、合わせて二、他に高野・福嶋・小山内、もう一人がハワイ自立生活センターの高嶺豊で、計十四人。」

UP:20110509 REV:20110526, 0905, 20120121, 0319, 20, 20180202,
脳性麻痺/脳性マヒ/脳性まひ  ◇福島県青い芝の会  ◇病者障害者運動史研究  ◇障害者(の運動)史のための資料・人  ◇生を辿り途を探す――身体×社会アーカイブの構築  ◇WHO 
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